01/06/12
アノミーの処方箋
大阪で悲惨な事件がありました。尊い未来を奪われてしまった子供たちのことを思うと、何も言葉が出てきません。ただ心から冥福を祈るばかりです。
だけど、一方で、こんな事件が起こりそうな予感があり、第一報を聞いたとき、ぼくは、「ああ、ついに起こってしまったか」と思わずため息混じりに呟いてしまいました。こういう事件が起きてしまうことをどこかで予期していた人が、じつはたくさんいたような気がします。
ずっと続いてきた高度資本主義の時代が終焉を迎え、これまで「是」とされていた価値観がどんどん否定されています。昆虫が光に吸い寄せられるように、みんながひとしなみにお金や出世を求めて同じ方向に進んでいるときは、自分では何も考えず、ただ、人と同じ方向に歩んでいけば、とりあえずはどこかに行き着けることができた。ところが、高度情報化社会になると、道標となる光は消えてしまい、方向を自分で決めなければどこへも行けなくなってしまった。
情報はとてつもない量が溢れかえっているけれど、その中から自分にとって価値のあるものを見定め、人間関係も新しい価値観に基づいて築き直さなければならなくなった。それに順応できるアクティブな人にとっては、以前の窮屈な社会などより、これからの社会のほうが、より自由で明るいものに見えているはずです。
ところが、旧来の価値観にしがみついて、誰かが自分の方向を定めてくれると思っている人たちは、突然、光を消されて暗闇の中でさ迷っている昆虫そのものになってしまいました。
一般的に見ると、保守層というのは社会の上層部で既得権にしがみついている人たちだと思われがちです。ところが、実態は、保守層というのは、高度資本主義によって生み出された人口の大部分を占める「新中間層」と「低所得層」です。これは、社会変動論の常識でした。
社会の上層にいる人たちは、社会の動きに敏感で、自信の位置がそれほど安定したものでないことをよくわかっているから、できるだけ迅速に変化に対応しようとするし、自分の既得権を守るために、かえって変化をコントロールしようとする。じつは、既得権にしがみついて、それを必死で守るために変化を拒絶してきたのは新中間層と低所得層でした。
そんな構造が、最近変化して、新中間層の中からまったく新しいパラダイムへ変換していく人たちが増えてきました。今までは政治権力やマスコミ権力の恣意の元に管理されていた情報が、個人で自由に発信できるようになり、また、ネットを通じて探せば、かなり詳細な情報まで瞬時につかめるようになりました。そして、ネットという新しいシステムやローカライズとグロバーリズムが同時に進む新しいパラダイムに乗って、新しい人間関係や生きがいを見出し、社会変動論で言われていた「新中間層=もの言わぬ大衆」から脱却して、新しい社会階層が生まれ、肥大化し始めている。
そんな中、その動きについていけない人たちは旧来の中間層、貧困層の中に置き去りにされていく。新しい個人主義の流れの中では、前に進むことに忙しくて、誰も立ち止まっている人を振り向こうとしない...できない。そんなところに光と闇を感じます。
本当のデジタルデバイドというのは、インフラやハードウェアとしてのデジタルが手に出来るかできないかではなくて、デジタル化の意味がわかっているかわかっていないかという点にある気がします。日本は高校生や中学生まで携帯電話でmailのやりとりをしていますが、そこで取り交わされる内容はじつに希薄なものです。また、いい大人が子供っぽい着メロを鳴らしていたり、「出会い系」サイトに嵌ったり...それは、ツールとしてデジタル機器を使っているというよりは、あいかわらずの資本主義的な構図の中で、ツールを使わされているだけです。
社会が理解できない方向に動いていると感じたとき、しかも、イデオロギー対立のようにプロテストできる具体的な権力は目の前になくて、ただ方向がわかっているらしい人たちだけが先に進んでいるように見えたとき。人は、途方もない疎外感を味わうのではないでしょうか?
精神病は社会の病だとも言われます。「アノミー」という言葉をずっと社会学的なメタファーとして使ってきましたが、ついにそれがはっきりした実態を持ったという気がします。
ぼくは、けして、今回の事件の犯人をデジタルデバイドの犠牲者だと思っているわけではありません。この犯人は、けして許されない獣です。病気だろうがなんだろうが、この行為は絶対に許されるものではないし、事情に関係なく、極刑をもって処すべきだと思います。ただ、巨大な疎外感から、自分の存在意義を失って、心神耗弱への道を進む人たちが今後多くなっていきそうなことが怖いのです。
先日、ある人が事務所を訪ねてきました。彼は、しばらく引きこもりのような状態になって、何ヶ月も仕事もしなかったようです。
離婚したり、恋愛問題がもつれたり、仕事がうまくいかなかったり、いろいろ事情はあったらしいのですが、いずれにしても、それは自分自身が招いた問題ですし、そんなことは巷に溢れています。ぼくだって、いつも順風満帆で暮らしているわけではなくて、当たり前のように、日々、困難やら問題に直面しています。それでも、彼が、自分から何か具体的な相談を持ちかけてきたり、辛い心の内を語ってくれれば、ぼくだって、何かアドバイスでもできるでしょう。
でも、彼は、ただ察して欲しいというばかりに、暗い顔をして俯いているばかりです。一年ぶりに唐突にやってこられて、察してほしいという顔をされても、さほど付き合いが深かったわけではないし、ぼくはカウンセラーでもないし、反応のしようがありません。まして、ここは、仕事場で、かなりタイトな締め切りに追われていた矢先でしたし...。
結局、彼は、ぼくの今の仕事関係を根堀り葉堀り聞いて、自分に関わりがありそうな話にだけ目を輝かせて、「ぼくに、何かできることがあったら...」と身を乗り出しただけでした。ぼくは、自分でも悩み多き卑小な一個の人間にすぎません。だから、彼を助けることも、彼に同情することもできません。彼には申しわけないけれど、彼を反面教師として、せっかく、自分で求めれば具体的な何かがもたらされる世の中になってきたのだから、明るく、前向きに前進していこうと思うだけです。
結局、どんな時代でも、どんな状況でも進むべき道を自分で見つけ、明るく歩んでいくこと、それを少しずつでも広げていくことしか、アノミーを解消する手立てはないような気がします。
――― uchida
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