注:このページの作者と「管理人パンチ君」とは無関係であり、日記を読んだ事による一切の障害について「管理人パンチ君」が責任を負うことはありません。ご了承下さい。(ちなみに作者は、ちょっと分裂気味です。)
1999年8月31日(火)”パンチ君はただ、座っていればいいのです。 ”
ほんとにそうなのかなあ?
ニュースで見たが、アメリカの誰かが日本でアメリカ性バイクが売れないのは高速道路でタンデム出来ないから
だ、と言ってた。確かに世界の高速道路で2人乗りが出来ないのは日本だけみたいだし、安全性の面から考えると、
アホの少ない高速道路は通常の公道より安全だけどね。
実際、高速の事故の大部分は車だし、何かと便利な事も増えるだろう。しかしそれに便乗してSTEED等の存在
自体が悪であるジャパメリカンバイクが増える事だけは勘弁して欲しい。
まあ2スト商材のない日本の経済に未来があるとも思えないけどね。
1999年8月30日(月)”子どもどもの頃の夢しか叶えられなかったパンチ君 ”
びっくり
久々の出社でいまいちペースをつかみにくい一日だったな。しかし驚いたのは健康診断の結果だ。
26年間生きてきて初の二次検査だもんな。
普段絶対有り得ないと思っている事が起こってしまうと、必要以上にショックを受けるものだ。
なんにせよやばいのじゃない事を祈るのみだ。
1999年8月29日(日)”なんで二人きりなのにパンチ君の話ばかりするの?!”
帰還
帰って来た。今日はすげえ疲れたな。毎度の事だが、徹夜で飛行機は結構こたえる。行きと同じく窮屈なシートだったしな。
昼に起きて日記の補完をするつもりだったのだが、起きたら20:30。今日はなにも出来なかったので、明日か
ら更新作業を開始するかね。
そういやモーニング娘は増員一人だった。残念。
1999年8月28日(土)”オレに言わせりゃパンチ君は屁理屈だらけよ。”
瞬間の夏(9/5記入)
明日の朝に出発する事にした。滞在は3W近くあったのだが、毎度のように終わる時はあっけないものだ。
早朝の出発に備え金隈の友人宅で待機させてもらう。しかし荷物が多いなあ。滞在期間に比例して荷物が多くなるの
で今度からは送る事にしよう。
晩飯を食いに行こうと言う事になったのだが、せっかくだから友人宅でお好み焼きを焼く事にした。みんなで何か作
って食うのはうまいしね。
ここのところの不摂生のため、今日は寝ないで出発するのが吉だな。寝てしまったら朝イチの便に乗るのは不可能
になってしまうだろう。
はあ、しかしいろいろあったなあ。こんなんでいいのだろうか?やはり横浜でももっと外に出て遊ばないといかん
様な気がする。
1999年8月27日(金)”6代目パンチ君”
実はここにも頑張る人が(9/5記入)
休みも残すところあと3日となったため、家族とこの夏最後の晩餐を済ました後、SV1999メンバーの友人宅
へお邪魔した。学生時代には良い意味でも悪い意味でも溜まり場となっていたのだが、就職してからは、帰省した時
くらいしか行く機会がない。
そこで彼の作ったある作品を見せてもらう。ふーん、ちょっとやっただけでこのくらい出来てしまうもんなんだなあ。まあ、彼に適正があって、頑張ったってのがでかいとは思うけどね。
でも福岡ではそっちの道には進めないのが痛いところのようである。
1999年8月26日(木)”アグネス・パンチ君”
もう戻ったほうがいいのかな?(9/5記入)
夜、キャノンのビデオ撮影をする。誰に見せる訳でもないので自分で見てパターンさえわかればいいや。
また、某氏のライトブリンガーを見せてもらう。うーん極まってる。全く凄いとしか言いようがない。
出来ればビデオに取りたかったのだが、締め切りをはさんでいろいろと忙しかったので見せてもらうだけにとどめ
た。次の機会にでもお願いする事にしようかな。
1999年8月25日(水)”本人はバラエティにも意欲的なパンチ君”
そろそろ飽きてきた(9/5記入)
ローラーゲームは100円で伸びた。これで金を借りた事はチャラだね。しかし5時間以上かかってしまった、次回はそれ以上か・・・・出来ればもうしたくないな。
高知からストEX2のうまい人たちが来てた。うーん、エクセルを必死で当ててたけど、やってないので何が凄いのかわかんなかったな。
夕方になり、突如としてカレーが食いたくなったため、TH君と一緒に文化屋へ。うーん、子安付近にも安定したカレー屋があったらいいのになあ・・・・
12:00をまわってから家のカギを持ってくるのを忘れてる事に気づく、なんかたるんでるな。
1999年8月24日(火)”日本パンチ君株式会社(バーバリー正規代理店)”
アホな規制には反対だ(9/4記入)
昼頃起きて旧EX’AS空港跡隣の天ぷら屋へ。ここは塩辛がうまい事で有名なんだが、やっぱり天ぷらがうまい!
