2000年7月中旬


7月11日(火)

■ 『私とハルマゲドン』(竹熊健太郎、筑摩書房 780円)をいただく。どうもありがとうございます。そういえばbk1がオープンしたが、サーバーがけっこう重い。

■ お仕事お仕事。茗荷谷方面でしこたま飲んで帰宅する。どうやら、歩いて帰るのが退屈で、知人に電話して、歌を歌っていたらしい。

7月12日(水)

■ 昨日録画した『STRANGE DAWN』を見る。ムムム、やるな。という感じ。

■ 『二階堂黎人が選ぶ手塚治虫ミステリー傑作集』(筑摩書房、780円)を買う。収録作では『落盤』『一族参上』がおもしろかった。特に『落盤』は鮮やか。

■ 途中まで見ていた、映画『黒い十人の女』見終わる。船越英二演じるの中身のない二枚目が、それ故に魅力的でありました。橋本治あたりに、この風松吉というキャラクターについて語ってもらいたい感じ。

7月13日(木)

■ 午前中に郵便局から荷物が届くはずにも関わらず、午後1時になっても届かないので、思い立って『M:I−2』を見に行く。映画を見始めてまず気付いたのは、この映画『MISSION:IMPOSSIBLE2』が正式タイトルだった模様。タイトルバックの表示はそうなってました。なんだか、リスト制作委員会みたいな注目点ですが。

■ お話は、なんというか、現代風の「仮面ライダー」をイメージしてしまった。
悪の組織が「感染すれば20時間で死に至る恐怖のウイルスをばらまけば、シドニー中大パニックじゃわ」とたくらむところを、己の体一つでそれを阻止しようとするヒーロー。バイクにも乗るし、もちろん決め技はキックだ!
 このお話での難点は、イーサン・ハントが女泥棒を好きになる瞬間がはっきりしないのと、そのわりには007的恋愛ではなく、けっこう真剣なところ。ヒロインにパターンを脱却した人物的な深みをつけようとして、うまくいかなかった感じ。べつにパターンでいいんじゃないだろうか。そのぶん、前半のお話がグルーブしてないかんじ。
 予告編の『メトロポリス』はすごかった。

■ bk1で試しに、『失われた未来』(岡田 斗司夫、 毎日新聞社 1600円)と『脳のなかの幽霊』(V.S.ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー 2000円)、『シネマ免許皆伝』(瀬戸川猛資、新書館 1800円)を注文。

■ 夜は新宿でお酒。いろいろと雑談をして帰宅。楽しかったです。

7月14日(金)

■ 最近、とみに酒が残るようだ。ツラい思いをしながら、大家さんがあずかってくれた荷物を引き取りに。郵便局は、ちゃんと午前中に配達して欲しいものですな。bk1から24時間シッピングの2冊が到着していた。確かにはやいなぁ。首から下げるブックカバーは、早速明日から試しに使うことにする。

■ 渋谷と神保町でお仕事をして帰宅。

7月15日(土)

■ bk1の首かけ式文庫本ホルダーに『私とハルマゲドン』を入れながら、新宿へ。おめでとうの会である。居酒屋、カラオケとまわってわりと早めに帰宅。帰ってきて『異才の女』(荒玉みちお、コアマガジン 2800円)を読み始めるが、早々に沈没。

NF■『私とハルマゲドン』(竹熊健太郎、筑摩書房 760円)

 (しばらくお待ちください)
7月16日(日)

■ 池袋の『アジアンキッチン TK』で夕食を食べて帰宅。ジュンク堂で、『論 8月号座』宮崎哲哉の週刊誌時評などが目的。『大失言』(情報センター出版局、1400円)悪くないけど、もうすこしユーモアがほしいかな。前書きの「有権者の政治家を見る目を養う」云々なんてまじめすぎ。そのほか、『続ヒゲのOL藪内笹子2』(しりあがり寿、竹書房 590円)など。
 帰宅して、知人から入手した『サードガール』の単行本未収録分2話を読む。もう、この先を読むのは難しいだろうなぁ。

■ そのあとbk1で、本をドカドカ注文。どう考えても売っているはずのない本までヒットするため、試しに注文する。
 『消費社会の神話と構造 』(2039円 )、『おたく少女の経済学』(866円 )、『Tokyo war 前後編』(押井守、角川書店 各437円)、『もりやすじ画集』(10194円 )、『川本喜八郎』(角川書店、3873円 )、『アート・オブ・ウテナ』(美術出版社、2625円 )、『大河原邦男DOUGRAM&VOTOMS DESIGN WORKS』(メディアファクトリー、)、『TheカムイBook』(角川書店、724円)おそらく映画『カムイの剣』の香盤表が乗っているというムックのはず。『出版社と書店はいかにして消えていくか』(小田光雄、ぱる出版 1890円)。

NF■『漫画嫌い』(枡野浩一、二見書房 1200円)

