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【第三幕】奥州の十五夜 ―― 梶原景時二十七歳 ◇◆◇◆◇ 奥州遠征の陣の内。東の空はようやく僅かに青いか、というばかりの初冬の早朝(つとめて)である。 軍奉行・梶原景時は、結局まんじりともせずに過ごしてしまったこの一晩を既に眠るは諦めて、のっそりと天幕の外へ顔を出した。 西に傾(かたぶ)く月は見事に丸く、その丸さと明るさに、彼は胸のつかえは取れぬとわかっていながら深いため息を吐く。 この様子を不審に思ったのだろう。そばに控えていた夜番の郎党が一人、どうかなさいましたかと声をかけてきたので彼は首を横に振る。 あまり動揺を表に出しては周囲を不安にさせるだけ。だから何事もないかの如くいつもの曖昧な笑顔を作ると、陣中を見回ってくると言って景時はその場を離れた。 けれども一人になったらなったで、意識が向かうのは同じ事柄に対してである。 うっすらと土を覆う雪に、齢(よわい)十五の浩々たる月がほの青く照り返す。 ―― こうも月が明るくては、上陸は難しいだろうな。せめて雲でも出てくれればいいけれど。 そう考えて、彼はやるせなく肩を落とした。 景時が気にしているのは、数日前に報告のあった一隻の船のことである。 夜陰に紛れて市中の川湊から北上川を下ったというその船を、景時は捨て置け、と言って追跡することを禁じた。 乗っていたのはただの土地の漁師、農民かもしれず、だとすればそのような船に兵を割くのは無駄であるし、平泉の兵だったとして彼らが密書なりを持って援軍を願い出る先など無いに等しく、どこかに潜む伏兵にするには数が少ない。そうであればただ戦が怖くて逃げ出した腰抜けの奥州者に違いない。だから捨て置け、と。 そう言ったのだ。 報告してきた兵は僅かに不審そうに、九郎義経の一行が奥州を密かに抜けることはありますまいか、と問い返してきた。 景時はそれにも首を振り、こう答えた。 『抜け出す可能性そのものはあるだろうね。けれども、彼らだった場合、わざわざあの小さな船で北上川を下ってどうしようというんだい?山を越えて北方へ抜けるならともかく、川を伝い南西へ向かったのでは、捕まりに行くようなものだろう』 兵はなるほどと納得したような表情で一礼すると、景時の前から持ち場へと下がっていった。 適当な言い繕いを、あっさり信じられてしまったことに軍奉行としては苦笑しつつ、騒ぎにならなかったことに安堵を覚えた。 もちろん、景時はひとつの可能性を思いあえて船を追わせなかったのだ。 奥州の藤原氏が、今さら援軍を頼める先は無いのは動かしようのない事実だし、九郎達が『逃げようとする』のであれば、北上川を下るのは言ったとおり不自然だ。 だが、敢えて危険を冒してでも、この期に及んで彼らが出向こうと考える場所がひとつだけ、ありはしないだろうか。 それは、もちろん ―― 鎌倉。 船に乗っていたのが彼らだった場合、その目的は逃げるためではないということだ。 そして目的地が予測どおり鎌倉であったなら、彼らは今夜あたり上陸を試みるに違いない。明るすぎる月が、邪魔にならなければいいのだがと。彼は先ほどからそれを気にかけているのだ。 とはいえ、こんな風に気にかけたところで、彼らの役には何一つ立つわけでもない。 今の己の立場が、彼らの敵でしかないことは、景時とて重々承知していた。 突如、ひとつの光景が脳裏に浮かぶ。それは、袂を別った壇ノ浦だった。 『兄上、何をしているのかわかっているの?!』 『景時さん!』 『景時ッ!!』 様々な声が、耳に残る。忘れられるはずもなかった。 憎んでくれていいと思う。憎んでいてくれていいから、無事であって欲しい。