2000年2月中旬


2月11日(金)

■ 会社で仮眠。昼に起床してそのまま某所に出かけるつもりだったが、よく考えると『∀ガンダム』のビデオがセットしていないことに気付く。そのために帰宅し、ついでにシャワーを浴びて再び出かける。実は、キネ旬ベストテンの表彰式をのぞきに行くのが目的なのだ。途中入場で、日本映画ベストワン『あ、春』の上映と、ベストテンの表彰式を見る。
 ベストテンの結果そのものは例年気にしてはいたのだが、表彰式を間近に見るのは初めての経験。で、はじめて見て分かったのは、ベストテンの各賞そのものが持つ歴史やその重みとは違って、表彰式そのものはファンや業界関係者の方向を向いたイベントだということ。これはキネ旬が”業界誌”(業界と利害を共有するメディア、岩本太郎氏の定義を応用)であることと密接に関係があるのだろうが、せっかく日本で一番信用されている(んだよね?)ベストテンなのだからちょっともったいないと思った。まあプレゼンターの黒井社長の個性によるところもあるのだろうけれど。ともあれ、映画ファン、あるいは映画人口を増やすためにもう少しいろいろと利用できるのではないだろうか。なお、『あ、春』があんなにいい映画だったとは……。興行収入に貢献できなかったことを残念に思う。

■ その後は書店で本を買い、有楽町のHMVでCDを買う。後に、池袋で飲酒、雑談、カラオケ。明け方に帰宅して、昼過ぎまで熟睡。買った本は『アナザヘブン 上下』(飯田譲治・梓河人、角川書店 1700円、1600円)、『とんでもレディースコミックの逆襲』(唐沢俊一+ソルボンヌK子、幻冬舎 495円)、『日本の公安警察』(青井、講談社 680円)、『クリックまんが クリックのひ』(竹本泉、徳間書店 2000円)。CDは、『月の繭』『CRNTURY COLOR』、『恋に落ちたシェイクスピア』サントラ、『GOOD NIGHT TOKYO』、ディズニー・トリビュート・アルバム We Love Mickey』。

映画■『あ、春』
 『忠臣蔵』が、カーニヴァルという祝祭の形に似ているという指摘をしたのは丸谷才一だった。そこにあるのは、死と再生に対する信仰だ。 この映画もまた、祝祭の形をしている。
 死んだと言われていた主人公の父が、実は生きていて、彼の元にやってくる。彼は、神事のために降りてきた神だ。そこで彼は、死と再生を体現して去っていく。『あ、春』というタイトルも、クリスマスがそもそも、冬の頂点を過ぎて春へと近づく喜びを冬至前後に祝ったことに由来していることと遠く共鳴しつつ、季節のめぐりという大きなサイクルで死と再生が描かれることを告げている。彼が、酒飲みでついには肝硬変で死ぬというのもカーニバルの重要な関係者の一人、バッカスを思い出させはしないだろうか?葬式で主人公がうなる歌、浮浪者たちの街角での楽器演奏、浮浪者たちが病院の屋上で歌う歌……折に触れて歌舞音曲が登場するのもまた、この映画がカーニバルについての映画であることの証明だ。
 死を描きながら、つらいながらも生きていくことを描く、ポスト世紀末の明るいタフさに満ちた傑作。
 みんな見ろ!

(補足)
・この種の映画を興行として成功させるにはどうすればいいのか? 難しい問題だ。
・つまりテーマ的には『∀ガンダム』と完全にシンクロしていると思う。
・キャスティングも魅力的。
2月12日(土)

■ 仕事をしようと思っていたが、会社に行っても仮眠するだけだったりして……。そんなこんなで眠いだけで徹底的にはかどらず。まあ、なんとかなるでしょう。というわけで、夜中に日記更新。会社への往復時には『アナザヘブン』を読み進める(笑)。

2月13日(日)

