32ハリ−ズ
1985.5.26 (たぶん)丹沢湖にて。

1986.5.10 今井浜海岸にて。
当時の通行券。
(こういうのとっとくやつがかならずいる。)

1986.7.27 蓼科山荘。

1987.7.29 またまたこりずに今井浜。

1988.2.13 たぶん天城のル−プ橋のあたり。

1988.7.24 いまでは異動や退職でほとんどお会いできません。

元さんと奥さん。ミスタ−五島とフィアンセ。とにかくお似合い。
(旧姓)斎藤さんのお相手が升谷さんと知ったときは、ほんまにびっくりしたでぇ。いやあ、出会いって、ほんとうにいいもんですねぇ。
1985年(12年前)M社東京本店技術部T課長(当時係長)のもとに発足した32ハリ−ズは、毎年、土日を利用してさまざまな土地を旅してきました。
発足当時はいわゆる「ツ−リングクラブ」的な要素が多く昔のカミナリ族を懐かしみつつ、また日頃のストレスをマシンとアスファルトの角度にぶつけて、バリバリに走る、走り屋さんのチ−ムという感じでありました。
T課長の人徳で1年もすると口コミで徐々に集会はひろがり、また結婚された方やお子さん連れで四輪でのエントリ−も増え、全盛期には20名ぐらいで一般道を占領してしまうほどの中年・青年マルボ−が出来上がってしまいました。

S.Aではいつもこんな感じにインプレッション大会がはじまります。
<32ハリ−ズの名前の由来について>
32ハリ−ズは創設者のT課長がまだ20代のころ、KAWASAKI W1というマシンで箱根の七曲を攻めていた時、限界をこえスリップ、逆ハンをきったものの横転となり、太股をバッサリと切り裂く全治数ヶ月の重傷を負い、その時おこなった縫合手術が、なんと三十二針であったという、今ではM社のバイク乗りのあいだでは、すでに伝説化されているエピソ−ドにより命名されました。
当時の私のマシン:YAMAHA SDR200
SPEC:2サイクル,水冷単気筒,195CC,34PS/9000r.p.m,トルク2.8kg-m/8000r.p.m
夕陽を顔に受けながら・・・・・・・・そして風になった。