01/04/17
山岳修験学会

 プロフィールのところを見ていただくと、奇妙な学会の名前があるのに気づかれると思います。「日本山岳修験学会」。ぼくは、いちおう、この学会の会員なんです。といっても、登山を通して、修験に興味があったのと、ちょっとシャーマニズムを齧ったりしたもので、学会の中身もわからず、ただ「面白そうだな」と、仲間に入れてもらったのです...たまたま、ぼくの古い友人が宗教学を専攻していて、この学会のメンバーの一人で、彼に推薦してもらったのです。

 ごくたまに学会に出て、後は、毎年送られてくる学会誌をパラパラとめくるくらいだったのですが、ここ数日は、そのバックナンバーをひっくり返して、丹念に読み込んでいます。先に、日本のレイラインを探る旅を始めると書きましたが、その予備調査でデジタルマップをグリグリやりながら、各地の神社やら聖域を結んでいるわけですが、10万分の一の地図を開くと、「稲荷神社」、「八幡神社」、「諏訪神社」...なんて、続々と出てきてしまって、それを思いつくままに結んでいったら、地図が真っ黒になってしまうわけです。それで、俄か勉強を始めて、相互に関係ありそうな神社を結びなおしているというわけです。

 今まで、斜め読みしてほったらかしてあった学会誌も、はっきりした目的のもとに読み直すと、ディープな情報の宝庫です。深夜まで、資料に当たって、メモをとったりしていると、これからぼくが行おうとしている「レイラインハンティング」は、まさに、ぼくに与えられた天命ではないか...なんて、気までしてきます。

 日本のレイラインハンティングの後は、世界のレイライン巡りをしようと、夢を膨らませています(^_^;)

 ところで、本読みモードに入ると、おさまりつかなくなって、このところ、目に付く本を片っ端から読んでいます。アーサー.C.クラーク「3001年 ―終局への旅―」、同じくクラークとスティーヴン・バクスターの「過ぎ去りし日々の光」、↓で引用したC.ウィルソン「至高体験」、新戸雅章「発明超人ニコラ・テスラ」、そして何故か野田知佑「北極海へ」...「3001年」と「過ぎ去りし日々の光」以外は再読ですが、なんだか、読書の綱渡りをしているみたいですね(^_^;)

 「コト」をたっぷりためこんで、今度は、いよいよアクションに移ります。

――― uchida

 

 

01/04/10
得体の知れない何かを求めて

 ようやく、花粉症もほとんどおさまって、身を入れてトレーニングができるようになってきました。

 前から予定していた「レイラインツーリング」が、うまくすればWEBと定期刊行物とCSの電波に載せて流すことができそうで、デジタルマップでのレイライン探索と体力作りに本腰を入れ始めています。

 探索の足となるバイクも、今月後半にはカワサキのブランニューマシンをじっくりインプレッションしながら使えそうですし、その後はやはりカワサキのロングセラー「ニンジャ=GPZ900=トップガンでトム・クルーズが乗っていたやつですね」を長期インプレッションする予定なので、これを足に使おうと思っています。

 ゴールデンウィークは、四国で行われるオフロードレースに出る予定だったのですが、今回はキャンセルとなってしまいました。代わりに、「レイライン」に集中しようと思っています。...あまり「レイライン」「レイライン」と言っていると、どこぞのカルトや神秘主義マニアに思われてしまいそうですが、別に、そこに隠された真理を見つけ出そうとか、パワースポットを巡ってご利益にあずかろうと思っているわけではありません。

 ただ単純に、神社などの「聖地」や「パワースポット」と呼ばれるような場所(ほとんどが富士山に代表されるような特徴的なランドマークですが)で、意味ありげな配置になっているところを、実地に訪ねて、その雰囲気を感じてみたいだけなのです。

 前にも、このコーナーで書きましたが、山に登っていると、場所によって、とてもいい気分になったり、逆に力を吸い取られて調子が悪くなることがあります。そんな体験をする度に、「ゲニウス・ロキ」とか「ひだる神」といった、昔の人たちが、場所に関わる雰囲気について表現しようとした言葉が浮かんできます。

 また、各地を旅している中で、「聖地」と呼ばれるような場所には、実際にそこに立ってみると、言葉では言い表せない「何か」を感じることがよくあります。実際に辿ってみて、その「何か」が何であるのか、正体を突き止めることはまずできないでしょう。でも、行かずにはおれないのです。実際に自分の体を運んで、その場(フィールド)に特有の「何か」を感じることで、自分の中にある「何か」が感応する、ただそれだけを体験したいのです。