そのまま漫遊書店へ行くものの、前回買いあさった影響で富野系は特に何もなし。唯一美里の特集がのってるGBだけが戦利品だった。
そうそう、今日のほとんどの行動はO君(弟)の500Γで行った。空港横の道が結構混んでたため、フル加速はできなかったものの、BIG2ストのトルクの太さは満喫できた。うーむ、やはりバカバイクの灯は消してはいけませんね。というわけで「スクエアフォーと俺」を開設しようと思ったんだよね。ヨロシク頼むぜぃ。
夜はモンキーへ、習慣というのはやはり恐ろしい。当然ボクシングは乗り気でないので鉄拳TAGで適当に暇つぶし。明日はローラーゲームでもしようかな。
今日はラフ読んで寝た。
1999年8月23日(月)”アイドルの「ファン」だと主張し続けるパンチ君。”
夢の跡(9/4記入)
昨日の酒のせいで頭が痛く夕方起床。締め切りも終わったのでモンキー行ってもあまり乗らないなあ。
そこでO兄弟と遊ぶべく金隈へ。O君(兄)のモデムを取ってO君(弟)のパソコンにつける等と楽しく遊んだ後で腹減ったので一蘭へラーメンを食いに行く。
今回は結構うまかったな。やはり決めてはスープの濃さだと言う事が判明。前回まずかったのは普通にしてしまった
からであろう。
帰って裏切りのエレクトラ見て寝た。
1999年8月22日(日)”なるほど・ザ・パンチ君の祭典”
悪ノリし過ぎ?(9/4記入)
またもや昼イチからボクシングに座る。そろそろ伸びてくれんと他の事ができんよ、って思ってたらレンタル40
分目にして伸びてしまう。本人のオレだけでなく、横で見てたTH君までもが拍子抜け。でもスコア伸びる時なんて
こんなもんだよね。
一応ノルマ達成のため、ゲームをやる気を失った俺は、夕方から予定通り友人と飯を食いに行く。そうなんだよなあ
、最初は単に飯を食いに行くだけのつもりだったんだよ・・・・・。
飯の途中に友人が集結すると言う事で、腹一杯になっても延々酒を飲み続ける俺。
途中、友人OK君が運命を決めるある提案をする。「このメンバーでカラオケって言った事ないよね
」そうなのだ、ほとんどのメンツが近年希にみるカラオケ嫌いなので、他の飲み会の場で仕方なく行く事はあって
も望んで行く事なんて無かったんだよね。
確かに面白くなりそうな予感はした。みんな良い感じで酒が入っているし、みんな本質はバカ騒ぎを愛する人達なの
で、きっと真夏の光線の市井のように弾けまくるに違いない。しかし、あそこまでとは一体誰が予想できよう?
みんな歌う歌う。
とにかくみんなトイレに行く時間すらもったいない程歌いまくりだった。部屋を2時間で取ったのだが、全員一致
で延長決定!当然の流れである。
しかしこの時、誰も財布の中身を気にしてなかったんだよね。俺は支払いカードOKとばかり思ってたし。
ところが、終了時間間際に店員に支払いについてたずねたらなんとカードは使えないそうだ。
ヤバイ!だったら金が足りない!どうしよう、帰省後初の末代までの恥の危機だ。深夜一時過ぎなので、みんな
の家族も起きてないしなあ。こんな時間に六本松界隈で金を借りる事が出来る人がいるところといったら・・・・・
あそこしかない!
