98/05/13
鉄人と三星堆
11、12日と、取材で山中湖のそばにあるキャンプ場へ行ってきました。
世界中をまたにかけたツーリングライダーであり、世界と日本の民俗文化に深い造詣をもつ賀曽利隆さんとご一緒しました。賀曽利さんが、月刊オートバイ誌に23年間続けてきた連載「峠越え」が最終回となり、その記念にぼくがインタビューすることになったのです。
ぼくがオートバイに乗り始めたのは、21年前、その2年前からの連載でした。なにを隠そう、ぼくは賀曽利さんのこの連載を読んで、同じようなツーリングがしたくてハスラー125というバイクを手に入れて、オートバイライフをスタートさせたのです(賀曽利さんは世界ツーリングと峠越えにハスラーの250を使われてました)。同じ頃、やはりオートバイ誌で連載がはじまった「オフロード天国」の二つが、ぼくのツーリングライフのいわば原点でした。
それが、いつのまにか、ぼくが同じ媒体で仕事をするようになり、賀曽利さんとも「オフ天」の風間深志さんとも知りあえて、ますます楽しいオートバイライフを過ごせました。
「オフ天」もいつのまにかなくなってしまい、今回、「峠越え」が最終回を迎えて、なんだか個人的に寂しいことになってしまいましたが、「よぼよぼになって、杖をついてでも、2000峠は達成しますよ」(昨年1000峠走破を達成。今も2000峠へ向けて、日本中を走り回っているのです)と、いつもの元気な調子で賀曽利さんが語ると、こちらも元気がよみがえってきます。
賀曽利さんは、3回に渡る世界ツーリングを終えた27歳のとき、目標を失ってひどく落ち込んでしまったのだそうです。
そのとき、オートバイ誌の企画で「峠越え」を始めることになったのですが、当初は、「世界中をまわり尽くした俺だぞ。日本の峠なんてすぐに全部制覇してやる」といった思い込みでスタートしたそうです。
それが、実際に行動に移してみると、山国の日本では無数に峠があり、それを全部制覇するなんて途方もない暴挙であることがすぐにわかりました。反面、峠を越えると空気や文化がガラリと変化することが新鮮に感じられ、その違いとはなんだろうと興味をもって峠越えを進めるうちに、すっかりこのテーマの虜になってしまいました。
峠とは、かつて里人にとっては異界への入り口であり、山人たちとの遭遇の場でありました。峠を越えて頻繁に行き来するのは、もちろん旅人や行商人もありましたが、里人たちと濃密な時間を持ったのは、遊行僧でした。遊行僧は、定住場所を持たず、峠を越えて里と里を繋いで旅をしながら、各地の情報を伝えて行きました。
「いわば、賀曽利さんやぼくは、現代の遊行僧ということになりますね」なんて語り合いました。「峠越え」の連載は終わっても、オートバイ誌では、また違った趣向の連載を始められるそうです。その中身については、本誌のほうをお楽しみに……。
本日は、世田谷美術館で開かれている「三星堆」展を観てきました。四川省の省都成都近くに、5000年以上前に栄えたとされる青銅文化の遺跡です。
おびただしい数の青銅製品や玉製品出土していますが、中でも、インカやマヤに意匠のよく似た青銅の仮面が圧巻です。
昨日、賀曽利さんと、「日本の稲作文化は、華中や華南の照葉樹林文化がそのまま伝播したものだから、ルーツはあちらにあるんだ」なんて話しをしたばかりでしたから、どれも異形の様相なのに、なんだかすごく親しみを感じました。
三星堆から見ると、東には龍泉山脈が横たわっているそうです。その中に、不老不死をもたらす扶桑の樹があると伝えられ、それを象った大きな青銅の樹も展示されていました。
扶桑を求めるものは、東を目指し、それが後の秦の時代にまで受け継がれ、徐福はそれを求めて東を目指し、ついに日本にまでたどり着く。そして、日本ではいつしか補陀落思想と結びついて、東に広がる海の彼方に補陀落浄土を夢想する……壮大な精神の流れを実感させます。7/20までが世田谷美術館(http://www.setagayaartmuseum.or.jp/)、その後、京都、福岡、広島と巡回展示されるそうです。お勧めです。
――― uchida
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