<12月11日・金>
◇ ええと、仕事をしていたはず。


<12月12日・土>
◇ 仕事が終わってから、一杯飲みに行って帰宅。ひさしぶりにぐっすりと眠る。目が覚めた後は、電話連絡でかんたんな在宅勤務を進行し、その合間に少々「ブレン」など見る。

○ 批評行為全般についてのボクの姿勢、というのは以前も書いたけれど(どこで書いたか覚えてない。探して日記から切り出そうかな)、こちらでもちょっと触れられていた悪口批評をどう考えるか、に関連して考えてみた。
 まず、レビューと評論をわける。以下は、ボクが雑誌などに掲載されていて納得できるもの、という基準で考えています。個人の表現欲の産物であるパーソナルなメディアは除外する。
 レビューというのはつまり、「オススメを紹介する」というものなので、基本的に悪口はないほうが望ましいでしょう。そのスペースがあるなら、おもしろい本を教えてくれっていう感じだ。その点では、ボクは細田さんと似たような考えかも。ただ、傷がない作品というのも考えられないので、やはり、どんな人がみればマキシマムに楽しめるかなどとからめたりしながら、傷があることを指摘した方が誠実かも。そういう意味では、褒めることは必要だけど、別に絶賛モードになる必要はないわけで、つまりはあたりまえに作品と距離感を保って書いたレビューが一番読者の役に立つと思う。この傷をどう書くかというあたりをうまくクリアできるかどうかで、レビューのうまさというのが決まるんじゃないだろうか。

 で、評論はレビューとはちょっと違う。評論っていうのは、基本的に作品の位置づけ、いかに面白いかとかあるいはいかにダメか、をテッテ的に考えるものだ。よく、感想と批評は違うというけれど、感想だってものすごく高度になれば、印象批評というやつになるんじゃないだろうか。まあ、それには見巧者でありなおかつものすげえ知識がいる(後半は筒井康隆も何かで指摘していた……はず)。まあ、淀川長治さんなんかはそういうタイプの人なわけだ。
 テッテ的に考えるとはつまりトンチ合戦であって、そこでは作者の意志などは関係ない。厳密に言えば、作者の意志=正解ではない。評論は、視点の斬新さ(どういう文脈で読みとるか)と、そこで構成される論理の強固さ(矛盾が少なく、作品のどの部分でも応用可能か)の2点が評論の大切な構成要素になる。
 で、実は悪口批評でも、別の視点から見て(文脈にのせて)笑うというテクニックが使われていれば、一種の評論というジャンルに入ると思うのである。この文脈にのせるというのが芸、ね。逆説的にいうといくら、文章的な表現が面白くても、文脈がちゃんとズラしてなければ批評とは呼べずに、読み物としては面白い悪口レビューというヤツになるのであろう。

 ただ先にも書いたように、雑誌等でレビューをしている人は、見巧者なので1まずはちゃんと褒めるべきドメジャーで平均点以上のものをちゃんと紹介する、2知らないもの、バカにされているもののなかからいいものを紹介する の2点をやってくれないと困る。ボクは、悪口レビューを雑誌には不要だと思うけど、読むのも決して嫌いではない。ただ、そのエピゴーネン(人の作った遊び場で、いかにも自分がつくったような顔で遊ぶ無自覚な人)が生まれるのはあまり楽しくないと思う。理由は、自分がそうなりがちだから。

書いてみると当たり前の話でつまらないですね。

△ 人からトリコロールの編みぐるみ「ガンクマ」と、タコが赤いワンピースを着ているこれまた編みぐるみ「じゃあ・ザク」をもらう。次は漢数字が頭につくヤツが3体準備中らしい。 


<12月13日・日>
◇ 明け方から、闇の仕事にとりかかる。思ったよりも順調に終了。2度寝して、それから日記のまとめ書きなど。(しかし結局FTPしなかった)

○ 最近考えていること。
ある人がよくいっている作品の評価軸としての「速度」と「強度」。これをボクなりに消化すると、速度とはつまり新奇性。何か新しい試み、表現がそこにあるかどうか。「強度」は、作品が批評というトンチ合戦にどこまで耐えられるか、ということになる。
 つまり、アイデアは新しくても、トンチ合戦には弱いとか、その逆とかそういう感じで作品をみることになる。例えば、桜井亜美の小説は速さはあるけど強度が足りない、とか、エヴァはまず強度も速度もかなりあるけれど、その速度を支えるビジュアルが引用であるあたりに、速度より強度が勝っているかんじがする、ってな風につかえると思う。
 ちなみにこの2つの軸は、どちらかというと芸術系の評価軸なので、これに作品の「こなれ具合」みたいなパラメーター(練度とでもいうべきか?)を加えれば、エンターテインメント全般まで枠を広げることが可能なんじゃないかと思っている。


<12月14日・月>
○ 長丁場の仕事。終日出先に閉じこもる。これを過ぎれば少しは、年末が見えてくる?はず。


<12月15日・火>
△ 帰宅してだらだらと時間を過ごし、さて寝るかと思ってチャンネルを変えたら、ああブレンの再放送。しかも録画し損ねて未見の「寄港地にて」。ああ、これは前半のターニングポイントとなる傑作エピソードだ! ちなみに次の「ジョナサンの刃」は、中盤の幕開けを告げるエピソードというのが俺的位置づけ。

今からならビデオリリースで追いつけるかもしれないので、未見の人は一気に見ちゃって下さい。


<12月16日・水>
◇ 仕事。出先から戻る車中で熟睡。その後は、打ち合わせなどであわただしい夕方を過ごす。さて、来週までの間に前から約束のある忘年会などをいかにセッティングするかそれが問題だ。


<12月17日・木>
◇ ずっと読み指しだった「日本・現代・美術」を読了。勢いで、以前に買っておいた「シュミレーショニズム」に手を出す。


<12月18日・金>
◇ 軽く飲んだら、めずらしく駅を乗り過ごしてしまった。終電だったのでそこからタクシーで帰宅。それにしても昨年の今頃にくらべたらずいぶんと余裕がある年末である。


<12月19日・土>
○ 映画「トゥルーマンショー」。上品な小品。1時間43分という上映時間にも、それがみてとれる。このお話はラストをどこで切るかが一番重要なのだけれど、その点も見事であった。個人的には、上映前に呼んでいた「シュミレーショニズム」(椹木野衣、河出書房新社 )と内容が妙にシンクロしていて興味深かった。

◇ 東京湾で夕飯。


<12月20日・日>
◇ 秋葉原へ買い物に。迷うことなくガンダムのLDボックスをPART1、2ともにゲットし、現金不足分を。カードローンにする。また、新しい携帯電話と加湿器も購入。物欲がさらに昂進しているので、セカンドマシンとして候補に登っているモバギIIなどをちらちらと見るが、さすがにお金がないので断念。しかし、もうちょっと性能があがったら今ボクがやっている作業なんて、このあたりのマシンでじゅうぶん問題がなくこなせるんじゃないんだろうか?