そう願いながら、襲う不安はそれだけでないことに、彼はきちんと気づいている。 ―― 見逃してしまって、本当によかったのだろうか? それは、彼らにこれほどの危険を冒させる前に、何か手立てがあったのではないかという自責でもあったが、もうひとつの意味が含まれていた。 ―― 説得しに行くのだと判じたけれど、彼らが頼朝様を殺める決心をしていたなら、俺は。 景時はそれ以上の思考をあえて続けず、この夜幾度こうしたか既に数もわからないが、月と鎌倉のある西方をただ望み見た。 その時、彼は突如襲った悪寒に身を震わせた。寒さゆえの唯の震えにも思えたが、ふたことみこと呪(まじな)いを口にしてその原因を知る。 陣中から、とあるものの、気配が消えたのだ。 ◇◆◇◆◇ まだ明けきってはいなかったが、東の空が白んでくるに従い、陣中に少しずつ活気がではじめていた。じっとつったったままでは体が冷える上に、悪い考えばかりが浮かびどうにも落ち着かない。結局景時は口実どおり陣中の様子を見回っていたが、その耳にがなるような大声が聞こえてくる。 急ごしらえの馬房の方からである。声の主は、どうやら畠山次郎重忠のようだった。 「おい、小四郎、お前陣中で具足を取るのは流石にまずかろう、やる気あるのか」 「ない」 即答した声は、北条義時のようである。重忠が、呆れ声で諭している。 「馬鹿、はっきり言いすぎだ」 「いずれにしろ私は武芸はからきしだ。具足などつけていたところで役には立たぬ」 「嘘をつけ。からきしということはないだろう」 「嘘のつもりはないが」 ここで、盛大なため息がひとつ聞こえ、そのまま重忠の声が続いた。 「まあ、お前らしいといえばお前らしいが。だが梶原殿に見つかると、煩いぞ」 景時は苦笑して、思わず見つからぬように身を隠す。 そして隠してから、これでは盗み聞きになってしまうなぁ、などと肩をすくめる。 今度は義時の声が聞こえてきていた。 「それに、おそらく、この後しばらく合戦はない」 「なんでそんなことがわかるんだ」 「だって、そうでしょう。―― 違いますか、梶原殿?」 義時の語調が変わったと気づくやあっさりと名を呼ばれて、景時はやれやれと思いながら姿を彼らの前に出した。 切れ長の目を、景時に向けて眉一筋動かさずにいる義時は、なるほど、具足をつけぬ直垂姿だった。 一方しっかりと鎧を身にまとった畠山重忠は、景時が姿を現したことで明らかに動揺しているようだ。 愛馬の様子を見に行く途中だったと、とってつけたような言い訳を口にして、そそくさとその場を去ってゆく。 「にげられちゃったな〜」 残されて苦笑した景時に、表情を変えず義時は応じた。 「畠山の次郎は貴殿が苦手らしい」 「君は、違うのかい」 自分が御家人たちに警戒されているのは百も承知だった。自嘲含みにそう言ったが、 「私が?何故」 ごく自然に切り返されて、かえって景時は戸惑った。 恐るに足りぬ、という含みがあるのかと一瞬思ったが、そういう気配も感じられない。 「あ、いや、べつに深い意味はないんだけどね」 などと曖昧に誤魔化して、話をつなげる。 「話は戻るけれどね。暫く合戦はないと何故、そう思うのかな。義時殿」 彼は微塵も動じずに言った。 「船が」 「 …… 船?」 「一隻の船が、数日前川湊を出ていったという情報を得ました。軍船ではない、ただの漁船ではありました。しかし、貴殿は確認もせず、あえてそれを見逃した」 義時の目は、景時の僅かな表情の動きも見過ごさぬというほどに、じっと彼を捉えている。 しかし景時が何も言わないのを見て取ると、彼はこう続けた。 「それだけではあまりに情報不足だったのですが、先ほどから姉上の姿が見えません。