注:このページの作者と「管理人パンチ君」とは無関係であり、日記を読んだ事による一切の障害について「管理人パンチ君」が責任を負うことはありません。ご了承下さい。(ちなみに作者は、ちょっと分裂気味です。)
2001年8月31日(金)
金曜恒例
更新不能
2001年8月30日(木)
そろそろ気付けよ
ほとんどの人はあなた個人には無関心です、心底どうでも良いです。
2001年8月29日(水)
更新不能
ヨロピク。
2001年8月28日(火)
♪会いにぃ行くぅわ汽車に乗って〜
ジュディマリの「KYOTO」の歌いだしなんだけど、Goose350を見に行くため、久しぶりに東海道線に乗った時の気分はまさにそんな感じだった。実物を見ると、年式が古いので多少の傷や錆はあるものの確かに新車だ。納車は最速で土曜の予定、ローン地獄なんて何ともないね。
2001年8月27日(月)
運命
Goose見つけた。余程何かない限り判を押すだろう。明日が楽しみだ。
2001年8月26日(日)
頑張らなきゃ
既に夜型になってしまっている。何とか14:00には起きたが、こんな事では先が思いやられる。何も出来なかったもんなぁ。
2001年8月25日(土)
スケジュール依存症
休み明けはいつもこうなんだが、常に予定が入っていないと不安な気持ちになってしまう。どうせしばらくすると仕事に汚染されてしまうんだけどさ。
2001年8月24日(金)
更新不能
更新不能
2001年8月23日(木)
ぬか喜び
晴れていたのでバイクで出勤した。まあ調子は悪くなかったのだが、会社寸前でなぜかクラッチがちゃんと切れていない事に気づいた。休み時間に調整して、何とかなったのは良かったのだが、帰りに誤ってチョーク引きっぱなしで走っちゃったおかげで、また最悪の調子に。プラグ変えても直らないと言う事はやはり吸気か?
2001年8月22日(水)
合理化
結局台風騒ぎは何だったんだろう?夕方から完全に晴れた。何だかんだ言ってみんな働きたくないだけなんだな。
2001年8月21日(火)
予想外の休日に出来ること
風と雨が強くなる前にバイクの修理をした。しばらくこれで走りつつ、Goose350を探す事にしているのだが、ちゃんと動くようになると決意が揺らぐかもしれないので応急処置にとどめた。本当はちゃんとキャブやチャンバーを洗わないといけないんだけどね。エンジンは吹け上がるようになったけど、どうせ明日は雨だから乗れないのが残念だ。
2001年8月20日(月)
「帰ってきた」という表現は不適切
OK宅で目が醒めた。台風の状況をネットでみると、かなりヤバい状況になってる。こっちに戻る予定の21日はまさに台風本番じゃん!とは言ってもチケットとってないしなぁ。方法としては22まで休むってのアリだったんだけど、とりあえずダメ元で駅に行ってみた。
まあいつまでいても名残惜しいのは同じだしね。案の定飛行機は欠航が出てるみたいだが、まだ新幹線は大丈夫のようだ。あとはちゃんと席が確保出来るかどうかだったんだけど…グリーン車しか空いてない!高いんだよなぁっ…て仕方ないので購入。時刻は16:45。家に到着するのは21:30くらいかな。
で、予定通り21:30に到着したんだけど、すげえきついので今日はおとなしく寝る事にしよう。今回はちゃんと手で日記つけたので補完できそう。
2001年8月19日(日)
最終補完(2001.10.8補完)
午前中に起きて、昼からプラグを買いに出かけた。原の南海部品とオートバックスには各一本ずつしかなかったので、博多区の湯佐部品まで行く事にした。ちょっと距離はあるが、ドライブには丁度いい。
合計で8本買い、まさに抜けるような青空の下、遠回りして帰った。一旦家に帰った後、何となく舞鶴公園へ歩いて行った。ちょっとした散歩のつもりだったんだけど、気が付いたら公園を一周し、頂上の展望台まで来ていた。行き交う人々、眼下の中央区の町並み、大濠公園、福岡ドームに福岡タワー…。
眺めていると妙に寂しくなったので、降りて大濠公園へ向かおうとしたところでOK君から電話が入った。彼はいつも良いタイミングで電話してくれる。飯でも食おうというお誘いだったんだけど、せっかくだから大濠公園を一周してOK君宅へ。
飯を食いに行った先は大濠高校の近くの中華料理屋。実は有名な店なんだが、何故か一回も行った事がなかったので丁度良かった。食った後はまたしても泊めてもらいました、THX。
2001年8月18日(土)(2001.9.16補完)
酒に飲まれそう
さすがに疲れがたまっていたのか、起きたら15:30だった。この日も19:00から飲みなので、急いで準備して出かけた。飲んでいると、K君から電話が入る、23:00までに合流出来るそうだ。T君のミニで迎えに行く事になり、西へ。やはりミニはカッコイイなぁ。
K君と合流し、藤崎で飲んで帰って寝た。あぁ休みもそろそろ終わりかぁ。
2001年8月17日(金)(2001.9.9補完)
休みはあと何日?
