谷口東上記

この9月18〜20日にかけて谷口正光が、学会参加にかこつけて東上しました。
この日をX-dayと名付けて、皆さん飲み歩いたそうな!
挙げ句の果てに、吉越が谷口と伴に宮崎まで行ってしまったとか。
その際の画像を一挙公開!
 

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X-dayのアルバム
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片山氏は、どういう訳か、この小さな画像しか送ってくれませんでした。もし欲しい方は、
個別に、片山氏に依頼して下さい。


谷口東上記詳細報告!

09/18
 (金)
基本的に仕事の日です。
幕張の展示会に行って来ました。
展示会は09/16〜09/18の3日間で、いずれも5:00p.m.まで、と思ってたら、なんと最終日は後かたづけのため4:00p.m.まで。

こりゃあ、予定より早めにフリーになるぞってことで片山さんに連絡しました。午後から幕張に行くと言っていたので1:00p.m.頃電話しました。

でもつながりません。呼び出して更に着信してるようなのですが先方からの声が聞こえず、数秒で切れてしまいます。これを3回ぐらい繰り返し、やっとつながったのが2:00p.m.頃でした。

事情を説明しましたが、片山さんはまだ会社にいました。しかもなんと会議中。午後から幕張に行くって言ったじゃないか。
電話の向こうの片山さんはとってもまじめで、口調が全て「です、ます」調でした。おかしいと思ったけど、会議中だったのね。

あとで聞いたんだけど、片山さんの会社は携帯電話が非常につながりにくいのだそうです。私がダイヤルしたときもそれで難航したようです。PHSにもダイヤルしたのですが、こちらは呼び出しのみで、誰も出ませんでした。上着のポケットに入れたまま放置してあったそうです。困るよなあ。

4:00p.m.過ぎ、片山さんが出席してるであろうIBM総合フェアの前から再度電話しました。そしたら、片山さんは私が出席してた臨床検査学会の前にいるとのこと。

そちらの方に移動しました。片山さんも私の方へ移動してるであろうと、挙動不審なおじさんを捜していたら私を呼ぶ声がします。きょろきょろと辺りを見回しやっと見つけました。移動中と思いこんでいたので立ってる人ばかり探していたら、なんと座ってたんですねえ。あなたも移動してよ。

何はともあれ、片山さんと合流できたので飲みに行きました。予定通り、「司」です。5:00p.m.に行ったのに、2階はもういっぱいでした。やむを得ず、1Fのカウンターに座りました。城ちゃん若しくは中野さんが来るかもってことで席を3つ確保しました。

しかし、結局これが命取りでした。八方手を尽くしましたが、(片山さんが、です。私は何もしてません。)
誰も来ないことが判明しました。

その間、「司」にはお客さんがどんどん入ってきました。
満員で断られたお客さんもいました。しかも1人のお客さんです。
我々が席を余分に確保したために。
お店の人に「満員です。」と言われて、そのお客さんは「あそこは?」と我々の隣を指さして言ってました。店員があっさり「あそこは人が来るんです。」と断りました。

我々はさすがにいずらくなって「司」を出ました。
まだ、7:00p.m.前です。

西船橋の駅周辺で2軒目の店を物色しましたが、結局片山さんの知ってる「Winning」に行きました。
開店と同時です。さすがにお客さんは我々だけでした。しかも、朝礼やってました。

女の子のレベルは高く、私は満足しました。リナちゃんは私が出席した臨床検査学会の受付をしてたんだそうで
す。千葉の世間は狭い。

私が九州から来たことを伝えると「全然、なまってないじゃないか!」と、苦情を言われました。
そんなこと言われても困るよなあ。

「Winning」には10:00p.m.ぐらいまでいました。それから片山さんのマンションに移動しました。
一応2DKらしいのですが部屋の境目も判別できないほど散らかってました。

