04/07/07
事故
俳優のNさんが、住宅街の道で車を運転していて自転車と接触、自転車に乗っていた男性を死亡させてしまいました。
Nさんは、今年の初めに交通事故に遭って長期入院を余儀なくされた親友を励まし、親身になって相談に乗ったり、いろいろなケアをされていました。「冒険家」の肩書きを持つその人が狭い病室に閉じ込められて鬱々としているのをなんとかしようと、PCを調達して病室からネットに接続できるようにしたり、コンディションがいいときには、病室から連れ出して自ら車椅子を押して各地を回ったり、「励ます会」を計画したり...。
交通事故の被害者を健気に応援していた当人が、人を交通事故で死なせてしまうとは、なんとも皮肉なものです。
Nさんは、警察で「自分の不注意だった」と素直に認めているそうです。いまさらながら、車やバイクは動く凶器であることを思い知らされます。それで人を殺めてしまったら、体調が悪かっただの気分が塞いでいただの、魔がさしただのといった言い訳は一切通用しません。
蒸し暑く、体もだるいし気力も衰えがちなこの時期、車やバイクを運転することは飲酒運転しているのと同じようなことだと自覚したほうがいいでしょう。ぼくは、人を巻き込む事故は幸い起こしたことはありませんが、振り返ってみると、事故で自分の命を失いそうになったのはいつも本格的な夏が始まる直前の時期でした。
6年前の梅雨、オートバイで渋滞している中央高速をすり抜けしながら走っていたとき、不意に車線変更してきた車を避けきれずに側面に衝突しました。そのときは、右ひじを骨折、全身打撲で、回復するまで2ヶ月かかりました。陽炎の立つような梅雨の合間のひどく蒸し暑い日で、目の前に車が立ちふさがった瞬間、朦朧とした頭は何が起こったのか理解することもできず、そのまま真っ直ぐ衝突しました。宙を飛んでいる間はスローモーションで、むしろ気持ちがいい感覚。地面に叩きつけられる瞬間に突然すべてが早回しになって、世界が炸裂しました。
4年前のこれもやはり梅雨の時期。深夜、仕事場から自宅へ戻る途中、川沿いの道をオートバイで走っていて事故を起こしました。ずっと気持ちが落ち込んだままの日々を過ごしてきて、翌日は新型のオートバイのインプレッションをする予定で、そのオートバイに跨り、落ち込みの反動からか気分が高揚していました。
狭い道で、前を行く目障りな大型トレーラーを無理に追い越し、川沿いの土手の繁った藪を見て、「ここから犬でも飛び出してきたら一貫の終わりだな」なんて思った瞬間に、自分の考えが具現化してきたように、犬が目の前に飛び出してきて....。1300ccの大型オートバイとともにスリップダウンして路面を滑っていきながら、そのときは死を覚悟しました。
これもスローモーションの中で、ふいに我に返って、そのままでは250kgもあるオートバイに巻き込まれて間違いなく死ぬと思い、オートバイの下敷きになっている左足を力任せに引き抜き、滑っていくオートバイから体を引き離して、なんとか巻き込まれずにすみました。オートバイはその先で何度か反転して全損。自分は肋骨を三本折り、左ひざの肉をごっそりと抉ってしまいました(その傷跡は今でもはっきり残っています)。後で、現場検証してきた交通係の警官に、「スリップの跡からみて、120km/hやそこら出していただろ。それにしてもよくその程度の怪我ですんだものだ」とお灸を据えられました。
他にも、事故には至らなかったものの、肝を潰すような場面が何度もありました。 ぼくは、雑誌などでオートバイのインプレッションを書くような仕事もしていますが、同じ仕事をしていて、命を落とした人も何人もいます。長く仕事をしていて、事故に遭ったことがない、怪我をしたことがないという人は一人もいません。オートバイの場合は、乗り物自体が不安定だから、ちょっとした外乱が加わっただけで転倒してしまいます。よほど習熟したライダーでも、突然何かに前を遮られたらどうしようもありません。 四輪の場合、少しぶつけたくらいでは、自分の体で痛みを感じることはありません。最新のハイテク満載の車もドライバーを守るということではじつに洗練されていますが、これが歩行者や自転車、オートバイといった弱者相手のセーフティでは、なにも対策されていません。運転者が安全装置に守られているために、自らが加害者となる危険性について鈍感になっているところがあるでしょう。 幸い、今まで自分が痛い思いをしたことはありましたが、人を巻き込んだ事故はありません。自分が勝手に死んでしまうのはいい。だけど、今回のNさんのように人を傷つけることだけは、たとえ過失であったとしても、絶対にしたくありません。 今一度、あらためて自分は凶器を扱っているのだということを肝に銘じて、その取り扱いには注意を払わなければいけないと思います。 ちなみに、ぼくはたまたまオートバイと出会って、魂を刺激してくれる相棒としてもう何十年も付き合ってきていますが、人にオートバイに乗ることを勧めはしません。また、オートバイの性能評価をしたり、これを旅の道具として使うことをレポートすることはあっても、「オートバイは素晴らしい」と賞賛することはしません。 先日、自宅に人が訪ねてきて、ようやく伝い歩きを始めた息子を見て、「息子さんにも、将来、オートバイに乗ってもらいたいんでしょうね」と、言いました。 すぐに妻が反応して、「この子は、絶対にオートバイになんか乗せやしません!」とむきになって答えました。 オートバイに乗るか乗らないかは、当人が決めることであって、親だからといって、こちらがどうのこうの言うことではありません。だけど、その危険性を身をもって知っているだけに、積極的に勧めたり、自分がオートバイに乗る姿を子供に見せようとは思いません。
左膝を抉ったときの跡
―― uchida
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