推察するに、獲物を追って、鎌倉へ行ったのでしょう?」 ―― 気付いて、いたんだ。 景時は、苦笑するしかなかった。が、 「御所は存外、情に脆いところがおありですからね。異国の神の守護を打ち破ることができるのであれば、彼らにとって直談判は案外いい手かもしれません」 これには流石に驚いた。あの頼朝を、まさか情に脆いと評する者がいるとは思っていなかったのだ。しかも、目の前のこの青年が、である。 「本気で、言ってるのかな?彼が弟だからと言う理由で九郎の説得に応じると?」 彼は違います、と首を振った。 「情とは兄弟の情ばかりとも限りますまい。私が言っているのは、そういう意味ではないし、もっとはっきり言ってしまえば御所が血を分けた弟だからという理由だけで、あの方の説得に応じることなどありえないと思っている。 しかし、用意している直談判の中身が、御所を本来の目的に立ち帰らせられるような、理のかなったものであればあるいは、と言っているのです。 ―― 御所は、何か理由があって、今の、御所たらんとしているように見える。それ故に。」 義時が九郎のことを『あの方』と言い表したことに、僅かに引っかかりを覚えはしたが、景時はむしろその先の言葉に囚われた。 『何か理由があって今の、御所たらんとしている』 景時は、思わず目を閉じる。 彼にはそれがよくわかっていたのだ。そしておそらく、その何かこそが今、自分を鎌倉に縛る理由なのだとも。 数年前と変わらず、ただ恐怖でのみで支配されていたのであれば、きっと景時はここまで自分が鎌倉側に在ることに拘らなかったのではないかと思っている。 母や妹を人質に囚われてはいたが、なりふりかまわず手立てを講じれば逃れる術もあったろう。それに九郎達の一行とわざわざ決別し、奥州を滅ぼすことで彼らの命を救おうとするような、可能性の低い賭けに出るような真似もきっとしなかった。 八葉の仲間を裏切ることなく、彼らと運命を供にしていたに違いない。そう思うのだ。 けれども、いつからか頼朝という人物に感じはじめていた、表面に見える冷徹さとは相容れぬ内側の何か。 それに気づいてしまったとき、景時は本当の意味で鎌倉を裏切ることができなくなっていたのだ。 普段目にする、驚愕に値するほどの頼朝という人物の精神の頑なさ。 眉一筋動かさず、たとえば九郎追討の策について景時に命令を下すような時。そのあまりの冷徹さ、迷いのなさにこの人は己の感情を表に出す術を知らないだけなのではと、一度ならず思いたくなったことがある。 そんな頼朝が、時折、本当に時折。不思議なきっかけで感情をあらわにする瞬間があるのも景時は知っていた。 例えば。 ―― 倶利伽羅峠の戦い後、平惟盛の助命を内々に指図したり、捕らえた平重衡を不自然なほど丁重に扱ったりした時に。 何故そんな不自然な事をするのか。 その理由の憶測ができてしまった時、景時は己の身のうちにある頼朝に対する恐怖の隙間から、忠誠心のようなものが生まれてしまったことを自覚した。この人物が作り上げようとしている未来の何かを、己の目で見てみたいと、思ってしまったのだ。 加えて、異常なまでの『還内府』への執着と憎悪を見て、憶測は確信へと変わった。 壇ノ浦でのやり取りが脳裏に浮かぶ。 ―― 景時、終わらせろ。 ―― しかし、今撃っては九郎が。 ―― かまわぬ。あの男を。還内府を殺せ! あの時の頼朝は、明らかに不自然だった。事前に九郎をわざと奥州へ逃がし、奥州遠征の口実にする策は打ち合わせ済みだったのである。しかし、その策がすべて無駄になる危険を無視して、頼朝は”還内府”の死に拘った。 景時は義時に向き直る。 「その理由とは何だと、君は思うのかな」 「小松内府重盛」 義時は迷わずに、ただ一言呟いた。