教経の入水を目の当たりにして、一門の最期を見届けた知盛も、海中に飛び
込んだ。これを見た伴侍たちも、海に没していった。
死者ばかりを乗せた無数の船と、平家の赤旗は波に漂い、潮にひかれ、風に
追われ、ちりぢりに流れてゆく落日の下、それは誠に哀れな光景であった。
ここに平家は、滅亡した。−−−かに見えたが、死者ばかりと思われた船に
平家の復興を願った人影が残っていた。波と風で日本海に出た数隻の船に、
二十余名の平家の者達が生きていたのである。その中のおなごが直系の子を
宿していたのであった。一行は潮の流れに乗って、日本海を北上やっと陸に
流れ着き、闇に身を隠しながら、山を越え谷をわたり、途中生まれた直系の
子供に、平家復興の望みを託し、湯の滾々とわき出るところまで逃げてきた
のでした。この温泉が、湯西川温泉でありました。 つづく