99年7月中旬


<7月11日・日>
◇ 朝、水道橋でカレーを食べて会社から帰宅。カレー店では、いしいひさいちと高橋春男の差について考えをめぐらす。その差はキャラクターの自意識の有無ですな。この差はもしかしたら、大阪的VS東京的という安易な構図ともつながるかも」。ともあれ、高橋春男の出身はどこだっただろう。それにしても、いしいひさいちは、あらためていうまでもないけれどすごい。

○ ビデオで「課長王子」「映画と歩く」「ベターマン」「おじゃ魔女どれみ」を見る。
どれみではあいこの両親が離婚していたというエピソードが登場。、これだけ離婚率があがってくると、子供向けアニメーションでも「さりげない設定」としての「両親の離婚歴」というのがあったほうがいいいように思う。同じく世の中の多様性という意味で、あいこはお父さんがタクシーの運転手ってのもなかなかいいところをついてる。

○ お、細田さんの「ホソキンズルゥム」の巻頭言にこの日記で書いた与太が。
あれやっぱり日記だから時事ネタには多少でも反応しないと、とか思って書いただけだから、本文の前振りとはいえ、ああやって引用されるのは少々面はゆいのも事実。


<7月12日・月>
◇ なんだか寝不足のような感じのまま昼過ぎに起床。電話で仕事をした後、新橋方面でちょこちょこと。その後、銀座をブラリとして有楽町からJRで帰宅。ブラリと歩く最中に魔が差して、CD「オールスター年代別流行歌」の「明治・大正」「昭和10年代」「昭和20年代」を買ってしまう。越路吹雪のベストとどちらを買うかかなり悩んだのだけれどね。
 それから、中古のビデオ店でまたまた魔が差したので、アニメのビデオを買う。決してやすいとも思わなかったが「カムイの剣」「風の又三郎」「ウオーターシップダウンのうさぎたち(日本語版)」を購入。ウオーターシップダウンは、劇場公開された日本語版のビデオ化だね。結局なんだか、りんたろうを2本も買ってしまった。

○ で、「カムイの剣」を半分ほどみてから近所の中華料理店で食事を。鶏肉とカシューナッツの炒め物を頼んだら、鶏肉とカシューナッツの比率が1:1(むしろナッツのほうが多めか)だった。最近は、ナッツも平気で食べられるようになっているワタシではあるのだが、これほど多いとは思わなかったので、ちょっと閉口した。味はなかなか。

△ ミト2を見る。前作で食い足りなかった部分はかなりフォローされていて好印象。近藤高光氏の作監でストレス低し。あとは、どこまで内輪受けではない、面白さを目指せるかだと思うが、たぶん大丈夫そうな印象を持っていたりする。根拠はないけど。
パート2の面白さは、登場人物と、その世界と「再会」できることに尽きる。そして、こちら側と向こう側の時間が、少しばかりシンクロすることを確認できた瞬間が、一番の幸せなのである。それは別れた恋人との再会とも似ているかもしれない。いくら駄作が多かろうと、パート2を見てしまうのは、そんな理由があるからだろう。


<7月13日・火>
◇ いつもよりさっさと寝たはずである。


<7月14日・水>
◇ いろいろお仕事でバタバタ。そろそろ仕事を整理しようかなあなどともおもいつつ、不思議なトカゲの写真をメールでもらったり、それより邪悪な話題で意見交換したり。

○ いまさらながらにドクター・キリコ事件について。
「それがあることで安心できる」というカプセルであるなら、死に至ることができるという薬といつわって、角砂糖などをカプセルに入れておくことはできなかったのだろうか。それは本物の毒である必要があったのだろうか。ボクは、鬱病にも、自殺したくなる人の気持ちにも疎いのだが、そのとき、決死の覚悟で飲んだ毒薬が効かなかったことを知ったとき、いくばくかの人は再びそれでもこの現実とつきあっていくことを決意したのではないか、という夢想を禁じ得ない。

○ 帰宅して「カムイの剣」の続きを見る。フリッカーがすごいシーンがあるからもうTV放映は無理だな。被写体に正体するカメラワークは、りんたろうのキーワードか?


