97/12/25
442部隊

 仙台在住の写真家で、宍戸清孝さんという方がいらっしゃいます。

 この人は、20代の頃ニューヨークで暮らしていて、442部隊の生き残りと知り合いました。

 アメリカ陸軍442部隊は、太平洋戦争当時、日系二世たちで組織された部隊で、ヨーロッパ戦線で勇名を馳せました。1941年12月8日、日本が真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争の火蓋が切られると同時に、アメリカ政府は、在米日系人たちをスパイ容疑者として、すべての財産を没収し、収容所へ送り込みました。在米のドイツ系やイタリア系の人たちは、アメリカ人としての人権を保障されていたのに対し、日系人だけは、基本的な人権すら剥奪されたのです。

 アメリカで生まれ育った二世たちは、この屈辱を晴らすため、軍務を志願しました。この志願兵たちを組織したのが442部隊でした。

 442部隊は、イタリア、ドイツ戦線で常に最前線に立ち、全米軍の中でもっとも大きな犠牲を出すのと引き換えに、ダッハウ収容所の解放やテキサス連隊の救助など全連合軍の中で、もっとも偉大な戦績を上げました。442部隊の活躍により、日系人たちは収容所から解放されると同時に、その名誉も回復しました。

 宍戸さんは、その史実を直接生き残りから聞かされ、彼らの足跡をたどると同時に、誇りのために戦った人たちの素顔を追いつづけることをライフワークに決めたのです。爾来、20年あまりにわたって、彼が追い続けた写真集が、来年発表されます。

 来年は、ぼくもこの5年あまり取り組んでいる小説をなんとか上梓したいと思っています。さらに、前からpendingしていた安重根のことを調べ始めようと思ってます。

 安重根は、日本では伊藤博文暗殺のテロリストとしてしかとらえられていませんが、朝鮮民族にとっては偉大な思想家であり、自由を求めて戦った英雄です。

 安を捕らえ、裁判にかけた日本側官憲のほとんどが、彼の人柄とその思想性の高さに打たれ、みながみな安の熱烈な支持者となったことも、日本の『正史』の中では語られない事実です。

 442部隊が自分たちの自由と誇りのために戦ったのと同じく、安も自由と誇りのために戦った人です。人としてのレーゾンデートルが希薄なこのアノミーの時代にあって、彼らの足跡とそのメンタリティは、忘れかけた大切なものを思い出させてくれるものと思います。

 ちなみに、年明けとともに、宍戸さんの仕事をwebで紹介しようと思ってますので、乞うご期待!

――― uchida

 

 
 

97/12/23
二人の死

 年の瀬も押しつまってきました。

 先日は、伊丹十三氏の自殺という悲報がありましたが、この一年の間に、ぼくの周りでも30歳そこそこの人が二人も自殺してしまいました。

 この数年、前途がある人たちが、理由があいまいなまま自死を遂げるというケースが多いような気がします(伊丹氏のケースはどうかわかりませんが)。個人的な絶望というよりも、社会が個人の希望を奪いさるアノミーの状態に陥っているということなのでしょうか。

 ぼくもそんなに恵まれた環境にあるとはいえませんが、死を解決の手段とするつもりはまったくありません。

 山やレースで幾度か修羅場を経験した身としては、せっかく拾った命を粗末にはしたくありませんしね。それに、アノミーを絶望的な混乱ととらえるより、既成概念に凝り固まった社会がいったん解体された形と考えれば、そこには、大きな可能性が見出せるはずです。

 今世界を覆いつつある情報革命は、世界規模で明治維新が起こっているようなもの。この刺激的な時代に生まれたからには、その前線で存分に暴れまわりたいではないですか。

 それはさておき、年が明けたら、とりあえず北八ヶ岳か奥日光あたりへスノートレッキングに行こうと思ってます。それから、近所にpumpというインドアでフリークライミングが楽しめるクラブを発見したので、通ってみようかと思ってます。その前に、weightをあと5kgは落とさないと。

――― uchida

 

 
 

97/12/17
高度集約型の
経済からの脱皮

 今年は、終盤になって経済が冷え込んで、ほんとに寒い師走といった感じですね。

 一昨日、忘年会からの帰りに、新宿からタクシーで調布まで帰ってきたのですが、運転手さん曰く、ぼくが、この日いちばんの長距離客とのこと。

 かつてバブル華やかなりし頃は、師走の晩に新宿でタクシーを拾おうなんていうと、えらく待たされましたが、今は、タクシーのほうが客を拾う順番を延々と待っている状態です。そういえば、飲み屋さんも22時を過ぎると、ほとんど席があいているし……。