というわけで、あそこに行ってある人達から金を借りる事が出来た、ふう、ありがとう助かったぜ。
その後は友人宅に行くものの、7時間飲み続けたツケがまわってきて記憶を失う。
しかしまじで楽しかったなあ。そして今まではカラオケがつまんなかったのではなく、単にメンツがシケてただけ
だと分かったのは大きいな。
1999年8月21日(土)”カップパンチ君”
何やってんだ?(9/2記入)
一通りボクシングで苦汁を舐めたあと大学時代の友人と飲みに行く。なんか飲んでばっかりみたいなのは気のせいです。
卒業以来会ってない人なんかもわざわざやってきてくれ、おおいに盛り上がる。
しかしみんな、それなりに不満を持ちながらも頑張ってるみたいだな。安心安心。
そして、さすがに大半は結婚を意識してるみたいだ。フラフラしてんのは俺くらいのもんだね。
1999年8月20日(金)”ビデオになって、いつでも会えるねパンチ君!”
何やってんだ?(9/2記入)
昨日に引き続き昼からベストバウトをレンタル。チャンスは一日一回必ずあるので今日こそはモノにするぞ、という意気込みもむなしく空回り。あーあ、口には出せないけど実はすでに嫌になってます。
閉店までがんばった後、恐らくたまっているであろうメールを確認するためJ.O氏宅へ。へえ、いいとこに住んでるなあ。この場所でこの家賃、しかもこの広さ・・・・・・
やはり、単に関東の住環境が世界一劣悪なだけに違いない。
1999年8月19日(木)”現場に土地鑑があることから捜査線上にパンチ君が浮上。”
そうだよ逃げで悪いか?(9/2記入)
教祖に無理言ってベストバウトを入れてもらう。キャノンは伸びそうにないからな。現在の全一の点は、今の俺には高すぎる。
今回のメインはベストバウトと前から言ってきたのでTHへの牽制もバッチリだ。
と、はりきって別のゲームに手を出したにもかかわらず、またしても暗雲立ち込める。これ結構つらいよ。
まあやることはほぼ一つなのですでに極まってるのも仕方の無い事なんだが・・・・。
しかしここで踏ん張らなければ立場が危うい。
1999年8月18日(水)”伊秩弘将プロデュース・パンチ君”
予想はしてたよ(9/2記入)
一昨日パソコンを買った友人が予想通りネットにつなげないといってきた。まあ、当然といえば当然だし、責任は「
簡単」の一言を無責任に言いまくる業界にもあるんだがな。
というわけで彼の家までいってセットアップを手伝う。なるほど、VAIOって結構親切なのね。これなら人にお勧めできるな。
しかし藤崎ってホントいいところだなあ。すみやすさは福岡トップクラスでない?
1999年8月17日(火)”キンキキッズ以下のギタリスト、パンチ君”
意気込み(9/2記入)
今日は7月いっぱいで某A社を退社したA社時代の上司(以下Sさん)と飲む日だ。これで俺がいた時の○山店の営
業社員は残り2人になってしまったみたい。これはかなりの退社確率である。
このSさんはかなりのキレ者である。ちっぽけな零細企業だったA社がいまの地位を築いたのはズバリAさん一人
の力であるといっても過言ではない。
飲みながら他愛もない話をしたのだが、さすがに言う事が違うなあ。詳しくは書かないけどとにかく凄まじいプラス
思考なのである。今後は福岡でベンチャー実業家をやるみたいだが彼ならばきっと大成功するだろう。
今日も出資者と合わなければいけないらしく、残念だったが早めに切り上げた。
その後モンキーでキャノンをやるも酒のせいで集中力にかけ、なにも進展は無し。
なんか伸びそうに無いのだが、そんな事を口にしては二度と敷居をまたがしてもらえないので、歯を食いしばって
るフリだけはしておこうかね。
1999年8月16日(月)”パンチ君イズム”
福岡中を(9/1記入)
昨日いっしょに飲んだK君が、ついにパソコンを購入する事になったため付き合いで出かける。どうやらSONYの