景時と同じ結論を、この男は導いているらしかった。 そう、共通点は一つ。惟盛は重盛の子であり、重衡は重盛の弟である。そして、還内府は当の将臣がどういうつもりだったかは兎も角、重盛の名を騙った偽者だ。 己の弟にさえ冷徹を通して接する頼朝が、不自然に感情の揺らぎを見せる時。そこに必ず先の小松内府重盛の影がある。 二十年ばかり前、戦破れ捕らえられ、京で斬首を待つばかりだった十四歳の頼朝が、伊豆へ流罪と減刑されたのは亡き池の禅尼と小松内府重盛の口添えがあったからだと、聞いたことがあった。 本当に、それが理由だとしたら。 それを理由としてここまでのことを成し遂げようとする信念と、表面からは計り知れない心の奥底に、柔らかなものを持ち合わせている人であるのなら。 ―― あの方に、己が弟の命を奪わせるようなことをさせてはならない。 景時はこの期に及んで、そんなことを思ってしまう自分に、苦笑した。 義時が言った。 「多くを知っているわけではありません。ですが、それが理由としたら思いのほか御所も人の子です」 言葉だけを取るなら揶揄を含んでいるように聞こえて、景時は問い返す。 「失望したかい」 「いいえ、不思議と」 彼の表情は相変わらずだった。しかし、何故か景時は、この時義時が微かではあるが穏やかに笑ったようにも思えた。 「ひとつ、聞いていいだろうか」 「何か?」 「君はどうなんだい、義時殿。可能性を知りながら船を見逃したのは、この奥州攻めがなくなればいいとでも思っているのかい。それとも、九郎達が助かればいいと?」 義時は、問われて僅かに目を逸らす。 「どちらも興味はありません。ただこの先のことを思えば、奥州は手に入れるに越したことはない。だから諦めるのであればそれなりの代償は必要でしょう。しかし、この追捕劇の真の目的であった守護の継続は果たされた。鎌倉の本当の敵は北でなく西にあり、奥州がなくとも鎌倉の政権確立に手がないわけではない。上手い具合に和議に持って行き、恩を売っておいて共に朝廷に対して牽制を行う法だってある。そのあたりは、貴殿とて、もちろん御所とて。重々承知していることではないのですか。だから ―― どうでもよかっただけです。後の判断は御所がなさればよい」 あくまでも、興味がなかっただけだと、言いたいのだろう。 「案外、饒舌なんだね。まるで、自分に言い聞かせているみたいに聞こえるけれど」 挑発に彼は乗ってはこず、あとは沈黙が訪れた。 義時の本心はともかく、と。景時は考える。 追捕劇の真の目的と西の敵、そして鎌倉の政権確立。 ―― 彼にはきちんと、頼朝様の行動の意図や世の中の流れが見えているのだ。今、戦ばかりが己の役目と思っている御家人の中で、こういったものの考え方を出来る男がどれだけいるか。 この奥州遠征が終わった後が、本当の戦いの始まりだと、景時は思っている。所詮坂東の荒くれ者の寄せ集めである『鎌倉』という集合体が、まがりなりにも政府として機能していくための戦い。 だから、本物の戦場しか見えていない、あるいは見ようとしない御家人は、いずれ、脱落、排除されて消えてゆくだろうう。しかし。 ―― この男はおそらく生き残り、いつか頭角を現す。 ふと、既に袂を別った八葉の仲間のうちにも、生き残れそうな人材が幾人もいたことを思い出してしまったが、その考えを振り払った。 八葉の中に居るには、居た。 しかし、それぞれがそれぞれに、違う立場でこの戦局を見定めており、必ずしも鎌倉になど、興味を持たなかったのだ。 幾人かは、最優先するべきものが熊野や平家、あるいは神子だった。 ある者は、最も早く最も被害の少ない戦の終結が優先で、終結後の鎌倉の覇権には執着していなかった。 