がんばれ日本!!
〜オレが感じたモーターショー〜

 東京モーターショーに行ってきた。
 というと、天の邪鬼のオレのことだから、さぞかしメーカーやら観客やらをこき下ろすんだろうと期待される向きも多いかもしれない。だが、オレは、逆にオートバイメーカー諸社にエールを送りたいと思う。

まぁ、いろいろ言いたいコトはある
 そりゃ、モーターショー全体を見ると、「バブルのときには燃費のネの字も考えなかったやつが、なにを環境問題でございだ! 地球環境のことを考えるならただちにクルマの生産を中止しろ!」とか、「コンパニオンで人の目を引こうなんてあざといまねすんな! でも、ちょっとうれしかったゾ、渋谷道頓堀劇場みたいで…」とか、開催場所、入場料、駐車場などに対して、一般人の立場で見るといろいろ言いたいことはある。でも、くどくど文句をタレていても始まらんもんな。業界だって、必死に考えて、様々な策を弄して、ようやくコンパニオンのパンチラが目当てのオタッキーも歓迎しなけらばならない御時世なのだ。
 ちょうど同じ時期にビッグサイト(東京・有明の展示会場)で開催されていたコンピュータと通信機器の見本市『COM JAPAN』のほうは、怒涛の新製品ラッシュで、コンパニオンなんかいなくてもすさまじい熱気につつまれていたことを思うと、もはや自動車は産業の主役ではなくなったんだなあ、なんて旧懐の思いとともに同情しちゃうのである…。

持ち駒を熟成させるベキ時期では…
 それはともかく、それでもまだまだ豪華な四輪のブースが並ぶ展示館を抜け、さらにパーツコーナーを抜けて、広大な会場の片隅に慎ましやかに設置された二輪のブースに入ると、オートバイという道具が一種の成熟に達したんだなあと、妙な感慨がわきあがってきたのである。
 四輪は、カーナビだのトラクションコントロールだのなんだのかんだのと、コンピュータテクノロジーと合体した新手の付加価値をどんどんつけてユーザーの購買意欲をあおっていける。ところが、オートバイは二輪で微妙なバランスを取って走るわけで、ライダーの運転技術の低さをカバーする補助装置を売りにしたりできないし、積載能力も低いのでやたらなオプションを搭載することもできない。仮に、四輪並みの至れり尽くせりの装備で、どんなライダーでもまったく差を感じさせないオートバイができたとしても、それは、はたしてオートバイといえるかどうか? 少なくとも、そんなものはオートバイに乗りたいというユーザーのニーズからは大きく外れたものでしかないだろう。四輪ではオートマチックが全体の8割ほどにもなったが、オートバイではスクーターを別として、そういう試みがあったがいずれも消滅してしまった。オートバイはあくまで走りの味で勝負しなければならないのだ。
 今年の二輪のブースでは、超革新的で目を見張るモノはほとんどなかった。それをして、「二輪業界もシオシオだな」と短絡的に結論づけることは簡単だ。だけど、オレは逆に時代の先取りをしようとうがったコンセプトマシンのオンパレードより、現行のラインナップを並べて、「これが全仕事です」と割り切ったほうが、好感がもてる。実現しない夢を並べてユーザーを幻惑するより、よほど誠意があるもんな。
 そして、現行のラインナップを眺め渡して、「よくもまあ、これだけ多様な種類のオートバイを生み出したものだなあ」と、妙に感動したのだ。 多種多様な排気量、エンジンのレイアウト、ジオメトリー…これだけ出そろえば、“二輪で走る”というオートバイの基礎形態からして、他に何が必要だというのだろう。四輪みたいにつまらん付加価値で差別化を図るより、個性のはっきりした車種だけ残して、じっくり煮詰めて行けばそれでいいんじゃないかと思ったのだ。
 だから、冒頭、メーカーにエールを送りたいと言ったのだ。これだけのラインナップを考え出し、それを世に送り出してきたメーカーは偉い! 後は、その中の自信作だけを残して、じっくり煮詰めていってほしい、と。

