98年12月  小説


ゴルディアスの結び目(小松左京、角川春樹事務所)


 SF作家が未来予想家であるというのはもはや事実ではない。なら、SF作家とは何者か? 少なくとも小松左京は哲学者と呼びうるのではないか。彼は想像しうる限り特殊な時空を舞台にすることで、自らの思考の強度試験を行っているように見える。
 この本に収録された4つの短編はそれぞれが小松左京流の文明論になっており。しかも、仕掛けに工夫がこらされ、読者は物語のクライマックスに至った瞬間になって「これは文明論であったのだ」と気づかされることになるあたりが非常に上手い。クライマックスに描かれる、自らの視点が作中の人物の背後からさらにトラックバックして、世界の構造や文明という抽象的な存在を「目の当たり」にする時の感動をこそセンス・オブ・ワンダーと呼ぶべきだろう。個人的には「岬にて」のとらえどころのなさと、「あなろぐ・らう゛」の美についての考察が印象深かった。
 この短編集はいっこうに古びていない。それは文明というものについての本質的な議論がここになされているからなのだろう。(31/12/98)


ゴッド・ブレイス物語(花村萬月、集英社 400円)


 花村萬月のデビュー作。気持ちのいい青春小説だ。もちろん、後の花村萬月を思わせるキーワードはあちこちにちりばめてある。暴力とセックスそれに神。でも、それらはスパイス程度(もちろんその効き具合がいいのだが)で、 基本は伝統的な教養小説だと思う。
 主人公・朝子はバンドとともに京都に出稼ぎにいくが、そこでは馴れないジャズを演奏し、朝子はホステスとなって働かなければならない……。京都という異界に赴くことで朝子は、バンドのメンバーと出会い直し、古い恋人を振り払い、新しい自分になる。読み終わってみるとゴッド・ブレイス=ゴッド・ブレスというのは、そうした自分を変化させ成長させてくれる苦難を意味しているような気もする。
 この本は短編「タチカワベース・ドラッグスター」も収録。ベースでドラッグレースをやるだけの話なのだが(これはちょっと雑な紹介だ)、そのスピード感、疾走感は圧倒的で、ラストには春一番に吹かれるような爽快感がある。個人的にはこちらのほうが好きだ。誰か映像化してほしい。(31/12/98)


セラフィムの夜(花村萬月、小学館 619円)


 アイデンテティのゆらぎをモチーフにしているかと思ったらちょっと違った。
 主人公・涼子は睾丸性女性化症候群で、自分が遺伝的には男であり子供を産むことができない存在であることを知りショックをうける。在日二世であるが故に右翼活動に身を投じた男、山本。この2人は自分がどちらかで悩み、ゆらがない。どちらでもないという状況を受け入れられず、ひたすらありうべき自分であれば幸せになれるのに、と葛藤を続ける。
 もし彼女らの葛藤が消えるとしたら、「人間」という入れ物がなくなった後のことだろう、と作者は突き放しているように見える。山本を狙う殺し屋と、山本の血が、夜の中で赤々と一つにまざりあっていくシーンには、そんな悲しさがある。
 花村萬月の描く人物は、本当にフツウの人間だ。小説の人物とは思えぬほど細かいことで悩む。それがしかし、細かいことでもある種の深さまで至っている。その思考の深さ、ねばりが花村作品のコクなのだろう。そのあたりは北野武映画の魅力とも通じる。しかし、つくづくストレートに文章を書く人だなあ。正直言って、もうちょっと気取って書いてもいいのに、と思ったりすることもある。(31/12/98)


ゲルマニウムの夜(花村萬月、文藝春秋 1238円)


 今回、買った花村作品の中では、最速最強の作品。幅が広い作者なので、これを最高傑作といっていいのかどうかはわからないのだが、やはりすごかった。エンターテインメント系の作品にあるような歯切れのいい文章ではなく、重いけれど鋭い、いうなれば「ヒゲがそれる鉈」のような文章で、まずそれが魅力的だ。
 舞台は、施設が併設されている修道院。主人公、朧は施設をいったん卒業したものの、出戻って再び働いている。この本には3編が収録されているが、あとがきによると、この舞台を使った物語は今後も書き続けられ、やがて「王国記」としてまとめられるそうだ。
 この本で作者は聖なるものと俗なるものというテーマに正面から取り組んでいる。それは単純な2項対立の問題としてではなく、俗なるものがつきつめていくと一つの聖性を帯びるという、作者が抱えている倫理として描かれている。特に今回は、修道院が舞台なので、俗なるものが聖なるものになるというモチーフは、神の権威を否定するという価値転倒の側面ももっており、そういう意味ではこれまでの花村作品とくらべても、その秘めたる「破壊力」はかなり大きい。事実、主人公が神父と神の許しについて論じるシーンも登場する。 
 花村萬月の作品は、つねに倫理=自らのルールと結びついて、暴力とセックスが出てくる。これらは彼にとってはいわば聖なるものに至る俗なる道なのだが、この小説ではそれに加え、汚物(残飯、痰、足の指の垢など)が重要な役割を果たしている。これらもまた、聖なるものからはもっとも遠く、それゆえにもっとも近いものとして描写されている。
 そうした俗なるものの中から、いかに自分の倫理を確立するのか。聖と俗があいまいなまま混乱している我々にとって、花村作品が刺激的なのは、そうした本質的な問いかけを含んでいるからなのだろう。(31/12/98)