03/10/22
エコツーリズム
今月の初め、若狭は三方町にある「湖上館PAMCO」の館主、田辺一彦さんのお誘いを受けて、三方五湖の一つ、水月湖の辺にある宿を訪ねました。
田辺さんは、高校、大学とボート部で活躍された根っからのスポーツマン。家業の旅館を引き継がれてから、建物をヨーロッパの民宿風に立て替え、独自のビールプラントを設置して地ビールならぬ「PAMCOオリジナルブランド」を作り、特産の梅を生かした梅風呂を考案し、豊かな三方の自然を生かしてシーカヤックやシュノーケリング、サイクリング等々のアクティビティをお客さんに提供するなど、驚くばかりのバイタリティで自分が愛する三方の自然を堪能してもらうための宿作りをしています。
今年、三方の旅館組合の会長となった田辺さんは、自分の宿だけでなく三方全体、若狭全体の観光業のあり方をなんとか改革したいと、ぼくに助言を求めてきたのでした。
観光とは、本来、その言葉通り、「光を観る」ことでした。「易経・周易上経・観の項」に「観国之光、利用賓干王。観国之光、尚賓也。」(国の光を観る、もって王に賓たるに利し。国の光を観るとは、賓を尊ぶ也)。国之光とは、その土地の自然や文化、歴史のことです。単なる物見遊山が観光なのではなく、土地に秘められたあらゆることを知り、感じることが本来の観光です。
観光をすることによって、訪れた土地のことをよく理解できる。それは、自分が立つ大地、自分もその一つの構成要素である地球について理解することです。
易経は、膨大な経験を裏づけにした未来を開くための体系です。その中に「観光」という言葉が位置を占めているのは、それが、人と社会、そして大地を豊かにする要素の一つだからでしょう。
先進国では、エコツーリズムやグリーンツーリズムという言葉が定着して、それがさも新しい概念やムーヴメントであるかのように宣伝されています。だけど、じつはすでに「観光」という言葉の中にそんな概念は数千年も前からこめられていたのです。
田辺さんに案内されて、常神半島の八百比丘尼伝説の神社や空海が足跡を残した雲谷山麓の寺を回り、宿の目の前の水月湖にシーカヤックで浮かんで、陽が巡って、同じ景色が鮮やかに変化していくのを見守っていると、「観光」という意味、古の人たちが、いかに大地との感応に喜びと意義を見出していたかがわかってきます。
政府や各地の自治体でも、今までの開発型の観光産業から、それぞれの土地が持つ固有の性格を生かして、訪れた人たちが自然に親しみ、満足できる何かを得て日常生活に戻っていけるような新しい観光産業にシフトしようと、いろいろな施策を行いはじめています。
三方のある福井県でも、体験・滞在型レジャー拠点として、三方をモデル地区にして様々な事業を起こす準備をしているそうです。日本一の観光県である長野県では、「新世紀の観光ビジョン」と銘打って、様々な施策を公開しています(http://www.pref.nagano.jp/syoukou/kankou/kankouvision/index.htm)。
行政主導のそうした施策も、ぼくはとても重要だと思います。バブル時代のリゾート狂騒とは異なり、自然と共生しつつそれを観光資源として生かそうという意識が、今は行政にも定着して、本気で取り組んでいるることが、長野県の例を見てもよくわかります。行政主体で、システムや枠組みを整備して、大きなプロジェクトを立ち上げるのも必要なことです。
でも、何より大切なのは、誰もが、自分の住む土地について、観光業者だとか客だとかの立場を退けて、「人」として良く知り、感じることだと思います。
今回、田辺さんの計らいで、宿のスタッフの方たちやお友達、役場の方たちを交えて、ざっくばらんにお話する機会を設けていただきました。みんな、自分の暮らす三方のことが好きで、三方の自然をたくさんの人に堪能してもらいたいと思っています。
では、三方の自然のどこが自慢なのか? ぼくは素朴に質問しました。「海、湖、山、川と自然の要素が満遍なく揃っていて、海の幸にも恵まれている」……そんな答えがみんなから返ってきました。では、海、湖、山、川、それぞれが他とどう違い、それぞれの何が三方にしかないものだと自慢できるのか? そう質問すると、答えはすぐには返ってきません。
若狭湾に向かって伸びる常神半島は、恐ろしいほど澄んだ水面の入り江がたくさんあります。そこでは、四季を通じてとれる海産物の種類が目も眩むほど多い。そして、沿岸から見る若狭湾へ沈む夕陽は、心を洗う力を持っています。この景色からは、人魚の肉を食べて不老不死となった八百比丘尼の伝説が生まれていて、その伝説を踏まえた上で、景色を見れば、この伝説が、切ないほどに繊細な常神の景色とその月日や季節による移ろいそのものを語っていることが、即座にわかります。
また、空海が足跡を残した寺の傍らにある滝を見れば、そこが鮮やかな朱に染まっていて、丹薬の原料である水銀を探し求めた空海が確かに、ここに足跡を刻んでいたことが知れます。そして、不老不死の丹薬が、そのまま八百比丘尼の伝説にも繋がっていきます。
三方町の象徴ともいえる湖、三方五湖は、淡水、汽水、海水に分かれて、海と山が出会って混ざるグラデーションをその色にも示しています。もちろん、それぞれの水を生息域にする魚がいて、種類が豊富なのはいうまでもありません。宿が面する水月湖は、その名の通り、東の山入端から登る月の光を受けて、幻想的な風景を見せてくれます。宿の対岸には人口の明かりが一つもなく、鏡のような湖面には蒼々とした月と朧な山並みが映り、伝説を想像するのではなく、伝説そのものの中にいるような気がしてきます。
そんな印象をぼくが取りとめもなく話しをすると、地元の人だからこそ伝えられる、ディテールが次々に飛び出してきます。水月湖から観る夕陽のベストポイント、校歌に歌われている雲谷山の不思議、そして、宿の厨房をあずかる水野さんは、三方の野菜の美味しさを強調してくれました。
「水と緑の○○」といった国体のキャッチフレーズのようなお題目では、せっかくの、その土地それぞれの繊細な特色が失われてしまいます。三方には、羨ましいほどの自然の細やかさが秘められています。
今、ぼくの頭の中では、この三方の自然や文化を素材に、いろいろなツアーの可能性が次々に湧き上がっています。同時に、水野さんが素朴に感じた野菜の旨さを味わうように自然を味わうための簡単なトレッキングセットやウェアなどをレンタルで用意したらどうかと思っています。
たとえば、ドライブの途中にこの地に立ち寄った初老の夫婦が、トレッキングセットを借りて、水月湖を巡る遊歩道を散策する。そして、気に入ったロケーションの場所でマットを広げ、セットの中に入った、土地の野菜で作られたさりげないランチを食べたり、ストーブでお茶を沸かして飲む。ビノキュラーや図鑑もその中に入っていて、その時期に見られる鳥や魚や木花には、さりげなく付箋が差してある。地図には、その日の夕陽のベストポイントと日の入りの時間が記してある。午後のひと時を楽しんだら、帰りは、月明かりに照らされた遊歩道を戻って来る....。
ありふれているようでいて、だけどそこだけでしか味わえない自然の細部を観光できる、さりげないインフォメーションとサービスが全国のあちこちに用意されていたらいいなあと、漠然と思います。
―湖上館PAMCO―
http://www.pamco-net.com/
――― uchida
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