横浜マリノス新着情報(1995年6月)

1995 6/28 - 第20節浦和レッズ戦。延長の末破れる。対レッズ2連敗。
メディナベージョのヘディングで先制したが、追いつかれた。延長に入ってからも一進一退の攻防を続けるが、カウンターからゴールを割られ痛い敗戦をきした。首位はキープしているものの、好調のジェフユナイテッド市原と勝ち点2の差まで追い上げられ、優勝の行方は混沌としてきた。
1995 6/24 - 第19節名古屋グランパスエイト戦。0−2から追いつくも敗戦
開始早々、フリーな画面でメディナベージョがシュートを外したところから、マリノスの歯車が狂いはじめた。相次いで失点し、一時は0−2と引き離された。しかし、悲願の初優勝を目指すマリノスは鈴木健、山田と得点し同点に追いついた。しかし、最近3連勝と波にのるグランパスは米倉がゴールを決め逃げ切り、マリノスは痛い星を落とした。しかし、2位の鹿島、3位の平塚も負けたため、勝ち点の差は変わらず、マジックは1減って6となった。
1995 6/21 - 第18節ジュビロ磐田戦。逆転勝ちで首位をキープ。
雨の上がった三ツ沢競技場で行われたジュビロ磐田戦。両チームとも攻めるが決定的なチャンスをことごとく決められない。しかし、前半の37分。川口がはじいたシュートをゴール前に詰めていた藤田に押し込まれ先取点を奪われた。しかし、絶対に負けられないマリノスは後半7分にサパタからのセンタリングをメディナベージョが逆サイドにヘッドで振り、ビスコンティがダイレクトボレーを決め、アルゼンチントリオの活躍で同点に追いついた。その5分後にビスコンティのFKに小村がバックヘッドで逆転し、後半33分には神野からのパスをビスコンティが持ち込み3−1とジュビロを突き放した。しかし、後半36分にサパタがイエロー2枚で退場になると、ジュビロもいい形が作れるようになり、1点返すがそこで時間切れ。横浜マリノスが3−2で勝った。サパタはグランパス戦が出場停止になる。
1995 6/20 - 来年からチームの正式名称も「横浜マリノス」に!
チーム名から企業名をはずすというJの理念の元、現在の「日産FC横浜マリノス」という名称を「横浜マリノス」に変更するという申請をしていたが、このほど正式に承認された。来年2月1日より変更される。
1995 6/17 - J再開。ガンバ大阪に勝ち、首位。安永Jデビュー
早野新体制で迎えた第17節ガンバ大阪戦は、前回0−4で負けていることもあり、絶対に負けられない試合であった。前半からガンバゴールに詰め寄るマリノスはガンバGK本並のファインセーブに阻まれ得点することができない。逆に後半4分。井原のハンドでガンバにPKが与えられ、この試合最大の危機が訪れた。しかし、ガンバ山口のPKを川口が落ちついてセーブして、この危機を乗り切った。これで試合の流れを掴んだマリノスは、その2分後に相手DFのクリアが神野の体に当たるラッキーな得点をあげ、その後も一瞬の隙をついてメディナベージョが2得点目をあげてガンバ大阪を突き放した。続いて早野監督は安永を投入。カウンターからガンバに1点返されてしまうが、安永投入で自由に動けるようになったメディナベージョが追加点をあげ3−1とJ再開後、白星でスタートを切った。安永はJデビュー戦を白星で飾るとともに、得点こそできなかったものの攻撃に守備にと動き回り勝利に貢献した。
1995 6/16 - ソラリ正式退団。早野監督代理が正式に監督に!
1995 6/ 3 - ベルマーレ平塚とのPSMで、1−5の惨敗
早野新体制で行われたPSMは、全くいいところがなく1−5の惨敗であった。川口・井原・小村と日本代表で不在の中ではあるが、攻守にわたってベルマーレ平塚に力負けをし、Jリーグファーストステージ首位のチームの戦いとはとうてい思えないできであった。J再開まであと2週間。どこまで立て直せるかがJ初優勝への鍵になる。


nalika