 ほんとは、そういう状況を憂わなければならないのかもしれませんが、個人的には、街も静かになって、みんながそこそこ物事を考えるようになって、いいように思います。そろそろ高度集約型の経済から、別の形の経済へ移行していく時期に差し掛かっているのだと思います。

 出版社や取り次ぎ、販売店を経由しなくても、ぼく個人手から、みなさんにこうして本一冊分のコンテンツが提供でき、しかも、直接ご意見をいただけるというシステムは、今までの流通の常識から考えて、ありえなかったものです。

 ウェブの世界では、すでに高度集約型ではなく、分散カオス型とでもいったモデルができあがっていますよね。たぶん、今後は、これがビジネスとしても成り立っていくようになり、経済そのものが、分散カオス的な方向へ移行するのだと思います。

 発信者とコンシューマーがダイレクトに結びつけば、もっともコストが節約できて、その分、コンテンツを充実させていくことができますよね。

 それはそれとして、このページもそろそろ2000アクセスを越えようというところで、けっこうアウトドア方面では、認知されてきているようです。

 直接mailくださる方も増えてきて、それをきっかけにお付き合いできたりして、楽しくなってきました。今まで何冊か本を出したり、雑誌で連載したりしていますが、それを読んでくださった方と、直接コミュニケートするようなことは、ほとんどありませんでしたからね。やはり、ウェブは、社会構造そのものを変革する刺激的なツールだと思います。

 そのうち、このページを通して、いろんな方々が直接コミュニケートできるチャットかメーリングリストをはじめたいと思ってます。

――― uchida

 

 
 

97/12/13
自然の中で身近に感じられる不可知の領域

 step7に内容を追加しました。なかなか更新が進まず、画像も載せられずにおりますが、ぼちぼちと充実させていこうと思ってますので、気長にお付き合いくださいませ。

 先日、NUMBER誌をめくっていたら、風間深志さんの記事が出ていました。風間さんは、オートバイでの極地チャレンジや地球元気村の主催などで有名な人ですが、オーストラリアを旅したその紀行文の中で、「現在の人間は科学技術文明におぼれ、自分たちが生物の王者だとうぬぼれているが、はたしてそうだろうか。便利さを求めた反面、われわれは大事なものを失ってしまったのでは? もしかしたら、太古には、科学とはまったく違った文脈の文明が栄え、その英知をわれわれは忘れてしまったのではないか」といった主旨のことを語っていました。

 長く自然に接していると、不可知の領域が、この世にはたしかに存在して、心と体を解放すると、それに触れることができると感じることがあります。

 山では、妙に勘が良くなったり、土地の持つ雰囲気に体調や気分が左右されたりすることがよくあります。そういう経験は、都会生活の日常の中では、もっとも希薄な部分です。

 忙しい日常におぼれていて、ふと気づくと、身も心も疲れ果てていることがありますよね。それは、自然の中で身近に感じられる不可知の領域から疎外されているからではないでしょうか? 

 人間が人間らしくあるためには、不可知の領域の空気を感じられる感性を保持しなければいけないと思います。そのいちばんの処方は、やっぱり、自然の中に身を置くことですね。

――― uchida

 

 
 

97/12/11
システムディスクが違う!

 この冬は、経済も底冷えの上、悪性のインフルエンザが猛威をふるいそうで、厳しいものとなりそうです。なんだか、いよいよ世紀末といった様相が濃くなってきましたね。

 学生時代、僕は、築50年の今にも倒れそうな長屋に住んでいました。大きな地震でもあったらたちまち倒壊だと思い、寝るときは、枕元に、キャンプ道具一式を詰め込んだザックを置いておいたものです(倒壊した家屋の下で、何日か生き延びれば、救出されると考えて)。

 神戸大震災の記憶も、そろそろ薄れてきた感じですが、この世相といい、いよいよ東京にカタストロフが襲いかかるのではないかなんて予感もします。

 また、枕元にフル装備のザックを置いて寝ようかなんて考えています。それより、田舎に拠点を移してしまうほうが手っ取り早いかな?

