モーツァルトのホルン協奏曲
武本 浩
1987年に刊行された新モーツァルト全集第5篇第14作品群第5巻によれば、モーツァルトが手掛けたホルン協奏曲は、未完成の3曲を含む次の6曲とされている。
1. Hornkonzert Es-Dur KV
370b+371 (Wien, 21.März 1781)
2. Hornkonzert Es-Dur KV 417
(Wien, 27 Mai 1783)
3. Hornkonzert Es-Dur KV 495
(Wien, 26 Juni 1786)
4. Hornkonzert Es Dur KV
494a (Wien, Sommer 1786)
5. Hornkonzert Es-Dur KV 447
(Wien, 1787)
6. Hornkonzert D-DUr KV 386b
(412+514) (Wien, 1791)
モーツァルトが最初に書いた協奏曲は、第1楽章(KV 370b)とロンド楽章(KV 371)からなるもので、独奏ホルン・パートは完成しているが、オーケストラ・パートは未完成に終わった習作である。1856年のモーツァルト生誕100年祭の折に彼の長男のCarl Thomas
Mozartが、KV 370bのスケッチを1葉ずつ人々に分け与えてしまったので、今なおその約4分の1が未回収になっている。KV 370bの補筆完成は1978年に、Herman Jeurissenによって行なわれた。KV 371の補筆完成はBernhard
Paumgartner (1937)をはじめ様々な人によって行なわれ、Konzertrondoとして広く親しまれている。本日は1977年、Peter Dammにより補筆完成された版で演奏する。
最初に完成された協奏曲はKV 417で、自筆譜の最初のページにはWolfgang Amade
Mozart hat sich uber den Leitgeb Esel, Ochs, und Narr, erbarmt/zu Wien den 27:
May 1783 (ヴォルフガンク・アマデ・モーツァルト、ロバ、ウシ、アホのロイトゲープを憐れんで)という献辞が書き込まれている。従来この協奏曲の第1楽章は、Allegro maestosoということになっていたが、自筆譜に速度表示はない。威厳さよりはむしろロマンティックなものを感じさせる楽章である。Finaleは狩のロンド。中間部のストップ音を多用している箇所でロバのホルンをあざ笑ったり、馬は途中でへにゃへにゃするかと思えば、ぱっかぱっかと駆けて行く、モーツァルト得意の冗談音楽。
KV495もJoseph Leitgebに捧げられたことは、モーツァルトが1784年から付け始めた「自作主題目録」からもわかる。残念ながら自筆譜が残っているのは、第2楽章の一部と第3楽章の一部のみである。この自筆譜は赤、青、緑、黒の4色のインクを使って書き分けられていて、新全集にカラー印刷されているのでそれらを確認することができる。モーツァルトにとってLeitgebのために作曲することが余程楽しかったように思える。なお、自筆譜の大半は失われているので、新全集に用いられた二次資料は、1803年Wienで出版された、自筆譜の写譜によるパート譜である。しかしこれは、1802年に出版されたAndré版とかなり異なっている。(André版も新全集に収録されているが、第1楽章は短く、テンポ表示はAllegro maestosoではなく、Allegro moderatoになっている。)
KV 494aは、第1楽章91小節からなる断章であるが、KV488のピアノ協奏曲同様、叙情的な作品である。この曲は、Giovanni Puntoもしくは、Jacob Eisenのために書かれたと推察されている。
KV447は、6曲のホルン協奏曲中最も美しく充実した内容になっている。モーツァルトが1784年から付け始めた「自作主題目録」にこの曲を入れていないことから、Johann Anton AndréとLudwig Ritter von Köchelはこれを1783年の作品と考えていたが、オーケストラの編成がオーボエとホルンではなくクラリネットとファゴットであることから、Schon Georges de Saint-Foixは1787年から1788年以前のはずはないとした。最近Wolfgang Plathにより筆跡鑑定からドン・ジョバンニの年(1787年)と推定されたが、「自作主題目録」に掲載されていないという疑問は未だ解決されていない。
KV386b(412+514)の第1楽章についても、AndréとKöchelは1782年の作としていたが、Plathによる筆跡鑑定により1791年と推定された。ロンド楽章には、完全なソロパートを持つスケッチと完成稿の「自筆譜」が存在している。ところがこの完成稿にはVienna Venerdi Santo Li 6 Aprile
