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【終幕】街道の残月 ―― 梶原景時二十七歳 ◇◆◇◆◇ 奥州から鎌倉に帰る通の途中。朝の冷たい、けれども十分に心地よさを感じさせる空気の中、ふと馬上より空を見上げれば白いぼんやりとした月が残っている。 終わったな、というのが景時のその時の感慨だった。 もちろん欠けた月がいずれまた満ちるように、時の流れが終わることなどある筈もなく、これからが始まりでもあるけれど。だとしても一つの大きなうねりが今過ぎ去ったのを、彼はひしひしと感じたのである。 数日前鎌倉から早馬の使者が到着し、奥州へ出陣した兵はすべて引き上げるようにとの御所からの命令を伝えていた。 鎌倉でどんなことがあったかを、想像する以外に景時ができる術はなかったが。 ―― 九郎たちは、道を切り開いたんだ。 安堵と、喜びと、寂しさと。 更には僅かな嫉妬のような想いをつき混ぜたような気持ちで、景時は街道を鎌倉へと進む。 その時、勧進の僧達であろうか。旅の一行が向こうからやってくるのに気がついた。 軍勢と交差するのを見越してか、道を譲るように脇に寄った彼らの姿が、次第に大きく見えてくる。 景時の身に緊張が走った。旅の者達の人数は十一名。 僧の姿の真似事をしていたとしても、遠目にも目立つ、その特色ある集団。 ―― みん、な。 声は出なかった。どんな表情をしているべきか迷っているうちに、彼らとの距離はいよいよ狭まった。 そして、その声を耳にした瞬間、景時は泣き笑いのような顔をしていたかもしれない。 「兄上を頼む」 すれ違いざま、確かにそう言った声を聞いた。 目を泳がせて、探し当てたその人はしっかりと景時の方を向いており、表情はこの冬の日の乾いた朝の空気にも似て、厳しくも清々しい。 さらにかつての仲間達とは違った理由でずっと気がかりだった妹の姿を目の端で捉えた。彼女はなにやら懐かしい気さえする呆れをを含んだ笑顔で、景時を見ていた。元気そうであることを確認して安心する。その安心が隙を生んだのか。 ―― ごめん、みんな。 そんな言葉が、景時の喉もとまで出かかっていた。かつては共に戦った彼らに刃を向けたことへの率直な侘びの言葉。 しかし今こうして互いに命あるままにまみえることができはしたが、ほんの数日前まで、状況によっては本当の意味で彼らの敵となることすら、覚悟していたのだ。 それほどの断絶がありながら、ゴメンと言って笑んだなら。 きっと彼らは何事も無かったように自分を受けて入れてくれるに違いないと知っているからこそ。 だからこそ、景時は甘えを含んだこの言葉を飲み込んだ。 言い訳はすまい。謝罪もすまい。 選んだ道は既に遠く 何よりも、己は己の選択を間違っているとも思っていないし、後悔もしていない。だから許されようとも思わぬし、その必要もない。 ならば、今心を過ぎる懐かしさや、過去への憧憬をすべて押し込めて黙り、「兄上を頼む」という彼の言葉に頷くことだけが、これまでの彼等との絆に対して返すことのできる唯一の誠意ではないのか。 景時は感慨を振り切って馬を進めた。ところが不意に、六波羅攻めの後の初夏、鎌倉から京屋敷に戻った自分を笑顔で迎えた少女の声が聞こえた気がした。 『おかえりなさい』 彼女はあの日、そう言ってくれた。 この時既に、景時は彼らと道 なのに、いや、それだからこそ、か。こんなにもあの日々が ―― 懐かしい。 喉の奥から突き上げてくるような感情。 押し寄せる寂寞に、耐え切れず一度だけ振り向くと、やはり皆もこちらを見ており、穏やかに笑んでいた。 彼等と共に行く選択のできる、それが最後の瞬間だったかもしれない。 だが。 「―― さよなら、みんな」 僅かな笑顔で小さく呟いた声は、きっと彼らの耳には届かない。ただ冬の朝の空気に白い息の痕だけが残り、れすらもすぐに消えた。 胸のあたり、あるいはかつて宝玉の埋まっていたあたりだろうか。その場所が熱く、どうしようもなく切なげに震えている。 しかし、今後こそ断腸の思いで前を向く。 心はともかく姿ばかりは毅然と胸を張り背筋を伸ばし、再び思った。今、何かが終わりを告げたのだと。 この時馬首を寄せてきた人物が居る。それが誰か、大体の予測はついていた。 相変わらずの無表情で、しかし見透かしたように、その男 ―― 義時が言った。 「これからですね、梶原殿。これから、始まる」 しれっとした言い方だったが、それはある意味宣戦布告にも受け取れた。 奥州との和議という結末でこの戦は収束し、鎌倉政権確立の第一歩は終わったと、見るべきだろう。しかし、いまだ磐石には程遠い鎌倉の、ここからが新たな始まりだ。これまでの合戦とは全く違った形の泥仕合が始まる。 水面下での腹の読み合い探り合い、搦め手で攻め、潰しあう。 敵は時に朝廷、時に奥州、或いは ―― 時に鎌倉の他家の御家人。 ずっと、そんなことはわかっていた。それでもこの道を選んだ自分と、おそらくは巻き込まれることや競り合いの口実とされることを厭って何処か遠くへ身を隠す心を決めたであろう九郎たち。 どちらが正しいわけでも、正しくないわけでもないのだろう。 ただ、最初に立っていた場所や最後に選んだものが違う。それだけのことだ。 馬を寄せてきたこの男は、たぶん景時と同じものを選んだのだろうと思った。 「うん、そうだね。