北海道バイト画策ツーリング

 先月高らかに宣言したように、今月は、諸々の仕事や雑事をすべてなげうって、夏の北海道を突っ走ることにした。
 北海道を突っ走ると言っても、いい歳こいてしまうと、「北の大地がオレを待っているのダ!」なんてピュアなモチベーションだけではダレた体が持ちあがらないので、「利尻に行って時給1500円の昆布干しでアルバイトして、O誌の原稿料じゃお目にもかかれない豪華絢爛海の幸を討ち死にするまで食い倒したる!」という非常に即物的な…いやいや、そんな不純な動機はほんのちょっとだけで、「かつて北前航路を辿って、北陸から関西を通り沖縄まで運ばれた利尻昆布が、いかにして沖縄の食文化の中に定着しえたのか、その原点に立ち戻って検証する」という極めてアカデミックなテーマをメインに打ち立てて、出立することになったわけである。あくまで、この旅の目的は、利尻昆布を干して金を稼ぐ…もとい、利尻昆布の秘密を探ることだったのであるから、そこんところ、しっかり念頭において、この記事を読んでくれたまえ。

体質に異変!? 「晴れ男」返上か!
 そもそもケチのつきはじめは、出発前日であった。
 今回の旅に使うマシンは、BMWがこの7月から日本発売を開始したK1200RSというピッカピカのニューモデルである。で、例によって『どんどん御用達』のBMWJapanさんが快く貸し出してくれるというので、出発前日に幕張までピックアップに向かったわけであるが、当日は、それまで続いたカラカラ天気が一転して、朝からドシャ降りの大雨だった。 アルピニスト(登山家)の端くれであるオレは、こと天候への対処にかけては怠りない。当日も、万全の身支度で、とりあえず編集部まで行ったわけだが、弘法も筆の誤りというか、耳なし芳一とでも言ったらいいか、早い話しが、ほかは濡れたところはどこもないのだが、ブーツの中がトップンタップン状態だったのである。
 金魚鉢に足を突っ込んでいるいるようなあんばいで、仕方なく、編集部の慢性水虫・八一ちゃんがデスクの下に常備しているサンダルを借りて、JapanBMWをたずねるという体たらくとなってしまったのである(といっても、サンダル履きでオートバイを運転したのではないから誤解のないように。担当編集ケンチが運転する車の助手席に鎮座していったのだ)。BMWの四輪の新車がドカーンと整列した超モダンなオフィスビルにサンダル突っ掛けで入っていくのは、なかなか勇気がいる。学生時代、大事な講義に遅刻しそうになってあわててでかけたら、下だけパジャマで満員の丸の内線に飛び乗ってしまったことがあったが、けっこうそれとタメを張るくらい恥ずかしい。と、まあそんなことはどうでもいいが、さすが伝統あるBMW。サンダル履きで広報車を借りに来るくらいは、余裕で笑い飛ばしてくれたのである(「運転するときはちゃんと靴を履いてくださいよ」とクギを刺されたが)。
 で、その日は、臭い金魚鉢に足を突っ込み、颯爽と?K1200に跨って家路についたのである。

股ぐら異常警報発令!
 翌朝、予報では晴れのはずだった。ところが、昨日からの激しい降りは、いっこうに止んでいない。「東京など関東の一部で雨が残っております」というその朝の予報も大嘘で、結局、栃木県を過ぎて、福島県に入るまで雨は降り続いた。アルピニストの端くれであるオレは、もちろん同じ失敗は二度はおかさない。今日はゴアテックスのオーバーソックス(防水透湿素材でできた靴下の上に履く雨具)を装着しているので、足元は快適だ。ただひとつまずかったのは、昨日使った雨具が汗ベトだったので、古い雨具を引っ張り出して着たことだった。こいつの股ぐらのシームシーリング(縫い目の防水加工)がはがれていることなど露知らず、途中から小便おもらし状態の浸水に見舞われ、今度は金魚鉢ブーツよりも気色の悪い状態で走りつづけることになってしまったのである。
◆教訓その1⇒「雨具は消耗品、水が浸みたら取り替えよう!」
 過去の記録をひも解いてみると、オレは屋外取材でほとんど雨に出会ったことのない晴れ男だった。過去10数年のライター稼業の間に、雨で辛い思いをしたことはほとんどなかった。ところが、この1年、この『ツーリングどんどん』の取材に限ってみると、半分以上が雨にたたられている。いったいどうしたことだ? これで、オレの晴れ男人生も終わってしまうのか? いやいや、そんなことはない。これは、きっとケンチが雨男なのだ。そうだそうに違いない。と、いらぬ思いを巡らしながら、北へ北へとひた走る。