 とても上手なラブレター。では、タイトルがなぜ「嫌い」なのかって? 好きだからこんな風に嫌いなふりをしてしまう。あるいは、ラブレターは中身をみるまでそれとわからないように届けられるほうが、驚きもひとしお。たぶん、そういうことなのだと思う。

 と、ここまで書いてなんだか気が済んでしまった。あまり詳細な解説をしたりするのは、この本に野暮という気もするし。マンガと日本語の両方が好きな方に。一ひねりした書影の写真が面白い。
7月17日(月)

■ 最近、牛乳の製造過程だけにとどまらず、日比谷線の車両事故など病院などあちこちで信じられないようなミスが起きている。こうした一連のミスの原因は、単純作業の軽視があると思う。
 まず、作業に従事している人の中で、一定の水準で単純作業を繰り返す能力(正確に言うと、自分の誤差をチェックしてクオリティを保つ能力)が下がっている。これは、詳しく述べないが明らかに教育の問題だと思う。
 ただ、気になるのは、そうした仕事に従事していない人の中にもそれを誘発する芽があるということだ。これは、従事している人だけの問題ではなく。以前、誤った薬を医薬品を注射だか点滴してしまった医療過誤の問題の話題が出たときに、こう言った人がいた。「こういう機械でやればミスがなくなるような作業って野は、いずれ人間はやらなくてすむようになるでしょ」。
 当然、僕は「そうかなぁ」と言った。そこには機械を扱うのが人間だという視点がすっぽり落ちているし、そもそも、現状の技術でオート化することがそぐわない(それは産業構造だったり、作業そのものの複雑さが原因だったりする)分野の労働が数多いことが抜け落ちている。それでも、ボタンひとつで作業が済むような未来像を思い描いている人は多いように見える。
 そういう人は、一度自動車工場でも見学すればいいと思う。
 オートメーション化がすすんでいると思われている自動車工場でも、改善改善といって、人間がつねに作業を効率化する努力をしている。企業も、今期の改善大賞を選んだりして、その努力を導きだそうとしている。人間がいるかぎり、その職場には、創造力や工夫は(その量の多寡や質の差はあれど)必要とされているのだ。(ここでは問題が煩雑になるので、自動車絶望工場的な搾取の問題には触れない)。
 「単純労働は機械ができるような仕事」と安易に切り捨てる思想そのものが、単純ミスを誘発する社会的な風潮を生んでいるのだ。
 そして、それはなまじっか創造的と言われる職業についている人々に多いような気がするのは気のせいか。

■ 長電話。いろいろと考えたり。まあ、思うことはいろいろあるんですが、まあ、ちいさいことからコツコツと、ですな。というわけでいろいろ考え始める。

■ 人に本を買わせるための書評って何だろうか? 人は何で本を買うのだろうか。内容以上に、誰が褒めているかということが、読者にとっての購買のトリガーになる部分が大きいと思うのだが(なにしろ、世の多くの観客が映画館に足を運ぶ一番の理由は、あれだけのパブにも関わらず『友達にすすめられたから』とか『友達からその映画を教えてもらったから』という理由が一位を占めるそうだから、本も似たようなものだろう)。 売文業者が原稿に工夫をするのは必要なのだが、時にオススメを超えて、その工夫をするという自意識が鬱陶しい時もある。 もちろん、読者がどんな感想を持つかは分からないわけだから、結局は、商品としてのクオリティを守りながら、好きに書くだけしかないというありきたりな結論にしかならないのかなぁ。この項、迷い中なのでオチはなし。

■ なんだか疲れたわりには何もしなかった1日でした。

NF■『異才の女』(荒玉みちお、コアマガジン 2800円)

 人は自分の人生しか生きられない。だから、映画を見たり、小説を読んだりする。フィクションだけでなくもっと生々しい人生に触れたければ、インタビューがある。この本は、広い意味で風俗産業に従事する女性(オカマの立ちんぼ・本文ママ・もいるけれど)を取り扱っったインタビュー集。というわけで、僕にとってはなかなか遠く、体験するすることのなさそうな人生の数々がここには収められている。

 なにしろ、こちらが体験したわけじゃない。人様の人生だから否定はできない。本人が「このように生きてきた」と言えば、それをはぁと頷きながら拝聴するしかない。できるとしても、せいぜい控えめなツッコミ程度だ。そのあたり、筆者と相棒の編集K氏はなかなか絶妙なバランスで、インタビューイと接している。そのコンビネーションが一番発揮されたのは、40代のスリム女王様さとのインタビュー。どう考えてもウソと思える答えに対して、「編集Kが左斜め下に目をそらす」という、相手の発言を疑う時のクセを見せる。筆者は、そう地の文で描写して、さらにそれについてのフォローも地の文で入れる。現場で本当にそんなことがあったかどうかはわからない。でも、こちらのリアクション(疑いと、疑ってもしょうがないという二つの感情)をとてもウマく演じ分けて(先取りして)描写されているのだ。で、先取りしてくれるから、こちらは例え「ウソっぽそうな発言」であっても、その毒気に妙にアテられることなく読めるのだ。このコンビの役割はを例えるなら、生のインタビューをナチュラルチーズではなく、プロセスチーズとして食べやすくしているということになると思う。
 