景時と対になっていた天の白虎もまた、見定める力を持ちながら、結局はいずれ元いた世界に帰る身と、深くこの世界の情勢にかかわることを厭うていたふしがある。 そんな中で、九郎は果たしてどう考え、どう認識していたのか。あまり深く語り合ったことがなかった己を、景時は今更ながらに責めた。 ―― 頼朝様は、源氏のために、ましてや父君の遺恨を晴らすために平家との戦をしていたわけではない。 九郎とて、それは承知していたはずではある。だが九郎の行動の根本にはどこかそういった、よく言えば純粋な、悪く言えば感情的なものが含まれてはいなかったか。 人としてなら決して責められぬそれらの想いが、決定的な兄弟の亀裂の原因になるとは思いもしなかったに違いない。 この戦は、東国武士の蜂起だ。全く新しい国の仕組みを作るための、最初の作業。本当の敵は、平家などではない。最初から朝廷だったのだ。少なくとも景時は、そのつもりで源氏の軍に身をおいていた。 僅かなすれ違い、認識の齟齬。目的や立場の違い。これらが重なり、結局自分達をこうして隔てる原因となったのだろうと、景時は十分にわかっている。 わかっているのだが、それでもやはり、かつての仲間達を助けたいという想いも嘘ではなく持ち続けている。 御所の目的が九郎の首ではなく、守護配置や奥州を手に入れることであるのなら、その目的を先に達成してしまうことで九郎たちが生き延びる道があるのではないのか。その道はそのまま、御所が己が弟を死に追いやるという業を背負わずに済む道でもある。 これが景時の、唯一の拠り所となる策だった。 だから自分は、本当の意味で彼らを裏切ったわけではない ―― そう、思いたかった。 だが、この理屈には穴がある。 奥州を犠牲にして、己は鎌倉と仲間との、両方を守りたいと思っている部分だ。 景時の天秤はあくまでも、奥州と仲間との間で、大きく仲間側に傾いているだけにすぎない。 だから夜陰に紛れて川を下る船を見たとき、彼らの無事と決断を嬉しく思いながらも、頼朝自身の命 ―― すなわち、鎌倉という仕組みや東国武士の新しい国の設立そのものや己が忠誠の対象と、仲間たちの命を純粋に天秤にかけろと言われたら。 景時は、鎌倉を選ぶかもしれないと思ってしまったのだ。この結論を出した時点で、既に彼らに顔向けできるわけがないではないか。そう考えて、彼は知らず眉の根を寄せた。 もう、気持ちの上で彼らを裏切っていないと理屈を積み立てたところで言い訳にしかならない。 違う道を選んだことを後悔しているのだろうかと、己に問いかけた時もあるが、建て前を取り払って己の望むものを洗い出してしまえば、結局自分は自分の選択を後悔などしていないという結論に達してしまう。 そして、後悔していいないからこそ、苦しいのだ。だからきっと、これはただの罪悪感なのだろう。だが、罪悪感を持つ資格さえ、己は持っていないのかもしれないと、景時は肩を落とした。 「梶原殿こそ、色々と、ご心痛のようだ。情に脆いは貴殿も同じか」 今度は景時が、挑発には乗らず口を閉ざす番だった。 辺りが明るくなっていた。義時が数歩、景時からは離れる方向に足を進めて、ここから否が応にも目に入る敵陣の巨大な社を望む仕草をした。 「姉上が鎌倉に行ったのであれば、あの社は不必要になるかもしれませんね」 「 ―― ?」 彼は景時を振り返った。 「船を何故見逃したのかと、貴殿は聞きましたね。奥州を手に入れるに越したことはない、そう思っているのは本当です。手に入らないのであれば、ある程度の混乱を乗り切る覚悟をきめなければいけないのですから。しかしそんなことよりも ―― あの邪神が鎌倉を牛耳ることの方が私にはおぞましく思える。龍神の神子か何かは知らぬが、相討ちにでもなれば丁度よかろう、と。