 そういえば、コンピュータ受難は、前回にこの項を書いた時点で終結したかと思っていたのですが、オマケがありました。

 SONY最新のVAIOという機種を導入したのですが、これの内蔵モデムの調子がいまいち。33.6kのはずなのですが、ほとんど20kを下まわってます。いままでは、28.8kのPCMCIAで、ほぼフルスペックで通信できていたというのに……。

 それはまだいいとして、いちどシステム全体をリセットすれば、少しは状態が良くなるかと、システムCDをドライブに。すると、『このディスクは認識できません』というメッセージが繰り返されるばかり。

 サービスセンターに電話して、オペレーターの指示に従っても、同じ調子です。

 「おかしいですねぇ、紫色のCDを確かに入れてますよね」、とオペレーター。

 「ええ、たしかに、紫ですよ。ラベルには、ちゃんとPCV710と……あれ、これ、違う機種のじゃないの?」。

 「エエーッ、たいへん申し訳ございません。それは梱包ミスです」といった顛末。

 これが、すぐに交換がきくのかと思いきや、WIN95のライセンスの関係で、いったん間違って入っていたCDを回収してから、サービスセンターでチェックして、あらためて発送とのこと。

 結局、こっちの都合などもあって、トラブル発覚から1週間以上かかりそうです。

 これが、仕事で早急に必要だったりしたら、完全にアウトですよね。それにしても、コンピュータはスピードが命だと思うんですがね……。

 コンピュータに強いエディターさんに、その話しをしたら、「システムディスクが違う機種のが入っていたなんて、前代未聞だ」と呆れてました。

 だけど、ぼくの一台だけのミスなんでしょうか? もしかしたら、ぼくのロットの前後のものすごい数が梱包ミスされてたりして……。コンピュータ関係では、リコール情報というのはないんでしょうかね?

 このところ、法事なども重なって、いささか疲れ気味です。インフルエンザに注意しなくちゃ。 

――― uchida

 

 
 

97/12/04
今月のコンピュータ運

 いつのまにか師走になってしまいました。

 この10日あまり、仕事の契約先から借りているコンピュータがいろいろと反乱を起こし、そのセッティングに追われて、このホームページの更新も停止してしまってました。あらゆる仕事を借り物のコンピュータに入れておいた僕も悪いんですけど、それにしても先月は、最悪のコンピュータ運でした。

 ライアル・ワトソンの『ネオフィリア』だったかな? 機械と特別相性の悪い人の話しや、意志を持ったとしか思えない機械の話しなどが出ていましたが、この10日の僕は、機械との相性というバイオリズムがどん底にあったみたいです。

 結局、契約先のコンピュータはやめて、自前のマシンを買いました。30万円也の出費は、この不景気の歳末には、とっても辛い出費でありました。その分、稼がねば……。

 そういえば、先日、駄文を連載させてもらっている雑誌の編集者から、「ふだんの4ページが3ページに減ってたこと忘れてまして、最後の1ページ分があふれちゃったんですよ。……じつは、それをなんとかおさめなくちゃって思っているうちに、忙しさにとりまぎれて忘れちゃいまして、尻切れとんぼで出てしまいました。ごめんなさい」と連絡がありました。

 直後に届いた件の雑誌を見ると、たしかにいつもは2見開きの連載が、今月は3ページしかない。どんな恥ずかしいことになっているんだろうと読んでみたんですが、最後はそれなりに終わっていて、その先、自分が何を書いたのか、とんと思い出せないのです。

 その先の話は、先日吹っ飛んだハードディスクとともに御昇天あそばされてしまいまして、いったい、僕はその先にどういうことを書いたのか、永遠の謎となってしまいました。

 それにしても、一ヶ月も経っていない仕事の内容を忘れてしまうというのだから、僕の頭の中のハードディスクも危ない状況かもしれない……もっと、まじめに仕事します。

――― uchida

 

 
 

97/11/25
『森林美』

 石橋睦美さんの写真展『森林美』を観てきました。

 石橋さんといえば、雑誌『シンラ』や『岳人』、それから『毎日新聞』で、日本の林の美しさを紹介していらっしゃいます。

 山岳写真といえば、厳冬の晴れ間に峻厳な岩峰が垣間見えた瞬間を切り取ったようなものや、雄大な風景を表現したものが多いですが、石橋さんが主に追いかけているのは、一個の被写体としての山容ではなく、山を構成している林、木、林床で息づく小さな生命たちです。しかも、雨に煙る林や、しっぽりと霧のたちこめた森など、移り変わる自然そのものをとりこんだ美を表現しています。