VAIOが欲しいらしい。もちろん初心者は形から入るのも一つの手であるから選択肢としては間違っていないな。
しかも最近の福岡には大手家電屋が乱立しはじめたため、パソコンの購入がしやすくなって来ているのも嬉しい。
彼は最初にヤマダ電気でみた型を0.03秒で気に入ったため、ターゲットをその型にしぼりいろんな店をまわっ
た。
しかし空前の人気らしく、どこも在庫切れ。唯一の大型専門店である某A社にもあるわけなく、ダメモトでキャナルシティのメガバンドールへ行った。すると・・・・・ありましたよ3台。
さっそく購入したものの、超初心者の彼が今後どうやって使いこなしていくかが楽しみだ。
1999年8月15日(日)”テニス用パンチ君”
まったりとしてきた(9/1記入)
高校時代の友人K君、J君ともつ鍋三蔵で飲む。久しぶりに会ったのだが、彼らの内面に何の変化も無かったのが大変嬉しい。これからも表面上は社会に適応してるフリをしつつ、ずっと変わらずにいて欲しい。
1999年8月14日(土)”ときにはパンチ君のない子のように”
ミサイルで応戦しろ(9/1記入)
スコアラーROBO氏と六本松で飲む。うーんみんな人生をじっくり考える年になってるようだなあ。
俺もうかうかしてられんぞ。
1999年8月13日(金)”パンチ君(2000年問題対応)”
性能がダンチ(段違い)なんだよ!(9/1記入)
昨日までの疲れを癒すべく夕方まで爆睡。
夜になると親戚が大勢来た。恒例となっているため不在という訳にはいかない。モンキーに行くのはそのあとだな。
適当に挨拶を済ませ、西鉄バスで六本松へ。しかし城南線地下鉄工事のため、この時間は30分かかるんだよな。
まあ関東の帰宅電車みたいに殺人的乗車率ではないので、到着までゆっくり座ってられるのが救いだな。
モンキーではキャノンをリハビる。うーんギャレッソでやったはずなのにうまくいかないなあ。リハビリ終わった
ら忘れないようにビデオとっとこう。
1999年8月12日(木)”超能力少年パンチ君”
虹の果てには?(8/31記入)
またしても自力起床は無理だったが、昨日よりは爽快に目覚める。やはり昨夜の人を小ばかにしたやり取りが功を
奏したに違いない、等と自分の行動に満足しながら朝食を取りに行く。
朝食を取ったのは何年ぶりかだったので何となく変な感じがした。しかしバイキングというのは、他人の嗜好、習慣
がハッキリと現れるもので非常に面白いものだ。
本日の最初の目的地はウド神宮(漢字わからん)だ。どうやらわざわざ自分の不幸を呪うための運玉投げというのと
お乳岩という超魅力的なネーミングの岩があるらしい。
昨夜地図で確認したように、青島から日南はとても近い。しかも途中にはこれまた美しい海岸が見え、観光気分を
アオりまくりだった。こういう景色みないと南に来た気がしないよね。うん最高!
到着したウド神宮は、いままで見た事ないような、海岸線に建つ神社だった。激しい潮の香りが異国情緒を放つも
のの、周囲の景色はどっから見ても100%完全天然ローカル日本だ。ここはイタリアだ等とほざこうものなら即
捨てられただろう。お土産屋の元気なおばあちゃんを見るととても懐かしい感じがした。なんだ、俺って完全に日本人なんだね。
しかし予想以上の暑さだなあ。でも関東でのノーオゾンの日光に比べると、むしろ心地よさすら感じるのは旅行マ
ジックとでもいうのだろうか?さっきから、見る人見る人がすべからくいい人に見えるのもそのせいであろう。
境内(?)はちょっとした鍾乳洞のようになっており、奥に進むとお乳岩があった。
はあ、なるほどね、このお乳岩というのは水が出てくる岩らしい。そんでその水を女性が飲むと立派な子どもを授か
るというものだ。新婚さんなんかはいってみてもいいんじゃないかな?
