原獣図鑑


 『犬を飼う』で愛犬の老死を丁寧に描いた谷口ジローが、さまざまな動物の祖先(原獣)に題をとった連作短編集。マカイロドゥス(初期のサーベルタイガー)、マンムートゥス・ジェファーソニ(マンモス)といった獣が、相変わらずの緻密なペンタッチで生き生きと描かれている。
 とはいうものの、これを野生動物の生態を描いた記録映画的なシリアス作品だと決めつけてしまうのは少々気が早い。 主役の動物たちの眼を時折白目がちに描くことで顔に表情をつけたこと、彼らがモノローグで自らを語ること、それがこの作品の特徴。そこには、そこはかとないユーモアが織り込まれていて、記録映画というより、どちらからというと動物が登場するバラエティ番組のビデオの持つ「のほほん」とした雰囲気に近いのだ。
 もちろん科学的知識の正確さも魅力ではある。でもアタマをひねるより、タイムトリップして不思議なリゾートを楽しむ、そんなリラックスした気持ちで読むのがこのマンガの正しい読み方だと思うのだ。    


ニーベルングの指輪  ワルキューレ


 松本零士作品の魅力は、その登場人物が醸し出すロマンにある。本作は、同名のオペラがベース。不思議な力を秘める「指輪」をめぐる神々と英雄の運命を描く点は同じだが、松本版では人間側の登場人物にハーロックらお馴染みの登場人物を配し、ほとんどオリジナル作品として、存分にそのロマンの世界を繰り広げている。 
 この第2巻では、これまで描かれていなかったハーロック、トチロー、メーテル、エメラルダスらの子供時代が描かれることにまずビックリ。さらには「ヤマト」の沖田艦長までもチラリと登場する。 これは作者の単なるオアソビではない。例えば、グレート・ハーロック(ハーロックの父親!)が沖田対して真摯に敬礼する時、作者本人も本気で沖田を尊敬している。作者がマジに自分のキャラを尊敬している点こそ、松本キャラクターのロマンの源だろう。
  そのロマンの香りを最大限に優先する松本作品は、設定優先のマンガが多くなった今、逆に新鮮だ。本作は全4巻の大長編になる予定。松本ロマンをこれでもかと味わうには最適の作品だ。

キャプション:しかし、一度書いたメカなどをコピーして貼り付けたような原稿はいかがかとも思ところもあるが。ビデオアニメ化決定。


僕といっしょ


 前作『行け!稲中卓球部』を読みながら中学時代を思い出し、卓球部の部室で、前野以下卓球部のメンバーと一緒に”長い放課後”をドタバタと過ごしたい、と思ったのはボクだけじゃあないだろう。そんな'90年代のギャグの傑作『稲中』に続く連載が本作『僕といっしょ』だ。 母と死別し、義父に捨てられたすぐ夫、いく夫兄弟。施設育ちで、シンナー吸いまくりのイトキンこと伊藤茂。この3人は上野で出会い、ヤングホームレスになる……。連載開始直後は、面白いけれど、『稲中』にはなかったそのシビアさに「笑える?」と聞かれれば「通好みだね」と答えるしかないような状況で、戸惑いを感じた人も多かったろう。 読者がついてこれないと判断したのか、3人が一人娘のいる床屋に同居する1巻の半ばあたりからは、舞台も定まってグっと読みやすくなる。でも、それは表面だけ。脇をにぎわすキャラクターは、パパ持ちの美少女ストーカーに、キレかかった8浪中の学生、妹に近親相姦スレスレの兄など、主人公たちに負けず生きているだけでイタそうなキャラクターばかり。もちろん、そんな人物たちが、ちゃんとギャグに昇華しているのは見事の一言だ。 なぜイタいキャラクター ばかりなのか? きっと『稲中』にあった、思春期特有の自己嫌悪にぐっとフォーカスを集め、煮詰めたのが本作なのだ。そして、自分に疑問を持たない『稲中』のキャラと違い、本作のキャラはみんな自己嫌悪しないですむ自分になりたいと強く思っている。 終わることのないモラトリアムを描いたのが『稲中』なら、本作は、よりオトナ向けの、自己嫌悪と付き合うことを描くツラくて正しい青春ギャグなのである。 
(注・3巻が発売になった時点での原稿です)


我が名はネロ


 安彦良和の魅力は、少年のナイーブな表情にある。本作の主人公ネロも、破滅的な皇帝になることを予感させつつ、やはり多感な表情を持つ少年として登場する。
 皇帝ネロは、自分を溺愛する母親を疎んじ、殺害計画を実行する。これが一巻のクライマックスだ。だが彼は同時に激しい後悔の念に混乱し、奴隷のレムスにまで「愚か者」となじられる。そのうろたえぶりは、暴君というより、わがままな少年といったほうが近い。
 「ローマの社会は今日の社会そのままといっていいでしょう。(中略)二千年前の、現代の物語としてお読みください」と作者はあとがきで語る。裕福な生活と過剰な愛情、そしてなお残る欠乏感。彼は、無邪気な、しかし、皇帝の地位に馴れ過ぎてしまった少年を、今の“不幸”な境遇に生きる子供に重ねて描こうとしているのだ。 少年の成長物語を描き続けてきた安彦良和が“現代ッ子”ネロの人生をどう描くか。歴史モノで『ジャンヌ』『イエス』を描ききった作者の想像力が、歴史の隙間をどのように埋めていくのか、今後が楽しみだ。


るろうに剣心


 薫は生きていた! 彼女は、十字架を背負った主人公・緋村剣心、唯一の”帰れる場所”だ。復讐鬼・縁に殺されたはずだった彼女が、実は無事で監禁されていた、という展開に「反則スレスレ」と思いつつも、胸をなで下ろした読者も多いだろう。
「るろうに剣心」は、明治初期が舞台。幕末に人斬り抜刀斎と恐れられた剣心は、現在、不殺の誓いを立てているが、運命は彼を再び戦いの場に導いていく……という設定で、現在は、剣心を姉・巴の仇と狙う縁が復讐する「人誅編」が進行中。その復讐の”仕上げ”として縁は薫に刀を突き立てたはずだった……。

 この作品は、設定が明治ということで異色作のようにも見られるが、実は少年マンガの王道を進んでいる。例えば「戦いを好まないけど無敵」という剣心の設定は、『サイボーグ009』からのヒーロー像だし、前エピソード「京都編」の敵・志々雄真実の下に幹部「十本刀」が控えて、勝ち抜き戦のようにバトルが展開するのは『ジャンプ』の定石通り。 作者は、そのパターンを、物語を丁寧にデティールから積み上げることでそれと感じさせない。脇役である十本刀のそれぞれのドラマと、その後が描かれる京都編エピローグ(18巻)を読めば、作者がいかに各登場人物を血の通った人間として描こうとしているかが、よくわかる。

 そんな作者だから”薫の死”も、実は巧妙に伏線が張られていたし、改めて読めば、剣心が「巴を殺した罪」を乗り越えるためには必要なエピソードだったと理解できる。剣心が再び薫と出会い、真の救済に至るのはまだ先だろうが、「笑顔とハッピーエンドが基本」という作者の創作姿勢を信じていれば、裏切られることはないだろう。 


以上は週刊SPA!に掲載されたコミックレビューです。