■ 仕事をしなくちゃならないのに、全然やる気が起きない。ひたすらネットサーフィン(この言葉ももはや死語だな)して、日記関係を読む。日記をやめていた間は、ほとんど日記関係を読んでいなかったので、ひさしぶりに「日記猿人」の世界にどっぷりと浸かった。
 日記を再開した時、猿人登録の日記が6000台になっているのを知り、得票順位は完全にお遊びになったな、と思った。これはいい意味で、だ。僕が以前から、辟易していたのは得票=面白さという短絡的な発想をする人がいることである。まあ、考え方は自由だが、得票=日記の面白さ、であるという保証はどこにもない。読者の投票行動の動機付けが果たして「面白い日記」ということだけに還元できるかどうかは、現状では検証不能である。
 そんな中であえて、動機付けを探すなら、上位の日記を目指すにはほかの日記とケンカをすること、という趣旨で書いていた日記があったように、日記猿人を中心としたいわゆる「日記界」を舞台にした言葉の応酬の有無が、投票にダイレクトに結びついているとはいえるだろう。これは日記としての面白さ以上に、社交場のゴシップへの関心と考えた方が正確であろう。つまり、純粋に日記的な面白さ(そんなものなど僕はないと思うのだけれど、これはややこしい話なので割愛)以上に、日記が多数並んでいる日記猿人という社交場をこそ人々は面白がっているという要素が、投票行動には無視できないわけである。
 これで参加者の大半が、社交場の人間関係に関心を払っていれば、それはそれで息苦しい場所だと思うのだが、もはや日記は5000を超えた。日記猿人は、猿人参加者と一言で語られクローズドであるように見えながら、もはやかなりオープンな存在になっている。
 こうして考えていくと、「更新報告のあった日記を全部読んで、その日面白かった日記に投票する」といった内輪向けのお遊びで始まった投票がもはや遊び以外の意味を持たないことははっきりしている。
 なぜこんなことを書いたかというと、まだ「面白さ」と「得票」の関係を信じている人がいるらしいことに嗤ってしまったからにほかならないのだけれど。
 
■ そんなこんなで、週末の楽しみは某日記と某日記のトラブルに端を発した騒動のウォッチだった。といっても、全貌がまだしっかりつかめておらず、「ボタン騒動」がわからない。その前どこかで、「得票ボタンではないようにしてボタンを設置して、得票を得ているのはいかがなものか」という記述を読んだがそれだったのだろうか? その後は、メールのヘッダまで公開した云々という展開があったらしいが、それはもはやどーでもいい二人のトラブルである。トラブル好きとしては愉しませてもらったが(以前の日記で書いたように、私は支離滅裂な日記を読んでイヤ〜な気持ちになるのが好きなのだ)、わざわざ論評して白黒つけるまでのこともない。だからリンクもしない。ただ「ケンカ」として判定をするなら、過去ログ消した方のマケでしょ。あと、捨てぜりふ系のことを書いたりするのも、マケっぽいな。ちなみに猿人がらみでトラブルがあると「あそこは馴れ合いの場所だ」(だから投票制度そのものが、仲間内の遊びなんだって)、「みんなが私を非難している」(20分の60000日記にも満たないのでは?)という類のセリフが出てくるのはお約束か?
 しかし、2度目は喜劇というのは、ホントだね。歴史は繰り返すといっても、初代ガンダムとF91ぐらい違うな。
 ただ、情報収集しないで雑な結論出している電脳野次馬を見ると、捨てぜりふ書いている人間よりも、やれやれと思うのは事実。

■ 今日は、某掲示板で行われていたオタク話について書こうと思ったけどまた後日。そこで包茎とオタクの関係について書かれていたので、思い出したこと。ルイ16世は真性包茎で、趣味は錠前作り。これもまたサンプルの一つか?

2月14日(月)

■ 昨日は、日記猿人に登録して以来最大の投票があった。「投票はお遊びに過ぎない」という意見を書いた日に、得票が多いというのは、どのように解釈したらいいものか。そもそも、僕の日記のどこに、投票行動を起こさせる要因があったのだろう。妥当に考えれば、やはり日記猿人を話題にしたから、となるが、あるいはルイ16世の包茎について興味がある人が多かったとか(笑)。
 それでも、ボタン騒動などについては過去ログを調べてなんとなく把握できた。「投票はお遊び」という考えの僕からすれば、だまされて投票するのもまた一興と思うけどね。ところで、猿人のような社交場を社会学?とかの専門用語でなにか言い換えることはできないのかな? そうすると、きっとこの中途半端にクローズな場所に働く力学みたいなものが見えてくるはずなのだが。

■ 『アナザヘブン』読了。笑。感想はまた今度。

2月15日(火)