そう思いました」 「相打ちを、望んでいると?」 義時は景時を見据え、きっぱりと言った。 「人の世の 狐だろうと、龍だろうと。邪魔と言う意味ではさしたる違いはない。そうは、思いませぬか。梶原殿?」 表情を変えずにいるその面(おもて)の、唯一双眸の奥にみえた青い焔が、彼の心を表していた。 二年ばかり前に見た覚えのあるものと同じ、憎しみと悲しみを織り交ぜた、僅かな感情の揺らめきの色だ。 彼のような感情的な思い入れがあるはずもなかったが、理屈で考えれば義時と同じ考えを持ち合わせていた景時は苦笑する。 この考え方を持っている時点でそもそも、八葉として致命的であったのに、と。 消えた宝玉のあたりが熱く疼くような心持がした。しかし、きっと気のせいだろうと、景時は思うことにする。 再び黙りこんだ景時に、彼は続ける。やはり、いつもより随分饒舌なようだ。 「二年ほど前、私は己のことを『貴殿と同じように御所を裏切らない』と言ったことがありましたね」 「うん。あったね。本当に同じだろうかと、俺はあの時思ったものだよ」 鎌倉の霜月。十四夜の真円から僅かに欠けた月を、景時はありありと思い起こせた。 「だとしたら、貴殿の方が、正しかったようです」 「それは、俺が裏切るという意味かい。それとも、君が裏切るという?」 彼は首を振って、どちらでもないと否定した。 「貴殿の迷いは、かつての仲間を助けんと望むため故にと思っていましたが、どうやらそれだけではない。思うに貴殿は御所に忠義を感じているからこそ、御所にあまり人の道を外れたことをさせたくないのだと」 景時は、ただ仕方なく、肩をすくめて笑ってみせる。 「私とは、反対です」 「どういう、ふうにだい?」 「私はあの方が、恰も情が無いかの如く冷酷に振舞えるからこそ ―― そこに義を感じたのですから。ただ、私も貴殿も、御所が道を過てば見限るだろうという点に於いて、やはり同じなのかもしれません」 言い放った内容の物騒具合とは対照的に、静かに一礼をして彼は景時の前を去ってゆく。 一人残されてから、ならば情に脆いというのは義時とても同じことだろうと、景時はやるせなさと切なさのあいまじる心持で彼の後姿を見送った。 人の世の政(まつりごと)に神などいらぬと、義時は言った。そして、御所が冷酷だからこそ義を感じると。 しかし、彼が神を厭い頼朝の冷酷さに拘る理由は、当人は認めたがらないだろうとは思うが、荼枳尼天に兄と姉とを奪われたからにほかならないのではないか。だというのなら結局。 「誰もが、情に脆いということかな」 鎌倉勢力の構造は、つくづく一枚岩なわけではないんだな、と、景時はあらためて思った。 しかしそもそも、生身の人間が寄り集まって成される”一枚岩”などというものが、存在しうるのだろうか。 あれほどに結束が固いかに見えた八葉たちとて、各々の立場や目的があり、たまさか神子と言う存在に収束しているだけだ。 鎌倉とて同じ。 それぞれに、それぞれの理由と想いを抱えながら、同じかあるいは似たような未来を夢見ている。 ―― 人がかたち作る人の世とは、そういうものなのかもしれない。そしてそれらが寄り集まり蓄積して、歴史と呼ばれるようになるのかも、しれないな。 我知らず、西方の天を仰ぐと、夜の明けきった空に己の吐息の筋が滲んで、消えた。 初冬の奥州の陣内、満ちた月が沈み、空白む間の一幕である。 ◇ 第四幕へ ◇ ◇◆◇◆◇ 【歴史補足】頼朝の惟盛や重衡への対応は、いずれも吾妻鏡、平家物語などを基にしており、ゲームとは多少異なる。 2007/06/18 |
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