「まぁ、いいか!」の不安な雲行き…
 途中から晴れたおかげで、ぐちょぐちょの股ぐらをなんとか乾かせて、盛長カメラマンとケンチに合流した。それぞれいいかげんな時間に自宅を出たので、携帯で連絡取り合いながら顔合わせできたのは青森の手前100kmの東北道・花輪SAでだった。
 ここで、オレの大きな荷物を見た盛長カメラマンが、
「内田くん、なにその大袈裟な荷物は」
 と、ツーリングの素人を指差すように嘲笑う。
「だって、キャンプ道具を積んだら、これぐらいになるでしょうが」
 と、オレは答える。
「えっ、キャンプするの? オレ何も持ってきてないよ」
 盛長カメラマンは目を丸くする。
 どうりで、フォーサイトのシート下トランクに荷物が全部収まっているわけだ。
「ケンチのやつ、キャンプするなんて一言も言ってなかったよ。だいたい、昨日の夜中に電話掛かって来て、明日、19時に青森のフェリー埠頭に集合ですから、て、いきなりなんだから」
 と、憤慨している最中に当のケンチ登場。 盛長カメラマンの苦情を聞いて、
「そういえば、キャンプって言ってませんでしたね。ハハハ。でも、ほら、北海道には、ライダーハウスっていう、盛長さんに打ってつけの宿がありますから」
 だって。
 このツーリングどんどんがいいかげんなのは、オレひとりの個性を反映しているのではなくて、担当編集やらその他スタッフやら、諸々の複合の所以なので、そこんとこ誤解のないように。
 と、初日はおろか前日からいろいろとありつつも、なんとか青森のフェリー埠頭にたどり着けるのだから、世の中なんとかなるものだ。でも、ケンチが少しでも距離を稼げるようにと予約した青森〜室蘭のフェリーはグチャ込みで、食堂のテーブルまで除けて寝床を作っている有り様。足を伸ばすと、ハゲおやじの頭に足がのっかる始末。こりゃ、たまらん! とオレはロビーのソファーで眠った。 んーっ、えらい旅になりそうだぞ、こりゃ。

早朝、ガス欠注意報発令!
 朝4時に船は室蘭港に着いた。
 そのまま道央道に乗ればすばやく移動できたのだが、ケンチのオートバイのガソリン残量が少ないため、一般道で苫小牧を目指す。昨日、面倒がってガソリンを入れなかったのが敗因だ。結局、こんな朝早くから開いているスタンドはなく、途中のセブンイレブンで特大醤油チュルチュル(ストーブに灯油などを入れるポンプ)を借りて、K1200からガソリンを補給して走るハメに。
◆教訓その2⇒「オートバイ、ガソリンなしではただの鉄。ガス欠は恥と思え!」
 てなコトをやりながら、苫小牧からなんとか道央道に乗って、さらに北を目指す。
 昨日の一気走りがさすがにこたえて、腕が痛い。若干とはいえ前傾姿勢で、アクセルを押さえつづけていたせいだ。それ以外にはどこも痛みはない。さすが一日1000km移動してもストレスがほとんどないといわれるBMWのマシンだけのことはある。可動式のウインドスクリーンは極めて実用的だし、シートの生地と形状が絶妙で、腰や尻も痛くない。K1200は、グランドツーリングを主目的に設計された他のシリーズと違って、かなりスポーツ性を打ち出している。そのために、前傾姿勢のライディングポジションになる。こいつを借り出すときに、パニアケースを装備したK1100もあるよと勧められたが、ポジション的には、1100のほうが理に適っていたかもしれない。でもエンジンの振動の少なさや、そのスムーズさ、軽快なハンドリング、それに廃熱が体に触れないといった点ではK1200のほうに歩があるから、一概には言えない。ポジションは、ハンドルとステップ位置、シート高の調整可能で、かなりライダーに合わせたアレンジが効くし、何と言っても、まだほとんど見かけない新車で、豪快に旅をする気分は、何者にも代え難い。
 ただひとつ欲をいえば、BMWでツーリングするという気分を盛り上げるには、パニアケースは是非とも欲しかったところだ。ケンチが借りたGPZにはこれが装備されていて、その積載量の多さと、車のトランクにブチこむ要領で、気軽に荷物が出し入れできるのは、ほんとうらやましかった。ケンチ曰く、「一度使ったら、もう手放せませ〜ん」とのこと。