■ 明日のお仕事に備えて、内職内職。手順はうまくいったが、完成度は???などと思いつつ、徹夜で仕事。ちなみに会社の行き帰りは『日本の公安警察』を読む。

■ 久しぶりに、LDで『王立宇宙軍』を見る。傑作。「歴史」と「個人」について、考えをめぐらす。ただしLDプレーヤーの調子が著しく悪い。修理する時が来たかな。

■ 今日発見しためずらしい理屈。そこの掲示板からの引用。
「(略)何でそんなに大人ぶる訳? やってる事は子供なんだからさ、もっと子供らしい対処法をみせてもいいんじゃない。感情をむき出しにするのがそんなに恐くて恥ずかしいの?(略)」
 たぶん、大人ぶっている割には実際は子供っぽいということを指摘したいらしいけど、「もっと子供らしい対処法を見せてもいいんじゃない」という言い方はユニークかも。感情的にならないで相手をいじるのが楽しいわけでしょ、なんていわずもがなのことを書いたりして。ともかくイヤ〜ンな日記好きにはたまりませんな。相手が夜久氏ってのが、十年一日(?)のごとしで、新鮮みにかけるけど。ルールについてのうすーい論評もなかなかキュート。こういう面白い日記に得票が集まるのは、投票と日記の面白さの関係が明確で、好ましい傾向だと思うヨ。ところで、僕があの日記を不快だから削除すべきといったらどうするのかしら、かしら、そうなのかしら。←眠たいらしい。

2月16日(水)

■ 昨日の日記を書いたら、RANDOM ACTに取り上げられた。で、掲示板で軽く挨拶して、しばらく掲示板を見ていたら、夜久氏に「言い訳」の内容を含むメールを送った、という記述があった。そこで、私も「追放運動」事件の感想を述べて、言い訳を聞きたい、と書いたところメールをいただいた。そこでそのメールに私が私の意見を書き込んで、さらに返信し引用を求めたところ、さまざまな理由から全文の引用の許可をもらうことができました。また、許可をもらったメールにはオフレコを含む、僕の見方への意見が書かれていましたが、これはオフレコ部分を含んでいるので、部分引用もしない。なお、以下のRANDOM ACT氏側の発言は、最初にいただいた「言い訳」メールの完全に近い全文である。
<全文引用始め>

いいわけいただきました。わざわざどうもありがとうございます。
感想から言いますと、理解できる部分と理解できない部分が混在してます。
最初から順番に書いていきます。

RANDOM ACT wrote:
>
> どうも、お初です。
> 言い訳。
> あのサイトを最初に巡って見たときなんですが、
>    日記らしきものがどこにも見当たりませんでした。
>    単なるエロ画像だけしか見つからなかったわけ。
>    だからアダルトサイトの新手の宣伝かい、と思いですね、

この部分は理解できます。
もっとも、私はアレがウソでもちゃんと続いていけば、それはそれで一つのWEB日記ではあると思います。ちなみに、ああいう日記が増えたらどうするのか、という問いには、「増えたときに対策を考えればよい」というのが私の答えです。

>    こんなのアリかよ、とがらにもなく正義感がむくむくと
>    湧きあがってしまったんですな。
>    マジで追放運動なんてする気はなかったけど、
>    龍成クンがその前日に日記猿人の掲示板使えよ、なんて書いていたので、
>    ついあの掲示板にリンクしたら面白いだろうなァ、と
>    全くやる気も無いことをぶち上げたわけです。


正直言って、追放運動をやる気がないなら別のアプローチがあったのではないかと思います。まして「正義感」なら、いくらでも方法はあると思います。もちろん掲示板に書いたように「快/不快を基準にした追放運動」はあまりに短絡的で賛成しませんし、「正義感」で問題にするなら、「追放運動」の前にいろいろあるのではないでしょうか? さらに私が疑問に思ったのは、「思ったことをいいたいように言う」、というのがRANDOM ACTさんの姿勢であれば、「正義感」が日記の上で「不快」へとスライドするのは今ひとつ理解できません。これはわざと言いたいことをねじ曲げているように見えます。がらにもない正義感にテレた、とかそういう理由で。逆に、あとから実は正義感でした、といわれると、メールをもらった身としては、それはそれで感情的な「不快」を冷静な「正義感」と言い換えて正当化しているようにも見えます。まあ、どちらも人間的な行為ではありますからそれが許せない、ということではなく、RANDOM ACTさんとしては当初から一貫しているつもりでしょうに、そのようには全然見えないということです。