 そのおかげで、500ページを超える厚さにも関わらず、僕は登場人物の毒気(ホメ言葉)にアタラずに楽しめた、というわけだ。
7月18日(火)

■ 昨晩は日記を書いた後、こんなんではいかん! と一念発起して、在宅勤務を始めてしまう。おまけに、ハートに火がついたので、ついついbk1の読者書評を4本も書いてしまう。もちろんこれはお遊び。文化的雪かき(古いね、この表現も)ならぬ、文化的マスかきというやつだ。(こういう言い回しはオヤジくさいが、もはやオヤジなのでしょうがない)。書いた本は以下の通り。
 『キャラクタービジネス』(山田 徹、PHP研究所 1200円)、『グスコーブドリの伝記(宮沢賢治絵童話集 10)』(宮沢賢治、くもん出版 1942円)、『ブックオフと出版業界 』(小田 光雄、ぱる出版 1800円)、『もてない男』(
小谷野敦、筑摩書房 660円)。
 『もてない男』は以前書いたものを再掲載しただけだけ。あまりダメ判定はしない人間のつもりだが、煮詰まっていたのかけっこうキビしいことを書いてしまった。間違ったことは書いてないつもりだからいいけれど。
 投稿から5日以内に掲載というアナウンスだったが、24時間後にはちゃんと掲載されていた。bk1のキャッチフレーズでもある「レスポンスがいい書店」とは、こういうことでもあるわけだ。

■ 思うことあって映画『儀式』をビデオで。面白い。政治と性をテーマにするって意味がだんだんわかってきた。夜は録画しておいた『STRANGE DAWN』と『銀装騎行オーディアン』それにレンタルのビデオ『メルティランサー』。「オーディアン」のいまいちな感じを分析するのは意味のあることだと思ったり、週刊宝島とe−businessSPA!を読んでていたら、「メルティランサー」はぜんぜん意味がわからないうちに終わってたり。なんだかタートルキングみたいなメカが出ていた。

■ 夕方からうち合わせなど。帰りは護国寺から徒歩と都電で帰宅。そういえば、父からメール。皆既月食は、妹夫婦と酒を飲みながら楽しんだそうだ。そりゃけっこう。そういえば、皆既月食と聞くと、怪奇月食と頭の中で変換されそうになる時ありません? 

■ 知人が僕の似顔絵をアスキーアートで書いてメールで送ってきたが、コピー&ペーストするとブラウザ上でバランスが崩れてしまうので、掲載はとりあえず見送り。

7月19日(水)

■ 結構、時間的に余裕のある1日だと思ったが、上井草方面に出かけたりとか、なんだかんだで、あっという間に過ぎてしまう。お仕事の進行状況もボチボチ。←オイオイ。

■ またもや手すさびにbk1に読者書評(題材は『作家の値うち』を投稿する。これは結構、おもしろいのでヤミつきになりそうである。次は、吉川英治の『宮本武蔵』を書こう、と心に誓う。

7月20日(木)

■ 川崎市民ミュージアムで行われた『「アニメ黄金時代−日本アニメの飛翔期を探る−」記念対談』を見にでかける。11時過ぎに出た割には、早めに到着。東映動画の初期の長編の資料を並べた展示を見る。なかなか勉強になった。
 記念対談は、司会者があまり上手ではなく(控えめな表現)、面白さがやや減じていたかな。もっとテーマに絞ってバリバリと話をすすめるのが好きな僕は(せっかちだから)そう思った。対談の参加者は、大塚康生、高畑勲、吉村次郎の3氏。東映撮影所の気風、マンガ(キャラクターを持たない)が出自ではない、物語自体を二転三転させる(それで観客の興味をつなぐ)、ディズニー的(という言葉に集約されるようなマンガ映画的だと思われていた要素)以外の題材の開拓。話題を総合すると、そんなあたりが東映動画の担ったポジションとか。ああ、あと手塚治虫に虫プロを作らせる一因になったのはいわずもがな。
 その後は16ミリのプリントで『わんぱく王子の大蛇退治』。気になったのは、ラストの大立ち回りだけ、演出がずいぶん映画的(これも抽象的な言い方だが)だということ。それまでのアクションが絵物語風であるのに対し、ずいぶんと「写実的」(これも抽象的な言い方だが)に見えたのだ。それはスペクタクルを描くという要請上、そう見えているのか、いろいろと判断に迷うところもあるのだけれど、ともかくそう見えたと、とりあえず日記には書いておこう。

■ 東映動画の初期長編群を見て思ったこと。『ホルス』は歴史上の異端児とも言うべき異色作、『長猫』はペロというオリジナルキャラクターの開発、と見ることも可能かしらん。