797. (1797.4.6.聖金曜日)という書き込みがあり、Köchelはモーツァルトのいつもの冗談だと考え(モーツァルトの没年は1791年である)、作曲年代を10年前の1787年(この年の4月6日は聖金曜日である)とした。ところが、この完成稿はPlathの筆跡鑑定により、Franz Xaver Süßmayrによるものと判明した。しかも"7"ではなく"2"であり、Süßmayrによる補筆完成は1792年4月6日の聖金曜日ということになった。また、モーツァルトの自筆であることが確認されたスケッチもその筆跡から1791年に書かれたことがわかった。さらに、Alan Tysonによる使用五線紙の研究により、1791年3月から死ぬまでの間に書かれたことも明らかとなった。スケッチに基づいた補筆完成は、1980年Karl Marguerreによって行なわれた。Süßmayr版の中間部のみに第1楽章の変形がニ短調で現れるが、これはSüßmayrのオリジナルではなく、モーツァルトのスケッチに記されている。また、このスケッチには、Leitgebに対して演奏上の諸注意がイタリア語でこと細かく記載されている。まず、独奏ホルン・パートにはRONDO: Adagioという驚くべきテンポ表示があり(他の楽器はRONDO: Allegro)、ソロホルンが入るところで、à lei Signor Asino.(ロバ殿へ)Animo -- Presto -- sù via -- da bravo -- Coraggio --
e finisci già?(勢いよく−急いで−それ行け−いい子だから−元気よく−もう終わる?)à te. -- bestia -- oh che stonatura.
-- Ahi! -- ohimè! -- bravo poveretto!(お前に−ば〜か−おお、なんて調子はずれ−あっ!−あ〜あ!−全く哀れなやつ!)Oh, seccata di Coglioni!(おお、このキ○玉にはうんざり!)【二回目のテーマが現れるところで】oh Dio che velocità!(おお神よ、なんて速さなんだ!)【ニ短調のところでモーツァルトにより大きく×印が付けられ削除されている箇所であるが、Süßmayrは補筆の際に利用した】ah che mi fai ridere! -- ajuto! --
respira un poco!(ああ、なんて笑わせてくれるんだ!−助けて!ちょっと一息!)【ソロが6小節休みのところ;この部分はSüßmayrが補筆した際、削除してしまった】avanti avanti(前へ、前へ)questo poi và al meglio(今度はさっきよりいいぞ)【再現部のところで】e non finisci nemeno? – Ah Porco
infame!(最後までやらないの?−ああ、メス豚!)【独奏は最初の4小節のみで、その後は伴奏が旋律を引き継いでいる】oh come sei grazioso! (おお、なんていい感じ!)Carino! -- asinino! – ha ha ha –
respira!(かわいらしい!−ロバちゃん!−ハハハ−一息つけ!【フェルマータがある1小節休みのところで】)ma
intoni almeno una, Cazzo!(一音くらい調子をあわせろ、このチ○ポ!)【ストップ音が並んでいる演奏困難なところで;この部分もSüßmayrは補筆の際に削除した】ahi! -- ohime! -- ha haha! -- bravo
-- bravo e viva!(あっ!−あれまあ!−ハハハ!−ブラボー−ブラボー、万歳\(^o^)/)e vieni à seccarmi per la
quarta(4回目なのでもううんざり)【4回目のテーマが現れるところで】e Dio sia benedetto, per l’ultima volta(神よ、ありがとう、やっと終わりだよ)ah termina, ti prego! -- oh maledetto! -- anche bravura?
-- bravo! -- ah trillo da beccore! -- finisci? -- grazia al ciel! -- basta,
basta!(ああ、これで終わり、頼むよ!おお、いまいましい!【早いパッセージでストップ音が続く箇所で】うまくできる?【自然倍音のところで】−ブラボー!【トリルのところで】−ああ、小鳥のさえずり!【十六分音符の細かい動きのところで】−終わる?−神に感謝!−もう十分、おしまい!)【trillo da beccore:beccoreの意味は不明であるが、beccoは嘴、管楽器のマウスピースの意味がある。trilloにはトリルの他にさえずりという意味もあるので、ここでは「小鳥のさえずり」とした。】
Leitgebは、ホルン奏者としてだけでなく、チーズ商としても成功したが、晩年のモーツァルトには彼に多額の借金があったに違いない。それで、モーツァルトの死後、コンスタンツェが借金返済のためにSüßmayrにレクイエムを完成させたようにKV356b(412+514)の未完のロンド楽章も補筆完成させたと思われる。(イタリア語訳はローマ在住のホルン奏者、中根史佳氏の協力による。この場を借りて感謝する。)