これからだね」 軽く応じた後、その後は暫く馬の首を並べて前を向いていたが、不意に義時がほんの一瞬、九郎たちの一行の方を振り向いた。 「梶原殿の妹御もご健勝でいらっしゃるようで、何よりです」 義時の言葉の中に混じる、義時なりの感慨や含みを探そうとして、結局あるのか無いのかわからぬままに景時は曖昧に頷く。 「う、ん」 そしてつられて首を巡らしそうになり、慌てて前を向いた目の端に、浅葱縅の真新しい鎧を身に着けた明るい髪の色の少年が映った気がした。 進軍している方向とは反対に ―― いうなれば、九郎達の行った方向に ―― 慌てて馬を向かわせているようだ。 五郎君だ、と。 景時が気づくのと同時に、義時が言った。 「弟の五郎が、ですが」 「うん」 「九郎殿に良く懐いていました」 「うん、知ってた」 先日会話の途中で、義時が意識せずに九郎のことを『あの方』と呼んでいたことを、思い出していた。 そして数年前九郎が鎌倉にいた時、義時の弟の北条五郎に対して、空き時間に剣を教えていると九郎当人から聞いたことがあったことも。 北条五郎はまだ少年であるせいもあるだろうが、やんちゃで物怖じしない性格で、九郎とは確かに気が合いそうだった反面、実の兄の義時とはあまり似ていない。 九郎に年下の兄弟はいなかったから、歳の離れた あの頃、自分たちが歩むはずになるこの道を、景時は想像すら、していなかったな、と。 そんなことを思い返していると、更に義時が唐突に言った。 「亡き三郎兄上に」 「え?」 「あの方は、少し似ていました」 景時は驚きを隠せぬまま義時を見たが、彼は相変わらずの表情だった。 「真っ直ぐなところが、ですかね。頭に馬鹿がつくほどに」 思わず、笑みがこぼれた。 色々と理屈をこねていたけれど、案外彼も九郎を助けたかっただけなのかもしれないな、と。 あの日、九郎の生死に興味はないと言いつつも川を下った船を黙って見逃し、それでいて九郎たちが御所を 何がしかの感情に声だけを震わせながら『失望を禁じえなかった』と言った義時の、少しばかり屈折した九郎への思いを、景時は垣間見た気がした。 「いや〜、小四郎君、けっこういい奴なんだね〜」 いきなり軽い調子で言った景時に、彼はひどく不満そうに顔をしかめた。 出会ってこの方、ほとんど表情という表情を見せたことのなかった人物の、珍しいものを見てしまったものだと景時が思っていると。 遠くで北条時政ががなり声をあげて、彼の息子を呼んでいるのが聞こえてくる。 「やれやれ。我が父君は、私が仲良く梶原殿と馬並べているのが気に食わぬようです」 口の端を僅かに上げただだけの、しかし彼にしてはまたもや至極珍しい表情である笑みを見せると、義時は馬の首を廻らせて兵列の元の場所へと戻って行く。 義時の中でも吹っ切れた、何かがあったのかもしれない。穏やかな気持ちでその背を見送って、ふと。反対に景時の顔から陽気な笑みが消えた。 ―― うん、そうだね。これからだ。 先ほどと同じ言葉を、今度はひとりごちて、景時はゆっくりと空を見上げる。 晴れた青の中にぽっかりと、未だ沈み遅れた白い残月がこちらを見ていた。 ◇◆◇◆◇ 1190 源頼朝により鎌倉幕府成立1192 熊谷直実出家 1193 曾我兄弟仇討ち事件 1199 源頼朝没 同年 嫡子の頼家が源家の家督を相続。後見に梶原、比企が立つ。 同年 千葉・三浦・比企・畠山・和田等が景時弾劾の連署状を頼家に提出 頼家より景時に対し鎌倉追放の命が下り、景時は弁明せずにそれに従う。 ※連書状には鎌倉御家人ら66人の名が連なっているが(吾妻鏡)、その中に北条の名は無い。 1200 梶原景時の乱。駿河にて景時自尽。 1203 比企の変。北条時政、義時、時連(=五郎。後の時房)親子によって比企氏滅亡 1204 源頼家没。 ※吾妻鏡に死因の記載はないが、愚管抄には北条による頼家暗殺を示唆して書かれている 同年 源実朝が源家の家督を相続。 同年 北条時政初代執権に就任 1205 畠山重忠の乱。北条時政らによって畠山氏滅亡。 ※時政に命じられ重忠を討ったのは、義時の軍。 義時は最後まで重忠の無罪を父・時政に主張したが、受け入れられていない。(吾妻鏡) 同年 北条時政が、子の義時・時房等によって失脚、隠居させられる。(牧氏事件) 同年 北条義時第二代執権に就任 ※この頃、義時の長男が、元服の際頼朝を烏帽子親として一字を賜ったはずの 「頼時」という名をわざわざ改名し「泰時」と名乗る。 1213 和田の乱。北条義時らによって和田氏滅亡。 1219 実朝暗殺事件 ※三浦義村による義時暗殺の失敗とも言われる。 1221 承久の乱。上皇より義時追討密書を受けた三浦義村は、その密書を義時に提出。 ※鎌倉勢の勝利により、幕府開闢以来はじめて、鎌倉が朝廷より上位に立つ。 1224 北条義時病没 同年 義時の嫡男北条泰時三代執権就任。 あわせて、北条時房(=五郎)連署(=執権の補佐役)に就任 ※この後幕府は、140年ほどの歴史の中でもっとも安定した時代を迎える。 ・ ・ ・ ・ 1274年〜 二度にわたる元寇 ・ ・ ・ ・ 1333 鎌倉幕府滅亡 ―― 終 ◇◆◇◆◇ ◇ Web拍手する ◇ あとがきはこちら 2007/07/02 |
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