エグイぜ〜ぇ、お股がタイフーン
 それは余談として、旅のほうは、深川で高速を降り、留萌を目指し始めたときから、また雲行きが怪しくなり始めた。
 で、あろうことか、またまたドシャ降り。再び股ぐらびしょ濡れ男と成り果てたのである。しかも、この夏の真っ盛りだというのに、気温は急降下。なんと14℃。けっこうな速度で走っているわけだから、体感温度は限りなくゼロに近い。
「なんか、以前にもこんな寒〜いツーリングしませんでしたっけ?」
 ガソリンスタンドで石油ストーブを抱え込むようにしながら、ケンチはため息をつく。そういや、荒涼とした日本海の荒波を横目に見ながら走るこの状況は、どっかであったような…。そう、昨年12月の「人生必勝ツーリング」(97年2月号掲載)を彷彿とさせるエグイ展開である。
 それでも、われわれは走りつづけるのである。過酷な状況下でも、ここまでくると一種の快感になってくるのである。あの、鉄人・賀曽利さんの気持ちがよく分かる。ここんとこ、デスクワークでストレスが溜まっていたせいか、雨に打たれても、ブルブル震えても、股ぐらビショビショでも、トラックに煽られて日本海におっこちそうになっても、いちいちが楽しめてしまうのである。考えるに、ライダーというのは、趣味とか人種じゃなくて、こりゃ完璧にひとつのビョーキだね。

オロロンの荒野に一点の温もり
 さすがのビョーキも、何時間も氷雨に打たれ続けるうちに、次第に下火になってくる。左に鈍色の日本海、右に鬱蒼とした湿原の広がる中、ひたすらまっすぐ続くオロロンラインを走っていると、なんだか、此岸と彼岸の境界線のあたりにいて、行ったり来たりしているような気分になってくる。頭の中はほとんど真っ白だ。
 そんなときに、ふいに沿道にぽつんと民家が現われた。
 広大な湿原を背に、何の変哲もない民家がある。いや、よく見るとちょっと変だ。向かいに北海道特有の大きなカマボコ型倉庫があり、奥にビニールハウスがあるのは普通だが、その先の荒野の中に、小さな遊園地らしきものがある。それに母屋の前には、赤と黄色のノボリが何本かはためいている。
 思わずオートバイを止めると、家の中から、いかにも愛想のよさそうなおばさんが出てきて手招きする。
「いやいや、こんな雨の中、オートバイはたいへんっしょ。中で火炊いてあげるから休んでいきなさい」
「だけど、普通のお宅じゃ…」
 と、ケンチ。
「うちは、食堂もやってるから、なんも遠慮なんかすることないよ」
 と、そそくさと、ズブ濡れのわれわれを暖かい室内に案内してくれた。
 ここは、『地平線倶楽部』というれっきとしたドライブインというか、アミューズメントスポットなのだそうだ。後で案内してもらったカマボコ型倉庫の中は、立派な排煙設備を整えたジンギスカンハウスだった。ビニールハウスの中では、トマトやきゅうりがたわわに実り、それを山ほどいただいた。そして、荒野の中に、ぽつねんと忘れ去られた移動遊園地のようにちんまりとあるのは、まさに手作り遊園地だという。
 われわれを案内してくれたおばさんは、宮本喜代美さん。御一家を中心とした仲間で、この手作りアミューズメントスポットを運営しているのだそうな。
 ほとんど商売気が感じられないけれど、手作りの素朴さと温かさにあふれていて…そういや昔の北海道って、どこへ行ってもこんな雰囲気だったなあと思い出す。オートバイで北海道ツーリングするのは16年ぶりだが、そこら中にコンビニやファミレスはあるし、ちょっとした観光地は関東近辺の観光地と同じように俗化されて、北海道らしさはほとんどなくなっている。一抹の物足りなさを感じ始めていたこの旅の中で、ようやく北海道にやってきたんだということを自覚させてくれたスポットだった。
 地平線倶楽部で生気を取り戻したわれわれは、稚内を目指す。
 晴れていれば、目的地の利尻島が、眼前に優美な姿を横たえているはずだが、残念ながら、重く垂れ込めた雲の下から利尻岳から伸びたすそ野の端っこがほんの少し望見できるにすぎない。
 こんな調子で、昆布干しのアルバイトでガッポリ稼ぐという目論見は…いやいや、昆布文化のルーツを探るという遠大な目標が実現できるのだろうか?

