01/02/13
超自然との対話
先日、とある飲み会で、ぼくがアウトドアのサイトを運営していることを知っている人から、こんな質問をされました。「アウトドアのどんなところが面白いんですか? やっぱり、空気が美味しいこととか、体を動かして自然な汗をかくことの気持ち良さですか?」。
ぼくは、ほとんど反射的に、こう答えていました。「それももちろんありますけど、自然が見せてくれる、あるいは感じさせてくれる超自然の感覚を味わうことというのがいちばん大きいでしょうね」。ぼくは、自分でも予期しなかった言葉に、自分自身で吃驚してしまいました。
ぼくの言葉に興味を抱いた相手は、さらに質問してきました。「超自然の感覚って、どういうことですか?」。
頭の中には、その問いに対する答えが浮かばないのに、口からは言葉がどんどん流れ出てきます。「たとえば、天候の変化が、理屈じゃなくてただ感覚として的確に予測できたり、土地の持っている雰囲気のようなものを強烈に感じたり、『自然』と文字通り言葉を通してではなくて雰囲気として対話している……交感している感じなんです」。
自分で話しながら、「そうだそうだ」と思わず相槌を打ってしまいます。まるで、ぼくの深層意識から何かが実感を引き出して、言葉にしているような感じです。そんな調子で、ぼくは、山で体験したことを彼に話していきました。
たとえば、はじめての山に登っているとき、ふいに、人が楽しそうに笑っている声が聞こえきます。
ぼくは、「ああ、もうすぐ頂上なんだな」とごく当たり前に思う。そして、実際、すぐに頂上に出るんだけど、誰もいない。
稜線を風が渡る音が人の笑い声に聞こえるのかもしれませんが、ときには、それがはっきりとした会話になっていることもあるんです。でも、やっぱり誰もいない。そのことを気味悪いことだとは思わず、ごくあたりまえの感覚なんです。
槍ヶ岳の頂上直下の岩場で濃いガスにまかれて方向を見失ったことがありました。そのとき、頭上に、右上のほうへトラバースしながら登っていく先行者の影をみつけました。
何故か、その先行者は、ホワイトアウトといってもいいほどの濃密なガスの中でも、確信を持って進んで行くようだったので、ぼくは、その影を追うことにしました。
先行者は、まるでぼくがフォローしているのを知っていて、ガイドしてくれるかのように、歩調を合わせて進んでいきます。そして、その影が消えたと思ったら、ぼくは稜線に立っていました。そして、稜線にかかるガスを風が吹き払って、見通しが利いたとき、そこには、誰もいませんでした。ぼくは、そのとき、「山が教えてくれたんだな」とあたりまえに納得しました。
八ヶ岳の主峰、赤岳を清里のほうから目指しているときでした。
天気図から見ると、悪天候に見舞われる前に余裕で頂上に達することができるはずでした。でも、赤岳直下の岩場に差し掛かる手前で、山が、ぼくが先へ進むことを拒んでいる気がしました。
そこまで3時間あまりも登ってきて、あと1時間半もあれば頂上というところです。でも、ぼくは、自分の直感に従って、いさぎよく撤退しました。そのエスケープの途中で、急速に発達した低気圧に飲み込まれて、川となった登山道をようやくの思いで下りました。
まだ突然の嵐に飲み込まれる前、四人組のパーティとすれ違いました。ぼくは、彼らに、訴えるように、「撤退したほうがいいよ」と言いました。でも、彼らは、ぼくの言葉にまったく耳を傾けませんでした。理屈で判断すれば、彼らのほうが当たり前で、ここまで上っておきながら、根拠のない感覚に従って下山するぼくのほうが変人だったのです。
でも、彼らは赤岳直下のいちばんの難所で猛烈な嵐に見舞われ、帰らぬ人となりました。
逆に、天候が崩れることははっきりしているのに、何故か、「大丈夫」という確信があって、自然に足が動いていったこともあります。
もう下り坂の天候の中で、雲に飲み込まれたピークに達したとき、突然、視界が開け、信じられない大展望が、そこに広がりました。それは、まるで、山がぼくだけのために、とっておきの景色を用意していて、それをクライマックスで見せてくれたような感じでした。
日常生活の中では「不思議」としか思えないようなことが、自然の中にいると、ごく当たり前のこととして迫ってきます。ぼくは、そういう経験をしたいからアウトドアに出かけるのだと、あらためて気づきました。
自然は、不動のもののように考えられがちですが、不断に激しく変化しています。
同じ山に登っても、四季のサイクルは同じだとしても、かいまみせる表情はその時々でまったく違います。人に感情があるように、自然にもはっきりとした感情があります。アウトドアに身を置き、心を開いてみればそれが実感できます。
たしかに、汗をかき、明るい日差しを浴び、風を感じる気持ちよさは、自然の大きな魅力です。でも、ぼくは、文字通りの「自然との対話」が魅力の確信のような気がします。
ぼくが、自分の体験として上げたような例でなくとも、ただわけもなく自然が身近に感じられる感覚は、地球=ガイアと自分が一体である実感をもたらしてくれます。その実感は、とても暖かくそして豊かな心をもたらしてくれます。
――― uchida
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