「星界の紋章」 I〜III(森岡浩之、早川書房 500円〜)


 中学とか高校時代ぐらいに読んだらもっとドキドキしただろう。それが個人的にちょっと惜しかった。確かにラフィールはものすごく魅力的だったし、ジントもボクが感情移入しやすい役だった。でも、30男となったボクが、感情移入やドキドキ感だけで読んでしまえるかというと、それはちょっとツラかった。
 もちろん、SFらしい設定の妙、特にアーヴによる人類帝国というアイデア、それを支えるアーヴ語に代表されるデティールというのは見事だ。平面空間における時空泡内での戦闘、というのもビジュアル面に貧困なボク想像力をものすごく刺激する。だから、この作品をつまらないというつもりはないんだけれど、でも、「満足」と言い切るには、何かが足りなかったのだ。期待が大きすぎたのかな?

 一つは、会話が冗長だったこと。ヘンな例えになるのだが、この小説は登場人物たちがかわした会話が一言一句書かれている、という感じなのだ。省略もなにもなく。だから、設定の説明という必然性をさっ引いても、2人で言葉のキャッチボールをするシーンが多いし、長い。そこに、軽口や皮肉の応酬が織り込まれるのだから、冗長な感じになるのもむべなるかな、である。そのあたりは初長編ということもあるのだろう、今後に期待したいのである。

 もう一つの不満点は、主人公の価値観が基本的にゆらがない点である。おそらく、これは作者のプランと違っていれば単なるないものねだりなので失礼かとも思うが、まあ、感想と言うことで勘弁ねがいたい。
 ボクはこの小説を「バディもの」だと思っている。ひょんなことでコンビで活動せざるを得なくなった2人が反発したり、怒り合いながらも、理解を深め、困難を突破するというヤツである。この基準に照らし合わせると、ラフィールとジントが仲が良すぎて(それはそれでうらやましいのだが)、 お互いの価値観を揺さぶり合わないのが物足りない原因なのだろう。これは2人ともアーヴであるからということではなく、個人が個人を理解する、ということについて言っているのである。そうした部分が薄いから、次から次へと困難のエピソードが降りかかってくるだけに見えてしまうのだろう。
 困難のエピソードは、基本的には2人の人間関係をゆさぶり、協力させるために用意されるという、いささかハリウッドのメジャー作品みたいな考えなのではあるが、この小説がオープンなエンターテインメント小説を目指しているからこそ、そういう不満をボクが持ってしまったのもしょうがないかもしれない。

 では、この本は買いか? それでも買いである。前半に述べた面白い部分を楽しむだけでも、じゅうぶん1500円の価値はあると思うから。 


所有せざる人々(アーシュラ・K・ル・グイン 佐藤高子訳、早川書房 680円)


 アレナスとウラスという対立する文化を持つ二重惑星を舞台に、物理学者シェヴェックが再び故郷アレナスを選び取るまでを描いた。シェヴェックが完成させようとする一般時間理論が重要な小道具として登場するが、個人的にはSFという印象はあまりない。むしろ、一人の、才能こそ非凡だが、英雄的ではないという意味で平凡な男が、世界の壁をほんのすこしだが崩すという英雄的な働きへと至るという物語の面白さだけで読んでしまった。そして、この物語の面白さを効果的に引き立てていたのは、アレナスにおける過去とウラスで起きている現在をカットバックで見せる構成だったと思う。
 
 SFを感じないとか言いながらも、この小説でSFらしさを一番感じた部分というのはある。それは、文明が次々と相対化されていくところだ。もちろんアレナスとウラスの文化の対比が主軸であり、アレナスの原始共産主義を思わせるような社会の描写は、異世界の描写と言うより、ありうべきヒトツの世界として描かれている。
だがこの小説はその対比だけでは満足せず、ラスト近くではテラの文明の様相も語られ、その視点からこの2つ惑星のの対立までも相対化して語られる。この無限の相対化、というのはさまざまな意味において無限遠方まで“カメラ”をひくことを許されているSFでしかありえない文学手法であるだろう。それが、非常に有効に使われていると思った。

 あと、個人的にシェヴェックのような主人公はかなり好きなのでそれもまた魅力的であった。

 オススメであるとこの本をボクに薦めてくれた方に感謝。