Man is a thinking reed
人間は考える葦である

自己顕示な日々 2002.08 なんで、こんな未完成なHPを公開してしまうのか?と考えてみたりする。おそらくは自己顕示欲があるからなのだが、こんな半端ものを掲載すると、人となりもそう見られるに違いないと思うのだが… 
なんでだろ。

で、また人の文章を引用(自分の言葉は無いのか!)
『それでいっそう私たちは、与えられているこの空しい、矢の如く飛び去る時間を、もし功績で延ばせないとしたら―――というのもその機会は他人の手に握られているのです―――少なくとも文学上の業績で延ばしたいものです。私たちは長い命を拒否されているのだから、生きたという証拠を何か残したいものです。』
『プリニウス書簡集』より
『シリウス・イタリクスの死       ―――カニニウス宛て』

自堕落な日々2 2002.05.26

『しかし、私はとりわけ酒と性のみに熱中する者たちを第一に挙げる。
つまりこれほど恥じなことに心を奪われる人間はいないからである
(略)
然るに飲食や性欲に耽る者のすることは恥ずべき汚辱である。』

セネカ(BC4-AD65)『道徳論集 人生の短さについて』より


汚辱の第一人者になりつつある今日この頃。ムネオよりかマシな生き方をしているつもりだったのに…

 

 

自堕落な日々

Vite perdite me legi subdideram,
minus licitedum fregi, quod voveram;
sed ad vite vesperam corrigendum legi,
quicquid ante perperam puerilis egi.

Rerum exitus dum quero discutere ,
fusum penitus a vero discernere ,
falso fallor opere ,
bravium si spero me virtutum metere , 
vitia dum sero. 

Non sum duplici perplexus itinere ,
nec addidici reflexus a venere ,
nec fraudavi temere configis amplexus;
Dalidam persequere , ne fraudetur  sexus!

Famem siliqua porcorum non abstulit,
que ad lubrica errorum me contulit.
sed scriptura consulit,
viam intrem morum,
que prelarga protulit pabula donorum.

Dum considero , quid Dine contigerit ,
finem confero rapine quis fuerit ;
scio : vix evaserit mens corrupta fine,
diu quam contraxerit,
maculam setine.

Preter  meritum me neci non dedero,
si ad vomitum ,
quem ieci,
rediero,
nec a verbo aspero liberum me feci,
servus si serviero vitiorum feci.

堕落した生活

『カルミナ・ブラーナ』より、ブロワ作とされる物を引用。ベネディクト・ボイレン修道院のコーデックスです。最近、私のコラプションの度合いは酷いから、なんというか、これを書いた人の気持ちが分からなくないのです。それなのにまだ誤った道を歩み続けてる感じだけど。

堕落した生活の慣わしに自分を貶めていた。許されることではないのに約束したことを破ってしまった。そこで人生の暁を正しいものとするため、かつて若さゆえ誤ってしてしまったことごとを拾い集めてみた。

事の成り行きを見極める時に、また、嘘を真実から徹底して選り分けるときに、行動の誤謬から過ちを犯す。徳行の報奨を刈り取ろうと思って過誤の種をまいてしまう。

私は両刀使いの道に迷い込んでいるわけでもなく、ヴィーナスから身を引くことに専念するわけでもなく、他人の妻の抱擁を盗んだ事も無い。デリラを追いかけ、男女の分別を間違えぬようにしよう。

飢えは豚の餌によって満たされるという事は無く、罪障の潤滑をもたらす。だが聖書により助言を得る。天賦の大いなる糧を与えてくれる徳の道を進む事を。

何がディナを襲ったか考えて、陵辱の結末がどうなるかに言及しよう。
私にはわかる。恥辱にまみれた精神は、結局、長い間一身に集めてきた汚辱をほとんどすすげはしないということを。

報いを受けずに私は、死ぬわけにはいかないだろう。自分の撒き散らした物を処理するために立ち戻ったのならば。
悪の糞尿の如くに勤めたならば、汚い言葉から自分を助け出したわけでもないから。

物事を考える日々
Man is a thinking reed
『無限の宇宙に比べれば人間とその理性は無に等しいが、人間は”考える葦”として偉大であり・・・・』パンセより

人として生まれたからには、もっとよくものを考えて生きていかねば、と思った次第。
ショウペンハウエルの『知性について』を読んだことがあるでしょうか?
若輩の私は、アレを読んだ当初、なんて傲慢な人なんだ!と思いました。何故か。
序において、知性について考えられる人・哲学者というのは、一部の人の特権であると記されていたからです。私はその文意を無知蒙昧な人々は暗愚であると背理的に感じてしまったのです。
まぁ、いまではあの文意は、”あなたは、考えることということができる動物であることに気づいていますか?”という文章だと思っています。
ではでは