 ぼくは、昭文社が出版しているツーリングマップルシリーズの中部・北陸編を担当していますが、お隣の関西編を担当している滝野澤優子さんは、今月から旦那さんと二人で四国のお遍路さんをして、その後2年間を予定している世界ツーリングに旅立ちます。また、東北編を担当している賀曽利隆さんは、今、日本一周島巡り中ですが、それが一段落ついたら、全国に散らばる一の宮巡りをする予定だそうです。滝野澤さんは、じつをいえばかつてぼくが仕事をしていた登山専門誌で、ぼくのすぐ後にアルバイト兼特派記者となった人で、その後、旅ものの雑誌などで、同じように仕事をしてきました。賀曽利隆さんは、ぼくがオートバイに乗り始めた頃に、オフロードバイクでサハラ縦断や世界ツーリングを勢力的にされていて、「オートバイがこんなふうに世界を広げてくれるんだ」と、ぼくが、オフロードバイクに嵌るきっかけとなった人です。そして、その後、二輪の雑誌や旅ものの単行本で一緒に仕事をさせていただいています。滝野澤さんと賀曽利さん、そしてぼくは、けっこう深い因縁があるのです(ちなみに、三人とも血液型はB型です)。その三人が、それぞれ、ほとんど時を同じくして、同じように「聖地」にひかれるというのも、また不思議なものです。

 レイラインを辿る旅では、もちろん、山にもたくさん登る予定です(なにしろ、日本は山岳修験のメッカですから=ちなみに、ぼくは日本山岳修験学会というところの会員でもあります(^_^;))。これは、「聖地」の雰囲気を感じるのはもちろん、山ヤとしても、今までの「ピークハント」や「ナチュラリスト的観点」からの登山とは違って、面白い登山体験ができるのではと、期待しているわけです。播隆上人の気分になって槍ヶ岳に登ったら、ぜんぜん違うはずですよね。

 ところで、話はぜんぜん違いますが、先日、コリン・ウィルソン「至高体験」を久しぶりに読み直していて、こんな一文に行き当たりました
人間はすでに多くの時間を受動の状態で費やしており、自由への能力にほとんど目覚めていない。それはおのれが、複雑さに支払った代価である。もしヒュームの観念連合主義が人間精神の働きの絵解きとして<完全に>認められることにでもなれば、あらゆる受動的な閃光、あらゆる至高体験は止んでしまうことだろう。一方もし人間が一刻ごとの実存を意志によって完全に支えていることを知るに至れば、その結果、人間の意志の質には全体的変化が生じることだろう。自分が漠然と病気だと感じたとき、何が起こるだろう。意志の行為でなんとかして嘔吐感を抑えなければいけない。私はまさに何をするか。最も簡単な方法は、深く関心を抱いているほかの事に焦点を合わせ、病気を忘れようと努力すること、というのも、焦点を合わせると言う行為そのものが、、私の非人称的意味目覚めさせるから

 花粉症が、一瞬の小康状態を見せたときを捕まえて、形勢逆転に持ち込んだぼくのやり方は、どうやら正しかったようです...って、花粉症が悪化したのは、賀曽利さんが苦しんでいるのを見て、「花粉症なんて気合いいっぱつですよ!」なんて高言したのが始まりなんですけどね...ウィルソン式に言えば、このときは「病気に焦点を合わせた」ということなんですかね(^_^;)。

 コリン・ウィルソンというと、やはりスピリチュアルなものと関連付けられてしまいそうですが、デビュー作の「アウトサイダー」以来、一貫して人類の次なる進化にとって必要な「心理学」を創始しようとしている人だと、ぼくは思っています。エイブラハム・マスローの論文をモチーフにしたこの「至高体験」では、その姿勢が如実に現れています。

 何もかもを、人間が自分の力で及ばない暗黒のリビドーの力のせいにしてしまったフロイトの誤謬はもちろん、広大な「無意識」の可能性に光を当てたユングや、権力への意志を人間心理の中心に据えたアドラーも乗り越えていく、「肯定性」への力強さには、これを読むだけで、こちらが力づけられます。そんな中、もう一文だけ引用します。
人間は本来的に静的ではない。その心的エネルギーは、血液と同じく、動きつづけるよう意図されている。心的な存在は、川のように、本質的にダイナミックなもの、前に向かってあふれ出るものとして理解しなければならない。あらゆる精神疾患は、この川を塞き止めた結果生ずる。この流れを起こすものは、フロイトのリビドーでもなければ、アードラーの力への意志でもない。一種の<差し伸ばし>を通して、むしろレーダーのように働く<価値感覚>なのだ。人間は<未来に方向づけられている>。人間が切望するものは権力ではない。客観的現実であり、自らを越えた価値なのだ」。肯定的に未来を見るということを、今のぼくたちはときとして忘れがちですよね。

 

――― uchida

 

 

01/04/03
トレーニング再開!

 ページの更新はおろか、このコーナーまでずいぶんサボってしまいました。

 それというのも、ずっと続いていた体調不良のせいでした。「このままいくと、寝たきりになってしまうんじゃないか...」と思うくらい、下降線を辿っていたのですが、今日の午後になって、突然、調子が出てきました。自分の体ながら、いったい、どうなっているんだか...。

 昔は花粉症がひどくて、春になるとこれで死ぬんじゃないかと思っていました。だけど、ある日突然、のた打ち回る苦しみが、ふっととれたかと思うと、いつもの調子に戻っていました。それは、まるで、爬虫類が脱皮するような感じでした。今日は、ちょうど、脱皮を終えたということなのかな? 