<7月15日・木>
○ ゲーム「俺の屍を越えていけ」がおもしろいらしい。ただ、ボクはゲームをやらなくても十分である。ゲームの面白さとは別の次元であるのは承知しているのだが、ボクは、あのCMをいろいろ反芻するだけで、1ヶ月は楽しめたりするので、すでに満腹なのだ。
 「俺の屍……」という大時代的なセリフが日常生活の中に入り込むことで、通常のファミリードラマでは描かれることのない「死」とその裏返しの「生」がにじみ出ている。岸辺一徳の、ちょっとなげやりにも聞こえる「生きろってことさ」というセリフが、ちょっと言い過ぎの気もしないでもないが、それでもやはり、「とまどいながらも、これまでの来し方と残りの人生を考える」という風に響いて、抜けのいい青空と対照的な陰影のあるニュアンスを醸している。
 こんな「ドラマ」は、ゲームでは味わえないだろう。となると、ボクはCMを見ているだけで十分なのだ。

 これと似たような感じを持ったゲームのCMは以前にもあった。「レガイア伝説」がそうだ。岩井俊二が描く、現実に「ボク」の住む町が霧に覆われているCMは、まるで良質なジュブナイルの導入部分のよう。「この霧をはらすのは僕たち」というコピーも、ジュブナイル気分を盛り上げていた。
 ただ、それにつづくゲーム画面が、一見すると決して革新的とは言えない、ファンタジーRPGのそれだったことで、ボクはおおいにげんなりしたのだった。


<7月16日・金>
◇ 翌明け方まで仕事。

○ 「∀」を見る。珍しく戦闘シーンがあった。死に様がソフトでありながら、しっかり富野テイスト。 ハリーの焼き餅が、カワイイ。泣き虫ポウは泣いてるし。


<7月17日・土>
◇ 寝て起きて、「スター・ウオーズ エピソードT ファントムメナス」を見に行く。
1時間前に並んで劇場内に。老若男女がおり、いかにもメガヒットの映画の観客といった印象。予告編はちょっと長すぎというぐらいあったが、ターザンは意外におもしろそうだった。シナリオで文明批評をどう決着をつけるのかがポイントになるだろう。ホイチョイの「メッセンジャー」は、何を何のために届けるのか、がちゃんと描けてなければ所詮イベントムービーの域を出ないだろう。

○ファントムメナスについての感想。
・前評判よりも印象は悪くない。ただ、神話が前面に出ているので、ドラマ、キャラクターが弱い印象はある。(ただ、あの程度なら確信犯ととれないこともない)
・とはいうものの、ジョージ・ルーカスは演出ドへた。1つのショットにドラマを盛り込んでいくことができてないこと、キャラクターの登場のさせかたに工夫がないこと、あたりが理由。まあ、これは20年前からわかっていたことかも。
・ジャージャーは、せっかく出したのにコメディリリーフとしてキャラがたっていない。
・チャンバラはさすがによくできていた。
・フィフスエレメントの時には、「1枚のポスターの絵を物語に展開した映画」と印象を持った。今回は、まるで紙芝居のような映画だった。そこで描かれる叙情もそんな程度で、そしてだからこそ子供には魅力的な映画ではある。場面転換にワイプを多用しているところもじつに紙芝居っぽい。

△一緒に見に行った知人の感想。
・ポッドレースは、まるでRPGのミニゲームのよう。
・クワイ=ガン・ジンに色気がたりない(リーアム・ニーソンのやる気が感じられない)
・ダース・モールの衣装はグー。腰回りの素材が軽いのがアクションをきれいにみせている。
・アミダラは衣装変えすぎ。

○それから、「恋に落ちたシェイクスピア」を見たそうな知人を説得して、俺的には2度目の「山田くん」。午後4時40分からの回は3割程度の入り。やはりこれは名画かもしれない。ただ、独身貴族でアーバンな人々(笑)にはウケはわるいだろうなあ。いくら自分一人で生きていると思っても、「日本の家族」から逃れられない。私は凡俗なので、そう考えてしまうのだが。しかhし、ヒットするのか?
なお、暴走族のシーンはリアルな絵をわざと入れて、何の役割も果たさない父親が「現実」であるというギャップを示しているように見えるんですが(誰にいってるんだ?)。

△一緒に見に行った知人の感想
・桃太郎とかぐや姫のシーンがよかった。
・ドラヤキとバナナは、ツボに入った。

○ シャブシャブを食べて帰宅。眠いので轟沈。


<7月18日・日>
◇ 何をやったのやらあまり明確ではない一日。そういえば夜から新橋方面に出かけたか。さっさと帰るつもりが明け方までかかってしまった。


<7月19日・月>
◇ 「ロフトプラスワン」に出かける。途中からだったけれど、話が空回りするシチュエーションはほとんどなくて、観客としてはなかなかおもしろかった。そういえば、会場でさるヒゲの人から、高名な某文芸評論家の魂のシャウト(?)の録音を聞かせてもらった。あれはファンサービスの極地でしょうなあ。2次会にも少しおじゃまして中座する。


<7月20日・火>
◇ 終日いろいろと格闘したはずだが、あまりのことに意識を失うこともしばしば(寝てるだけか?)。しかも、夜中になって革新的アイデアを人から示唆される始末。とほほ。まあ、それで一安心ではあるのだが。