 もうだいぶ前ですが、ある雑誌の取材で、石橋さんと、山渓の低山シリーズでおなじみの小林泰彦さんと奥多摩にごいっしょさせていただいたことがありました。

 そのとき、天気はあまり良くなかったのですが、お二人は、じっくりとした歩調で歩みながら、それぞれに珍しいキノコや地衣類をみつけたり、尾根を渡る霧のしっとりした肌触りを楽しんだりして、存分に雨の山行を楽しんでいました。

 ぼくは、ずっとピークハント主体の山登りをしてきましたが、そのとき、頂上を極めるだけが山登りではないということを実地で教えてもらいました。

 町村界の尾根を歩いているとき、左は杉の植林地で陰険な暗さに包まれているのに、右側のミズナラの天然林は明るく、いかにも生命がみなぎっている躍動感に包まれているのが印象的でした。

 そのことを指摘してくれたのは、石橋さんです。頂上だけを見据えてかたくなに山に登っていては、そんなことすら実感せずに通り過ぎてしまいます。森に霧がかかったとき、緑色に見えるのは、葉の色を反射しているのと同時に、フィトンチッドの色が緑色だからなんだと教えてもらいました。それ以来、ぼくは、山でいろんなところを見ながら歩くようになりました。

 『森林美』は、森の体温を感じさせてくれます。

 私たち日本人は豊かな森の恩恵で、その繊細な文化を築いてきたといえます。石橋さんの写真を目にするだけで、森から立ち上る清新な空気の香りを吸えるような気がします。それだけで、心が落ち着き、静かな力がみなぎってきます。

 私たちを育んでくれたその森が、今、どんどん侵食されていってます。石橋さんが写真に収めた後に失われてしまった森もたくさんあります。私たちの文化の基層そのものである森を絶やせば、それは私たち自身の自滅を意味します。

 『森林美』が身近に楽しめる、そんな環境を復活させなければと、意識を新たにしました。

 写真展『森林美』は、新宿三井ビル1Fのペンタックスフォーラムで27日まで開かれています。写真集『森林美』は、平凡社から出版されています。

――― uchida

 

 
 

97/11/22
装備の手入れと
体の手入れ

 先日まで秋晴れが続いていたと思ったら、今度は寒々しい雨が降りつづけています。

 この間に、いろいろ装備を手入れしようと思ってます。

 しばらく履いていない登山靴のワックスをかけ直し、ナイフを研いで、ストーブやランタンをオーバーホールして、それから、オフロードバイクのオイルを交換して、MTBのタイヤを新しいのにして……。

 僕はもともとずぼらな質で、身の回りはゴミ溜状態なのですが、フィールドで使う道具の手入れは、けっこうこまめにしています。山の中で装備のトラブルに見舞われたら、それが些細なことでも、命取りになりかねませんからね。

 例えば、峻険な岩場を登っているときに、靴紐が切れただけで転落することだってあるんですから。一つ一つが自分の命を守ってくれて、また、自分に未知の風景を見せてくれるものだと思えば、深い愛着もわくものです。

 一つ、思うようにいかないのは、体のほうの手入れですね。トレーニングセンター通いを始めようかと思ってます。

――― uchida

 

 
 

97/11/20
パラケルススのゲーム

 step6を更新しました。ようやくドタバタも終息して、ページをいじる余裕が出てきました。

 しかし、気がつけば、もう冬に向かって寒さが日々増して行く時候。ウチのベランダから多摩丘陵越しに見える富士山もいつのまにか冠雪しています。

 午後4時を過ぎるととたんに暮色も深まり、確たる前進の手応えもないまま、夜になってしまいます。秋の夜長に読書に精を出そうと、積み上げた本の一つを手にとって開いても、なんとなく活字を目で追うばかりで、意味が頭に入ってきません。

 ドタバタが終息したと思ったらテンションが落ちてしまったようです。こんなことじゃいかん! いっちょ気合いを入れていかねば。

 今、いくつかゲームの企画を考えています。元来、コンピュータゲームにはほとんど関心がなかったのですが、一年半も斯界で仕事をしているうちに、これは面白い世界だと思うようになっていたのです。

 だいたい、今までなぜゲームに興味がなかったかというと、その世界観があまりにも子供っぽくてつまらなかったからです。

 それが、ゲームマシンのスペックもどんどん進化して、様々な表現が可能になってきた今、自分のセンスや思いを表現できるメディアはこれしかないという思いが強まっているのです。

 本が読みすすまないので、今夜は、ゲームの企画をまとめようかな。とりあえずは、パラケルススを題材にしようと思ってます。

――― uchida

 