ヨシゴエ邸とは大違いです。片山さん曰く
  「ヨシゴエは物を持ってない。」
だそうです。

でも片山さんなんかガスコンロも持ってないんですよ。要は片づける能力に欠けてるんだと思います。

片山さん宅では冷酒を頂きました。魚の粕漬けも焼いて貰いました。これはうまかったです。
途中、郡山館に書き込みもしました。

出張中の私は疲れていたので早々に寝ました。
時刻は覚えてません。

あ、あと片山邸は2名が床に座って飲む空間さえ確保が難しいです。
それぐらい、足の踏み場がありません。
 

09/19
 (土)
8:00起床
その前に目を覚ましたとき、私は床で寝てました。カウチから落ちたのでしょう。

まずシャワーを浴びました。片山さんは湯船にお湯を張ってくれました。

朝食にと、レトルト食品のお粥を出してくれましたがそれは賞味期限を過ぎてたので食べませんでした。2種類出してくれましたが、1個
は2ヶ月、もう1個は8ヶ月すぎてました。片山さんも食べませんでした。
仕方がないのでカップ麺を食べました。朝食にカップ麺を食べたのは初めてです。

更に昨夜食べた魚の粕漬けを片山さんが出してくれました。昨夜と違って電子レンジでチンだったのでまずかったです。
片山さんにそう伝えると火であぶり直してくれました。こういういい人っぽいところもあるようです。

のどが渇いたので冷蔵庫を物色したらコカコーラがありました。でもこれも賞味期限を過ぎてました。しかも2年も!
片山邸は危険な物がいっぱいです。

賞味期限が2年も過ぎたコーラってのはどんななのだろうという関心から、ちょっとだけ味見しました。意外と普通でした。
でもそれ以上は飲みませんでした。

ヨシゴエさんに連絡入れた後、10:30A.M.に片山邸を出発しました。道案内にノートパソコンとカーナビソフトを持っていきました。駐車場を出た瞬間から、片山さんはカーナビソフトに逆らってました。
カーナビを見ながら
  「何で反対方向に行くの?」
って聞いたら、まずガソリンを入れるんだって言ってました。

ところが、ガソリンスタンドにたどり着く前に片山さんはUターンしてしてしまいました。忘れ物をしたのです。私ではないですよ。
何を忘れたのかは忘れました。

マンションに駆け込んだ片山さんが車に戻ってくるなり、「ジュースが出しっぱなしだったぞ!」
「俺が帰ってきたとき、飲むものがないと困るじゃないか。」
って、怒られました。でもこのジュースは片山さんも飲んでます。

さて、気を取り直して再出発です。車はローバーです。壊れた車とは思えないほどこの日は快調でした。
買い換えるのはもったいないです。

車自体はなかなかのものですが、車内は片山邸同様でした。車内全体がゴミ箱だと錯覚した私がガムの包み紙を足下に捨てたら、片山さんにしかられました。なんと後部座席のところにゴミ袋があったんです。私にはあまり意味がないように思えました。

車は一路厚木へ向かって走ります。
カーナビソフトが途中何度も高速道路をおりるように促しますが、我々は無視し続けました。片山さんが、このソフトは頭悪い、って言ってました。でもこれは、そのソフトに距離優先で案内しろって指示した片山さんが悪いんだと思います。

高速道路をひた走り、順調に厚木市内に入りました。一般道に入ってからはカーナビソフトに頼るしかありません。
ちょっと不安でしたが、このソフト、期待以上の案内をしてくれました。
ヨシゴエ邸の200m以内ぐらいまで案内してくれました。我々の記憶が曖昧で、そこからちょっと無駄な走りをしましたが、1:00P.M.無事ヨシゴエ邸に辿り着きました。

辿り着いたはいいけど、ヨシゴエさんがいません。どうしようかと思っているところへ、ヨシゴエさんが城ちゃんを連れて帰ってきました。
ナイスタイミングです。
ヨシゴエ邸へ辿り着いた我々は主人の案内なしに勝手に上がり込もうとしました。でも玄関には鍵がかかってます。当然か。
と、思いきや、ヨシゴエさんが
「え?鍵かかってる?」
鍵をかけた記憶はないらしい。