11:00頃OK君の家で目が醒めた。裸眼でバスに乗り帰宅。今日はO君(弟)と飲む予定だが、それまでは暇なので、ずっと高校野球を見て過ごす。19:00にO君(弟)と待ち合わせ、六本松でまたまた三蔵。飽きてないのが我ながら凄い。
久々に会ったので色々話をしていると、仕事が終わり駆けつけてくれたOK君がNさんとやってきたので二次会突入。いい感じで酔っ払って来たところで自慢のBMを出してもらい、百道浜へ花火をやりに行こうという事に。
天気の割に人は少なかったが、警備員風のオヤジに花火は止められたので浜辺を歩いた。夜の海はかなり神秘的で、これはこれでいいもんだ。でも、島とかだったらもっと凄いんだろうな。ここでは出来なかったので、やむなく公園で花火を楽しんだ後、そのまま送ってもらいました。
2001年8月16日(木)(2001.9.8補完)
予定のない休日
昨日早く寝た事もあって、10:00に目が醒めた。午前中は居間で高校野球見ながらまったりとした。昼になり、何気なくパチに出かけようと思い、T君に連絡をして出かけた。勝つ気は全く無いのでネタでもつくるか、とクラウンに行って予想通り負け。7枚交換なんだからちょっとは長く遊ばせろよ。
その後モンキーに行くものの、やるものがない。暇だからネットカフェでメールの転送設定でもやるか、と思い行ったのはいいけど、なんかうまくいかない。ふと時間をみたらもう夕方だ。そういや今回帰省してからあまり歩いてないなぁ、ということで歩いて帰宅。
再びまったりとしているとOK君から連絡が入る。再び六本松に出かけ、行った事のない炭火焼地鶏屋へ行ったところ、これがすごくうまい。定番にするかね。腹一杯になったところで、これまた行った事の無いバーへ。ちょっと酔っ払っちゃったので泊めてもらいましたとさ。
2001年8月15日(水)(2001.9.2補完)
暴飲暴食
夕方大雨で目が醒めた。直後にK君からお誘いの電話が入る、彼は昨日から休みだそうだ。やはり客商売は大変だね、盆に休みあるだけマシともいえるけど。
で、当然のように飲みに行こうということになったのだが、行く先はまたしても三蔵。ま、昨日は最後が麺だったので、今日は雑炊にしたらいいか。途中でOK君が合流し、西陣にあるジャマイカ料理屋へ。珍しい雰囲気で酒を飲んだ後、更に今度は親不孝通りのジガーバーへ。
もういいやってくらい飲んだんだけど、シメをするべく長浜の屋台へラーメンを食いに行った。こんなに飲んで食って笑ったのにまだ時間は1:00。でも既に正気はどこにもありませんでしたとさ、よく日記書けたなぁ。
2001年8月14日(火)(2001.9.2補完)
補地元での休みスタート
5月に亡くなった叔父の家を初盆として伺った。今まで何度も危険な状態から復活した人なので、今度も大丈夫かと思っていたのだが、前回の入院で院内感染のC型肝炎にかかってしまったらしい。位牌のある部屋には、多くの地元著名人の名前が。そっか、こんなに慕われていたんだなぁ。じっと遺影を見ていると、小さいときによく抱きかかえられた事がフラッシュバックしてきた。もう二度と会えないんだな。
19:00頃失礼させてもらって、旅行のメンバーと今夏初もつ鍋へ。やはり三蔵のもつ鍋は最高だね。鍋食いながら旅行の写真を見せてもらった。昨日の今日のはずなのに、何だか遠い昔の事のように懐かしい、何故だろう?