実際俺の両親はお参りに来たそうだ。確かに大納得である。
お参りを済ました後は、当然運を試す。え!男は左手?うーん結構謎だが決まりだから仕方ない。結果はダメダメ。
そんなに難しそうじゃないんだけどなあ・・・・運無しって事だねこりゃ。ちなみにOK君だけはちゃんと入ってた
。しかも穴に一直線である。さすがに運はいいらしい。
ラムネを飲んだりアイス食ったりいっちょ前に観光者気取りで神社を後にした。駐車場で起こった不愉快な一件に
ついては触れないでおこう。つまらない事は世界平和のためにもすぐに忘れるに限るな。
さあ、次はモアイだ。モアイといっても決してイオンリングを吐いたり赤くなったりましてや膨らんだりはしない。
イースター島にあり、我らがキバヤシが正体を暴いたあれである。
モアイ園とはいうものの、実はモアイなんかどうでもよかったりする。メインは丘から眺める日南の海なんだよ。
そこ青島のものとも、道路から眺めたものとも違う海の姿があった。雲一つない空と一本の直線で遮られた海。
俺の中でプリンセスプリンセスのあの曲が流れてたな。ああ、ホント来てよかった。
ついに来ました。サボテンハーブ園。福岡市の植物園とは比べ物になりません。全部がサボテンとハーブです。
とは言ってみたものの、気になるのはやはり目的地を宮崎にした理由の一つでもあるサボテンステーキですね。
そういったキワモノはOK君の得意分野であり、本来俺はあまり好きではない。しかしこれまた旅行マジックで
気分はサボステに一直線。矢でも鉄砲でももって来てください(若干弱気)って感じで注文した。
なあんだ結構食えるじゃん。見た目も似てるし触感もアロエみたいな感じだな。ちょっとネバリが多いけど全然いけるな。代わりにサボテンを練り込んだうどんがやばかったな。うん、何事も直球勝負が吉であると言う事さ。
ついに帰る時がやってきた。観光らしい事をあまりにもまともにやりすぎたため、時刻は17:00。まじでいまから帰るのかえ?と思ったのはどうやら俺だけらしい。そうだよなみんな仕事あるもんな。学生もいるけど。
OK君のRFのライトが気になったり色々とあったが帰りについては深くは触れないでおこう。なにせお約束であ
る降雨あり休息地がうまく伝達されてなかったりと壮絶だったもんなあ。本当にみなさんご苦労様でした。
熊本すぎくらいからみんなにわかに活気付いて来て、後半はハイペースで福岡に到着。時刻は24:30。
余韻を楽しむのは後回しにして風呂入って即寝でした。色々歩き回って日焼けした手が非常に痛かったな。
1999年8月11日(水)”パンチ君を飼い慣らす”
河を渡って木立を抜けて(8/30記入)
今日はスーパーモスキートの大本命日であるが、そんな事は関係なしに今日も世界は周り続ける。
意外と寝たはずなんだが、まだ眠い。結構疲れがたまっていたんだろう。そんな俺にかまわずみんなはせっせと
準備を始めた。冷たいなあ、くそ。
なんかあまり腹へってないけど、食っといたほうがいいとの提案で昨日のカレーの残りを食う。これがあとになっ
て効果発揮とはこの時は全く思わずにとりあえず食っといた。
どうやらごみを捨てにいってる間に今日のルートが決定されたらしい。高速ではなく下だ。確かに地図ではそんなに
離れてるようには見えんな。まあ、時間もあるしいっちょ下でいってみるかい!
阿蘇を降りるべく再び山道を通行。これがなんとも気持ちよさげだ、「よさげ」というのは、俺は車だからな。
こんな時(に限らないが)はやはりバイクがいい。一体感をより深く味わえるからな。
途中、思ったより距離があったのをちょっとだけ後悔しつつ、予定の道を間違えた事などもあったが、無事延岡に
到着。しかしこっから宮崎まで100Kあるんだよなあ。あ、あくまで「宮崎まで」だよ。
ここから宮崎までの道はバイク組にとってはかなりきつかったようだ。そりゃそうだよな、渋滞をすり抜けれな
い時のバイクってかなりつらいもんなあ、しかも炎天下だし。俺も事故りそうになったしな。
ヘロヘロになりながら宮崎市内に到着したのが17:00。あとから聞いた話だが、この時点で一人がある事に気
