10月11日(水)

■ 9月中旬以降の疲れが出たのか、終日眠たい。とはいうものの、夕方から茗荷谷方面でお仕事。そのあとは焼き肉に。

■ 万博の話題が某所に出たので。個人的には、万博はもう時代遅れだと思っている。
理由の1。万博というメディアは、さまざまな方法で整備された拠点に、さまざまな交通手段(それは時に「未来」を感じさせる交通手段だったりする)で、大量の人員を運び入れるという、方法でできている。大げさに言えば、これは、工業の発達が社会を単純に豊かにすると信じられてた時代の「作法」だ。
理由の2。これは某所での話題でも出ていたが、何を見せるか、ということ。情報が少なかった時代には、逆にさまざまな情報を集めることでコンテンツが成立するのだけれど、今や、ネットやそれ以外でものすごく多くの情報が溢れている。(まあ、「いんぱく」は逝ってよしだけど、これについてはもうちょっと微妙な話をすべきだろうが、ここではさておき)、情報という点だけでいえば、一種のポータルサイトを作るだけでかなりのことができちゃう。もちろん、本物の魅力があるというのはわかるのだけれど、そうすると「本物」を見たり触れたりできるような展示物が、どれだけあるのだろうか、ということになる。むしろ、情報の形で提示されたほうがその姿に迫れるもののほうが多いのではないか?まあ、P3の持つインパクトは否定しませんが……。

 というわけで、大勢の人を、話題のある展示物で集めてペイするっていう万博の基本システムは崩壊しているのでR。どうせやるなら、本当に未来に必要な介護とか環境とか、地味なものを集めたほうがまだ未来像としては正直な気がする。

 個人的には、「回答のでないことに耐える」「未来を実感できない時代に耐える」ってのが、ここしばらくは有効な「新世紀のモラル」だと思うので(『もののけ姫』を好きなのはそこをちゃんと見ているから)、「未来像はあったほうがいい」という意見は否定はしないけど、どこまで有効かはけっこう悩ましいという感じでしょうか。

■ 先日、小倉に出かけたときに思ったこと。
日本において最も基幹の交通機関は「新幹線」であり、航空機はそれを補完する以上のことはできない。よって静岡空港も逝ってよし。

10月12日(木)

■ 朝からいろいろんな方面に連絡をしたりするけど、やはり午後には力つきる。書店で「噂」創刊号の頃より多少はまともになってきましたな。『マラヤ 4巻』(安彦良和、メディアワークス 1600円)ほどほどに始まってほどほどに終わったような。掲載誌がなくならなければもうちょっとちゃんとしたかなぁ。いや、そんなことはないでしょう。絵はやはり美麗です。

■ なんだかエンジンがかからずだらだらと過ごす。今まで見たことがない『どっちの料理ショー』とか見るあたり、だらだらもここにきわまれり。某氏から映画『式日』を見たらつらかった、との笑える情報が。もちろん、某氏を笑ったのではなく、某氏と『式日』とのとりあわせと、そこから導き出される「つらかった」という結論が予想通りだったということなのだが。まあ、僕は『式日』はまだ未見だけど。
 夜は、例のごとく『フレンズ』の再放送を見る。

■ ちょいと気にかかっているので、『Strange Dawn』の感想をまとめておこう。
 さまざまなしがらみの中で、人はどうしても本音を言うことができない。でも、それを口にすれば世界は変わるかもしれない。『Strange Dawn』のテーマはそういうことだったと思う。 その本音の口のしかたは、「表現」ではなく「表出」の範囲にとどまっており、それは幼いとすら言える。ただし、『Strange Dawn』のラストにあるある種のカタルシスは、その表現にいたらない幼さ、拙さからよっているわけで、そこを目指していた作劇、演出は確信犯だったはずだ。 ただし、1クールという物量を使って、あの表出に至るというのはいささか効率が悪いという印象は否めない。「表出」が魔人二人の現実へとつながる一瞬がないと、テーマとしての鋭さが鈍ったように見えてしまうのだ。その点が、惜しかった。

10月13日(金)

■ 部屋を片づけ始めるが、さっさと挫折。時間がきたので、新宿へ出かけてお仕事。仕事がひけた後、そのまま、午前3時ごろまで食事。いろいろと考えさせられるお話など出たりして。ヒケてから、別件で飯田橋方面に召還され、そこを経由しつつ、帰宅。
 帰宅してメールをチェックすると、いろいろやることがだんだんたまってきているかも。

■ 週末の予定は、映画『ガタカ』を見ること。それから、『サイボーグ009』を読み返すこと。

10月14日(土)

■ 午後2時から水道橋方面で仕事。それから、新宿に出かけて、食事(食べ放題のシャブシャブ)と映画『マルコビッチの穴』。帰宅して、朱首相の市民との対話をちらりと見て、録画しておいた『フレンズ』を見る。最近は再放送のおかげで『フレンズ』漬けだ。

■ 『マルコビッチの穴』は、不思議な映画だった。不思議としかいいようがない。「穴」の映画というよりは、人形と人形使い、心と体についての物語だった。映画と言うより、小説あるいは舞台劇というようなテイストの作品を、ちゃんと映画にしているのは立派。キャメロン・ディアスって演技派だったんですねー。脳の中のビジュアル、ラストの水中シーンはなかなか素晴らしいが、演出は意外に普通(一部ヘタウマ?)