 それで、3週間ぶりにトレーニングセンターへ。でも、以前の快調時に比べると、体は重いし、頭の中には、まだうっすらと靄がかかっているような塩梅なので、簡単なメディカルチェックを受けてからにしました。

 そのチェックの結果が最悪でした。この前までは、体重77kg、血圧が73-120といったところを維持していたのに、体重が83.4kg、血圧98-154、おまけに脈拍85...これじゃ、調子が悪いわけです。

 体調が悪くなると、気分まで落ち込んで、動くことが億劫になってしまい、さらに気分が落ち込む...そんな悪循環に陥っていたようです。そこから脱するには、いくらかでも気分が上向きになったときに、思い切って体を動かすこと、これに尽きます。

 というわけで、あまりにも情けない数字に、怒りが込み上げてきたぼくは、今日は、特別入念にトレーニングを行いました。2時間に渡って、エルゴメーターを10km、ランニング3.5km、ウェイトトレーニング1セット...終わって計ってみると、体重82kg、血圧90-140でした。さあて、本気出して、ベストに持ち込もうっと!

――― uchida

 

 

01/03/22
体調最悪

 数年振りに、本格的な花粉症に痛めつけられています。悪寒とだるさ、熱はあるし、とにかく立ち上がるのも辛いほど……昔、苦しめられたもっとも酷い頃の症状そのままです。

 こういったアレルギー症状は、漢方でいえば、「実証」の人のほうが症状がきついようです。実証とは、元気すぎて元気が有り余って病気になってしまう体質、気質とでもいえばいいでしょうか。とにかく、常に、何かに向かって動いていないと、そして、自分の体を適当にいじめていないと調子が悪くなってしまうんです。で、下手に抵抗力があるため、アレルギー症状も激烈になるようです。

 調子が悪くて、体が思うように動かないと腹がたつんですよね。「ああ、なんでこんなに調子が悪いんだ、体を動かしたいのに!」って。病気になっても、体力や気力が有り余っているわけです(^_^;) 

 そもそも、調子が悪くなるきっかけは、思うように体を動かせなくて、発散できないせいなんですよね。このところ、新しいサイトの立ち上げに絡んでデスクワークばかりで、バイクにも乗れなければ、山にも行ってないし、旅もしていないのがいけなかったのでしょう。

 春分の日に決行する予定だった「レイラインツーリング」も来月に延期です。夏にはまた「ツーリングマップル」の取材で中部北陸をツーリングすることになりますが、それより前に、北アルプスにこもったり、ベトナムあたりに旅をしてこようと思っています。とりあえずは、山の景色や海外の風景を想像して、気を紛らすとします。

――― uchida

 

 

01/03/18
花粉症をぶっ飛ばせ

 花粉症がピークを迎えています。

 今日は、表は最高の陽気だというのに、悪寒と節々の痛み、それにクシャミの連続に苛まれながら、仕事場に閉じこもってキーボードを叩いております(>_<) 今年は、うまく騙し騙しきて、このまま本格的な症状には見まわれずに済むかと期待していましたが、やはり逃れられませんでした。

 同じように、苦しんでいる方、たくさんいらっしゃいますよね。もう、こうなると立派な公害というか風土病だと思いますが、何か有効な対策はないのでしょうか?

 それはともかく、昨日は、セント・パトリックデイで、明後日は春分の日ですね。どちらも、春になって命が再生するのを祝う日です。

 東京では、梅が満開で、桜の蕾も大きく膨らんできました。花粉症は苦しいけれど、春になって生命が躍動をはじめるのを実感するのは、いい気分です。ぼくは、この一月に40歳になりましたが、これからの10年間は、自分にとってもっとも活動的な10年間にしたいと思っています。というのも、なんとか体がイメージ通りに動いてくれるのは、せいぜいあと10年だろうということと、父親が亡くなった50歳という年齢から先が想像しにくいからなんです。

 20代の10年間は、半分は活動的でしたが残りの半分は世界からドロップアウトするようなかっこうで逼塞していました。30代の10年間は、いくつかやってきた大きな波をようやく乗り越えるだけで、いずれも、自分の思った方向に満足いくようには進めていなかったと思います。40歳を迎えて、ようやく少しは先が見通せるようになってきたと思ったら、父親の享年が、もうすぐそこにありました。もう、迷ったりしている場合じゃありませんね。さあ、花粉症なんか吹っ飛ばして、元気に行こうっと!