づく。そうなんだよ、泊まる場所はここではないんだよな。こっから15K南にいった青島なんだよ。
この時にその事実を知らされたのは悲惨としか言いようがない、あらかじめ言っておくべきだったよな、ちゅうか
聞いときなさいって感じだが。
幸い道は空いていてスムーズに進む事が出来た。みんなかなり疲れてたが、部屋にいてももったいないという
ことでせっかくだから青島まで行こうと言う事となり、老体にムチ打って徒歩より詣でにける。
実は俺、最初はしぶしぶだったんだが、青島に近づくにつれ提案者に感謝する事となる。だってこんな景色普通見れ
んよ。果てしない水平線を遮るのは小さな島のみ、島には見た事の無い植物が生い茂り、しかも夕暮れのなんとも
いえない哀愁にすっかりまいってしまった。唯一の欠点は島にある鳥居が修復中で鉄骨がかぶさってた事だな。
一面の亜熱帯植物、見事な夕日、リアルな性器を持った、たぶん神様であろう石像を後にしてホテルに向かった。
ホテルでなんてことのない食事を済ませた我々は、疲れを癒すべく風呂に入る事にした。お湯がすべて温泉であった
ため若干の不快感を憶えたものの、汗とともに一日の疲れをさっぱり落とした。
部屋に戻るとO君(兄)がまるで死んでるかのようにぐっすりと寝てた。無理もないな、彼のバイクが調子悪く、
激しい心労に襲われたみたいだし。
仕方ないので、みんなでビール飲みながら静かにビバリーヒルズ青春白書を見る。2名程マニアがいて盛り上がっ
てたが、確かにおもろい。さすがに毎週見るわけにはいかんが、ちょくちょく見ようかね。
ビバヒルの途中でO君(兄)が目覚め、風呂にいってしまったが、帰って来た時にはすでにみんなおねむだったので
元気な彼の事を気にせずに寝てしまった。中でもO君(弟)の寝つきは抜群に良かったな。
1999年8月10日(火)”ストップ・ザ・パンチ君”
茶色の瞳に映るもの(8/30記入)
10:00AMに友人宅へ向かうため出発。11:00に金隈に到着するはずだったのだが、お約束の博多時間
にて11:30頃到着。12:00に友人宅を出発して、打ち合わせとタイヤの空気圧チェック、ガソリン補給
のため南バイパスのスタンドへ。
今日の目的地は阿蘇なので、高速で一路熊本へ向かう。さすがに見慣れた景色が続いたが、距離が距離なのでさほど
退屈せずに熊本に到着。まずは本日の飯の買い出しをせねば、山といえばなんといっても自炊だからな。
ってな事を考えながらも、現段階で結構腹減ってる事に気づく。郊外だからファミレスくらいはあるだろうとタカ
を括ってたのだが見事に何も無い。そこで仕方なく入ったモスバーガーで細かい打ち合わせを行う。って、なんかみんな仕方なくって感じではないなあ。
ある程度まとまったところでモスの店員から聞いたスーパーへ向かった。しかしこの辺はホントなにもないなあ。
スーパでは食材と酒を買い込む。やはり若者の山での自炊といったら大昔からカレーと決まってるからな。
皆の衆が楽しく買い物をしてる最中に個人的な買い物をした。鼻毛切りハサミだ。高速のサービスエリアにて、
不本意ながら鼻毛が出てるとの濡れ衣を着せられたため、シャレでかってみたんだよ、あくまでシャレだよ
シャレ。
さてこっからは楽しい山道でGO!だ。この辺は何度来てもいいなあ、とにかく景色は最高だ、このやる気の無さ
がいいね。ちょっと天候が気になるが大丈夫だろう、と思ってたら降って来たじゃん。まあ山の天気は変わり易いか
ら仕方ないな。
細い細い下り坂を降りて目的地に到着した。へえ、結構いいとこじゃん。やっぱコテージで正解だったね。
建物と建物が離れてるので他のグループ(もちろんアホだ)に気を使わんでいいし。またいつか来たいなとまず
思った。
時間も時間だし、到着後すぐに飯の準備を開始。去年はあまりのサボリように俺の評判はがた落ちだったので、
今回は率先して手伝う事にした。どうなっても知らんぞ等と思いながら任された仕事は野菜切り。まあ、それだ
ったら味には関係ないから安心だとでも思ったのだろう、悔しいが正解だ。来年はきっと味付けをするぞ!
