オペラにおける言葉の問題

ヴィーナー・シュターツ・オーパとヴィーナー・フォルクス・オーパでの「フィガロの結婚」

武本 浩


2000年1月9日(日)夕刻、私は1年2ヶ月ぶりにウィーンの地を踏んだ。倹約のためにスーツケースを引きずり、空港から発車間際の列車に飛び乗った。ヴィーンミッテ駅までの切符は車内で購入した。38シリング「アハト・ウント・ドライシック」、車掌は答えた。そう、ここウィーンで話される言葉はドイツ語ではない。オーストリア語だ。3年前に通りのトラフィックで買い物をした折に、「ノインティ」と言うので「ノインツィッヒ?」と聞き返したら、「ノン、イン・ドイチュ、ノインツィック!」と店員は答えた。確か90はドイツ語でノインツィッヒと習ったはずだ。列車は、モーツァルトが眠る聖マルクス墓地のそばをゆっくりと通り過ぎた。モーツァルトの生地もオーストリアではザルツブルクではなくサイツブーグと言う。Sは濁らず、ごつごつする発音は美的感覚にあわないらしい。
オーストリア航空の機内で、1月11日(火)にヴィーナー・シュターツオーパ(ウィーン国立歌劇場)でフィガロの結婚「Le Nozze di Figaro」が上演されることを知った私は、入場券が入手できるかどうか、気になっていた。翌月曜日、知り合いのオーストリア人に残券があるかどうかを問い合わせてもらうことにした。しかし、公演は明日に迫っている。入場券はもう残っていないかもしれない。結局2,150シリングの特等席しか残っていないことがわかった。日本円にして約18,000円。日本でのウィーン国立歌劇場の引越し公演を考えれば、それほど高い金額ではない。しかしウィーンで2,150シリングはかなり高価である。財布の中には3,000シリングしかなかったこともあって、ちょっと手が出なかった。仕事が終わってから、シュテープラッツ(立ち見席)のチケットを求めて並ぶことにした。これだと30シリング(約250円)ですむ。雪のちらつく中、シュターツオーパの立ち見席売り場に並んでいると、怪しげな外人(本当はこちらが外人だけど)が近づいてくる。人目をはばかるように小声で、「5千円でどうだ?」「えっ?円建て?」5千円と言われるとなんとなく安く感じる。5千円といっても575シリングだという。額面350シリングのチケットだったが、575シリングと思うとやっぱり高い。日本人はいいカモなのだろう。
7時開演。いつのまにか序曲が始まっていた。オペラが始まったことを悟って、あたりが静まり返っていく。そう、これが序曲の本来の役割だ。しかし、何だこの演奏は?アンサンブルはめちゃくちゃ、ホルンは遅れ、トランペットは走る。第二主題に入って、私は1998年11月6日(金)にヴィーナー・フォルクスオーパ(ウィーン国民劇場)で観たフィガロの結婚「Die Hochzeit des Figaro」を思い起こしていた。この時もシュテープラッツで見るつもりだったのだが、当日行ってみると70シリングの席が残っていた。平土間の後ろの方(パルテアレ)で、柱が目の前にあり、舞台が少し見えにくい席ではあったが、立っているよりは、ましだった。となりには蝶ネクタイの初老の紳士とドレスを召されたご婦人が座った。オーケストラは女性指揮者のもと、溌剌とした切れのよい演奏だった。特に序曲の第二主題で奏でられる第二バイオリンの刻みがとても印象的だった。

このオペラには、成功の鍵を握る重要なポイントが2つある。それは、第3幕第5場で借金のかたに結婚を迫る女中頭のマルチェリーナがフィガロの実の母親とわかる場面と、フィナーレでアルマヴィーヴァ伯爵がロジーナ夫人にこれまでの不実をわび、夫人が夫を許す場面である。前者で抱腹絶倒、後者でのお涙頂戴が得られなければこのオペラの上演は失敗である。ヴィーナー・フォルクスオーパでの「フィガロの結婚」は原語ではなくドイツ語による上演であった。筋を頼りに、レチタティーボを注意深く聞いていると、ある程度ドイツ語を聞き取ることは可能であった。フィガロが、自分は実は貴族の出であるが、まだ赤ん坊の時に、お城の近くで盗賊にあい、両親と引き離されたという素性を告白する。そして自分の腕にはあざがあるという。それを聞いたマルチェリーナがそのあざは右腕にあるの?と尋ねるところから、マルチェリーナがフィガロの母親であることが判明する。そのとき、医師バルトロがフィガロに「ヒア・ダイネ・ムッター!(これが君のお母さんだ!)」、伯爵と裁判官ドン・クルチオが「ディー・ムッター?(母親?)」と声を揃えるところで、フォルクスオーパーは大爆笑。さらに、マルチェリーナは「ヒア・シュテート・ダイン・ファーター!(あなたの父親はこのバルトロよ)」と暴露する。劇場は興奮のるつぼと化した。私もこの場面では大声で笑った。実に楽しかった。ウィーンの人たちと同じように心の底から笑える幸せを感じたのだ。5重唱が始まり、そこにフィガロを自由の身にするために2000のお金を工面してきたスザンナが登場。フィガロは「老いぼれの巫女様」のマルチェリーナに抱擁されている。スザンナはてっきりフィガロが心変わりしたと勘違いし、フィガロにビンタを浴びせる。観客はもはや笑いをこらえることができない。これはまさに吉本新喜劇の世界だ。フォルクスオーパが、なんば花月とダブってみえた。スザンナが加わって6重唱となり、「ディー・ムッター!」、「サイン・ファーター!」を連呼。舞台にはほのぼのとした家族愛が充満。
フィナーレでは、伯爵がスザンナに変装した伯爵夫人をスザンナと思い込んで口説いている。その時、伯爵夫人に変装したスザンナとフィガロが仲睦まじくやっているのを目撃し、フィガロを捕まえ、夫人の不実を責める。そこに、本物のロジーナ夫人が現れ、自らの行いが暴露される。伯爵は夫人に許しを請うしかない。夫人の前にひざまずき、「許しておくれ」と静かに歌う。愛に満ち溢れたやさしい声だった。夫人はこれを許す。この場面で、私は涙がこぼれるのを禁じ得なかった。ちょっと恥ずかしかったので、そーっと隣のご婦人に目をやった。なんとハンカチを目にあてているではないか。フォルクスオーパ全体が感動に包まれていた。