個性を買うそんな時代では…
 考えてみれば、スクーターからビックバイクまで、考えうるあらゆる形態のオートバイを作っているメーカーは、日本の4メーカーしかない(アプリリアやカジバもいろんな車種を作っているけれど、規模がまるで違う)。ほかのヨーロッパやアメリカのメーカーは、ハーレーやBMW、ビモータ、KTMといったように、それぞれの個性を打ち出した特化したモデルのみを生産するメーカーだ。日本のメーカーの作り出す製品が、多品種大量生産で個性が薄くなっているのに比べ、これらのメーカーが作り出すものは、その道のオーソリティとしての自信から作り出されているため、どれも非常に個性的だ。欧米のモータリゼーションは古い歴史を持っている。その中で、淘汰されて今も生き残っているメーカーの姿勢は、成熟した社会でのメーカーのあり方であるような気がする。
 時代が、安価でそこそこの性能を持った同じような製品を求めていた時代は、もはや過ぎ去った。今は、余計なものはなるべく削ぎ落とし、自分のライフスタイルに合った、あるいは自分のライフスタイルを表現するような個性に満ちたモノを厳選する時代だ。だから、たとえば、ハーレーというメーカーは、没個性のモノが氾濫していた時代には会社が傾きかけながら、逆に、個性が求められる今は隆盛を迎えているのだ。
 ほんとの意味で、個性が求められる時代になった今、メーカー自身がはっきりと自分の個性を打ち出して、自信を持ってユーザーと対峙すればいい。
 過去を振り返ってみると、どのメーカーもそんなパワーを持っていたはずなのだ。

なんだか、ワクワクしてたあの頃
 オレがオートバイに乗り始めてから、もう20年以上になる。
 16歳で免許を取った当時は、暴走族がもっとも暴れまわっていて、オートバイに乗るのはイコール不良と言われた時代だった。ちょうど大、中、小の限定免許制度が施行された翌年で、オレたちの一級上の先輩は、マッハ1(カワサキ)とかGT750(スズキ)とかCB750(ホンダ)、それにZ2(カワサキ)とかに跨って颯爽と走っており、オレたちの級の連中は、仕方なくGT380(スズキ)とかRD400(ヤマハ)とかに跨っていた。そんな時代だ。
 この頃のオートバイは、けっこうラフな代物だった。
 エンジンばかり高性能で、全開にするとハンドリングがメチャクチャになったり、コーナーで寝かしこんでも、ちっとも曲がらなかったり、しばらく走っているととんでもないところのネジが緩んでパーツを落っことしたり…。今のオートバイと比べると、相当なできそこないばかりだ。でも、面白かった。そこには、明確な個性があったからだ。
 天の邪鬼のオレは、みんながサンパチやヨンフォアでつるんでブイブイいわせているときに、ひとり、山でハスラー125(ホンダ)を走らせていた。こいつも、新車のときから少しフレームが歪んでいて、80km/hくらい出すとハンドルが振られた。だけど、こいつが、オレの世界を途方もなく広げてくれた。
 この頃は、オートバイ雑誌といえば、O誌とMS誌の二誌しかなかった。オレは、ちょっと気取ったMS誌より、ストレートなO誌が好きだった。この中では、賀曽利さんがハスラーの250でアフリカを走破し、そのレポートが掲載されていた。また、風間深志さんがO誌の現役編集者で、マイナーな分野のオフロードを自分の趣味だけでページにした『オフロード天国』を連載していた。いいかげんなオートバイがゴロゴロあり、誰も手がけたことのない企画や、やたらにノリのいい記事があふれていた。
 あの頃のオートバイは、はっきりとした個性を持っていて、ユーザーの側も、それを自己表現の道具としてしっかり活用したり(暴走族御用達のマシンとか)、広い世界、未知の世界へ旅立つための道具として選んでいた。 世間から後ろ指さされても、とにかく、そんな偏見なんて関係ねえやとばかりにはねとばすだけのパワーをメーカーもユーザーも持っていた。
 一言でいえば、チャレンジスピリットにあふれていたのだ。
 オレがオートバイにはまる一世代くらい前から、オートバイメーカーは、次々に斬新な技術を投入したオートバイを世に送り出してきた。とんでもない加速を誇った2スト3発のマッハシリーズ、世界ではじめて四発のエンジンを載せて登場したCB750(ホンダ)、同じく4発でDOHCを搭載したZ1とZ2(カワサキ)、オフロードマシンという新しいカテゴリーを生み出したDT1(ヤマハ)、さらにオフロードは2ストという常識を打ち破って登場した4ストオフのKLR250(カワサキ)…6発エンジン、シャフトドライブ、ターボ、ロータリーエンジン、足回りではリアサスが2本からモノサスになり、サスペンションそのものの性能も驚くほどアップした。オートバイの世界は、四輪よりもずっとめまぐるしく、しかもおしげなく新しいテクノロジーが投入された。そして、メディアも常にハイテンションだった。
 奇しくも、あの時代に流行ったZ2(カワサキ)やヨンフォア(ホンダ)がブームになって、その復刻版とも思えるようなマシンが登場している(カタチは似ていても中味ははるかに洗練されているけど)。それは、単に70年代ブームのオマケなのではなく、あの当時のモノが持っていたパワーが今の時代に必要とされているからじゃないだろうか。
 今必要なのは、メーカーもわれわれメディアに関わる人間も、ユーザーにおもねるのではなく、自信を持って、「これダ!」とユーザーにぶつけられる独自性を持ったものを提出することなのだ。