 
 

97/11/18
モノキュラーを忍ばせて

 ようやくまとまった時間が取れて、このページの充実に力を入れようと思った矢先、コンピュータがクラッシュするという不測の事態が生じて、またバタバタしてしまいました。

 ニューマシンにしたところまではよかったのですが、これがまたどうにも不安定で、またまた右往左往。便利になればなるほど、それがトラブったときには、痛いしっぺ返しをくらうものです。でも、こういう混乱になんとか自力で対処しているうちに、システムの理解が深くなっていくというのも皮肉なものです。

 この数週間の間に、BUSTERS(http://www.busters.or.jp/news/internet)さんのインターネットニュース配信サービスに紹介されたり、Yahooに載ったりしたおかげで、アクセスがグンと増えています。開設したてのときに、internet watch(インプレスが配信しているmailnewsサービスhttp://www.watch.impress.co.jp/internet/)に取り上げていただいたり、注目していただけるのはありがたいことです。がんばってコンテンツを充実させていかねば。

 そういえば、先日、モノキュラー(単眼鏡)を購入しました(購入といっても、ヨドバシのポイントが貯まっていたのでタダでしたが)。これまで、フィールドにでかけるときには、Nikonの×6のビノキュラー(双眼鏡)を持っていったのですが、コンパクトとはいえ、首からぶら下げているとけっこう邪魔になるものです。

 その点モノキュラーのほうは、×8なのに胸ポケットに収まるほどのサイズで、邪魔にならないので、日常的に持ち歩けます。バードウォッチングのように動きのあるものを追うにはビノキュラーでないと辛いですが、静止物を見るにはモノキュラーで問題ありません。

 これからは、MTBに乗るときや、美術館巡りのときなどにも、しのばせていこうと思います。

――― uchida

 

 
 

97/11/16
コンピュータを信じちゃいけないよ

 11日の夜に、コンピュータの調子が悪いのでデフラグをかけたら、HDDが逝ってしまいました。

 バックアップをこまめにとるといった繊細な性格ではないのが災いして、諸々の仕事のデータが見事に吹っ飛んでしまいました。

 「コンピュータを信じちゃいけないよ」とは友人のベテランプログラマーの言。僕のような下手な文系にわかマニアは、「やっぱこれからはデジタルよ」なんてついつい語っちゃったりしているわけですが、現実は厳しいのでありました。まだまだ盤石というにはほどとおいシステムのようですね。

 なんとか復旧に努めているわけですが、「HDDの容量も増えたし、ついでだからいろいろ入れちゃえ」なんてやっているうちに、せっかくのニューマシンのほうもご機嫌斜め。

 このページはクラリスホームページで作っているのですが、何故か日本語入力を受けつけてくれなくなりまして、ワープロで打って、貼り付けております。トホホホ(;_;)

 ところで、昨日、道志の山奥で、トライアルを楽しんできました。

 今年で13回を迎えるJMM(ジャーナリスト・モーターサイクル・ミーティング)という催しで、山の中に11のセクションが設けられていて、それぞれのセクションにマシンが置いてあって、ライダーはセクション間を歩いて回るというアミューズメントパークのようなスタイルです。

 じつを言うと、オフロードバイクには長く乗っているのですが、トライアルは初めてでした。小雨の中、ぬかるみや沢をバイクで行くというのは、普段乗ってるエンデューロバイクではほとんど自殺行為といえるものですが、トライアルマシンだと、図太いトルクで、歩くようなスピードでトコトコいけちゃうんですね。驚きでした。

 また、この催しでは、様々なタイプのマシンが、各セクションに用意されていて、それぞれの特性の違いも楽しむことができました。一緒のチームで回ったバイク初心者のS氏曰く、「違った種類のバンジージャンプを次々やってるみたいだ」。

 最後の最後で、立ち木に激突した僕は、バンジージャンプの紐が切れた心境でした。でも、面白かった。

――― uchida

 

 
 

97/11/10
桜の紅葉と
正岡子規

 多摩川縁をジョギングしていますと、桜並木が紅葉しているのに気づきました。

 桜はあでやかに咲いて散り際があっさりしているのが大和心を象徴して、魂をゆさぶる木ですが、紅葉から落葉へというプロセスもあっさりしているんですね。

 下のほうはまだ緑葉がありながら、紅葉した葉から次々に風に舞っていきます。その紅葉も、葉全体が赤く染まってから散り落ちるのではなく、山吹色から朱へ移り変わるグラデーションを残したまま枝を離れています。

