(第5稿)                                                                              滝沢  俊
 
         Y

 パラミアスはミネアの言葉になんと返して良いのか苦慮していた。
 香坂を助けたのは色々な理由があった。
 人間社会、香坂自身への関心,そして自分の心を迷わせるもの……
 未だにそれを掴めず,香坂を他の仲間から遠ざけようとしたのは何故なのか。
 争いを好まぬなら,真っ先に仲間に引き合わせ,同意を求めるべきではなかったのか。
 その上でミネアの行動を叱責すべきではなかったのか。
 事実,ミネアの行動は規律を重んじるミネーリアンの行動から著しく逸脱していた。メルスナの岩場はパラミアスが空間を歪ませている最も中心の地。この土地で殺戮はあってはならないのだ。知的生命体の精神が生死の境を越えるときにこの空間にどんな影響を与えるか,未だに解明されていないのだから。
 しかしパラミアスは意固地になって香坂を守ろうとした。
 エコナにも会わせず,10日以上も自分が独占していたのはどうしてなのだろう。
 パラミアスは,男としての香坂に引かれているのを無意識に否認していた。
「貴方はこの場所をも腐った人間どもにくれてやろうと言うのですか」
 エコナはいらいらしながら訊いた。
「そこまでは言ってないでしょう」
 ようやくパラミアスが口を開いた。ミネアが香坂に対する憎悪を増したことは,アイギナから耳打ちされていただけに良く知っていた。しかし今,問題なのはミネアの感情よりも香坂の処遇だった。
 ミネアに殺させる訳にはいかない。彼は……私のものだ。
 二人が論争している脇でニナ・ミ・サラが,暗くなりかけた建物に明りを灯している。ここは木造の建物だが,とても未開の国の建築様式ではありえない荘厳さを秘めていた。
 柱一本にも細かな装飾と作り込みが見られる。ここはパラミアスとアイギナとエコナで時間を掛けて作り上げた島の拠点なのだから,当然なのかも知れない。
 薄闇の空では,もうすぐ満月になろうという輝きが広がりつつあった。
「これからどうするつもりですか」
 ミネアは厳しい口調で攻めたてた。
「さて,どうしようかしら」
 パラミアスの暢気な返事にますます憤りを募らせたミネアは,ぶつけようのない怒りに歯ぎしりした。
「まあ,食事でも取りながらにしましょう。お腹がすいたわ」
「あ,あなたという人は!」
 ミネアは絶句した。パラミアスが一体何を考えているのか,計りかねていた。
「アイギナ,あの二人にも食事を」
 アイギナはちらりとミネアの様子を伺い,それからそろりとその場を離れた。
  ミネアは無言でわなわなと身体を震わせていた。何か,言いたいことはあるのだろうが,今それを持ち出しては更にもめ事を増やす結果となる,と控えるのがやっとだった。
  ミネアが感情を押し殺しているのはパラミアスも気づいていた。
「貴方も感じたのでしょう。メイの,あの妙な感覚を」
  今までお茶を濁していたパラミアスが急に話題に触れた。
 そして真顔でミネアをじっと見据えた。ここでミネアを説き伏せられるかどうかに全てがかかっているのだ。そうでなくては香坂の生命だけで事は終わりそうにない。
「あなたはそれを危険だと感じて殺そうとした。でも私はそれが何かを知りたくて助けた。あなたは臆病になり過ぎているのよ」
「わたしが臆病ですって」
「だってそうでしょう。私達は数多くの表現方法を持って理解し合える動物なのよ。理性は独占を満たすために画策する道具じゃないわ。本能に妥協と調和をもたらすためにあるものよ」
「随分立派なことを言うのね。口先だけでは何とでも言えるわ。自身の範囲で納まるならね。それがミネーリアン全体の生存に関わることに広がって行くとなると,認める訳には行かないのよ」
  ミネアは大きく息を吸った。
「あなたの仕事は軍師でしょう。戦略家でしょう。何故真っ先に戦いを放棄しようとするの」
「だから殺していい,という理由にはならないわ。戦うのは最終手段であって、共に理解しあえる状態に持って行くことこそが大事なのよ。それに,戦いとは単に殺し合うだけじゃないわ」
 ミネアはパラミアスが甘すぎると感じていた。
 それではますます人間をつけあがらせるだけだ。
「あなたのやり方は清純すぎるわ。だからミネーリアンを滅ぼすのよ」
「私が滅ぼしたと言うの」
 一瞬パラミアスの目付きが険しくなった。
「あなたは常にそうやって理想を追い続けていればいいわ。窮地に追い込まれても自力で脱出する能力があるものね。でもそれを信じたミネーリアンはとうなったかご存じかしら。邪悪な人間どもに消されたのよ,神将であるあなたに従って。わたしは嫌だ。争いからは何も生まれない,なんて勝手に偽善やってればいいのよ。私達を巻き込まないで。争いがなければ何も生まれやしない。生存すること自体が争いだと言うのにあなたはそれを否定する。これが偽善で無くってなんだというの」
