うっかりとうちゃんの子育て日記
平成12年10月2日
ついに陣痛が!!
幸いなことに満月に陣痛がくることはなく、出産予定日の9/30日を過ぎても陣痛は始まらなかった。
9/23ぐらいで軽い陣痛がきたようだが治まってしまった。とりあえずしばらく大丈夫だろうと何の根拠もなくそう思っていた。
10月2日、夜7時ころに電話すると「外出するときもちゃんと携帯持っていってね。」という。「どうして???」と聞き返したら冷たい声が帰ってきた。
「さっきから痛みがきて、だんだん間隔が短くなっているからそろそろ病院に電話するつもりだけど。」
やったー。陣痛。仕事も休める。出産の様子も興味がある。よーし手伝いがんばるぞーっと。
喜び勇んで実家に駆けつけた父ちゃんであった。
ほどなく病院に電話。陣痛室という控え部屋に通される。そこで妻は、陣痛監視装置をお腹につけられ、痛みを我慢しだした。
父ちゃんは腰をさすったり、押したり、汗を拭いたり、水を飲ませたりと働いた。痛みに強いはずの嫁さんも結構苦しんでいる。
「うーん。自分だったら耐えれんだろうな。」
腰をさすりながらそう思った。・・・・仕事の疲れ、そろそろ眠たい。瞼が閉じてきた。陣痛が治まった時を見計らってベットに倒れ込む
しかし、妻が寝させてくれない。時計は午前2時を回っている。「父ちゃんはねむいぞー。」そう言いながら妻のためにがんばるのであった。
次回に続く 乞うご期待。
平成12年10月3日
ついに陣痛が パート2!!
朝までに妻はベットに横になるのは耐えられんと木馬?みたいなやつにまたがったり、ベッドの上で座ったり横になったりして痛みを我慢していた。
その間父ちゃんは意識の続く限りサポート。しかし、睡魔くんが襲ってくる。座ったまま「ぐうぐうぐう」 妻の叱責がとぶ「ちょっと、ねとらんとさすって!!」
「しんじられん」「よくねれるね」などと言われつつ・・・本当ははっきり覚えていない。完全にのーみそは寝ていました。・・・父ちゃんは朝までがんばりました。
朝になると9時ぐらいに妻のお父さんとお母さんが来院。ようやく交代し、三階の大部屋で仮眠をとりました。
昼を過ぎ、三時になってようやく陣痛の間隔が短くなり、いよいよ出産か?!と期待が高まります。
でも、なかなか分娩室に入れない。結局4時半に分娩室に移動、分娩台の上でいきみ出しました。
大変だね。母ちゃんは。会陰切開といって股のところを切ってしまいました。いたそー。
でも、子供が産まれてくる瞬間は何とも感動しました。新しい命が誕生してきたのです。すごい。
嫁さんも子供もよく頑張ったね。こんにちは、とうちゃんだよ。
うれしくて、知り合いのところに電話をかけたりしました。
ばんざーい。うれしいな。
平成12年10月5日
ふんべんしつ?ぶんべんしつ?
和也と命名。電子メールで知り合いにメールを出す際。分娩室を「ふんべんしつ」で変換するとどうなるか知っていますか?
実は糞便室となります。大失敗でした。
うわーっ臭そう。
ではでは
平成12年10月7日
豪華な祝い膳!
入院した「とまつレディスクリニック」はかなりいいところでした。祝い膳の日が一日あって、その日は父ちゃんと二人分豪華な夕食が出ます。
ワイン、前菜、サラダ、ステーキ、デザート、量も味も十分なディナーが出ました。
父ちゃん満足。
平成12年10月8日
退院
いろいろ都合もあって、朝早々に退院しました。とりあえず妻は実家へ。その後、早期教育の「家庭保育園」の説明をしてくれる方を迎えに行きました。
赤ちゃんの頃の脳はほんとに何でも受け入れる状態なので適切な刺激を与えることでかなりのびるようです。
ただ、お金もかかりますが・・・・。うちは、早期教育をとってみるつもりです。
平成12年10月11日
しまった!おぼれさせた!和也ごめん
和也を風呂に入れることになった父ちゃん。それまで仮眠していたところを妻に起こされる。
寝ぼけまなこでおふろへ・・・。
和也の耳を押さえつつ、体をタライのなかへ入れ洗い出した。とりあえず顔、腹や手足がおわったので、右腕に和也をかけて背中を洗い出す。
うん?!なんか変!和也が沈んでないか?
まずい!顔を上げるとお湯でぬれている。がーん。顔が湯につかっていたのだ!危うく窒息死させるところだった。
本当にうっかり父ちゃんである。ごめん。
ではでは