スプートニクの恋人(村上春樹、講談社 1600円)


 ある雑誌でこの本を紹介していた。そこには表があった。中身は、「ノルウエィの森」と本作の主人公像、ヒロイン像、舞台などの比較をするものだった。
 作品同士を比べるにはさまざまなところがあると思う。この場合は、ネタバレにならないように、読者の興味を引く分かりやす部分だけを並べたのだろう。でも本作を読めば、こうした表面的なことを比べる以上に、重要な変化が村上春樹の中で起きていると感じた人は多いのではないだろうか。そういう気持ちを拾い上げると、比べるべきは主人公の年齢や年齢以外にいろいろあることに気づくだろう。
・井戸と観覧車
 「井戸に落ちる」というのが村上春樹の一大テーマである。ところが今回、井戸は登場しなかった。主人公はヒロインが「井戸に落ちたのではないか」とは心配するが、彼女は落ちていないのである。一方、もう一人の重要な人物は、観覧車に乗ることで人生の転機を迎える。井戸とは逆方向に立つ観覧車。それはその中の孤独の描写も含めて、もう少し比較検討されるべきアイテムだ。
・電話
 公衆電話をかける。そして、相手から「そこはどこ」とい訊ねられ、答えることのできないボク。それが、「ノルウエィの森」のラストである。ここで登場する電話が、村上春樹の初期作品から人と人をつなぐアイテムとして登場しているのは、説明をするまでもないだろう。
 さて、本作では、「ノルウエイ」のラストを、男女、それに受け手とかけてを逆にして再現する。そしてさらに、電話をかけてきたヒロインは、自分の居場所を正確に答えるのである。この対比によって、村上作品では珍しい、異界からの帰還劇はいっそう印象的になっている。
・コミットメント
 自分の決断が相手の人生を変えることを意識して、行動する。また、そうしたことが主人公のプライベートではなく、社会活動とリンクする形で語られたのは初めてだろう。この作品の前から、村上春樹が口にしてきた「コミットメント」が積極的な形で作品に導入されたわけである。ただ、それがやや村上ワールドの印象が強く、コミットメントという言葉の強さほどに現実や社会に関与しているようには見えないのが欠点ではあると思う。

(というわけで、身も蓋もなく評価するなら努力賞。あと、前半のセルフパロディにも思えるぐらいの比喩の多さはやはりわざとなのだろうか?)