 責め立てるミネアの言葉にパラミアスはうんざりしていた。それほど私が嫌いなら,なぜ私の許でいつまでも暮らすのか。
 ミネアの気性は判っていたし,ここへおいでと導いたのもパラミアスだった。
 あの時はミネアも困り果てていて,パラミアスもミネアが自分に抱く憎しみを少しでも和らげたいと思っていた。しかし,あれから百年以上立つが何も変わってはいない。これが長生きすることの弊害なのだろうか。私たちは何千年立っても複雑な心の動きに惑わされ続けるのだろうか…
 今一度パラミアスは自分の心を抑えようとした。
「だからと言って争い全てが正当化されるべきではないでしょう。あなたは排他的な持論を語っているけれど,人間の側から排他的な動きがあれば我々は滅びるだけよ。今や世界中に人間は生活しているわ。この小さな島を人間の目から隠すのもどんなに神経をすり減らしていることか。あなたのいう争いが命に関わるなら,人間は必ず我々を個別に殲滅するでしょう。そうならないのは我々の存在がほとんど知られていないことと,たくさんの人種が平等に暮らそうとする意識があるからだわ。争いは競争であって殺し合いでは断じてない。それが判らないあなたの方こそ争いを正当化する偽善者よ」
  偽善者と返されたミネアの瞳が微かに光った。できるだけ平静を保とうとしているが,感情の高揚は隠しきれなかった。
  これ以上の議論は無用だった。最高に感情が高まったミネアは,何をしでかすか解ったものではない。たとえ相手がパラミアスでも関係なくなるのだ。もっともパラミアスにけがを負わせることは殺意を持った者には決して行えないが,パラミアスの保護のある香坂には,真っ先に危害が及ぶことだろう。
 だからといってパラミアスも香坂の件となると,一歩も退こうとしない姿勢の自分が,またどうしても抑えられないのも事実だった。
  ミネアは高まる感情に歯止めが効かなくなっていた。
  そしてつい,ぼそりとこぼしてしまったのだ。
「あなたは『愛』を求めているだけよ」
 無意識に口走った事にはっと後悔したが、もう後へは退けなかった。
  まだミネアは,過去の悲痛な思いをさせられた出来事の責任をパラミアスに押し付けていたのだ。兄と慕ったあの男を失った哀しみは,ミネアの過去を象徴するほど大きなことなのだ。
  あの男を見た時に,忘れかけていたそれを思い出したのだ。
「あなたは無意識にあの男に自分を託そうとしているだけだわ。気高いあなたが自分を捧げる相手を見つけて浮かれているだけの事なのよ。また同じ事を繰り返すつもりなの。あなたの恋や愛というものに振り回されて死んだ者がどれだけいるか,あなたは理解しているのかしら。あなたの子どもたちだって,あなたのそうした煮え切らない感情に振り回されて死んだわ」
  子どもの話はパラミアスにとって禁句だった。最も触れられたくないつらい思い出…女王ミアキスに取り上げられ,毒殺され,政治の駆け引きに使われたかわいそうな子たち…ミネアも知らないわけではない。だが自分の煮えきらない苛立ちがパラミアスを挑発してしまうのだ。
「私の子どもは関係ないでしょう」
  パラミアスも荒れ狂うミネアの感情に撹乱されてしまった。感情に支配を許すことは理知的な判断を狂わせる。解っている。解っているがこれだけは許せない。パラミアスの瞳にめらめらと炎があがるのをそばにいたニナは敏感に感じ取り,あまりの苛烈さにそろそろとその場を立ち去ってしまった。
「あなたはまた昔のように『愛とは』という、下劣な人間と同じ命題を立てて男にその答えを見いだそうとした。愛,すなわち存在理由に明確な答えなどあるものですか。人間はそれを求めようとした。でもそれは自分のためだけにあると錯覚した人間は,そのためにとてつもなく愚劣になって幾度も悲劇を迎える結果となったと言うのに」
 ミネアは暗に数千年前の失態を非難していた。
 パラミアスはその時、香坂に何を見ていたのか悟ったのだった。
「ディキスの事を今更蒸し返すなんてひどいわ。それ以上何か言おうものなら容赦しないわよ」
「ディキスが死んだのはあなたのせいよ」
「言わないで!」
「あなたが私の兄を殺したのよ!」
 興奮の余り、ミネアはパラミアスに掴みかかった。もはや協調しようという当初の目的など消し飛んでいた。大事な身内を失った事に対する怒りが,自分の立場を見失わせていた。
 そこに慌てて駆け込んで来たアイギナが割って入った。
「大変です。逃げました。エコナまでもが。パーミス様,ミネア様。争っている場合ではありません」

「やっぱり無理よ、逃げられないわ」
 エコナは複雑な表情で香坂を見た。
 夜明けが近づいていた。
  気が付いたときにはメルスナの岩場に逃げ込んでいた。ここではミネーリアンの冴えた感覚は弱められる。しばらくは発見される心配はないだろう。