――― uchida

 

 

01/03/15
密やかな無

 ちょうど今、日付が変わろうとしているところです。都心の仕事場は、これから3時くらいの間が、とても落ち着く時間です。

 ここは、通称「キラー通り」と呼ばれる外苑西通りから薄っぺらいビル一つ隔てたところで、昼間でもさほど騒音が気になるようなことはありませんが、この時間になると、まわりの事務所からも人がいなくなり、大通りを行き交う車も少なくなって、真空状態のような静寂が訪れます。

 郊外のベッドタウンも、ほとんど寝静まって静かな時間だとは思います。だけど、たとえ眠っているにしても、人がそこにいるということは、それだけで空間に漂う雰囲気が違うような気がします。ここは、これから数時間、人の棲む場所ではなく、別の何がが棲息する空間になる……そんな感じです。

 去年のちょうど夏頃から、月明かりがとても心地よく感じられるようになり、よく、深夜の都心で、月明かりを浴びながら散歩しました。……なんていうと、薄気味悪いように聞こえるかも知れませんが、そんなことはなくて、とても透明な気分になれるんです。

 ぼくは、幼い頃から広大な風景への憧れがありました。

 見渡す限り地平線の草原に一人立ち、風に吹かれているうちに、時間の経過にも気づかず、そのまま塵となって、一陣の風に運び去られ、拡散していってしまう……そんな気分が味わえるような広い場所に立ってみたい、そう思っていました。

 その風景は、今でも、ぼくの原風景ともいえるもので、いつか、そういう場所に立ちたいと、今でも強く思っています。無力感……というと、ネガティヴな言い方ですが、圧倒的な風景の中に一人立ちすくみ、あらゆる感情を投げ出して、風に吹かれるままでいたい……そんな感じです。

 深夜、人の気配の消えた、別のものの支配する場で、心の内にまで射しこんでくる月の光に打たれていると、そんな原風景に似た感覚でいられるから、この時間、この場所が好きなのかもしれません。

 生と死、此岸と彼岸の間、そんな瞬間、そんな場所にいると、ここに在ったはずの自分もいつのまにかその時空間の一部となって、すべてが「何でもない」密やかな「無」と化してしまっているのです。

――― uchida

 

 

01/03/12
人の世は繰り返し

 季節は一進一退を繰り返しています。

 今朝の東京は、小雪が舞って冬に逆戻りしました。ぼくの田舎の茨城のほうは、かなり降ったらしく、母親と電話で話しをすると、「そっちは、大丈夫?」なんて言ってました。

 元来、海に近く、冬でも割に温暖なところなのに、この冬は、だいぶ雪が降ったようです。ときどき観に行く動物写真家の宮崎学さんのサイトでも、今年は、とくに雪が多いとコメントされていました。地球温暖化によって、蒸発する水分が多くなり、降雨や降雪が多くなるなんて話がありますが、その影響なのでしょうか?

 話が逸れましたが、今日、母と話したのは、伯母が手術を受けるというので、見舞いに行く話をしたのです。それで、比較的、時間が自由になるぼくは、朝から大塚の病院へ行きました。

 すでに手術室に入った後で、直接、顔を見ることはできませんでしたが、久しぶりに従兄弟と顔を合わせました。ぼくの田舎は、母方の実家でもあったせいで、子供のうちは、盆暮れともなると、母方の親戚が集まって賑やかなものでした。

 体は小さいけれど、重ねた経験と持って生まれた雰囲気から長老という言葉がよく似合う祖母が真ん中にいて、その手で育てられた4人の子供、そしてその子供の子供が、賑やかに取り囲んで、お祭りのような感じでした。あの頃は、ちょうど、親たちが今のぼくの歳くらいで、ぼくや従兄弟たちは小学生や中学生でした。

 気がつけば、親たちは、みな老齢となり、それぞれに病を得てしまったり、リタイアするようになっていました。自分があの頃の親たちと同じ年代になっているなんて、まったく不思議です。

 ぼくは、高校卒業の春に、80を過ぎた祖母と一緒に、祖母の故郷を旅したことがありました。身長180cmに近いぼくと、140cmあまりの祖母とで、手を繋いで歩いていると、すれ違う人たちみんなが、微笑んで、中には、「おばあちゃんと孫で旅行か、いいねぇ」と、声をかけてくれました。

 あれから20数年、今日、病院の待合室で久しぶりに会った従兄弟と話をしていたら、高校二年の従兄弟の息子が、去年の夏、耳の少し遠くなったおばあちゃん(ぼくの伯母)と一緒に、おばあちゃんの耳代わりをしながら旅をしたそうです。人の世は、繰り返しなんですね……。

――― uchida

 

 

01/03/07
自然の近くにいるということ

 今日の東京は、汗ばむほどの陽気でした。でも、風が強くて、山からは「春の悪魔」が盛大に舞ってきているようで、かなり辛い状況になってきました。

 かつてほど、花粉症の症状は重くはなくなったのですが、この時期、思考力と気力が減退してしまうのがかないません。ぼくの母親などは、あまりにも症状がひどいので、かなり強いケミカル療法で乗り切っていますが、ぼくは、せいぜいが葛根湯やら小青龍湯やらの漢方を使うくらいです。

 ほんとは、外国へ疎開したいんですけどね……。いや、逆に、山に登って、森林限界を越えたところで一月くらい過ごすというのも、いいかもしれませんね。この時期、山へ行くと、麓のあたりでは辛いのに、高度を上げて、植生が変化していくうちに、何でもなくなるんですよね。

 このところ、自然からいちばん遠い、都心の仕事場にあって、自然の中にいる自分の姿を思い描いています。

 最近、メーリングリストでも話題になりましたが、自然の中にいると、都会生活で荒んだり磨り減ってしまった何かが、チャージされるような気がします。自然が持っているそんなパワーこそがスーパーネイチャーなのかもしれません。そして、自然に近い人ほど、そのひとが持っている(蓄えている)自然のパワーも大きいように思います。

