三浦さんが北海道に旅立った

 50歳になる今年、仕事に一区切りつけて、気ままに日本中を巡るのだという。
 俺が三浦さんと出会ったのは、15年前。俺は20歳だった。
 80年代初盤の白けきった学生生活に嫌気がさして、学校なんか止めちまうつもりで、俺は旅に出た。XL250Rにキャンプ道具をくくり付け、地図も持たずに気の向くままの風来坊。その途中で、三浦さんと出会ったのだ。
 下北半島の薬研温泉のキャンプ場で一泊した俺は、翌日、ひどい吹き降りの中を大間のフェリー埠頭へ向かった。函館に渡る大間のフェリー埠頭にようやく辿り着いた俺は、グショグショになった服をダルマストーブにかざして乾かしていた(真夏だというのに下北は冬のようで、ストーブが燃えていた)。すると、ふいに声を掛けられた。
「オートバイで北海道かい? じつはぼくもそうなんだ」
 アンパンみたいな無精ひげの丸顔に人懐っこい笑み。いっぺんで人を安心させる風貌と話し口調。それが彼だった。フェリーに乗ったオートバイツーリストは俺達だけで、たちまち意気投合した。
 当時彼は35歳。旭川の人で、これから10数年ぶりに里帰りするところだという。
 事情があって高校を中退した彼は、東京に出て働き出した。そのうち、母親が重い病気に冒され、入院生活を送ることになった。彼はその費用を稼ぐために身を粉にして働いた。10年以上にも及ぶ闘病を支えるために、彼は自分の青春を全てかけた。
「そのおふくろが今年亡くなってね、墓参りに行くんだ」
 苦しい遣り繰りの中で、唯一の趣味としてきたのがオートバイで、彼は、人生の区切りとなるこの旅に、オートバイで出かけることにした。35歳にして、仕事にも区切りをつけ、それまで、旅らしい旅もしたことがなかったので、墓参りが済んだら、そのまま日本一周するのだという。
 北海道に上陸してから、三浦さんと俺は、幾日かテントを並べてキャンプした。
 俺くらいのケツの青いツーリストはそれこそ掃いて捨てるほどいた。でも、三浦さんのように、それなりの人生経験を積んだ旅人は珍しかった。夜ともなると、三浦さんは、そのキャンプサイトで一人だけでキャンプしているツーリストに声を掛け、にぎやかに酒盛りを主催した。「どうして一人旅してるの?」と、人懐こく三浦さんに聞かれると、何故かみんな、頼りになる精神分析医にでもかかったように、旅に出た心情を語りだすのだった。そんな夜を繰り返すうちに、みんな結局寂しいのだなとわかった。みんな、日常の半端な生活、半端な人間関係に物足りなくなって、一人で旅に出た奴ばかりなのだ。俺自身もそうなのだと、三浦さんと旅を続けるうちにわかった。そして、責任を持った個人として心を割って話しをすればすぐに親友ができることも知った。
 北海道では、1週間ばかり一緒にキャンプをして彼とは別れたが、その後、俺も日本一周し、彼も日本一周を終えてまた仕事につき、以来15年、付き合いは続き、人生の先輩として、彼には幾度も助けられてきた。
 彼は、今年、生家を取り壊したり、仕事の上でちょっとした障害があったりで、あまり元気がなかった。そのうち、俺のほうも仕事が忙しくなり、彼のことが気がかりだったが、なかなか連絡が取れずに日を過ごしてしまった。
 そんなある日、いかにも三浦さんらしい元気な声で電話がかかってきたのだ。
「今、薬研のキャンプ場にいるんだ。明日、北海道に渡るよ。いろいろあったけど、また旅に出て新規まきなおしだよ」
 なんだか、解放されたようなその声を聞いて、俺も無性に旅に出たくなってしまった。
 考えたら、三浦さんが、最初の日本一周に出た35歳は、ちょうど今の俺の歳なのだ。

 

旅に出るなら、やっぱりソロがいい。とくにオートバイならなおさらだ

 気の向くままにハンドルを向け、陽が沈んだら、適当なところにキャンプを張る。同じようなソロツーリストがいれば、酒を傾けつつ、互いの情報交換をする。ガイドブックなんてクソくらえだ。その情報に群がる考えなしのバカどももクソ食らえ。旅の醍醐味は、未知の出会いと経験なのだ。
 三浦さんや、あの旅の時に出会った個性豊かな連中との印象は強い。一緒にカムイワッカの湯に浸かった看護婦さん、50ccで大阪の八尾市から旅してきた奴、自転車のツーリストで、そのまま北海道の牧場に住み着き、今はカナダで牧場を開いている奴、みんなカラッとしているのがいい。一時の旅情に流されて、ウェットになる奴が多いが、ソロツーリストには、そんな奴は少ない。何から何まで自分一人の判断で決めなければならないから、つまらない感傷に浸る暇なんかないのだ。それが、本来の責任というものだと、俺は思う。
 あるところで、中標津の開陽台からの景色が素晴らしいと聞いて、行ってみる気になった。当時は、一部のオートバイライダーや自転車のツーリストにしか知られていなかったところだ。
 頂上の開けた草原にテントを張った。すると、「すいません」と、声をかける奴がいる。開けてみると、小汚い革ジャンの兄ちゃんが、話しがあるという。どうして、ここを知ったのかという聞くので、人に聞いたと答えると、「困るんだよな、あんまり知られると、人がたくさん来て、環境が悪くなるから」と、変なことを言う。俺は、「ここはお前の土地か?」と、問い返した。返事は否。「だったら、おかしな言いがかりはつけるな」。すると、奴はすごすごと引き下がった。
 よく見ると、広い草原の一個所にそいつを中心にかたまった気持ちの悪い集団がいる。中には、一週間以上も、留まってそこからの景色を見ている奴等がいると聞いていたが、きっとそいつらのことだろう。旅に出てまで徒党を組むこういう手合いが、いちばん愚かだ。きっと、日常生活で人から相手にされない奴が、ここぞとばかりに既得権を主張して優越感に浸っているのだろう。花見の席取りみたいなものだ。で、その自慢の景色というのが、どうにも始末におえないないほどチンケなのだから、そんなとこにずっと張り付いている奴等が哀れになる。地球が丸く見えるほどの見晴らしがうたい文句らしいが、そんなのもともと地球は丸いんだから当たり前だ。俺の生まれ故郷の鹿島灘から太平洋を眺めれば、水平線は弧を描いて見える。こんなところよりもっと見晴らしが良い場所なら、すぐに100個所上げられる。ま、こんときは、夜中に幽霊を見られたから、許してやるがな……!?。
 そういうスカもたまにはあるが、ソロツーリストどうしや、地元の人からの口コミネタは外れは少ない。
 やっぱり今では有名になってしまったけど、漆塗りの蔵がすごい能登の中谷家を訪ねたのも、そんな情報だったし、中尊寺の薪能も、高千穂の夜神楽を見られたのも、珍味や幻の酒に出会えたのも、みんなそんな情報だった。
 高度情報化社会の今は、どこもかしこも俗化されて、埋もれた名品、埋もれた場所というのは少なくなってしまったけれど、それでも地道に探せばあるものだ。そういう情報を得るためには、心を開いたコミュニケーションが大切だ。
 一つだけアドバイスしておこう。旅行ガイドに大きく載っているところ、観光バスが来るところでいい所は絶対にない。口コミ情報で出かけても、人がたくさん群がっていたら、とっとと尻尾まいてUターンしよう。


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