黄金時代の幕開け

武本 浩

 

17837月、モーツァルトは妻コンスタンツェを伴って父と姉が住む故郷を訪れ、1026日、聖ペテロ大聖堂で「ハ短調ミサ」を演奏して翌日ザルツブルクを後にした。途中、リンツに立ち寄り、新しい交響曲を作曲して12月ヴィーンに戻った。年が明け、1784年、モーツァルトはヴィーンで自立し、独自の音楽活動を開始する。『17842月より1XXXX月にいたる私の全作品目録−ヴォルフガンク・アマデ・モーツァルト』と題する自作全品目録は、16.5センチ×21.4センチ、44ページからなる縦長のノートブックで、そこには日付、曲目、編成と主題が数小節記されている。日付は、多くの場合完成された日であるが、作曲を開始した日であることもあった。たとえば、交響曲第39番変ホ長調KV543、行進曲ニ長調KV544、ピアノソナタハ長調KV545、弦楽のためのアダージョとフーガハ短調KV5464曲は1788626日の日付になっているが、4曲全てがこの日付に完成されたとは考えられていない。さて、178429日から記録が開始された自作全品目録の記念すべき第一頁は以下のようになっている。ただし、曲名については【  】で補足した。

 

178429

1,    クラヴィーア協奏曲 【ピアノと管弦楽のための協奏曲第14番変ホ長調KV449

伴奏、ヴァイオリン2、ビオラ、バス、−(オーボエ2、ホルン2、アド・リビトゥム)

 

315

2,    クラヴィーア協奏曲 【ピアノと管弦楽のための協奏曲第15番変ロ長調KV450

伴奏、ヴァイオリン2、ビオラ2、フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、バス

 

322

3,    クラヴィーア協奏曲 【ピアノと管弦楽のための協奏曲第16番二長調KV451

伴奏、ヴァイオリン2、ビオラ2、フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、クラリーノ2、ティンパニ、バス

 

330

4,    クラヴィーア五重奏曲 【ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調KV452

伴奏、オーボエ1、クラリネット1、ホルン1、ファゴット1

 

412

5,    クラヴィーア協奏曲 【ピアノと管弦楽のための協奏曲第17番ト長調KV453

伴奏、ヴァイオリン2、ビオラ2、フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、バス

 

ピアノ協奏曲第14番変ホ長調KV449とピアノ協奏曲第17番ト長調KV453は、モーツァルトの弟子である、皇王室帝国枢密院代表ゴットフリート・イグナーツ・フォン・プロイヤーの娘、バルバラ・フォン・プロイヤーのために作曲されたため〈プロイヤー協奏曲〉と呼ばれている。このピアノ協奏曲第14番変ホ長調KV44929日に完成したが、アラン・タイソンの自筆譜と使用五線紙の研究では、17821783年に作曲された〈ヴィーン協奏曲〉第12番イ長調KV414385p)、第11番ヘ長調KV413387a)、第13番ハ長調KV415387b)と同時期に書き始められたと考えられている。第一楽章の170小節まで書き進んだところで作曲が中止され、1783年の12月、ザルツブルクからヴィーンに戻ってから、テナーのためのアリアKV435(416b)のスケッチが書かれた五線紙を使用して再開された。その後、さらに全く別の新しい五線紙で続きの部分が作曲され、29日に完成した。ピアノ協奏曲第14番変ホ長調KV449にはオーボエとホルンはアド・リビトゥム、すなわち演奏の際にこれらの管楽器を入れても入れなくてもどちらでもよいという指示がモーツァルトの手によって書き込まれているが、これは第11番から第13番の〈ヴィーン協奏曲〉と全く同様である。1783426日、モーツァルトがパリの音楽出版者ジャン・ジョルジュ・シベールにあてた手紙で

 

私は三つのクラヴィーア協奏曲を完成しております。これはフル・オーケストラで演奏できますし、オーボエ、ホルンをつけても ―― あるいはたんに四重奏でも演奏可能です。

 

と、伝えている。自作全品目録の第一曲目は、四重奏としても演奏可能な室内楽的なピアノ協奏曲であったが、本日演奏する自作全品目録の第二曲目、ピアノ協奏曲第15番変ロ長調KV450は、かなり性格が異なっている。管楽器の合奏から開始されるこの斬新なピアノ協奏曲は、オーケストラにピアノの伴奏を務めさせるだけでなく、対等の役割を演じさせ、モーツァルトの黄金時代の幕開けを予感させるものである。

 

178433日、モーツァルトがザルツブルクの父に宛てた手紙を引用しよう。

 

ほとんど手紙が書けないのをお許しください。でも、絶対に時間がないのです。というのは、今月の17日から四旬節に毎水曜日3回、トラットナー邸のサロンで予約演奏会を3回開きますが、これはもうすでに100人の予約者があり、当日までにはまだ軽く30人は集まるでしょう。 ―― 今年中に、おそらく2回、劇場で演奏会を開きます。 ―― そこで、ぼくがどうしても新曲を演奏しなければならないことが想像していただけるでしょう。 ―― したがって書かざるをえません。 ―― 午前中は全部、生徒たちに時間を使ってしまいます。 ―― そして、夜はほとんど毎日弾かなくてはなりません。以下、ぼくが確実に弾かなくてはならない演奏会の全リストをごらんください。

