横浜マリノス新着情報(1995年5月)

1995 5/30 - ソラリ監督退団。早野宏史コーチが監督代理に!
アルゼンチンで胃潰瘍のため入院加療中のソラリ監督が退団した。併せてソラリJr.コーチ。フェルナンデスコーチも退団。サントリーシリーズの残り10試合は早野宏史コーチが監督代理としてマリノスの指揮をとることとなった。
1995 5/27 - GK松永成立、鳥栖フューチャーズに移籍が決定
ソラリ監督との確執により自主練習を行っていた松永は、日本代表に選出されないことを条件にオファーがあった鳥栖フューチャーズへの移籍が決定した。
1995 5/27 - マリノス選手、キャンプ地オーストラリアから帰国。
ソラリ監督の入院により、キャンプ中のマリノスの選手は日程の半ばにしてキャンプから帰国した。
1995 5/26 - ソラリ監督胃潰瘍で入院。マリノスを退団か?
母親のお見舞をするためアルゼンチンに帰国中のソラリ監督が体調を崩し、病院に入院する事となった。検査の結果胃潰瘍との診断で、全治まで6週間以上かかるため、サントリーシリーズの再開には間に合わないこととなった。ソラリ監督は退団を希望している。
1995 5/23 - GK松永の鳥栖フューチャーズ入りがほぼ決定。
ソラリ監督との問題で移籍か残留かもめていた松永成立選手は、日本代表に選ばれない事を条件にオファーしていた鳥栖フューチャーズ入りが濃厚となった。マリノスのフロントは移籍を勧めているため、松永選手の気持ちが決まり次第移籍が行なわれる予定。なお、移籍後は6月1日から出場が可能となる。
1995 5/13 - 第16節ジェフユナイテッド市原戦に敗け、連敗。しかし得失点差で首位
秋田で行なわれたジェフ戦。マリノスは終止ゲームを支配。ジェフGKの下川の退場などもあったが、得点はメディナベージョの1点のみ。決定力に欠き攻め切れず、1−2と敗戦。初の連敗をきした。しかし、2位のアントラーズも敗けたためかろうじて首位をキープした。Jリーグはこのゲームを最後に約1ヵ月の休みには入る。
1995 5/10 - 第15節横浜フリューゲルス戦。PK敗けだが、首位に返り咲き
出場停止の井原。怪我のメディナベージョを欠く横浜マリノスは苦しい試合を強いられた。前日に監督の退陣劇のあった横浜フリューゲルスはシルバ監督代理の元、早いチェックからなかなかマリノスに決定的チャンスを作らせない。PK戦に突入後は、GKの経験の差からマリノスには勝利の目はなかった。しかし、マリノスは勝ち点1を得、サンフレッチェ広島に敗けた鹿島アントラーズを勝ち点で1上回り、単独首位に立った。
1995 5/ 7 - 三浦文丈。嬉しい結婚。
横浜マリノスの副キャプテンでもある三浦文丈が結婚式をあげた。木村和司夫妻も参加するなどアットホームな雰囲気で、新しい人生の出発と優勝を誓った。


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