 いろんな人間関係の中にあって、なんだかわからないけれど、その人といると元気になったり心が落ち着いたりする人がいますよね。あるいは、その人のことを思い浮かべるだけで、そんなふうになれる人。逆に、その人といると、どうも心が落ち着かず、やたらに消耗してしまう相手がいます。ぼくにとっては、その人が、自然に近いところにいる人なのか、逆に人間が作った便宜的なシステムに慣れきっていたり、自分の思い込みで世界を作ってその中に入り込んだままになって、自然から切り離されてしまっている人なのか、そこが二つを分ける境になっている気がします。

 自然に近いところにいる(物理的な近さではなく、感覚というか、魂というか……自然に近いというのは、その人のアウトドア経験や知識の深さとは関係なくて、感性がどれだけ自然に近いかということです)同士だと、話していても、あるいはメールを交換していても、互いにパワーを交換しあいながら、どんどん増幅していけるような気がします。

 自然から切り離されてしまっている人は、自分が自然からエネルギーをもらう術を忘れてしまっています。そして、外的なことよりも自分の内的なことにばかり関心が行って、自分でチャージできないエネルギーを人から奪おうとする。本人は、何も意識せず、人に勝手にコンセントを繋いでエネルギーを奪い取ってしまう。だから、エネルギーを奪われたほうは、わけもなく消耗するのではないでしょうか。

 もう、数年前のことですが、まだ小さな甥っ子と姪っ子を連れて、田舎の田んぼのあぜ道を散歩したことがありました。

 いいかげん歩いて、ふと気がつくと、まだ3歳になったばかりの甥っ子が見当たりません。それで、来た道を戻ると、甥っ子は、畦に尻をつき、足を投げ出して、たんぽぽの綿種を吹いています。近づいていくと、彼の呟きが聞こえました。

 まだ、ほとんど物心もつかない彼は、綿種を吹き、それが風に乗って空に舞い上がっていくのを追いながら、「きもちいいなぁ」と、しみじみ呟いていたのです。人間は、本来は自然の一部であって、わざわざ「アウトドア」だなんて意識しなくたって、ナチュラルでいることができるはずなんですよね……。

 ぼくは、いつでも、自然の近くにいる人間でありたいと思っています。そして、できれば、自然からもらったパワーをいつでも人に分けてあげられるように、大きな器を持って、それを満たしていたいと思います……。

――― uchida

 

 

01/02/25
どこへ旅するかは
問題ではない。ただ、旅に出ることが大切なのだ

 デスクワークの気分転換に散歩をしていると、日に日に梅の花が開いていくのがわかります。

 今週か来週、鹿島神宮で厄払いして、ついでに偕楽園にでも行ってこようかなと思ってます。どちらも、自分の田舎の近くで、とても馴染み深い場所なんです。

 鹿島神宮では、鹿に鹿せんべいをやって、その後御手洗の池の側の茶屋で甘酒を飲む。偕楽園では、梅林の中で昼寝して、好文亭をまわり、園内をぐるっと散策して、最後に吐玉泉で喉を潤すというのが定番コースです。ついでに、↓で書いたレイライン巡りもしてこようかな……。

 ところで、新規のアウトドアサイト用のコンテンツを練ったり、このOBTのリニューアルの構想を練るために、「遊歩大全」を紐解いたりしているのですが、その最後に、ウォーキングにまつわる名言集というのがありました。

 ぼくが、このところここに書き連ねていることをうまく表わしてくれている文言もあるので、ちょっと紹介してみます。

「どこへ旅するかは問題ではない。ただ、旅に出ることが大切なのだ」(スチーブンスン 『ロバの旅』)

「人生には、速度を早めるより大切なことがある」(ガンジー)

「徒歩で行く旅人こそ、もっとも速やかなり」(ソロー)

「人間は考える葦であるが、その優れた業績は、打算やら思案やらが消滅した時間の中でなされるものである」(鈴木大拙)

「博物学的関心を持たぬまま山野や海辺を歩く者は、すばらしい芸術品でいっぱいの壁面に背を向けたまま、美術館の中を歩いているようなものである」(トマス・ハックスレー)

「およそ人の命を預かる医師たるもの、自然界について語りし本を読まねばならぬ。しこうして落ち葉の上を歩いてみなければならぬ」(パラケルスス)

「人間を最もよく定義すると、反射機能を獲得した一生物ということになる。すなわち、自分をとりまく宇宙の枠の中に自分の姿を映し見ようとする態度を持った生物ということだ」(コンラート・ローレンツ)

「洗練は都会から起こり、叡智は沙漠より来る」(フランク・ハーバート 『デューン』)

「私が森へ行ったのは、意識的な生活をし、生活の本質的な事実だけに直面し、その中に見られる教えを私自身学び取ることが可能かどうか見極めたいと欲したからだ。死が迫り来るとき、自分が生活の実相を見ていなかったと思い至ることだけは、なんとしても避けたかった」(ソロー)