>    これは過去のRANDOM ACTを読んでれば分かる単純なことなんですけど
>    夜の方は、理解できなかったようです。
>    ま、龍成クンじゃなくて、死んだはずの夜久がでてきて
>    うっとーしいことになったというのは計算外でしたけどね。
>    今壊れているので、超テキトーで申し訳ない。
>
> ま、何か悪いところがあったら教えてください。

掲示板でやりあって、メールで真摯なことを言うというのは、私個人としては不可解な印象を持ちます。メールで送った内容は公表できない物なのか? と。では掲示板での応酬は一体何だったのか? とも。ただ、夜久氏との言葉の応酬には野次馬以上の興味はないので、この部分は深入りしません。もっとも、私と夜久氏の姿勢にはそれほどの差はないと思います。向こうが、相当皮肉で、本題に行く前に話がこじれることが多いだけで。

また、誰が読んでいるのか分からない、というのがWEB日記だと思います。あの程度を「計算外」というのは、あれだけ楽しそうに暴れていたのに、私個人としては残念です。これは理解できない、というより私の勝手な失望、ですが。だから、日記をやめずに、時には夜久氏とやりあいながらも日記を続けていったほうが、RANDOM ACTさんの姿勢は一貫して見えるなあ、という印象を持ちました。


という以上が私の感想です。
そもそも私はできればこの送信メールに近い形で私なりの結末を日記でつけたいと考えています。
理想は、この文面をそのまま転載することですがいかがでしょう。
2番目は、内容を要約する方法になりますが、それはトラブルのもとかとも思います。
3番目は、内容ではなく私の印象を遠回しに書く、ということです。
おそらく内容は
・理解できる部分と理解できない部分があったこと。
・私としてはあの日記が怪しいと思えたということは理解できた。
・それからの行動は、私の判断基準とも違ったし、また、日記などを読んでいた上での一貫性とメー
ルの内容の説明に齟齬を感じたこと
・それを本人に告げたが、その内容を公表することはやめてほしいといわれて残念なこと。
などになるでしょう。

私は自分の日記ではじめたことは、日記で決着をつけたいと思う人間です。
これもメールではなく掲示板でお返事をいただきたかったくらいです。

では。お手数ですが、お返事お願いします。
<全文引用終わり>

■ というわけで、なかなか面白い体験であった。世の中にはいろいろな人がいることを実感できるひとときでありました。

2月17日(木)

■ というわけで、一段落。

■ ここ半年気になっているのが「床屋政談」ということ。床屋でオジサンたちが、好き勝手に時事放談をする、という意味だと思ったのだが、ともかくそれ、だ。これって極めて政治に対する単純な印象を適当に喋っているわけだ。もちろん、そういうのは楽しいし、「庶民感情」ってのをダイレクトに反映しているともいえはするだろう。でも、メディアとしてそういう振る舞いが当たり前になったら、「それは一体どうよ?」と思ったりもする。「おもしろい」と「正しい」を行きつ戻りつしながら、結局そのどちらも選べなかったりすると、それは一体何? ということになってしまう。まあ、それはこの国のサラリーマン(僕も含めた)、教養のなさの鏡と思わないでもないのだが、そこまで簡単に思考を放棄していいわけがない。ただ、そこからさらに深く思考できる頭があるわけでもない。それで自分が正しいと思っていたらそれはカマトトというヤツでしょう。などと、酔っぱらいながら思ったり。
 仕事が忙しいと、雑誌一つ読んだところで楽しめない。

■ 昨日は会社に宿泊。会社で日記を更新した。目が覚めて、新宿経由新橋方面、で最後はカレーを食べて帰宅。仕事が少々滞りがち。

2月18日(金)

■ 自己模倣モードっていうんでしょうか? つまらない展開です。

■ なんだかいろいろとお仕事がありまして、明け方に帰宅。

2月19日(土)

■ 寝て起きて、昨日の『∀ガンダム』を見る。ここの掲示板で話題にした∀学園の話題を思い出しながら見ると、別の楽しさもまた格別。ほかの女を狙うためのサングラス、ねぇ。母親が一時退院しているので自宅に電話。