シュターツオーパでは、第1幕第6場で「女性とみればどんな女性でもときめく」青年ケルビーノが見事なアリアを歌いおわって、割れんばかりの拍手を浴びていた。しかし、このころから、観客はレチタティーボでの集中力を失いはじめ、当時インフルエンザが猛威を振るい、ウィーン市内だけでも10万人が患っていたこともあって、咳をするための時間と化していた。その間、舞台ではイタリア語が飛び交い、役者だけはイタリア語のジョークに笑い楽しそうだった。私もイタリア語と言えば、アレグロとかアンダンテ、フェルマータにスパゲッティくらいしか知らない。フォルクスオーパで観た「フィガロの結婚」とシュターツオーパでの「フィガロの結婚」と比較して決定的に違うのは、前者では観客が役者の言葉に大笑いしていたのに対して、後者では役者のちょっとしたしぐさに「くすっ」と笑うだけだったことである。確かにシュターツオーパではこのオペラを喜劇に仕上げるために、演出家がいたるところで細やかな指示をしているように思えた。そんなことまでしなくても元来喜劇なのに。なにか変だ。
シュターツオーパは第3幕第5場になり、マルチェリーナ、バルトロ、フィガロ、ドン・クルチオ、伯爵の5名が登場した。舞台では相変わらずチンプンカンプンのイタリア語が飛び交っている。一部の客席から「クスッ」と上品な笑いがもれたあと、5重唱が始まった。「えっ?さっきのだったんだ!」フォルクスオーパで抱腹絶倒した場面と同じ場面とは思えなかった。なんとも虚しい時間が過ぎていった。スザンナがフィガロをぴしゃんと平手打ちの場面にも上品に「クスクス」と笑いがもれるだけだった。フィナーレは最悪。仁王立ちになって朗々と歌い上げる伯爵。とても許しを請っているようには思えない歌いっぷり。その後の11重唱になっても伯爵だけが浮いている。そこにはひとかけらの愛情も感じられなかった。

「アイラブユー」「イッヒリーベディッヒ」「ジュテーム」よく知られた言葉だ。しかし、日本人が日本人に対して薄明かりのロマンティックな公園で愛を告白するとき、「アイラブユー」や「イッヒリーベディッヒ」、「ジュテーム」と言って真意が伝わるだろうか。やはり「愛してるよ」にはかなわない。シュターツオーパの伯爵も「コンテッサ、ペルドーノ」の意味するところは当然理解している。しかし、フォルクスオーパの伯爵が「エンゲル、フェアツァイ・ミア」とドイツ語で歌う方が「いとしい人よ、許しておくれ」という気持ちを、自然に移入できたのではないかと思う。そして、その言葉に観客も舞台に引き込まれ、役者と一体となって深く感動したのだ。
シュターツオーパの公演、たしかに音楽はすばらしかった。特に休憩後の第3幕からは、さすがにシュターツオーパのオーケストラ、誰にも真似することができない、上品で細やかな音楽表現。しかし、これはオペラではないと思った。翌日、知り合いのオーストリア人にこの二つの「フィガロの結婚」の話をした。そして、何パーセントのオーストリア人がイタリア語を解するか聞いてみた。正確にはわからないが、5%もいないだろう、ということだった。逆に「君のような日本人にはイタリア語でもドイツ語でも、どちらの公演もほとんどわからなかったんじゃないのか?」といわれてしまった。でも、あえて反論せずに、「日本では日本語でやっているんだよ。」と威張っておいた。
あれから4ヶ月。これを実現する日がやってきた。本日のハイライト公演は、日本を代表するオペラ歌手とモーツァルト研究の第一人者、高橋英郎先生の明快な訳詞による。高橋先生が総監督を務めるモーツァルト劇場は、上質な日本語によるオペラ公演に意欲的、継続的に取り組んできており、日本のオペラ界の発展に大きく貢献してきた。

モーツァルト芸術の真の理解。母国語に優るものはない。