 

1784年は閏年であったから、226日から43日までは、38日間。その間になんと22回のコンサートが予定されているのである。22回のコンサートのうち、317日、24日、31日の水曜日はトラットナー邸での予約演奏会、321()41日(木)には劇場での演奏会、その他は、毎月曜日と毎金曜日がエステルハージー邸、毎木曜日がガリツィン邸、毎土曜日がリヒター邸での演奏会となっていた。210日に父に宛てた手紙には、

 

午前中はすっかりレッスンで終わってしまうので、ぼくの好きな仕事 ―― 作曲のためには夜しかのこっていません。

 

と、したためているが、この1ヶ月の間に関しては、連日連夜コンサートの舞台に立っていたモーツァルトは夜の時間を作曲に充てることはできなかった。午後は新曲のリハーサルを行う必要もあったであろうから、睡眠時間を削って深夜に作曲していたのであろうか?1784526日、モーツァルトが父に宛てた手紙の中で、モーツァルトは、

 

ぼくらは12時にやっとベッドに入りますし、5時半から5時には起きます。

 

と記していることから、非常に規則正しい生活をしていたモーツァルト夫妻の姿が浮かび上がる。そうすると、コンサートの合間やリハーサルの合間に時間を作っては作曲していたとしか考えられないが、演奏活動で超多忙を極めたこの1ヶ月足らずの間に3曲の〈大協奏曲〉と、1曲の〈大五重奏曲〉を仕上げたのは驚くべき事実である。ちなみに921日に次男のカール・トーマス(名付け親はヨハン・トーマス・フォン・トラットナー)が生まれているから、妻コンスタンツェはこの頃妊娠4ヶ月であった。トラットナー邸での予約演奏会では毎回新作のピアノ協奏曲が作曲家自らの演奏で披露されることになっていたので、315日に完成したピアノ協奏曲第15番変ロ長調KV450324日に初演されたと考えられている。また、おそらく321日の初めての劇場での演奏会にも、演奏曲目として取り上げられることになっていたであろう。しかし、320日に父に宛てた手紙でこの演奏会が中止になったことを伝えている。

 

あした、ぼくの最初の劇場コンサートが開かれるはずでした。 ―― ところが、ルイ・リーヒテンシュタイン公が自宅でオペラを上演するのです。 ―― その結果、貴族の主な人たちがさらわれてしまうばかりか、オーケストラの優秀なメンバーも引っこ抜かれてしまうのです。 ――そこでぼくは印刷の通知を出して、劇場コンサートを41日に延期してもらいました。

 

41日、ヴィーン地方新聞は以下のように伝えている。

 

本日、木曜日の41日、カペルマイスター(音楽家)・モーツァルト氏は皇王室国民宮廷劇場で、彼自身の義捐興行のために大演奏会を催す光栄を持った。この演奏会で演奏されるのは次の曲である。1、トランペットとティンパニを伴うシンフォニー。2、アリア。アーダムベルガーによって歌われる。3、カペルマイスター・モーツァルト氏はピアノフォルテによるまったくの新曲を演奏する。4、まったく新しい大シンフォニー。5、アリア。カヴァリエーリ嬢によって歌われる。6、カペルマイスター・モーツァルト氏は全く新しい大五重奏曲を演奏する。7、アリア。兄のマルケージ氏によって歌われる。8、カペルマイスター・モーツァルト氏は、たった1人で、ピアノフォルテで即興演奏(ファンタジーレン)をする。9、最後にシンフォニー。3つのアリア以外はすべてカペルマイスター・モーツァルト氏のものである。

 

ここで、一つの疑問が沸き起こる。41日は、もともと劇場での演奏会が予定されていた日である。モーツァルトは321日の演奏会は中止し、41日に延期するという印刷の通知を出したと父に伝えている。同じ日に2回の公演が行われたのであろうか。41日は木曜日で、マチネの演奏会はありそうにないので、その可能性はないように思える。3曲目の『ピアノフォルテによるまったくの新曲』が、321日の劇場演奏会で予定していたピアノ協奏曲第15番変ロ長調であったのか、322日に完成したピアノ協奏曲第16番二長調KV451のいずれを予定していたのかは不明であるが、6曲目の『全く新しい大五重奏曲』は330日に完成したピアノ五重奏曲変ホ長調KV452である。1784410日、モーツァルトが父に宛てた手紙で予約演奏会と皇王室国民劇場で行われた演奏会の模様が報告されている。

 

親愛なお父さん!