10月15日(日)

■ いろいろと仕事の段取りをしているうちに時間が経っていく日曜日。もう少し、。夜は週末に録画したアニメをつらつら見る。『SCIFI HARRY』は、妙なアニメ。お話はさておき、もう少しレイアウトがしっかりすれば「リアル」に見られるのに。『勝負師伝説哲也』は、評判通りの面白さ。まあ、ベースのストーリーが面白いからなぁ。『無敵王トライゼノン』は録画をしそこねました。

■ 映画『ガタカ』見る。よくできた佳作。一部、脚本的にボロが出そうなところもあるが、なんとかクリアしている。もうちょっと、主人公の宇宙への思いを凝縮してビジュアルにしたほうが物語の重しになるような気もするが、まあ問題はないでしょう。ガタカの美術などのイメージは素晴らしく、ユマ・サーマンの無機的な美貌はそれとぴったり。

■ 長野県知事に作家「田中康夫」が初当選。手弁当での選挙勝利は喜ばしいが、田中康夫の政治家としての実力は未知数だから、あまり手放しに喜ぶことはできないなぁ、と当たり前のことを書いておこう。静岡より、長野のほうが民度は上?(笑)。

10月16日(月)

■ 今日は、いろいろご相談の日。まずは午後イチで、恵比寿にでかけてご相談、さらに中野に出かけて長時間のご相談。それが終わった後には、ちょいビールをたしなんで帰宅。エラい方々が多いので、私のようなペーペーは(言いたいことを言っているわりには)緊張したのでした。帰宅後、酔いがまわったのか、中途半端に眠くなって、ツライが頑張って仕事をする。
 そして明日もまたエラい人に会うのだった……。

『熱帯植物園』(室井佑月、新潮社、459円) を読み始める。人づてに聞いたとおり、思っていたより面白い。アバウトな分類でいうなら、構成・構築派というより情念派という感じなので、構築派が好みの僕としてはもうちょっと効率よく語ってほしい、とか微量思ったりもするけれど、まあそれは好みの問題ってところでしょうか。速水由紀子の、韓国作画みたいな小説読むぐらいなら、こちらのほうがずっと読書の楽しさを味わえる。『不可視なものの世界』(東浩紀、朝日新聞社 1800円)は拾い読み程度。見返しの極太明朝は本家本元の迫力? (最近、疑問で日記を終えることがマイ・ブームらしいが、ブームはそれと知覚された瞬間に、去っていくものでもある)

10月17日(火)

■ いろいろとあって、なんとか帰宅。なんつーか、丸腰で敵地に乗り込んだ気分でした。バキュンバキュン。そうしたら、不動産屋から「残念ながら審査に落ちまして……」と、許し難い電話が。ふにゃーと、空気が抜けたようになりながら、サンマを料理する。

■ 『熱帯植物園』読了。なかなか面白かった。砂が降るイメージはけっこう気に入った。短編集にも手を出してみようかと考える。

■ 『犬夜叉』を見る。よろしいんじゃないでしょうか。夜は『多重人格探偵サイコ』の再放送を片目で見る。

10月18日(水)

■ 午前中はたったか仕事をする。そして昼過ぎに不動産屋へ直談判に。そうしたら、大家に再審査をしてもらうようとりなしてもらうことがすんなり決まる。まあ、それがあたりまえでしょう。

■ 夕食は昨日調理したサンマを暖めて食べる。けっこう美味しくできたと思うのだが。あまり出歩かない一日でした。

10月19日(木)

■ 夕方から、人と会って食事。気を抜いて日本酒(デキャンタ2本)を飲んだら、効く効く。店を出た瞬間、一瞬酔いが醒めたのだが、、自分がさきほどまでどんな振る舞いをしていたかを、すっかり忘れていることに気付いて愕然とする。やー、日本酒は危険だなぁ。でも、ちゃんと電車に乗って帰宅する。道中、仕事の電話をかけるが、その内容が「すみません。さっきの仕事の話なんですが、酔っていたので全然覚えていません。何でしたっけ」だったことは秘密だ。なお、どうして仕事の話を電話でしたかだけは覚えていたかというと、携帯の留守電に先方からの第一報が録音されていたからである。それを聞いて、かろうじて記憶が戻ったというわけだ。

10月20日(金)

■ 水道橋方面でお仕事。夕食は、数カ月ぶりに「Coco壱番屋」。食べたのは納豆ほうれん草鮭フライカレー(ライス200グラム)。帰宅後、ほんの申し訳程度に部屋の片づけを始める。その後ビデオでウリナリの「ランキング・キャラクター・ライブ」を見る。
 ホワイティーは、ゲイのスタンダップコメディアン、というようなキャラ。それを見て考えた。コメディアンの個性の上に、キャラというもう一つのファクターを乗せて演じる、というのもまた日本らしいキャラ文化のありよう、といえるのかも。

■ というわけで、高杉良の小説をいくつか買って読み始める。