横浜マリノス新着情報(1995年7月)

1995 7/30 - 木村和司引退試合が三ツ沢で行われ、フィールドに最後の雄姿
夏休みということもあり、通常のJリーグよりもサポーターの出足も早く、数多くの徹夜組も出て、和司の人気の高さを裏付ける結果となった。入場時間も早められ、多くのサポーターで三ツ沢ははやくから埋められていた。試合には、松木。与那城などの懐かしいメンバーとともに、鳥栖へ移籍した松永も出場し、多いに盛り上がった。J復帰第1戦のカズや、前日のオールスターに出場したラモス・井原なども出場していた。試合はカズの得点で0−1で負け、和司のゴールは見られなかったが、シュートの場面やCK、FKでの独特のフォームからのボールの軌跡はサポーターの目に焼き付いた。試合終了後、フィールドを一周、サポーターの木村和司コールはいつまでも終わらなかった。
1995 7/29 - オールスター。マリノスの入っているJアルタイルは0−4の惨敗
前半は井原のみ出場していた。惜しいシーンもあったが両チームDFの踏ん張りもあったが、決定力に欠け0−0で終わった。後半からGK川口の登場。しかし、DF陣の乱れからフリーで決定的なシュートを打たれ、4失点。盛り上がりもなく、凡ミスも多く、Jリーグになってから最低のオールスターゲームといわざるを得ない。なお、MVPは2得点の城(市原)、敢闘賞とMIPはブッフバルト(浦和)が選ばれた。
1995 7/25 - 優勝パレードは8月10日に
日程の調整が難航していたサントリーシリーズ優勝のパレードが8月10日の木曜日に行われることになった。詳細は不明
1995 7/23 - 新日本代表選手と新五輪代表が発表されマリノスからも選ばれる
マリノスからは、DFの井原と小村が選出された。同時に発表された五輪代表にはFW安永、DF松田、GK川口の3人が選出されている。
1995 7/23 - 7/30に行われる木村和司引退試合に松永(鳥栖)が出場
Jリーグ初の引退試合に現在鳥栖フューチャーズに所属しているGK松永成立が出場することに決まった。
1995 7/22 - 第26節鹿島アントラーズ戦。1−0で勝利し優勝!!
毎回優勝候補と言われながら、一度も栄冠を手にすることのなかった横浜マリノスは最終戦に鹿島アントラーズをホームに迎えて戦うことになった。2位のヴェルディ川崎との勝ち点差が3あるため、この試合、勝利するかPKまで持ち込めばマリノスの自力優勝が決まる大切な試合となった。全節優勝を意識して固くなったマリノスの選手たちも気合い十分。ホームゲームということもあり三ツ沢全体が一つとなり優勝に向けて盛り上がっていった。開始12分。メディナベージョの業ありシュートがゴール隅に吸い込まれて行くと、大歓声が三つ沢をつつみこんだ。これで楽になったマリノスの選手たちも集中力のあるプレイで鹿島の攻撃をつみとっていく。何度かあった危ないシーンもGK川口のファインセーブで防ぐ。試合終了の笛が鳴り響いた瞬間横浜マリノスの優勝が決まった。2位のヴェルディも勝利し、史上初の12連勝を遂げたが、1歩及ばず2位で終わった。
1995 7/21 - 苦悩のチェアマン。しかし、チェアマン杯は三ツ沢へ!!