実際ヨシゴエさんは身につけている物全てを物色しましたが家の鍵は見つかりませんでした。そこで機転を利かせた城ちゃんがリビングの掃き出し窓へ回り込み、家の中へ進入しました。

きっとヨシゴエさんはこちらから出たのでしょうが、記憶になかったようです。しかもヨシゴエさんは、こうやって城ちゃんが危機を救ったのも翌日知ったのです。

ちょっとしたハプニングがあったものの無事ヨシゴエ邸に入り込んだ我々は缶ビールを1本ずつ飲みました。

ビールを飲みながらしばし談笑した後、宮本庵(蕎麦屋)へ向かいました。移動はタクシーです。

宮本庵では最初からそば焼酎のそば湯割りを飲みました。5合瓶を3本空にしました。肴にこんにゃく、蒲鉾、煮物、酢の物、そばがき(他
にもあったかもしれないけど忘れた)を食べました。いずれもうまかったです。肴はほとんど私が注文したのですが、選び方が上手いとヨシゴエさんが褒めてくれました。

途中から大石も加わりました。

片山さんが中野さんを呼びだしてる様子でしたが、結局彼は来ませんでした。

私はそこでもりを2枚食べました。久しぶりの関東のそばだったので旨かったです。

4本目の焼酎が半分ぐらいになったところで河岸を換えることにしました。ミエちゃんのいるうなぎやへ移動です。移動は徒歩です。大石だけ自転車です。卑怯ですよね。

店を出た直後、城ちゃんが財布をなくしたと騒ぎ出しました。城ちゃんとヨシゴエさんが店へ戻り探しましたが見つかりません。ヨシゴエさんが「本当に持ってたの?」と尋問しますが、城ちゃんはたしかに持ってたと言い張ってました。
たしかに城ちゃんは宮本庵の支払いをしてましたから財布は持っていたのです。これは複数の目撃者の証言があるので事実です。しかし、城ちゃんはそれとは別のもう1つの財布をなくしたと言い張っているようです。
尋問によりここまで聞き出したヨシゴエさんは、初めから持っていなかったのだと確信し、ウナギやへ行くよう、みんなを促しました。事実、その無くしたはずの財布は、翌日ヨシゴエ邸で見つかってます。

てくてく歩いてウナギ屋へ向かっていたら、宮本庵の人が自転車で追いかけてきました。城ちゃんの財布が見つかったのかと期待しましたが、違いました。当然ですね。

宮本庵に人は財布ではなくてサンダルを持っていました。城ちゃんが間違えてお店のサンダルを履いて店を出てしまったようです。城ちゃんはヨシゴエ邸のサンダルを勝手に履いてきたようですが、普段使わないだけに、間違えたのでしょう。

ところでこの宮本庵の人は我々が相当移動してから追いかけてきたのですが、我々の進行方向を知っていたのでしょうか。我々が酔っぱらって
  「次はウナギやへ行くぞ!」
って、叫んでたんでしょうね。多分。

更にてくてくウナギや目指して歩いた私たちは、本厚木の駅近辺で力尽き、タクシーに乗りました。タクシーに乗ったのはヨシゴエ、片山、谷口の3人です。

大石は自転車です。城ちゃんは我々より先に力尽き、大石の自転車に2人乗りしてました。

ウナギ屋へはタクシーに乗った私たちが先につきました。これが多分5:00P.M.頃です。
間もなく城ちゃんと大石も辿り着きました。この2人は私たちがタクシーに乗ったのは知らなかったようです。

城ちゃんを後ろに乗せて目一杯漕いだらしい大石は、ウナギやへ辿り着くなりくたばってしまいました。タクシーを使った私たちを卑怯だ、と罵ってました。

今思い出したけどこの日大石の奥さんは体調不良だったんです。奥さんを振りきって最後まで我々につき合った大石君は立派です。

大石の自転車に捕まってただけの城ちゃんは、大石につられたのか、くたばってしまいました。つまり、寝ちゃったのです。

ウナギ屋には噂のミエちゃんがいました。でもあんまり相手してくれませんでした。店が忙しいからと言うより、私たちを避けてるように私には見えました。前回おじさんたちがよっぽど無礼な行動をとったんだと思います。