「真の生活を生きられる時間は短く、それは30歳から60歳の間だけなのだ。若い間は夢の奴隷だ。年をとれば後悔の下僕だ。壮年の間のみが知力を堅持し、五感を働かせることのできる時間なのだ」(ハービー・アレン)

 ウーン……旅に出たくなりますねぇ。

――― uchida

 

 

01/02/24
ペインテッドデザート

 昨日の東京は、20℃近くまで気温が上がり汗ばむほどでしたが、今日は一転10℃以上下がったうえに氷雨が降っています。

 ちょうど、春と冬が日本上空で綱引きしている感じですね。だけど、梅の花があちこちでほころんで、確実に春に近づいています。2月中にはバックカントリースキーに挑戦と思っていたのに(2年越しの念願なのですが……)、なんだか忙しくて、モニターと向かい合ったまま過ごしています。

 じつは、4月に立ち上がる某WEBサイトのほうの仕事で、手一杯なんです。バイクのインプレッションとか、旅のレポートとか、はたまたアウトドアアクティビティの体験レポートとか、WEBが立ち上がってしまえば、まさにアウトドアに出っ放しといった状況になるはずなんですが、どうもそれまでは、デスクワークが続きそうです。

 そんなわけで、今は、外の広い世界に思いを馳せつつ、外へ出る企画を練ったり、過去の記事をまとめたりしているわけですが、先日、地下鉄の構内で、目に毒なものを見つけてしまいました。それは、iichikoの全紙大のポスター。紫色の花が一面に咲き誇った沙漠にiichikoの瓶が一つ置いてある、「風景+iichiko」のポスターなんですが、その風景に、思わず足が止まり、しばらく見入ってしまいました。

 その数日前から読んでいた宮内勝典の「ぼくは始祖鳥になりたい」という小説の中で、マメ科の紫色をした花「ルピン」が咲き乱れる「painted desert」という表現が出てきます。本来モノトーンの世界であるはずの沙漠がpaintedされているとは、いったいどんな風景なのか? その景色を自分で勝手に思い描いて、うっとりしていたんです。

 それは、アリゾナの一角、ネイティヴアメリカンの聖地の近くにあって、この世とは思えない場所だそうです。

 ぼくは、かつて訪れたアリゾナの沙漠の風景と、パミールで見た紫の高山植物が大地を覆い尽くした風景を重ね合わせて、ヘインテッドデザートの風景を想像していました。

 iichikoのポスターは、その想像の風景そのものでした。ポスターの風景がペインテッドデザートで、そこに咲いている花がルピンなのかどうかはわかりませんが、それは、まさにぼくがイメージしていた風景そのものでした。なんだか、「モニターの前にへばりついてないで、ここまで来い!」と言われているみたいです。

 ところで、「ぼくは始祖鳥になりたい」ですが、これは不思議な雰囲気の作品でした。かつて、スプーン曲げで一世を風靡した青年が、得たいの知れない目的のためにアメリカに招かれ、そこを脱出した後、ネイティヴアメリカンやインディオと、深く交流していく。それを通して、自分の持つ能力が、地球種としてのネイティヴの意識に結びついていて、宇宙に存在する「他者」を意識するといった感じの内容です。

 具体的なドラマがあってそのクライマックスに進んで行くというよりは、個々のエピソードの中に散りばめられたメタファを漠然と統合していくことで、人間が地球という星のネイティヴであることを意識させるような構成をとっています。

 認識=エピステーメー、それは、恐ろしく深いようで、でも恐ろしく単純で……だからこそ、永遠のテーマなのだと思います。

 例えば、ペインテッドデザートの景色を思い描いたとたんに、それがポスターとして目の前に現れたり(その前からアリゾナのネイティヴのことを考えたりもしていました)するのも、ぼく自身の「認識」の問題に深く関わっている気がします。宮内氏も、言語や視覚表現とは違う、直接的な感覚による認識とか、そこから生まれるイマジネーション、コミュニケーション、そして、今知られている物理現象を越えた、現実の世界を変える「力」について、メタファによって語りたかったんだと思います。

 こういった作品は、「認識」というものの不思議さを感じ、言葉になりえない「何か」を感じるための、まさに「feel how」を教えてくれる物じゃないかなと思います。それで、さっそく、ぼくのイマジネーションが、iichikoのポスターとして物質化したのかもしれませんね(笑)。

――― uchida

 

 

01/02/21
「モノ」と「コト」

 年が変わってから、ずっと「21世紀的な価値観」ということを考えています。

 「人類が豊かになるため」という題目のもとに、資本主義経済を正当化して邁進してきた人類が、地球環境の破壊が自殺行為だったことにようやく気づき、軌道修正をはかろうと、真剣に次のパラダイムを考えはじめた20世紀終盤。でも、21世紀を迎えた今、いよいよ終末が具体的な相貌を現して迫っているというのに、人類は、まだ足踏みを続けています。

 ぼくが、山にいていつも思うことは、「モノ」は必要最小限にして、「コト」をたくさん持っていたいということです。

 食料とか水は、たくさんあるに越したことはありませんが、でも、ザックに詰めて持っていくのには限界があります。衣類や燃料、他の様々な装備も、もちろん、たくさんあったほうが安心できます。でも、安心や便利を求めてたくさん「モノ」を持ちすぎると、今度は肥大化したザックを持ち上げることすらできなくなってしまいます。気持ちも軽く山へ向かおうとしていたのに、持ち上がらないザックを前に呆然……今の人類は、そんな状況に陥っていると思いませんか?