■ それから、新宿へ出かけて、わかば日記読者の会に出席。1次会は滝沢でひたすら雑談。裏日本工業新聞を、一部の読者だけではなくよりメジャーなメディアへと登場させることなどについての話題もでる(笑)。ひとしきり話した後に、新宿ジョイシネマで『A・LI・CE』を見る。いろいろ笑っちゃうところは多かったのだが(脚本のタコな部分は、演出でもっとカバーできたはず)、最終的な印象は可もなく不可もなくに近いところの落としこんでいた感じで、なぜだろうと思ったら中核スタッフがマジックバスでした。魔法のバスは3DCGの世界でも走っている模様。その後、天下一品経由で帰宅。帰宅して、結局ビール。

■ なんだか新鮮味がなくなってガッカリ。説得力がないのは相変わらずだけど。

NF■『日本の公安警察』講談社 680円)
 日本の公安関係のさまざまな組織のなりたち、活動を総覧した力作。その筆致は冷静だが、それ故に迫ってくる迫力がある。
 中でも驚かされたのは、スパイをいかに養成するかのテクニックを紹介した部分と、それに非合法活動も含むさまざまなダークサイドを受け持ってきた「サクラ」と「チヨダ」の実態を描いた部分だ。
 スパイを養成するプロセスは、そのマニュアル化されたプロセスの向こうに、人間とはいかに弱い生き物か、というものがほの見えて怖い。また、現在はほとんど行われてはいないとはいうが、「投入」と称して、さまざまな職業を転々としながら、調査対象団体の関係者と親密になるという方法は、そのあまりの壮絶さに、不条理劇か何かにも思えてしまう。一方「サクラ」と「チヨダ」は、もはや警察の中にあるもう別組織といったほうがいいだろう。組織図上に存在せず、工作中にトラブルに巻き込まれても自らの個人的行為として引き受けることを決意している警官が実在しているという事実も、まず「死して屍拾う者なし」という言葉が思い浮かぶほど、すぐには現実味を感じることができないほどだった。
 普段生活をしていると、「権力」というものを抽象的にしか感じることができない。しかし、この本には「権力」の力の部分が具体的にまざまざと描かれている。権力とは概念ではなく、よくも悪くも人間を縛り付けようとする「本当の力」なのだ。この本はそして、自由や権利が、「権力」を前にしたときに初めて意味のある言葉として輝くことも、その言外に示しているように思える。

(補足)公安調査庁が、自らの生き残りをかけ、政治家に積極的に情報を流すメリットを綴った公文章は、腐敗した権力装置の典型的な姿だ。
 
映画■『A・LI・CE』
  『VISITOR』に続く、フル3DCG映画。確かに表現力は数段勝っている。あくまでも 『VISITOR』と比べて、だけど。
  脚本の大筋とか、タイムパラドックスの正否についてはあえて何もいうまい。残念なのは、ところどころに覗く、ヘンなニュアンスを演出が全然意識していないところ、なのだ。それでも、『VISITOR』よりかなりテンポはいいけど。
 例えば、開巻早々少女と少年が出会うシーンでは、二人の間の距離感まったく感じられない。さらに、気絶した少女は2日間ソファで寝ていたらしいが、毛布がかけてあるとか、それらしい描写がない。少年が、色っぽいアンドロイドのお尻を触るシーンは、全体から伝わる男の子の性格から浮いている。解放軍が敵基地内で奇襲にあって部下が全員死んでしまうシーンは1カットで終わってしまうので、なんだか悪い冗談のようである。おそらくコストと3DCGの表現力のかねあいで、そうなっているシーンも多いだろうが、コンテ段階でかなり工夫をすればクリアできたのではないか、という気もする。そういう意味で、シナリオの穴より、演出の気配りのなさが気になった。
 これらの失敗は好意的に解釈するに、3DCGをローコストで演出するノウハウがないことに尽きるだろう。アニメーションが、さまざまなマイナス条件の中で、日本のアニメへと進化したような、その種類のノウハウの蓄積の果てには、もしかすると何かが見えるのかもしれない。(ずいぶん肯定的なまとめ方だなぁ)
、  
2月20日(日)

■ 昼過ぎに起床して、一日中だらだらと仕事。あまりはかどらず結局、21日未明までかかってしまう。明け方に、気分転換にウイスキーを飲んでしまう。