まあ何もしないのが一番いいけど。
ってなわけで出来たカレーはなかなかのものだった。これだからやめられんね。
その後は恒例の線香花火。もちろん全員強制参加だ。しかし最近の線香花火は質が悪いなあ。あたりはずれがデカ
すぎ!もうちょっとましな品質管理しろよ、まったく。
部屋に帰ってウナコーワを使って一通りアホ騒ぎした後、疲れのためすぐに就寝。約一名はすげえ早く寝たけどね。
1999年8月9日(月)”ラムちゃんと同価値のパンチ君”
戦場までは何マイル?(8/30記入)
予定の飛行機に乗るため、7:00前に出発する。幸い品川止まりの電車だったので、平日の朝にしては比較的
すいていた。と思ったら川崎で乗客の大量入荷。うーむ、単に横浜〜川崎では京急の利用者が少ないだけなのか、
覚えておこう。
羽田についたのは、フライトの直前だった。もうちょっと余裕をもたないとゆっくり土産も買えんな。慌ててゲートに向かったのだが、例のハイジャックのせいでチェックが厳しい。バッグも完全に開けちゃうのね。
そんな事だと混んだ時大変だろうに・・・・
なんとか離陸3分前に改札。ブリッジの途中でGLAY号がないかを確認するが、残念ながら停まってなかった
。
まだシーズンでないにもかかわらず飛行機はほぼ満席。おかげでただでさえ窮屈なレギュラーシートが殺人的に
狭かった。これからは金に余裕がある時は最低でもレインボーにしよう。
80分の暇をグンペイで潰し故郷に到着。このくらいの時間だったら睡眠より何かしてた方がいいもんな。
空港に向かうブリッジの窓から再びGLAY号を探すもまたしても発見できず。(後から聞いた話だと福岡には来
ないらしい。)しかし代わりにANAのピカチュウ号を目撃。描かれていたピカチュウはアニメの奴だと識別で
きた。アニメ版とゲーム版では輪郭が違うからな、しっかり区別せねば。
何となく足早に荷物を受け取りタクシー乗り場に向かう。運転手の退屈な話に適当な相づちを打ちながら外の
景色を眺める。うーん、さすがに半年では何も変化はないなあ。相変わらず某A社はカラ元気で頑張ってるようで
何とも微笑ましい。
家に到着すると、今日は休みらしい父親がいた。一服の後、弟の原チャリを借りてオートバックスへと向かう。
明日から車で旅行するための準備品を買うためである。
帰りに通った油山観光道路にてSNKのテーマパークらしきものを発見。場所的には正解なのだろうが、今回は
見なかった事にしよう。
そのままモンキーに行ってオーナーに会う。なんだか年のせいで覇気が無くなってきているな。ヤンキーや安○
さんを追い出していた頃の元気はさすがになさそうでちょっと残念。
13:00〜19:00まで睡眠を取った後、父親と天神に飲みに行く。うーむ居酒屋でもこれだけ味がちがう
のか、田舎は恐ろしい。勘定を聞いて更にびっくり。
一旦帰宅し、すぐにモンキーに出かける。今日いかなかったら日記にどのように書かれるか分かったもんじゃ
ないからな。後々のためにここら辺でやる気をみせておこう。
モンキーにて一ミリも変化していない、そしてこれからも変化しないであろうTH君と教祖に出会う。
相変わらずの姿に安心して、今日はすぐに帰宅して寝た。
あ、そうそう、とりあえずキャノンは入荷してもらいました。
1999年8月8日(日)”外国人枠からはずれたパンチ君 ”
どういう事やら・・・・
何とか昼過ぎに起き、用事を済まそうと京浜東北で横浜へGO。それにしても暑いぜ!
横浜に着くと、相変わらず暑さをもろともせず若者の群れ群れ群れ。こいつら一体何処から湧いてくるんだ?