優勝チームに渡すチェアマン杯をマリノスの戦う三ツ沢か、ヴェルディ川崎の戦う平塚に運ぶか迷う川淵チェアマンだったが、最終的には三ツ沢へ持ってくることに決めた模様。
1995 7/20 - DF小泉選手。Jリーグ初のレンタルトレードで横浜Fへ移籍
ジャンガーの愛称で親しまれていた小泉選手が、横浜フリューゲルスに移籍することが発表された。横浜フリューゲルスのGK中河とのレンタルトレードにより、同じ横浜をホームタウンとするチーム同士という選手にとって恵まれた結果となった。小泉選手は、今期は出場機会がほとんどなかった。
1995 7/19 - 第25節清水エスパルス戦。一歩及ばず、優勝決定は最終節に
開始3分に得点されたマリノスは優勝のプレッシャーからかFKを直接決められ0−2と厳しいスコアで前半を終えた。後半からは次第にマリノスのペースになってきたが、決定的なチャンスもものに出来ず時間だけが過ぎていった。しかし、後半39分CKを小村がヘッドで合わせ1−2と追いすがると、怒涛の攻めを繰り広げ再三エスパルスゴールに詰め寄った。しかし、エスパルスの固い守りを崩すことが出来ない。ロスタイムに得たCKを上がってきたGK川口がヘディングシュート。これが惜しくもバーに当たり万事窮す。そのまま試合終了。優勝の可能性のあった市原、浦和、平塚がすべて敗戦したため、2位に上がってきたヴェルディのみがマリノスと優勝を争うこととなった。
1995 7/18 - 水沼選手、引退へ
元日本代表で、木村和司選手とともに日産(マリノスの前身)の黄金期を作った水沼選手が、契約の切れるこのサントリーシリーズ限りで引退することを発表した。怪我のためこのサントリーシリーズは開幕戦1試合に出場したのみであった。引退試合については水沼選手が固辞しているために行われるかは不明である。
1995 7/16 - ソラリ元監督、再来日?
病気、入院により、今期途中で退団したソラリ元監督が、最終節アントラーズ戦を来日して観戦したいという希望を以っていることが明らかになった。体調もだいぶ良くなってきたので、自費でも来るということであるが、さまざまな問題も控えており、結論はまだ出ていない。
1995 7/15 - 第24節サンフレッチェ広島戦。完勝でマジックを1に
怪我の山田。腹痛で鈴木健仁を欠くマリノスは、安永と手術から復帰の伊藤(哲)をスタメンに出し大切な一戦を戦うことになった。悲願の初優勝を狙うマリノスは前半22分に安永がドリブルからセンタリング。しかし、それがサンフレチェ佐藤の手に当たりPKを得た。それをビスコンティが確実に決め、先取点を上げた。後半に入り、さらに集中力の増したマリノスはメディナベージョ、ビスコンティと得点を上げ3−0と完勝した。これにより、マジックが1となり、次節のエスパルス戦での優勝の可能性が出てきた。
1995 7/12 - 第23節柏レイソル戦。PK戦を制し貴重な勝ち点3
試合開始直後50秒にレイソルの棚田に決められ、早々と失点したマリノス。しかし、前半21分にメディナベージョ。後半35分には野田が決め、2−1と逆転に成功した。しかし、勝利まであと1分というところで、鈴木正治がカレカに対し、痛恨のファール。加藤(望)にきっちりPKを決められ同点に追い付かれた。延長に入って押され続けるマリノスはかろうじてしのぎPK戦に突入。5人目まで両チームとも全員決め、6人目、レイソルの菅野が外したのに対し、メディナベージョがきっちり決め、勝利した。2位のジェフ。3位のベルマーレが負けたため、2位との勝ち点の差は4となり、残り3試合でマジック2となった。
1995 7/ 8 - 第22節セレッソ大阪戦。薄氷の勝利。以前勝ち点1差の首位
一週間の休みの後、4連敗はできないマリノスは、前回大敗したセレッソと対戦した。前節の退場で出場できない川口に変わり、伊藤が初先発した。ぴりっとしないFWに対して、この伊藤をもりたてようとDFは大活躍、決定的なチャンスをなかなか作らせない。伊藤も何度かファインセーブを見せ、存在をアピールしていた。そんな中、後半開始早々、ゴール前からのFKをビスコンティが直接決め、これが結果的に決勝点になった。後半途中出場の安永も切れのいい動きで突破をはかり、よいムード作りに貢献していた。
1995 7/ 1 - 第21節ベルマーレ平塚戦。いいところなく3連敗。しかし首位に残る
前半から攻守の切り替わりの早い試合となり、両チームともCKを数多く蹴るが得点に結びつかない。首位固めをしたいマリノスと首位戦線に残りたいベルマーレの意地がぶつかったこの試合。先取点は、後半になってマリノスのオウンゴールにより、ベルマーレがあげることとなった。この得点で切れてしまったマリノスの選手の合間を縫って追加点をあげたベルマーレは、川口のレッドカード退場でとったPKもきっちり決めて3得点。マリノスを突き放した。しかし、2位のジェフも負けたため、首位は変わらず。


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