こんなに長い間ご無沙汰したことを、どうぞ怒らないで下さい。 ―― でも、ぼくが最近どんなに忙しいか、ご存知ですね! ―― 3つの予約演奏会で、ぼくはたいへんな名声を得ました。 ―― 劇場でのコンサートも非常に好評でした。 ―― 二つの大きな協奏曲を作曲しました。それから五重奏曲を一曲書いたのですが、これは異常に受けました。 ―― ぼく自身いまでも、これまで書いたもののうちで最高だと思っています。 ―― それはオーボエ1、クラリネット1、ホルン1、ファゴット1、それにピアノフォルテという編成です。 ―― あなたに聞いてもらえたらなあ! ―― それに、演奏がまたどんなにすばらしかったことか! ―― でも(実を言うと)、ぼく、弾きっ放しだったんで ―― 最後には疲れましたよ。 ―― そして、聴衆が決して疲れなかったことが、ぼくにとって少なからぬ名誉です。

 

 

ここでモーツァルトは、劇場でのコンサートは好評で、二つの大きな協奏曲と五重奏曲を書いたが、五重奏曲は異常に受けた。弾きっ放しだったので疲れた、と述べている。モーツァルトは、「二つの大きな協奏曲と五重奏曲を書いた」のであり、「二つの大きな協奏曲と五重奏曲を弾いた」とは言っていないが、これが書き間違いだったと仮定すると、「弾きっ放しだったので疲れた」この日の演奏会では、もともと321日の劇場演奏会で予定していたピアノ協奏曲第15番変ロ長調KV45041日の劇場演奏会で予定していたピアノ協奏曲第16番二長調KV451の両方が演奏されたのかもしれない。

 

1784515日、モーツァルトは父に郵便馬車でピアノ協奏曲第14番変ホ長調KV449、第15番変ロ長調KV450、第16番二長調KV451、第17番ト長調KV453の楽譜を送っている。1784526日、モーツァルトが父に宛てた手紙で、これらの斬新なピアノ協奏曲が自らが最も敬愛する音楽家に認められるかどうか非常に気にしていたことがわかる。

 

リヒター氏があんなに絶賛していた協奏曲は、変ロ長調のものです。 ―― まったくこれはこの種のぼくが書いたもののなかで最初のもので、そのときも彼はぼくにそう言って誉めました。 ―― この変ロ長調とニ長調の協奏曲のどちらを選ぶか、ぼく自身決めかねます。 ―― 二つとも、演奏者に汗をかかせる協奏曲とみています。 ―― でも、むつかしさの点では変ロ長調の方がニ長調より上です。 ―― いずれにせよ、変ロ長調、ニ長調、ト長調の三つの協奏曲のうち、お父さんとお姉さんにどれが一番気に入るか、ぜひ知りたいものです。 ―― 変ホ長調のは、まったくこの種のものではありません。 ―― これは全く特殊なジャンルの協奏曲で、大編成よりは小編成のオーケストラのために書かれています。 ―― だから、さし当たって三つの大協奏曲だけについて言うのですが、あなたの判断が当地の一般の判断や、そしてぼくの判断とも一致しているかどうか、知りたくてたまりません。むろん、三曲とも、完全な編成で、しかもよい演奏で聴いての話ですが。 ―― それらの楽譜が再びぼくの手に戻るまで、喜んで我慢しましょう。 ―― ただ、誰の手にも渡さないでくださいね。

 

1784721日、モーツァルトがザルツブルクの姉に宛てた手紙にも、

 

三つの大協奏曲をみんな聴き終えたら、あなたがどれを一番好むか、とっても知りたいのです。

 

と、ある。

 

モーツァルト自身が〈大協奏曲〉と呼んだ、ピアノ協奏曲第15番変ロ長調KV450は、これまでのものとは全く異なり、管楽器に完全に独立した「開放された」役割を演じさせ、壮大なシンフォニックな響きを醸し出す後世の作曲家がお手本とした近代的なピアノ協奏曲の第一歩として、大きな音楽史的意義を持っている。当時の一般聴衆はこの斬新な現代音楽をどのように感じたのであろうか。一部には批判もあったであろう。モーツァルトは、コンサートは成功で名声を得たと知らせているが、なかなか返事をくれない姉に対して催促の手紙を送っていることから、真の評価は如何なるものか、28歳のモーツァルトに期待と不安が交錯していたのではあるまいか。いずれにせよ、前作から5週間かけて作曲したピアノ協奏曲第15番変ロ長調KV450 315日)以降、この1年間に、ピアノ協奏曲第16番二長調KV451 322日)、ピアノ協奏曲第17番ト長調KV453 412日)、ピアノ協奏曲第18番変ロ長調KV456 930日)、ピアノ協奏曲第19番ヘ長調KV459 1211日)、ピアノ協奏曲第20番ニ短調KV466 210日)、ピアノ協奏曲第21番ハ長調KV467 39日)と次々と不朽の名作が世に出ることになった。

 

【参考文献】

 

1.           海老沢敏・高橋英郎、モーツァルト書簡全集V、白水社 (1995)

2.           Alan Tyson, Mozart: Studies of the Autograph Scores, Harvard University Press (1987)

3.           Marius Flothuis, Konzert in B für Klavier und Orchester KV450, Bärenreiter (1975)

4.           H. C. Robbins Landon, Mozart: The golden years, Thames and Hudson (1989)