動燃の書き初め

子どものころから長い間疑問に感じていたことがある。書き初め、の意味だ。手だけでなく顔にまで墨を塗りながら、「初日の出」とか「友情」とか妙に前向きな言葉を半紙に書くのに何の意味があるのだろう。字の練習だったらもっと他の言葉−例えば「交通事故」「人造人間」−でも構わないだろうに、と妙なひっかかりを歳をとるにつれて感じるようになった。

 それが「言霊信仰」の一環ではないかと思い当たるようになったのは、二十歳を過ぎてから。もう書き初めの筆を執らなくなって、だいぶたってからのことだ。前向きな言葉を書くことで、将来が明るいものであることを祈るというのが書き初めの、いわば秘められた目的だったのだ。それが「交通事故」や「人造人間」では、わが身に何がふりかかるか分からないことになってしまう。それほど言霊信仰的なものは身近にあるのだ。

 で、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の東海事業所・再処理工場で発生した火災・爆発事故の偽証事件である。この顛末に、いささか言霊の亡霊のようなものを読み取るのは強引すぎるだろうか。
 この、事件のそもそもの発端は、総務課長が間違った消火時間の訂正を拒否したところから始まっている。この総務課長はおそらく「これで時間が間違っていることが明らかになったら、またバッシングだ」と、考えたから訂正することをよしとしなかったのだろう。そこからこの事件の「一度言葉にだしたものは事実になる」という言霊信仰的な迷走が始まるのである。ここで、総務課長が言葉よりも事実を重んじる姿勢があれば、ボタンのかけ違いは起こらなかったはずだ。

 総務課長は「訂正は難しい」と言ったという。新聞報道などによると、総務課長の真意は「ホワイトボードに10時22分という時間が書かれている以上、その時間に何らかの行動はあったはず」というところにあったようで、しかしそれは既にそれが本来の消火完了時間でないことが分かっている以上、転倒した考え方だ。火災は発生(覚知)と消火が最も基本的な事実であることを、総務課長が知らなかったわけがない。「10時22分消火」という既に発せられた言霊が、彼を縛っていたのだ。

 この転倒した事実のとらえ方が、そのまま組織のピラミッドを転げ落ちる間に雪だるま式にふくれ上がる。それが「消火を見た人間を作らねば」という捏造を引き起こした。結果として、一番最初に発せられた言霊の内容が、「実現」することになってしまったわけだ。
 本来、言霊は将来について力を発揮するものだから、既に発生した火災の事実をめぐる今回の事件にはそのまま当てはまるものではないかもしれない。だが、一度発した言葉に意識が支配されてしまうという構図はやはり「言霊」の力によるものだと思えてくる。
 「言霊」は日本の原始的な呪術の一種だ。民俗学の研究などによると、呪術は同じ文化を共有している中でしか機能しないという考え方があるそうだ。つまり、神主には悪魔ばらいはできないということなのだが、それをこの事件に当てはめてみると、動燃という「風通しの悪い組織」(動燃労組の地元幹部・朝日新聞)、つまり村では、その閉鎖性と硬直性故に「言霊」という呪術が格段の力を発揮したようにも解釈できる。
 と、そんなことを考えていたら、「ふげん」が微量の放射性物質トリチウムをもらしたというニュースが入ってきた。トリチウムよりも問題なのは、今回も福井県への通報遅れがあったことだろう。動燃の職員には、「反省」とか「迅速連絡」とか、そんな言葉を書き初めで書くことを義務ずけたらどうだろうか、などと考える今日この頃である。(笑)
(日記より再録)