その後恒例のカラオケへ。盆だからかなぁ異様に客が少ない。トイレから戻ってくる時に聞こえるのは我々の声だけだもんな。ひとしきり歌ったら疲れがどっと出たので帰って寝た。
2001年8月13日(月)(2001.8.29補完)
BEST FRIENDS-1
四国最後の日だというのに朝から雨。今日も観光地巡りが待ち構えているというのにそりゃないぜって感じ。どっちにしてもチェックアウトはしないといけないので、とりあえず行って見ようということでバイク組は雨装備で御荘湾へ向け出発。
ところがダメ元のはずが、到着と同時に完全に晴れてきた、神様っているんだね。御荘湾ロープウェイという、世界でも珍しい海を渡るロープウェイに乗って、反対側へ。非常に綺麗だけど、ちょっと怖い。そういや今回の旅行は高いところばっかだな。
無事反対側へついた後、O君(兄)の目的でもあった紫電改博物館へ。復元とはいえ、レプリカにはない妙なリアルさに素直に感動。その後、湾全体を見渡せるという展望塔に乗ろうという事に…また高い所かよ、と思ったものの、遠くから見たときからこの塔が気になっていたので期待する俺。実際乗ってみると、これがとてつもなく怖い。でもよく見たら俺だけでなく、OK君も怖がっていたのでちょっと安心した。言っとくが俺は別に弱虫じゃないぞ。
降りてくると、正面に「子供動物園」との看板があった。どうやら小動物が放し飼いされているようだ、珍しいので行って見ることにしよう。まだまだ時間もあるしね。リスザルのヤッくんと戯れる一同。とても20代後半の集団には見えないとこがミソだ。一通り遊んだ後、御荘湾を後にした。ここは良かったな。
ふと気づくともうお昼ではないか、そういやなんとなく腹も減ってきたので飯を食い、フェリーへと向かった。行きもそうだったけど、フェリー乗り場で全く書類を書かない俺、字が汚いので勘弁してくれ、という言い訳を心でつぶやきながらぶらぶらしていたんだけど、何か手続きに時間がかかっている。どうやら先日とったはずの予約が取れてなかったらしい。どういう事かと言うと、到着する先の佐伯発の便の予約を取っていたようだ。それでも無事乗れそうなのでまいっか。
フェリーではO君(兄)とNさんはぐったり。相当疲れているんだろう。暇なので、日焼けでもしようとOK君を誘ってデッキへ向かった。そうこうしてるうちにフェリーは佐伯に到着。ふと外を見て見ると、なんだか様子がおかしい…あれれ、大雨ジャン!
うーむ、ただでさえ道がわかんないのに、視界も悪い。まいったなぁ疲れも出てきた。みんなの疲れはピークに達していたが、なんとか休み休み進む。ようやく高速に乗った時は既に暗くなっていた。そういえばOK君のバイクは大丈夫か?雨もやまないし、真っ暗だし、更に追い討ちをかけるように、別府湾では恐れていた濃霧の発生。この最大のピンチを乗り切らねば、と全力を尽くした。
何とか切り抜け(大げさ)福岡県に入った頃には既に22:00になろうかという時間。そっからは何事もなく、大宰府インターで降りて解散。お疲れ様でした。
ところが俺はそこで終わらず、途中で電話の入った知人のところへ向かった。その知人、秋に結婚するので、独身最後にぜひ会っておきたかったのだ。結局2:00前まで六本松で飲んで家に帰って死んだように寝た。お疲れ様、俺。
2001年8月12日(日)(2001.8.28補完)
自然を満喫
7:00起き。普段からは信じられない生活のリズムも旅行の醍醐味だ。晩飯と同様にうまい朝食を食った後、海岸に出たり等、ちょっとまったりした後に出発。今日は有名な四万十川に行く予定だ。途中の国道はかなりの絶景。うーむ、バイクで走りたいものだ。
四万十川に到着、懸念されていた水量だが、そこまで少なくもなくちょっと安心。水量が多いと沈んでしまうという沈下橋付近で無邪気に遊んだ後、上流に上っていった。異様にせまい所を走るバスと離合を繰り返しながらてっぺんまで行って国道を降りていった。この時程広い道が嬉しかった事はないね。今日は観光らしい観光をやるいわば初日だ、続いてこれまた有名な足摺岬へ。
でかい観光地のはずだから、道も広く車も簡単に停めれるだろう、とタカをくくっていたのだが、ついたところはとても観光地とは思えない寂しい場所。(これはあとで分かった事なんだけど、どうやら逆方向の道から来てしまったようだ。)