コイツは本当の自分を教えてくれる
 なんだか、「昔は良かった」式のおとっつぁん話しになってしまった。
 だが、成り行きついでにもうひとつ昔話をしてみよう。
 オレがそもそもオートバイに乗ることになったのは、高校時代のひとりの友人の影響だ。Aというそいつは、オレみたいに天の邪鬼なやつで、まわりが『族』ばかりの中で、一人バンバン50というバルーンタイヤの不格好なオートバイに乗っていた。サンパチとかRDでガンガン走っている族の連中には当然相手にされない。そんなAは、地学部に所属していて、星の観測などで出かけるときの足にバンバンを使っていた。なぜか、Aとオレは気があって、夜中の観測に出かけるときなど、オレを誘いにきた。オレは、バンバンの後ろに乗って、山や海につきあった。この経験で、オレはオートバイという道具に目覚めた。オートバイがあれば、好きなときに好きな場所に行ける。ちょうど同じ頃、オレは山に目覚めていたので、山へ行くための足としても、こんな便利なものはないと思ったのだ。
 自分で免許を取って、ハスラー125を買うと、暇があればあちこち走り回わるようになった。賀曽利さんのレポートや風間さんの記事を愛読するようになったのはこの頃だ。
 そんなある日、一人で福島の山のほうまで足を伸ばしたとき、しっかりと革ツナギを着て、見たことこともないオートバイに乗る人と出会った。出会いといっても、山深い峠で休んでいると、太い排気音を響かせながらその人がやってきて、彼が煙草を一本吸い終わる間だけ話しをしただけだ。
「オートバイに乗っていると、自分がよく見えてくるんだ。世間でちょっと成功したりすると、気がつかないうちに人間がおごってくる。それがね、こうしてひとりでオートバイを走らせると、世間はこんなに広くて驚きに満ちているのに、所詮人間なんてつまらないものだ、ちょっと成功したくらいで何をいい気になっているんだ? と、反省できるんだ。それで、自分を取り戻して、また新しい気持ちで仕事に立ち向かって行ける」
 彼はそんなことを言った。
 あとで、彼が乗っていたオートバイがBMWだったとわかった。彼のようなライダーが『正統派』と呼ばれていることも知った。いまだに、オレにとってBMWが憧れの対象でありつづけているのは、このときの経験が元になっているのかも知れない。ま、そんなことはどうでもいい。
 その後、オレにオートバイを教えてくれたAは車に乗りかえた。オレはその後もオートバイに乗りつづけている。
 オレはこれからもオートバイに乗りつづけるだろう。オートバイは、いつも自分の真の姿を教えてくれるから…。


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