ここではウナギの骨やらうざくやらを肴に酒を飲みました。最後に鰻重も食べました。城ちゃん以外はまだまだ元気なようです。大石に至っては、寝てる城ちゃんをかついで移動する意気込みでした。

さて、次の店へ移動です。
しかし、我々には巨大な荷物があります。寝てる城ちゃんです。お店の人(ミエちゃんじゃない、女将さん)に、
  「これ、置いていっていいですか?」
って、聞いたら、
  「持って帰ってください。」
と、言われたので強引に起こすことにしました。
幸い、城ちゃんが目を覚ましてくれたのでかつぐ必要はありませんでした。

次の店はスナックです。この時点で7:30P.M.。ヨシゴエさんはその前日もここで飲んでたそうです。
女の子がとっかえひっかえつきましたが、名前は覚えてません。私の隣に熊本出身だという女の子が座り、結構長時間会話しましたがこの子の名前も覚えてません。好みの子ではなかったので、初めから覚える気もなく、熊本さんと呼んでいました。相手は私を宮崎さんと呼んでいました。

この店でも城ちゃんは初めから寝てました。

水割りを飲みながらいろんな話をしましたが、内容はよく覚えてません。みんな結構カラオケ歌ってました。片山さんが私に
  「おまえ、ほら、あれ歌え。」
って言うから
  「なんですか?」
って、聞いたら
  「ほら、あれだよ。あれ。TM、TM。」
って、言うので、
  「ああ、TMネットワークですね。」
って、答えたのを覚えてます。しかしこれはTMレボリューションの間違いでした。

そんなこんなしているうちに大石が力尽きました。でも大石は背もたれもない小さな椅子に座ってたので、ゆっくり眠れなかったようです。最後まで断続的に寝たり起きたりを繰り返してました。

11:00P.M.頃、片山さんが帰ろうと言い出しました。私は賛成しました。2人も死んでるので当然の判断だと思ったのです。もっと早く帰ってもいいぐらいでした。ところがヨシゴエさんが頑なに拒みました。閉店まで粘るのだと言い張ってました。根負けした片山さんは力尽き、寝ちまいました。私は仕方がないのでそのまま飲み続けました。

更に日付が変わって1:00A.M.頃。
片山さんが目を覚ましました。また、帰ろうと言い出しました。それでもヨシゴエさんはなかなか首を縦に振りません。私もいい加減疲れていたので強力に片山さんをバックアップしました。
我々の必死の説得により、やっと店を出ることになりました。1:30A.M.です。

ヨシゴエさんがこれほどまでにこだわった理由は片山さんが報告した通りです。(ホントにそうなの?)

店を出た我々はタクシーでヨシゴエ邸へ戻りました。大石は自宅へ戻りました。城ちゃんもちゃんと起きてくれました。

あとで聞いて知ったのですが、私たちはこの店で\73,000も使ったのだそうです。
  「6時間もいればしょうがねえか。」
って、片山さんがぼやいてました。

ヨシゴエ邸の2Fには布団が3組み敷いてありました。帰り着いて程なくみんな布団で寝ました。いびきがうるさかったですが、みんなぐっすり眠れたでしょう。

やっと、2日目の終了です。今考えてもこの日は長かった。
 

09/20
 (日)
8:00起床
まず城ちゃんが起きました。私は気づきましたがまだ眠かったので起きませんでした。次に片山さんが起きました。まだ眠かったけど仕方ないので起きました。

1Fリビングに行くと、岩淵・片山両名は食物を物色してました。カップ麺を見つけ勝手に食ってました。

私も何か食べようと思いましたが、すかさず城ちゃんから
  「もう無いよ。」
と、言われました。

それでも私はめげずに物色し続け、冷凍庫にあるSPA王を見つけました。ラッキー!
電子レンジでチンして食べました。初めて食べたけど、旨かったです。最近の冷凍食品て旨いのね。