浅黒い顔のアイシャドウブスの群れ(もちろんみんな同じ格好)をかき分けて行動するのは、天神を歩く時の10
0倍は労力を使うな。
まあそれはいいとして、立ち寄る店でかかっているBGMである事に気づいた。
R&Bな音楽なのにVoの声がメタルみたいなデス声なんだな。へー、こんな音楽もあるんだーなどとぼんやり考えながら、立ち寄った店でまたしてもデス声。今度は軽めのギターバンドなメロディーだった。
UKのメタル(北の方)でデス声が流行ってるみたいだが、実はそれはメタル界だけではなかったようだ。
グランジなんかなら下地は十分なんでデス声ありえるけど、ネオアコとかにも浸透したらこれは凄い事になるなあ
。さぞデカダンな音楽になるに違いない。
世界の音楽はほぼUKチャート発なので、1年くらいのラグでアメリカにも広がるかもしれない。そして日本にも?恐ろしい事だ。
明日から2W程帰省するため、日記のリアルタイム更新は不可能だな。一応毎日紙に記録してあとで補完しよう。
1999年8月7日(土)”ジョリィとパンチ君とで はんぶんこ。 ”
やっぱり
月曜から帰省するため用事をすましておこうと思っていたのだが、起きたら夕方だった。
そこでフラッと出かけたものの予定の行動は何一つできなかった。うーんせめてドリームシアターのビデオ
買うべきだったかな。
明日全て済ますためにも昼までには起きる必要がある。がんばろう。
1999年8月6日(金)”組合側は時短・賃上げに加えパンチ君を要求。 ”
とりあえず
明日から早めの夏休みだ。合計すると結構長い休みとなるため、全部を福岡で過ごすつもりはない。
せっかくだから関東の探索もしたほうがいいしな。
そういや家具を買おう!と以前宣言したのだが、正直に話すと実はまだ買ってないんだよなあ。
実行は休み明けだな。電車では買いにいけないしね。
それにしても台風心配だなあ。
1999年8月5日(木)”常に自分を見失いがちなパンチ君”
だるい
なんかだるいし何もなかったんでメンタル的に更新不能ということにしとくか。
1999年8月4日(水)”パンチ君が長時間続くとストレスがたまる”
奇特な楽しみ
一昨日くらいから、飛行機の手配及び帰省中の身の振り方の検討を開始した。ちょっと前からやってはいたんだが、休暇の予定が確実性を増してきたから、より現実的なスケジュールを組みはじめたってワケね。
各航空会社のページを検索しながら最適な便を探す。往復の交通手段の検討は楽しい作業のうちの一つだ。何故なら、その間の予定を含めた暫定スケジュールを決めないといけないからな。
不確定な要素を一つずつ決定していく快感はなんともいいがたい。だって自分で未来を切り開いている感があるからね。
まあなかなか予定通りにはいかないんだけど、その際にはズレてきた軌道を元に戻すか、それとも新たな計画を立てるかを判断するのが面白い。
なんにせよ計画を立てる程休めるってのはうれしい事である反面、心配しなくてはいけない事があるのも忘れてはいかんな。そこら辺のバランスが難しいところではある。
1999年8月3日(火)
あーめーのなっかーおおごっえーでーわらーうー
ふと気づいたのだが、最近の音楽観賞時の集中力はすごい。
以前はいつのまにかメロディーを口ずさんでいた、とか人が接近していたのに気づかないって程度だったんだが、
近頃は、PCでCD聴いててICQのメッセージが来たのに気づかない程の異常トランスぶり。
そんなはずないのにほんとに全く聞こえないんだよICQの音が。
おそらく脳で音を判断する中枢が全て曲に集中しているのだろう。おかげで以前より曲の理解度が格段に増したような気がする。
でも、単に「脳に余裕が無くなってきましたよーん」っていうシグナルだったら嫌だなあ。
1999年8月2日(月)
なんで今頃?
何気なくTVを見ていたらYESの「SIBERIAN KHATRU」が流れてきた。キバヤシの発言の如くあまりにも突然の事だったので、一瞬何の曲かわからなかったのだが、あんな特徴的な曲をこの俺が間違うはずない。
どうやら映画のCMだったみたいだ。「66’がなんとか」って映画のテーマに使用されているようなんだが、1999年の夏に公共の電波で流れる曲としては全くふさわしくないな。
実際「プログレッシブ」と言ってるのは日本人だけのようだし、本来の意味である「前衛的な」という意味はかけらもない。(まあ、日本人にあまりに熱狂的なファンが多いため、最近ではイギリスでも通用するらしいが)
うーむ、YESの楽曲を使う映画ってどんなんだろう。ロカビリーやサーフ、フォークならばオールディーズとして使いやすいと思うんだが、サイケやプログレやブリティッシュビートは映画の曲としたはふさわしくない。
従ってその「66’がなんとか」って映画にはとても興味がある。ぜひ見に行きたいな。
1999年8月1日(日)
かっこいい
八千代台で朝5時まで飲み、始発で帰宅。その後は、休日特有のダラケ病のため、起きたのは16:00。
友人がiMAC買うというので、付き添いで出かけた。俺ってこんなのばっかだな。
セットで色々買うって言うから、結構真剣に考えたよ。
こんなに真面目にMACを見てまわったのは初めてなんだが、うーん、何もついてない代わりにすげえかっこいいな。周辺機器なんかもいろんなとこから一見「専用か?」、と思われるようなデザインのものが出てるし。
ただ俺は絶対買わないけどね。
そういや1999七の月って何事も無く終わったんだよね。次はキバヤシのスーパーモスキートか・・・・