「一緒に逃げようって持ちかけたのはエコナじゃないか」
 香坂は不満を訴えた。
「でも、やっぱり無理だわ」
「なんでだよ」
「どうしてもよ」
「それなら何で逃げたんだ」
「……怖かったからよ」
「そりゃ俺も怖いさ。でもパラミアスの側なら安全だろう」
「違うわ。違うの」
 エコナは香坂の目をじっと見た。そこには訴えるような表情があった。
「最初は,本当はメイと一緒にこの島から逃げ出すつもりだったのよ。私はあなたが大好き。でも何処へ行くの。どこへ行けるというの。あたしは人間じゃないわ。人間の社会でどうやって暮らせば良いの。メイの言うような,快く受け入れてくれる人ってどのくらいいるっていうのよ。今までだって,ことある事に迫害されてきたのに何を信じれば良いの」
 そう言い終わるとエコナは悲しそうにうつむいた。
「あたしにはメイがいる……それでも自信が無いの」
 香坂は渋るエコナに,日本でよく見かけた女性特有の自分勝手さを見た。
 いつもそうやって男を振り回して満足している,あの薄汚いやつらどもと同じだ。最初は男なんて,といいながら次は男が自分の言うことを聞かないのがおかしいとごねる。解っていてちょっと甘い声を掛けると今度はそれが気に入らないとすねる。
 全く,女ってやつは…
 だが,それもかわいいものだった。そうやって自分の手の中で踊りを続ける馬鹿な女どもの気持ちも,何となくだが解らないでもない。
 このエコナもそうなのか。
 そう思うと呆れてものを言う元気すら無くしてしまった。
 しかし,香坂にも人にいえない後ろめたさがあった。自分がエコナの意志を無視してまで連れて帰りたいという考えは棚に上げていたのだから。
 今,生命が狙われていることは確かなのだ。香坂はなんとしてでもこの島から逃げ出す決意をしていた。
 医者としての観点から見た長寿への関心などは,もうどうでも良かった。なにごとも生命あっての物種だ。
 その生きるとは,そして死ぬことには,一体何があるのだろう。
 エコナは死に関しては恐怖しない。むしろ精神的な苦痛を嫌う。香坂は死を恐怖する。
 何故恐れるのだろう。生とは何なのか。
 答えの導けない命題など,堂々巡りを繰り返すだけで思考を停止させるものだった。
 ではこの場をどうするか。これからどうすれば良いのか。
 答えは何も見つからない。
 ただ一つ言えることは,ここで哲学して物思いに耽けっている場合ではないと言うことだ。
  ここにパラミアスがいればじっくりと話がしたい。ミネアの恐怖から解放されて。
 やはりこの島に来てはいけなかったのか。
「じゃあ、モーターボートを係留しているところまで案内してくれないか」
 香坂はエコナを諭すように語りかけた。
「……わかったわ」
 それだけ言うと,悲しそうな顔をして腰を上げた。だがそんな行動が,身勝手な香坂には腹立たしくて仕方なかった。
  おまえに悲しむ資格などあるものか。
 生きて帰ることができるなら俺はおまえを手に入れてやる。俺のものになるんだ。
 香坂は心の中でそう呟いた。
  いざとなればボートに積んである縄で縛りつけてでも連れ帰ってやる,とまで強引な方法も考えていた。
  そこまでしても何の解決にもなりはしない。ただ自分の独占欲を納得させたいだけだ,と香坂が気付いても今の状態では判断できないだろう。
 人は追い込まれたときにその本性を露呈させる。
 香坂とて唯我独尊の塊だった。
「こっちよ」 
  白みかけた森をエコナが先行していた。
「ちょっと、待って」
  不意に立ち止まった。香坂は何も考えずにエコナに歩み寄った。
「危ないっ!」
  エコナはそんな香坂を思いきり突き飛ばした。
  香坂は強烈なタックルを受けて、樹木にしたたか背中をぶつけた。
 風を斬る音がエコナの周りをシャワーの様に降り注いだのは数瞬の後だった。
「エコナっ」
  香坂は激痛に顔を歪ませながらうなった。
  十数本の矢は偶然にもエコナの肌をかすめただけで大地に突き立った。
 何処か近くから空に向けて放たれた矢だ。
 いる! 何処だ。
 香坂は身をかがめて気配を探った。威嚇だけじゃないはずだ。
 なぜここが解る。
 確かに話し声は出していた。しかし,ミネーリアンはそんなにも足が速いのか。
 俺たちは全速で逃げて,ちょっと一息入れただけじゃないか。
 それなのにこの場所をこんなにも早く,正確に突き止められるものなのか。
 香坂は改めてミネーリアンの底力を思い知った。
 人はジャングルで彼女等には誰もかなわない。
 一方,エコナは気を失ってその場に倒れていた。
 だが,今は助けにいけない。
 何処だ。畜生っ!。
 背中に担いであった練習用の剣を手にして,四方に神経を張り巡らせた。
 香坂はそのまま,その場で釘づけにされたまま日の出を迎えることになった。