エイリアン4


 『エイリアン』シリーズの恐怖の源を考えると、その、生理的嫌悪感をベースにした徹底的な”異物感”につきあたる。
 漆黒のメカニックとも生物ともつかない身体、口からしたたる粘液と宇宙船をも溶かす強酸性の体液、そして人間を宿主とする生殖方法。あらゆるデティールが生理的嫌悪感を刺激し、人間とは相容れない対の存在=異物としてのエイリアンを強調している。 第2作では、クイーンエイリアンが登場し、リプリーとクイーンが互いに「母である」という共通点が設定される。だが、これもその共通点故に、人間とエイリアンの対立関係を強調することになっているし、第3作でエイリアンに寄生されたことを知ったリプリーが自死を選んだ瞬間に、彼女の胸を突き破って登場するエイリアンは、死=人間とあいいれない異物、そのものだ。
第4作では、この”異物”というテーマがさらに深められ、変形させられている。今回のテーマを一言でいうのならメタモルフォシス(変態)ということになるだろう。
 幼虫は蛹を経て成虫となる。この時、幼虫の内部組織、器官は消化され、新たに成虫の器官が形成されるという。つまり、一見、連続的な変化に見える変態だが、その”線”は蛹の時にとぎれていることになる。それは1種の死と再生なのだ。第3作で自死したリプリーは、クローン技術によって再生される。ただ、彼女は外見こそリプリーのままだが、決定的にに別の存在として生まれ変わったのだ。幼虫が蝶になるように。
 生まれ変わったリプリーは強い筋力と強酸性の血液の持ち主であり、その変化を象徴するのは、エイリアンを思わせる黒色に変化した爪だ。彼女のはこの爪で”蛹”を破り、現実世界へと帰還した。 彼女の変化は、その強靱な体力を得ただけではない。彼女は、エイリアンという死=異物を内包している。
 彼女が女自身が成長する前に、生まれた7体の実験体が登場するシーンを思い浮かべてみよう。中途半端に、エイリアンの遺伝子が発現して生まれた奇形たち。あれはリプリーの内部にエイリアンという名の死がしっかりと巣くっていることを彼女に知らしめたのだ。”姉妹たち”はたまたまその死が、外側に顔を出しただけなのである。彼女がいくら人間の通りに振る舞っても、彼女は内部に異物を抱えているのである。
 羽化して現実世界に降り立ったのは、リプリーだけではない。人間の遺伝子を受けた「ニューボーンエイリアン」も、クイーンエイリアンの母胎=蛹を破って登場する。死神そのままのドクロの顔を持つエイリアン。だが、その眼窩の奥には、これまでのエイリアンは持っていない小動物的な瞳が宿っている。彼はそれゆえにもう一つの、決して相容れることのない姉妹であるリプリーを求める。エイリアンもまた、メタフォルシスしたのだ。 リプリーと影響しあったクイーンエイリアンも例外ではない。クイーンはこれまで描かれた以上に人間にとって近しい存在となっている。例えば、既にクイーンに融合された人間達の恍惚とした表情、リプリーが巣に飲み込まれるときの、おだやかな表情……。
 この映画で描かれるエイリアンは既に異物ではない。彼らは倒すべき、克服すべき存在から、むしろ母胎のようになにか懐かしいさ安らかさを与える存在に密かに変化しているのだ。 第4作目は、メタモルフォシスという過程を通じ、これまではひたすら対立関係にあった生と死、人間とエイリアンを等価な概念として、リプリーあるいはニューボーンエイリアンのなかに盛り込んだのである。ここで、生と死は等価な概念として、ミックスされている。
 ラストの攻防でニューボーンは、真空中に中身を吸い出されて死んでいく。先に、リプリーの姉妹について中から死が顔を出したと書いたが、つまりその対の存在であるニューボーンは中に「生」を持っていたのだろう。だから、中身がなくなれば外側の「死」しか残らない。 さらに重ねていうなら、死=エイリアンというのは決してなくなることがないのである。我々、あるいはリプリーが生きているかぎり。