 20世紀まで人類が積み上げてきた物質文明は、いわば、安心とか便利を得るために、とても持ち上がらない荷物をザックに詰めてきたようなものです。

 山に登るという目的を達成するための単なる道具であったはずの装備。それがいつのまにか主役の座についていて、文明の目的は、便利な装備をいかに充実させて発展させるかばかりになってしまいました。本来の山登りという目的をすっかり忘れ去っているようなものです。

 「コト」というのは、知識とか感性、思い出、ビジョン……プリミティヴな言い方をすれば、心の「豊かさ」のようなものです。

 これは、どれだけ持っても、重さがあるわけではないし、精神的な負担になるわけでもありません。というか、「コト」は、たくさん持っていれば持っているほど、体験も豊かにしてくれるような性質のものです。

 ふだんの生活の中で、その「コト」をなるだけたくさん貯めておいて、ザックに詰める「モノ」は最小限に身軽にして、いざアウトドアへというときは、貯めたぶん全ての「コト」を持っていく(何しろ、「コト」というのは、捨てることはできませんからね)。そして、生の自然と接する中から、またたくさんの「コト」をもらってくる。ぼくは、アウトドアに限らず、そんな循環の中にいたいと思っています。

 「コト」の中には、知識もあるといいましたが、それは、20世紀的な「知識」、文明システムを理解し運営するための知識ではありません。

 自分の体や心、そして自然の現象や自然がその奥に秘めた何かを感じ取るための「feel how」のための知識。実践の際に役立つ知識です。といって、学問的な知識を否定しているわけでもありません。例えば、森の中を歩いていて、ふと頭上を見上げたとき、樹冠の重なりに、フラクタルな数学的な美しさを見出すなんてことも、心の豊かさにつながることですもんね。

 いっぽう、具体的な形をとらないために、「コト」の範疇に入れられてしまいそうな「モノ」に「欲望」があります。

 物質文明は、この「欲望」を描き立て続ける文明であったわけです。モノにたいする欲望は、それで一つのセットになった「モノ」ですね。最近流行りの欲望は「癒し」という名の「モノ」です。他人から、あるいは自然やその他の何かから、「癒し」を与えて欲しいという欲望です。響きはいいけれど、その分、とても後ろ暗い欲望を秘めた言葉に成り下がってしまっている気がします。

 ブータンは、先進資本主義国の基準で見ると、経済力の低い貧しく遅れた国です。でも、ブータンには、飢餓もなければ失業も極端な貧富の差もありません。

 「GNPが、世界最低」と国連の経済報告で名指しされたブータンは、逆に、「国民総幸福指数」という概念を提出し、「さて、文明によって生活を便利にした反面、人が人でなくなってしまったあなたたちの社会と、人が人として、自然や他の生命と共生する私たちと、どちらが幸福といえるでしょうか?」と反論しました。

 アマゾンの奥地で、ほとんど外界と接しないで暮らしてきたヤノマミ族は、急激な開発の波に晒されて、「私たちは電気などいらない。開発などまったく興味がない。ただ私たちは生き残りたい」 と訴え続けています。

 そんなプリミティヴな暮らしを営む人たちには、彼らが営々と培ってきた「コト」がたくさんあります。

 そして、それは、自然から効率的な収奪を行うための知識ではなく、自然を感じ、共生し、交感して、さらに「コト」を膨らましていくための「コト」なんじゃないかなと思います。

――― uchida

 

 

01/02/13
超自然との対話

 先日、とある飲み会で、ぼくがアウトドアのサイトを運営していることを知っている人から、こんな質問をされました。「アウトドアのどんなところが面白いんですか? やっぱり、空気が美味しいこととか、体を動かして自然な汗をかくことの気持ち良さですか?」。

 ぼくは、ほとんど反射的に、こう答えていました。「それももちろんありますけど、自然が見せてくれる、あるいは感じさせてくれる超自然の感覚を味わうことというのがいちばん大きいでしょうね」。ぼくは、自分でも予期しなかった言葉に、自分自身で吃驚してしまいました。

 ぼくの言葉に興味を抱いた相手は、さらに質問してきました。「超自然の感覚って、どういうことですか?」。

 頭の中には、その問いに対する答えが浮かばないのに、口からは言葉がどんどん流れ出てきます。「たとえば、天候の変化が、理屈じゃなくてただ感覚として的確に予測できたり、土地の持っている雰囲気のようなものを強烈に感じたり、『自然』と文字通り言葉を通してではなくて雰囲気として対話している……交感している感じなんです」。