冷凍庫には凍ったご飯もありました。別にレトルトのカレーもあり、この2つがセットのようです。

今、思い出しました。
メールで話題になった空の角を確認してきました。城ちゃんの報告通り、おびただしい数の角が整然と並んでました。中には奇形もいました。あれは日本酒の空でしょう。

私がSPA王を食ってる頃、ヨシゴエさんが起きてきました。結局、昨日力尽きた者から順に起床したことになります。

私は大石に財布を預けていたので、電話で大石を呼び出しました。眠そうでしたが、ちゃんと持ってきてくれました。ちなみに何故私が財布を大石に預けたかというと、セカンドバッグ等の入れ物を持ち合わせていなかったからです。

必要最小限の物をスーツケースに入れて出かけたのでこうなりました。それでも18日まではスーツだったので何とかなったのですが、19日だけは手に負えなくなったのです。それでも、うなぎ屋までは手に持ってたのですが、最後のスナックで持て余し、大石に預けたのです。何故大石かというと、彼が一番信頼できるからです。あくまで比較論ですが。

しばらくの間、シャワーを浴びたり、歓談したりして、11:00A.M.頃ヨシゴエ邸を出ました。大石はオートバイで自宅に帰りました。

ヨシゴエさんが執拗に宮本庵に先導しましたが、結局だれも蕎麦屋には行きませんでした。この時、飲める元気があったのはヨシゴエさんだけだったと思います。

羽田までの車の中で、私は寝ようとしました。二日酔いで気分が悪かったんです。でも、3人は寝かせてくれませんでした。それが、
>(途中、東京タワーやレインボーブリッジを
> 谷口に見せてあげました。)
と、なります。

寝ようとする私を強引に揺り動かし、
  「おい、谷口。ほらほら、東京タワーだ!」
すっと、こんな調子でした。

この辺からヨシゴエ投稿の引用が多くなります。話も結構飛びます。

>ところが、羽田について、城ちゃんも将ちゃんも、
>車を降りず、帰ってしまいました。
>(アンビリーバボー!)

私にとっては、ヨシゴエさんがここで降りたことの方が信じられませんでした。

>この瞬間に、宮崎行きが決意されてしまいました。

私はこの投稿で初めて知りました。羽田の蕎麦屋を出る頃決心したと思ってました。

>(サワー2杯飲んで、決意したというのは、
>2杯飲んでいるうちに、城ちゃんや将ちゃんが、
>帰ってくるかなー?という淡い期待があったからです。)

実際には5杯くらい飲んでます。この時私は既に限界に達していました。17日の昼食からずっと飲み続けだったのです。それでも18日までは仕事の合間に肝臓を休めることが出来たのですが19日の12時間宴会でとどめを刺されていたのです。
この時はこれが最後と、残ったわずかの体力を振り絞ってレモンサワーを飲んでいたのです。ヨシゴエさんが宮崎行きの航空券を買ったときには正直言って目の前が真っ暗でした。

>谷さおりちゃんにチケットを確保してもらい、
>5Fの安曇野(そばや)で飲み始めました。

今までの私の報告で判ると思いますが、これは順番が逆です。ちなみに「谷さおり」ちゃんは全日空の予約受付券発券カウンターにいた女の子です。名札の名前が「S.Tani」となっているのを発見したヨシゴエさんが、強引にフルネームを聞き出しました。
Tシャツ、短パン、サンダル履きの酔っぱらいに尋問されて、あっさり自白しました。

>2時間以上も時間をつぶす羽目になりました。

この時の会話で我々は、今まで疎遠気味だった郡山さん、片山さんが積極的に会話に参加してくれるようになったことを喜びました。

一方、宮武君、宮崎君が疎遠になりつつあることを憂いました。こら!宮武、宮崎。イベントは無理でもコミュニケーションには参加しなさい。この投稿から1週間以内に連絡がない場合は不幸のメールを送りつけるぞ。