 そういえば、今まで桜の紅葉を実感したことがなかったのは、気がつく前に冬枯れになってしまったせいなのかもしれません。何事にも潔いのが、桜の木の性なのですね。

 ほんの身の回りのことなのに、新しい発見がたくさんあります。それだけ、人の生ははかなく自然は偉大だといえるでしょう。

 正岡子規は、誰よりも旅が好きで、見聞を広げることに喜びをみいだす人でしたが、八畳の部屋に伏し、狭い庭を眺めながら、若い生涯を遂げました。

 さぞ、彼は無念であったろうと思ってましたが、あれだけ感性の鋭い人であったなら、方丈ほどの庭でも、その好奇心を満たすものにあふれていたのかもしれません。

――― uchida

 

 
 

97/11/09
日本オリジナルの
『遊歩大全』を目指して

 ようやくまとまった時間が取れたので、山積みになった本を片っ端から読んでいこうと思ってます。

 司馬遼太郎『坂の上の雲』1〜8、ジョセフ・キャンベル選集、多田富雄『免疫の意味論』、宮城谷昌光『重耳』、ウンベルト・エーコ『記号論』、白水社のグリム童話初版集、ハイデガー『存在と時間』……etc..。

 なんか統一性がまったくありませんが、この一年あまりに買って、ほうっておいたものばかりです。それだけ、そのときどきで問題意識に引っかかっていたものですが、忙しさにかまけて、考えを深める作業を怠っていたということでもあります。

 いったん仕事モードをデフォルトして、しばし書斎の人になるつもりです(書斎といっても、2DKの片隅ですけど)。お勧め本があったら紹介します。

 そういえば、みなさんは、コリン・フレッチャーの『Complerte Walker』という本をご存知でしょうか? 『遊歩大全』という邦題で、日本のアウトドアシーンの草分け芹沢一洋さんの名訳でした。

 1968年に初版が発行され、本国アメリカでは三回の改訂が行なわれていますが、邦訳のほうは残念ながら一回改訂されただけで絶版になっています。著者のコリン・フレッチャーは、アメリカ全土のフィールドをソロで渉猟している人で、自分がフィールドで体験したことを軸に、装備の紹介とその使用法から、フィールドで一人あるときに得られるメンタルな感動まで、まさに大全という題名にふさわしい広く深みのある内容を持っています。

 アメリカンアウトドアといえば、真っ先に思い浮かぶのは、ソローの『ウォールデン』ですが、コリン・フレッチャーは、まさにその系譜をただしく受け継ぐ作家といえるでしょう。じつは、この『outdoor basic technic』は、その『遊歩大全』に刺激されて作ろうと思ったものです。内容的には、まだまだ足元にも及びませんが、インターネットコンテンツとして更新を続けるうちに、日本オリジナルの『遊歩大全』にできたらいいなと思っているのです。

――― uchida

 

 
 

97/11/02
「URLって何?」

 今年もいつのまにかあと二ヶ月になってしまいました。

 この一年半あまり関わってきたTVゲームの仕事から、少し距離を置いて、新しいことにチャレンジすることになりました。もともと出版畑という極めてアナログ的な分野で仕事をしていたわけですが、ゲームに関わるようになって、デジタルの世界に接し、アナログ人間が抱くよくある抵抗がなくなったばかりか、デジタルの可能性について、はっきり認識するようになりました。それが、こうして自分でホームページを立ち上げるまでになったわけですね。

 ホームページといっても、htmlだけで、しかもクラリスのホームページメーカーとナビゲーターのエディタを使っているだけですから、デジタルでございなんて、威張れるものでもないのですが。なにしろ、ゲームの世界は、3Dのエリアスやらソフトイマージュの世界ですからね。

 そのうち、shockwaveとかJAVAを使って、より充実させようなんて、もくろんではいるのですが……。

 ところが、これが、出版界の知己になると、ホームページを持ったということだけで、もう空の彼方のことらしく、「しんじられない!」 という言葉が返ってきます。で、彼らに、URLを教えようと思うと、「URLって何?」ですからね。

 だから、友人たちのほとんどは、ぼくがホームページを作ったということは知っていても、実際に見た人は、非常に少ないのです。ああ、出版界が浦島太郎にならなければいいけど……。そんなわけで、デジタルでの仕事やら遊びやらを今後も続けていきたいと思ってます。

――― uchida

 

 

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