ジャングルのように生えている木々をぬけると、そこは一面の海。やっぱでかい海はいいね、ずっと見てても飽きない。その後近くのお寺にも行ってみた。一昨日、昨日も見かけたお遍路さんもたくさんいた。最近はお遍路さん体験バスツアーみたいなのがあるらしいが、自分がやる時はやはりちゃんと歩こう。
いい時間なので、足摺岬を後にし、竜串にメシを食いに行こうということになった。うまい刺身を食った後、竜串海岸の岩を見に行った。そこの岩は長い年月をかけて波に削られ奇妙な形をしている…と、何故このような模様になったかを説明する事は出来る。ただ、この壮絶さは言葉では伝えられない、とにかく凄い光景だった。
日も暮れてきたので本日の宿泊先へ向かい始めたのだが、OK君のバイクの調子が悪い。チェーンに遊びがないため、張りすぎて今にも切れそうだ。高速走行中にでも切れたら大変なので、ホームセンターへチェーンルーブと工具を買いに行った。ところがO君(兄)と三人でいろいろやっても直る気配がない。おかしいなぁと言うことで、バイク組は途中でみかけたバイク屋へ引き返すことになった。その間に車組はホテルへデェックイン。
なんか古びたホテルだなぁ等と思っているとバイク組がホテルに到着した。バイク屋のオヤジ(非常にかっこよかったらしい)が言うにはどうやらチェーンが突っ張っているだけでなく、場所によってはたるんでいるため非常に危険な状況とのこと。心配だけどどうしようもないので結局そのままにしておく事に。今日のホテルは飯がついてないので、晩飯を食いに外に出かけるものの、結局ホテルに併設している回転寿司屋へ行く事になった。この寿司屋、回転寿司のくせにやたらうまい、やはり海の近くだからだろうか?ついでにビールもめちゃくちゃうまかった。
気分が良くなって来たところで風呂に行ったんだけど、このホテル、そこらじゅうに謎なスペースがあってやたら怖い。風呂の近くにも何とも言い難い不気味な空間があって今にも何か出そうな雰囲気。酔いも一気にさめちゃったよ、トホホ。サッパリしたところで部屋に帰って飲みなおして寝ました。マジ怖かった。
2001年8月11日(土)
休み本番(2001.8.26補完)
今日から会社も休みだ。これで堂々と遊べるぜ。
7:00に起床。朝食を食った後、本日のルートをしっかりと確認して出発した。先日来た道をちょっとだけ引き返して徳島道に乗り、有名な大歩危小歩危へ向かった。小歩危は下に下りるところが見当たらなかったが、大歩危のほうは川原まで降りていけたので意気揚揚と降りていった。しかしここに来て休み前に怪我したヒザが痛んできた。やはり下りはこたえるなぁ。カヌーで川くだりする人、川原で遊ぶ家族連れ等をぼんやり見ていると日常がどこかへ飛んでいく、やっぱ旅行はいいもんだね。
大歩危を後にし、かづら橋へ向かった。かづら橋は、平家の落ち武者が根城にした場所として有名だが、今でもつり橋を渡れるらしい。車を停め、橋が見えるところまで降りていって見ると、言われている程怖くなさそうだ。なのに何故か渡ってる人の歩みは遅い。なんでだろう?という一同の疑問は、渡り始めてからすぐに解決した。足場となる板の間隔が妙に広いのだ。とにかく不安定で歩きにくい。下手したら板と板の間に靴がハマってしまいそうだ。とにかく今まで渡ったつり橋の中で一番怖い橋だった。
メシ食った後、何だか物足りない気持ちを埋めるために、地図を見て名所を探すと、近くに「日本一の杉」があるらしいのでそこへ向かった。何がどう日本一なのかわからないけどね。
ムカツクおばさんに入場料を払って、大杉の近くまで行って見る。なるほど、大きさで日本一なのね、意外性も何もないよな…と最初は心の中で毒づいていたんだけど…樹齢3000年かぁ…大昔の人間がこれを見たとき既に大木だった訳だよなぁ…等と考えてたら何とも言えない気持ちになった。
夕方になったので、そろそろ宿へ向かおうという事になったので、本日の宿泊予定地へ向かい始めた。ところが計画ではバッチリだったはずなのに、何とトラブル続出。大雨にも見舞われたので、バイク組の体力は限界だった。夜になり視界もどんどん悪くなる。実際、俺もかなり疲れていた。集中して運転しないと崖に突っ込み三面記事だ、それだけは勘弁…。