晴れを求めてどこまでも
 ボロボロになりながら稚内に到着したわれわれは、この地で一泊した。
 翌日、淡い期待を胸に安宿のカーテンを引き開けると、無情な雨ダレが視界をさえぎる。 ケンチが利尻の役場に電話を入れると、この天気じゃ昆布干しはできないでしょうとのこと。われわれは、ここまできて、途方に暮れることとなった。
 盛長カメラマンは、ここまで、ほとんどカメラを取り出していない。自分の責務を果たせない無念さから渋面しているのかと思ったら、「おいしい昆布があるところには、おいしいウニがいるんだよ。昆布干しなんかどうでもいいから、ウニだけ食べに行こうよ、ウニ」 この人は、どこまでもマイペースである。 しかし、ウニは逆効果だった。なんと、ケンチはウニが食い物の中でいちばん嫌いなのである。
「そうかあ、こんな天気に無理して利尻に渡っても、ウニしかないのかぁ〜」
 一応、この人が担当編集であるからして、最終決定権は、この人が握っている。
 で、結局、ウニしかない利尻島への興味は急速に薄れ(ほんとは、もっといろんな食べ物や見所、アミューズメントもたくさんありますからね→利尻の名誉のためにおことわりしておきます)、そんじゃ、せっかくGTマシンでここまで来たのだから、GTマシン徹底乗り倒しインプレッションに企画変更! となったのである。ま、本音を言えば、雨にはもういいかげんうんざりだから、晴れを求めて突っ走ろうやということなんだけどね。 そして、ひとり、ウニが脳裏から離れずに不満顔の盛長カメラマンをフォーサイトに無理矢理乗せて、われわれは南を目指したのである。
 ようやく待望の晴れ間に出会えたのは、網走まで南下したところでだった。どれほど、これを待ち望んだことか。太陽は暖かい!

走って感じた「便利さの代償」
 道東の定番コースに入ると、ライダーの数が急に増える。
 昔は、国道を走っていても、とつぜん舗装が途切れてダートになったり、舗装も冬季にスパイクタイヤで削られたうねりがあったりと、かなりスリリングなものだったが、今は快適そのものだ。ガソリンスタンドも少ないし、泊まるところもあまりなくてキャンプが当たり前という状態で、北海道ツーリングといえば、それなりの覚悟がいったものだが、今はずっとお気軽になっている。便利になったのはいいが、それと引き換えに、失ったものも少なくないと思う。
 どこへ行っても商業主義丸出しの風情のない土産物屋がはびこっている。出会うライダーも、しこたま情報を仕込んで旅に出てきているようで、あらかじめ決めたプランに沿って走っている良い子ちゃんばかりだ。昔は、何もかも嫌になって、何もかも投げ打って、この北の大地に流れてきたアウトローがゴロゴロいたものだ。オレも北海道ツーリングをきっかけに、そのまま日本中を走り回って、挙げ句はデザートレースにのめり込んだり、シルクロードツーリングにまで発展していった。だけど、けして、オレが特別なわけではなく、もっとずっとワイルドな人生に踏み込んでいった奴がゴロゴロいた。
 昔は…なんて言葉が常套句になるようじゃ、オレもオヤジになったということだな。文化なんてどんどん変わっていって一向にかまわないし、オレのようなスタイルがいちばんなんだなんて主張する気もさらさらない。だけど、日本中十把一からげの均質文化に飲み込まれてしまった北海道は、もはや昔日の魅力はない。この数年、ライダーだけでなく、旅行者一般の数が漸減しているというが、それもあたりまえという気がする。
 北海道らしいワイルドさを体験したければ、知床の奥や日高の山中に自分の足で踏み込んでいくしかないだろうな。

自由の土地復活案!?
 1789年、フランス革命によって世界史上初めて市民が権力を握り、基本的人権の理念が謳われたこの年、まだ蝦夷地と呼ばれていた北海道でも世界史にはっきりと刻まれるべき重大な事件が起こった。この年、この北の大地に太古から暮らしてきた先住民のアイヌたちは、内地から侵略してきたシャモたち(その中心には松前藩があった)に対して、大規模な蜂起を行った。しかし、これは、和議を申し入れて手打ちの宴会を開き、そこで一気に首領たちの首を打つという松前藩のえげつない姦計でもってつぶされ、以降、徹底的な弾圧を受ける。このクナシリ・メナシの蜂起を最後に、北の大地の主導権は、アイヌからシャモに完全に移されてしまうのである。西では民主主義が勝利し、東では平和で民主的な民族が奴隷の地位におとしめられる。まったく対照的な出来事があったのに、日本の教科書には、フランス革命は載っていても、クナシリ・メナシの戦いに触れているものはない。
 オレたち日本人は、北海道を自由で広大な大地としてイメージしているが、それは、アイヌの自由、アイヌの独立性を踏みにじった上でのまやかしの自由だ。北方領土を「日本固有の領土」として主張するなら、北海道は「アイヌ固有の領土」としてアイヌに返還すべきではないか?
 パスポートを持って、アイヌの国にツーリングに行くという構図になれば、また、北海道は魅力的な土地として復活したりして、な〜んて思った。
 それはそれとして、その後もわれわれの北海道迷走取材は続く。結局、1週間居て太陽を見たのはたったの1日半。気が付けば、時計回りに北海道を1周していた。チキショ〜ぉ、「利尻昆布干し」は、来年必ず雪辱戦をするからな(来年の夏までこの連載が続いていたらの話しだけど)。利尻島、待ってろよ!


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