ボランティアってなに?

最近はボランティアってことばがよく使われますね。
「ちょボラ」なんてことばも流行りました。
※公共広告機構の宣伝に使われたことばです。
全国的にも国際的にも日本人がボランティアに参加しています。
阪神大震災を境に,人々の意識が変化したのもありますが,もっと別のものも感じます。
海外で活躍している人には,本当に頭が下がります。
自分の知識と技術と体力をかけ,場合によっては命をかけて取り組んでいるのですから。

でも,ボランティアって,本当はどういう人の心を表しているのでしょうか?
私は中学校の教員ですが,学校でも「ボランティア」を口にする教員が増えました。
総合的な学習に取り入れた実践も,全国で数多く報告されています。
自分自身も総合的な学習に取り入れてやってきました。

でも,その実態は福祉施設を訪問して介護体験をしたり,ゴミ拾いをしたり・・・
いったい年間に何回実施しているのでしょうか?。
たったそれだけがボランティアなのでしょうか?
いったいどれだけの生徒が真剣に取り組んでいるのでしょうか?
中には真剣に取り組まない生徒に
「やる気がない。どうすればいいのか」と指導方法を苦心している方もいるようです。
大切なことを忘れていませんか?

「自分のできることをできる範囲で」「人としての温かな対応」
・・・つまり<奉仕>。これがボランティアの根幹でしょうか。
人と関わるのが苦手な生徒に「これも学習だ」といって,介護体験をさせるのは本末転倒です。
そういう生徒には一人でじっくり取り組めて,「ありがとう」と人に言われる実践法を教えるべきです。
人は誉められるとうれしいものです。
これは{ 自己存在感の確認 }ということにつながっていきます。

学校の教員は「学習・体験」の名の下に無理強いするのが大好きです。
「みんながやるから」「これも勉強だから」「食わず嫌いにならないで」などと平気で言います。
全体学習や行事で団体行動するにはいいでしょう。教科毎の授業でもそれを否定しません。
しかし,ボランティアに関してはそれを当てはめてはいけません。

ボランティアは課外授業ではありません。本質は人間愛です。
マナーやモラルの育成と成長があって,公共道徳心を自律させ,はじめて成し得るものなのです。
形から始めるか,気持ちから始めるか,を議論する人もいますが,
そんな人には,「ボランティア」活動が自主的にできるとは思えません。
自分自身に<奉仕>の精神が育っていないからです。
まず,やる気が引き出せるような工夫をしましょう。
そして,やること(実践内容)を絶対に一つに絞らないようにしましょう。
でないと,ボランティアでなくなってしまいます。
生徒がしたいことを選べない。そんな総合的な学習は「ボランティア」と名乗ってはいけません。
結局先生主導の詰め込み教育以外のなにものでもありません。
その学校が確保できるだけの選択肢を準備してあげましょう。
そのための地域密着,地域一体の連携プレーです。

そして1回で終わってはいけません。しかし,1回で終わる内容があってもかまいません。
それは具体的な内容であって,心が終わるわけではないからです。
生徒の希望や要望を聞きましょう。
ひょっとすると生徒から出たアイデアが次の学年に向けた目標になるかもしれません。
教師側にボランティアの精神がないのに,ボランティアの授業をしてはいけないと言うのは
この部分にも当てはまります。

忘れないでください。
ボランティアは<奉仕>であり,自己存在感の確認であり,人間愛であるということを。