21:00を過ぎ、何とか宿泊先へ到着。海に面しているので、明るい時間だったら夕焼けがとても綺麗だったそうだ。まぁ明日の朝にでも見ればいいや。うまい料理で疲れを癒した後、死んだように眠った。マジで疲れました。
2001年8月10日(金)(2001.8.21補完)
僕らが旅に出る理由III
普段寝る時間の6:00に起きた。何故そんなに早起きかというと、O君(兄)と基山サービスエリアで待ち合わせしているからだ。いつもはO君(兄)家で待ち合わせているのだが、集まった段階でまったりしてしまうため、途中で落ち合おうということにしたのだ。そのくらい今日のスケジュールは厳しい。
ほんのちょっとだけ遅れたが、ほぼ予定通りに基山に到着。さすがにこの時間は車も少ないね。ちょっと迷ったりしながらフェリー乗り場に到着した頃には、もう太陽は真上だった、うーん夏だなぁ。朝が早かった事もあって、フェリーではみんな寝ていた。確かにここで寝るしかないもんね。
愛媛の八幡浜に到着した後、高速で高松方面へ。快適に高速を走っていると、O君(兄)とOk君のバイクの姿が突然消えた。事故とかだったらどうしよう、等と心配しながらサービスエリアで待っていると、しばらくしてからその二人がやってきた。どうやらO君(兄)のバイクのガソリンがなくなったらしい。多くのバイクには燃料計がついていないので、残りのガソリン量を把握しずらい。なんとかここまでは来れたけど、GSのあるSAにたどり着くのは怪しいガソリンの量なので、大事を取って次のインターで降りる事にした。
松山で給油し、再び高速へ。その後、恒例の降雨があったりしたが、特に迷うこともなく宿泊先へ到着。なんだか老人が多いなぁ、かんぽの宿だからか?その夜はみんな疲れていたから風呂に入ってすぐに寝た。なかなかいい宿だったな、全国にあるようだからまた利用させてもらおう。
2001年8月9日(木)(2001.8.21補完)
いざ
朝3:00まで飲んでいて、なぜか起きたら会社のベッドだった。そっか、忘れ物があったから泊まったんだっけ。時計を見ると10:30、ヤバい、準備しなきゃ。家に帰って速攻準備して15:09初のぞみで博多へGO。そういや帰る時に新幹線使うの初めてだな。
車内はまだ帰省客も少なく、ビジネスマンだらけ、うーむ不快だ。外も見えないので、仕方なくビール飲みながら打ち込みして過ごした。いつのまにか眠ってしまっていると、20:00前に福岡に着いた、なんだか暑いな。早速Ok君に電話したところ、メシを食おうと言うことになったので、実家に荷物を置きに行き、すぐに六本松へ。
モスバーガーの上に出来た焼肉屋で明日からのプランを確認し、家に帰って寝た。明日が楽しみだ。
2001年8月8日(水)
前半戦終了
実は現在9日の昼だ。本当は8日は更新不能といきたいところなんだけど、しばらく更新できないので書いている。例によって帰省中の出来事は後に補完予定なんだが、正月の例もあるのであまり期待しないでちょ。
2001年8月7日(火)
俺も好きだなぁ
帰省の準備をしようと思っていたんだが、何故か平日からはしご。おかげで新規開拓できたからいいとしよう。
2001年8月6日(月)
わずか一日で仕事モード
残念ながらもはや何も出来ないだろう。たとえやる気が出てきたとしても、昔と同じ努力をするには邪魔なものが多すぎる。飛ぶ必要がなくなり、飛べなくなった鳥は二度と大空を飛ぶ事は出来ない。
2001年8月5日(日)
再確認
やはり今のままではダメだ。
2001年8月4日(土)
疑問
寝たのは7:00くらいだったんだけど、昼イチで荷物が届く予定なので、12:00に起きた。しかし毎回思うんだけど、代引きで配達するの分かってるのに、何故運送屋はお釣りをもってこないんだろう?ピッタリ金を用意している客なんて少ないだろうに。早く全運送会社がカード代引き出来るようにならんかなぁ。
2001年8月3日(金)
盆休み前最後の金曜
更新不能
2001年8月2日(木)
連続平和
またしてもなにもなかった。もしかして俺の心が変わってきているのだろうか?
2001年8月1日(水)
もう8月か
平和な一日だった。毎日こんなんだったらなぁ、って思うのが堕落への第一歩に違いない、危ないところだった。