ご あ い さ つ

 

 

大阪モーツァルトアンサンブル 武本 浩

 

 


本日は、お忙しい中、私どもの演奏会にお越しいただき、誠にありがとうございます。悪夢のようなあの日々からはや1年半が過ぎようとしておりますが、物資的あるいは精神的な復興には、さらに長い年月と膨大な資金が必要とされています。本日の演奏会では、精神的な復興の一助にと、世界的なピアニスト、田崎悦子先生がボランティアで駆けつけてくださいました。

先生が独奏を務められるピアノ協奏曲第22番変ホ長調KV482は、モーツァルト29歳のときの作品で、総譜には17851216日完成との記入があります。「フィガロの結婚」の作曲に取りかかっている合間に大急ぎで作曲されたので、独奏部の楽譜は、不完全なままになっています。これは、自分が主催する音楽会で自ら演奏することを考えて書かれているため、完全に書き下ろす必要がなかったからです。父レーオポルトは1786113日の手紙で、「[178512月にモーツァルトは]大変慌しく予約演奏会を3回やりましたが、予約者は120人でした。変ホ長調の新しいピアノ協奏曲もこのために作ったのですが、(こんなことも珍しいのですけど)そのアンダンテをアンコールでもう一度弾かなければなりませんでした。」と述べています。さらに、17851223日ブルク劇場における、音楽芸術家の未亡人、遺児たちのためのクリスマス音楽会でディッタースドルフのオラトリオ「エステル」の幕間音楽として演奏されたという記録が残されています。このときの模様をヴィーン新聞は、次のように伝えています。「W.A.モーツァルト氏が自身の作曲によるフォルテ・ピアノの協奏曲を演奏した。それがどんなに賞賛を博したかはここには書くまい。かくも有名で評価の高い名人の得た名声には我々の賛辞は蛇足であろうから。」

交響曲第21番イ長調KV134は、モーツァルト16歳の時の作品で、サン・フォアが、「驚くほど想像力豊かで詩的」と評したように、この時期の一連の交響曲の中では、特に優れたものです。交響曲第22番ハ長調KV162と交響曲第26番変ホ長調KV161aはモーツァルト17歳の時の作品で、生き生きとしたイタリア風序曲となっています。実際、交響曲第26番変ホ長調KV161a1779年から1780年にかけてのシーズンに、ザルツブルクでヨーハン・ベーム一座による、カール・マルティーン・ブリューミケの「ラナッサ」という劇の序曲として転用されました。当時、交響曲がオペラの序曲に転用されたり、オペラの序曲が交響曲に転用されたり、セレナーデ、カッサシオンなどの機会音楽から、いくつかの楽章を抜粋して交響曲として演奏されることは、まれではなかったのです。また、独奏楽器を含む楽章は、独奏楽器が単独の場合は協奏曲として、複数の場合は協奏交響曲として転用されることもありました。

その一例が本日の演奏会で取り上げた、2本のフルート、2本のオーボエ、2本のファゴットのための協奏交響曲です。この曲は、1783323日ブルク劇場での音楽会で演奏されました。ヴィーンで成功を収めつつあるモーツァルトが、故郷ザルツブルクに住む父に宛てた、1783329日付けの手紙の中で、この時の演奏会の模様を伝えています。「親愛なお父さん! ぼくの演奏会の成功について、あれこれ語るまでもないと思います。たぶん、もう評判をお聞きになったでしょう。要するに、劇場はもう立錐の余地がないほどで、どの桟敷席も満員でした。――なによりもうれしかったのは、皇帝陛下もお見えになったことです。そして、どんなに楽しまれ、どんなにぼくにたいして拍手喝采してくださったことか。」また、クラーマーの「音楽雑誌」(ハンブルク、178359日号)にも以下のような記載があります。「われらが君主は、陛下のいつもの慣例に反し、演奏会の間じゅうご出席なさっておられ、しかも全聴衆は陛下とご一緒にまったく一体になって拍手喝采したが、当地では同じような例はない。」

演奏会が大成功であったことを伝える父への手紙には、演奏会のプログラムが詳しく書かれており、モーツァルトの演奏会のスタイルを知る上で非常に貴重な資料となっています。この演奏会は新ハフナー交響曲で幕を開け、かつての失恋相手で義姉のアロイージア・ランゲが歌うアリア、自作自演のクラヴィーア協奏曲、アーダムベルガーが歌うアリア、そして、「ぼくの最近のフィナール・ムジークから小コンチェルタンテ・シンフォニー」、変奏曲ロンドーをつけた自作自演のクラヴィーア協奏曲、タイバー嬢が歌うアリア、モーツァルトの即興演奏で小さなフーガと二つの変奏曲、アロイージアが歌うロンドー、そして最後に最初のハフナー・シンフォニーの終楽章で幕を閉じるという演奏会でした。「ぼくの最近のフィナール・ムジークから小コンチェルタンテ・シンフォニー」のフィナール・ムジークとは、ザルツブルク大学の予備課程の修了式に演奏される音楽で、モーツァルトは1769年から1779年までほぼ毎年作曲しています。ザルツブルク大学の学生たちは、専門課程に進む前の2年間の予備課程で論理学(哲学)若しくは物理学の履修が義務付けられており、8月の試験を終えると、ミラベル宮殿に住んでいた大司教と大学の教授たちの前でフィナール・ムジーク、すなわち最後の音楽を演奏するのが慣わしでした。ブルク劇場で演奏された「ぼくの最近のフィナール・ムジーク」とは、1779年に83日に完成した、モーツァルト最後のフィナール・ムジーク「ポストホルンセレナーデ」KV320をさしています。本日は、大阪モーツァルトアンサンブルの木管楽器奏者である、盛智恵子・大森寛之(フルート)、井上雅勝・利谷久美(オーボエ)、尾家祥介・服部真貴子(ファゴット)の独奏で演奏します。