>飛行機内では、宮坂さんの真ん前に座らせられました。

ご想像通り、宮坂さんはスチュワーデスです。機内は前方がビジネスでその後ろがエコノミーとなっており、我々はエコノミーの最前列に座席が確保されていました。ビジネスクラスとエコノミークラスの間には敷居の壁があり、そのエコノミー側にスッチーの座席があるのです。
谷さおりさんの陰謀だと思いますが、宮坂さんは終始私たちとは目を合わせようとしませんでした。
機内で寝ようとした私が眠れなかったのは想像に難くないでしょう。

>麻里さんが、アセット?で子供と一緒に迎えに来てくれました。

アスコット(ホンダ)です。

>でも食事を済ませ、くつろぐ頃は、
>ご機嫌も直っていました。(たぶん)

食事の前にセブンイレブンに行ったのは以前報告した通りです。
食事でビールを飲みました。焼酎も飲みました。でもさすがに私はほとんど飲めませんでした。ヨシゴエさんは結構普通に飲んでました。
私は食欲もほとんどなく、程なく力尽きました。私がソファーでくたばってる頃、ヨシゴエさんは子供たちと遊んでいたようです。

私たちは10:00p.m.頃、寝ました。

>翌日は、谷口はお仕事です。

3日も会社を留守にしたので、さすがに休めませんでした。その余波が最近まで続いていて、報告が遅れました。

>夕方、谷口が帰ってくると、
>”いきますか?”
>というので、
>おまかせ料理の”丸山”へ行きました。

会社に行ってる間に少々回復しました。

>目光のから揚げ(土々呂の目光と言われる名物。)

"めひかり"と呼びます。

>リンゴ

私の顔か、サービスでした。

>帰ると、皆、寝ていました。

多分10:30p.m.頃です。帰ってから更に焼酎を飲みました。この時はヨシゴエさんの方が眠そうでした。
目をシバシバさせているので、私が
  「もう、寝ましょう。」
と、言いましたが、なかなかウンと言いませんでした。でも、0:00前には寝たと思います。

>その翌日は、谷口は、休みを取って、
>付き合ってくれました。

結構苦労したんです。

>自慢の宮崎牛を食べに行きましたが、
>お店にやる気がなく、
>のれんもでていなければ、ドアも開かない、
>(要するに、休業日。)
>という状況だったのであきらめました。

焼き肉といえば普通一口大の大きさにそろえてありますが、その店の肉はそれより一回り大きいのです。初めて見たときは
  「こんな大きいんじゃ食べにくいじゃないか。」
って思いましたが、食べてみて納得しました。前歯であっさりかみ切れるくらい柔らかいんです。箸でも簡単に切れます。本当においしいので機会があれば1度ご賞味下さい。

>チャーシューメンの並みを頼んだのに、
>大盛りのようなチャーシューメンが出てきました。

こちらではあれが一般的な量です。あの店だけではありません。

>空港へ行き、
>魚天亭?で、

魚山亭(ぎょさんてい)です。

>自分のみやげに
>日向浪漫を2本買いました。

普通1本ですよね。おみやげを持ったよしごえさんは無事3:00p.m.の飛行機に乗りました。

>ということで、近いうちに行きたいなー、
>という思いを実現させただけで、
>別に、無謀でも、きれた訳でもありません。

この投稿を見て初めて知りました。私たちは一体どんな会話してたんでしょうか。

>以上、往復6万円の旅、
>世間的には、やはり、無駄遣いと言われるのでしょうか?

計画的に行動すれば4万円以内に収まるはずなので、無駄遣いと言われてもやむを得ないでしょう。

以上で私からのまとまった報告はおしまいです。書き漏らしたこと、思い出すことがあればその都度ご報告します。

参加したみなさん、ご苦労様でした。

ああ、疲れた。
 

という訳で、谷口からの報告でした。
 

 以上。その他報告者からの報告は割愛しました、悪しからず。
実は、消えてしまったのじゃ。




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