99年6月下旬


<6月21日・月>〜<6月27日・日>
欠番


<6月28日・月>
◇ ずいぶん久しぶりの更新である。まあ、マイナーサイトなので気負わずのんびりと更新していこう。しかし、日記を書かない間にも、ホームページビルダーをアップグレードしたり、新型パソコン(ゲイトウエィのプロファイル)を導入したりといろいろ変化はあったのだ。今日は、昼寝とDVDの「ブレンパワード」で終日過ごす。

○ というわけで、ここ1ヶ月ほど更新できなかった最大の理由は「ブレンパワード スパイラルブック」(学研)にある。この作業にずっととりかかっていたのだが、無事今日発売となった。今回の本も「宇宙世紀VOL.4 総括編」と同様、氷川竜介氏との共同作業。今回は、共同編集というスタイルでやりました。かなりコッテリした内容で、デザインも凝っていますし、LDとかDVDのサブテキストとしては最適だと思う。興味を持って買っていただければ、非常にうれしい。

△ というわけで、先週末は久しぶりにいやというほど寝て過ごした。ここ3週間ぐらいは、闇の仕事でずっと睡眠不足だったので、深酒してこれでもかというほど眠りたかったのである。その分、夜眠れなくなったけれど……。

○ その合間に、ビデオで「YAMATO2520」を見た。想像以上にちゃんとしていた。もちろん、船頭が多そうなアレっと思う作劇、制作現場の崩壊が感じられるアワワといったシーンもあるのだけれど、どんなお話を作りたいかだけは明確であった。ただ、どう考えても、TVシリーズ1年分のペースで進行していて、当初計画の全6巻では完結しそうにないのが気がかりだ。って、まあこれは未完の作品だからいまさら気にすることはないのだけれど。
 主人公がやんちゃでいじっぱりで、ちょっぴりエッチという設定が、妙に懐かしい。どこか「ヴィナス戦記」の雰囲気があるなあと思ったら、声が錦織一清だった。TOKIOの主題歌?はどこにもかからず、そのかわり謎の外人が歌う敵女性キャラのイメージソングが流れる。おまけにイメージビデオまで。音楽は、予算がやすいのか編成がショボイ。
 一番笑えたのは、ヤマトおなじみのテロップ。場面転換の度に、画面下に「○○管制室」とか表示されるアレである。これがなぜか偏執的なほど入れてあるのだ。見ればわかる主人公の家のシーンにわざわざ「ナブの家」とでるのは、なんだか神経症的な感じすらある。やはりコカインか?


<6月29日・火>
◇ 西日本では大雨で大変な様子。ビルの地下で溺死するとはどんな気持ちだろう。逃げる暇がないぐらい一気に水が入ってきたんだろうか。

○ 今日は渋谷で「大竹伸朗展」。名前は聞いていたけれど作品をまじまじと見たのははじめて。諸般の事情で1時間ぐらい会場をブラブラしていたので、せっかちなボクではなかなか見ることのできない細かなところまで目を配ることができた。解説など読んだ感想を加味していうと、日本の観光地というキッチュな場所を、自分の居場所としてとらえる作業、とでもいうのだろうか。みうらじゅんのカスハガの世界に似ているが、よりこちらのほうが自分へのリターンが大きいように感じた。とはいうものの、あまりうまく言語化できない。
 町並みを写生した色鉛筆の作品や、ブルーインクの作品がおもしろかった。

○ あとは自宅でひたすら事務手続きなど。テレビで初めて「D4プリンセス」を見る。あのEDは、はからずも日本のアニメーションへの批評となっていると思うのは俺だけだろうか。以前、チラと見て激しいインパクトは受けていたのだが、改めてみて、やはりスゴイと思う。ホントは見てほしいのだけれど、ちょっとここで解題してしまう。
 このEDは、3D空間に平面のキャラクターが立って踊っているという内容だ。キャラクターはちょっと時代遅れの感もある、がそれゆえに最大公約数的なアニメ少女である。彼女は通常のアニメーションの中で展開されるようなふつうの踊りを音楽に合わせて展開している。こうやってキャラクターの行動だけ記していけばいわゆる踊り系のEDに属する、というだけで終わりだろう。
 でも、このEDはそれが平面として表現されていることで、これまでのアニメと徹底的に違う。媚びをうるロリロリな少女が、いかにリアルに踊ろうとも、所詮2Dであるということを暴露し続けているところがスゴイのだ。日本のアニメの持つ独特の快と不快が一体となったようなアノ感じを、表現してしまった。ゲキメーションをやり、セルを燃やしてしまったガイナックスよりもアニメを批評しようという意志がないぶん、底なし沼のようなすごみを感じる。おそらく作っている側が無自覚だからこそこんなモノができあがってしまったのではないだろうか。
 だから、アニメが嫌いな人にはこれはとてつもなくオタク的な映像に見えて、耐えられないほどの不快感を感じるかもしれない。
 誰か感想を教えてくれ。


<6月30日・水>
◇ 今日はヤマハホールで「ホーホケキョ となりの山田くん」の試写会。以下、山田くんに関する覚え書き。
・音楽映画である(オレ的な意味でだが)
・乗り物を乗り換えるシシーンに見る、高畑勲のリアリズム?
・現実とファンタジーの正しい関係についての高畑的持論
・習字に見るジブリの系譜。おもひでぽろぽろ→耳をすませば→山田くん
というわけで、高畑勲はまたまた原作を生かしつつ征服することに成功したのであった。つまり、高畑勲がダメな人にはダメなえ映画であろうけれど、すごくまとまりのいい佳作ではある。問題は興行成績だな。

◇ というわけで、映画の話題で思いだした。
先日「ブレイド」を見た。うーん、監督が若すぎるのかな?(年齢的な意味ではなく)。細かい工夫がなかなかカタルシスまで昇華しないのが残念。もうちょっとどっか図抜けたところがあるとよかったのだけれど。(殺陣はがんばっていた)。
 そもそも、「もっともらしい雰囲気でありえないことをそれらしくみせる」のか「ありえない話をあえて過剰に演出することで、作品に突き抜けた力を与えるのか」というのが監督の中で未整合だったのだろう。冒頭の血のレイブのシーンはどう考えても、前者を意識しているのだけれど、主人公がでてくるとどうしても演出は後者に傾いていく。ただ、後者を貫徹するにはいかんともバカ・パワーが足りなかった。
 主人公の日本趣味とか刀をつかったジョジョ戦闘(敵「フハハハ、どこをねらっているのだ」J「……」敵「うがああ」J「○○が○になって○だということに気づかなかった時点でおまえの負けだ」みたいなやつね)とか、同じものでも全体のトーンやシナリオの焦点を絞るだけでもうちょっといい味になったのにねえ。というわけで、落第の努力賞。
 ということは、カーペンターの吸血鬼ものはもっとつまらないんですか? 細田さん

○ なんだか久しぶりにネットサーヒンなどをしていたら、日記猿人批判が。最近は猿人のページもろくに見に行っていなかったので、なんだかああやっていろいろおもしろい日記について語るという人がずいぶん懐かしく見えたりして。まあ、以上に数の多い猿人の日記をグロスで語るってのはちょっと乱暴かもね。おれの考えている(いた?)猿人像とはまたちがうのだが、まあひとはそれぞれですからねえ。