 自分で話しながら、「そうだそうだ」と思わず相槌を打ってしまいます。まるで、ぼくの深層意識から何かが実感を引き出して、言葉にしているような感じです。そんな調子で、ぼくは、山で体験したことを彼に話していきました。

 たとえば、はじめての山に登っているとき、ふいに、人が楽しそうに笑っている声が聞こえきます。

 ぼくは、「ああ、もうすぐ頂上なんだな」とごく当たり前に思う。そして、実際、すぐに頂上に出るんだけど、誰もいない。

 稜線を風が渡る音が人の笑い声に聞こえるのかもしれませんが、ときには、それがはっきりとした会話になっていることもあるんです。でも、やっぱり誰もいない。そのことを気味悪いことだとは思わず、ごくあたりまえの感覚なんです。

 槍ヶ岳の頂上直下の岩場で濃いガスにまかれて方向を見失ったことがありました。そのとき、頭上に、右上のほうへトラバースしながら登っていく先行者の影をみつけました。

 何故か、その先行者は、ホワイトアウトといってもいいほどの濃密なガスの中でも、確信を持って進んで行くようだったので、ぼくは、その影を追うことにしました。

 先行者は、まるでぼくがフォローしているのを知っていて、ガイドしてくれるかのように、歩調を合わせて進んでいきます。そして、その影が消えたと思ったら、ぼくは稜線に立っていました。そして、稜線にかかるガスを風が吹き払って、見通しが利いたとき、そこには、誰もいませんでした。ぼくは、そのとき、「山が教えてくれたんだな」とあたりまえに納得しました。

 八ヶ岳の主峰、赤岳を清里のほうから目指しているときでした。

 天気図から見ると、悪天候に見舞われる前に余裕で頂上に達することができるはずでした。でも、赤岳直下の岩場に差し掛かる手前で、山が、ぼくが先へ進むことを拒んでいる気がしました。

 そこまで3時間あまりも登ってきて、あと1時間半もあれば頂上というところです。でも、ぼくは、自分の直感に従って、いさぎよく撤退しました。そのエスケープの途中で、急速に発達した低気圧に飲み込まれて、川となった登山道をようやくの思いで下りました。

 まだ突然の嵐に飲み込まれる前、四人組のパーティとすれ違いました。ぼくは、彼らに、訴えるように、「撤退したほうがいいよ」と言いました。でも、彼らは、ぼくの言葉にまったく耳を傾けませんでした。理屈で判断すれば、彼らのほうが当たり前で、ここまで上っておきながら、根拠のない感覚に従って下山するぼくのほうが変人だったのです。

 でも、彼らは赤岳直下のいちばんの難所で猛烈な嵐に見舞われ、帰らぬ人となりました。

 逆に、天候が崩れることははっきりしているのに、何故か、「大丈夫」という確信があって、自然に足が動いていったこともあります。

 もう下り坂の天候の中で、雲に飲み込まれたピークに達したとき、突然、視界が開け、信じられない大展望が、そこに広がりました。それは、まるで、山がぼくだけのために、とっておきの景色を用意していて、それをクライマックスで見せてくれたような感じでした。

 日常生活の中では「不思議」としか思えないようなことが、自然の中にいると、ごく当たり前のこととして迫ってきます。ぼくは、そういう経験をしたいからアウトドアに出かけるのだと、あらためて気づきました。

 自然は、不動のもののように考えられがちですが、不断に激しく変化しています。

 同じ山に登っても、四季のサイクルは同じだとしても、かいまみせる表情はその時々でまったく違います。人に感情があるように、自然にもはっきりとした感情があります。アウトドアに身を置き、心を開いてみればそれが実感できます。

 たしかに、汗をかき、明るい日差しを浴び、風を感じる気持ちよさは、自然の大きな魅力です。でも、ぼくは、文字通りの「自然との対話」が魅力の確信のような気がします。

 ぼくが、自分の体験として上げたような例でなくとも、ただわけもなく自然が身近に感じられる感覚は、地球=ガイアと自分が一体である実感をもたらしてくれます。その実感は、とても暖かくそして豊かな心をもたらしてくれます。

――― uchida

 

 

01/02/02
祖母の思い出

 昨日は祖母の命日でした。だから……なのでしょうか、このところ目が回るほど忙しくて、なんだか追われるような気持ちでいたのに、昨日は早めに仕事を切り上げて、その後は、妙に落ち着いてしまいました。

 じつは、祖母の命日であったことを忘れていて、たまたま今日、田舎の母親にちょっとした用事があって電話をして、思い出させられたのです。

 自分では意識していなくても、どこかで覚えていたのでしょう。そして、このところめまぐるしくて混乱していたぼくに、祖母が手を差し伸べてくれたのでしょう。

 幼い頃、気管支喘息を患って、虚弱だったぼくは、いつも祖母と一緒にいました。

 ぼくが夜中に喘息の発作を起こすと、祖母はずっと背中をさすってくれました。そして、ボンネットバスに揺られて30分あまりの診療所まで付き添ってくれたのも祖母でした。行きのバスでは熱でぐったりしたぼくを膝枕させて、抗生物質を打って元気が出た帰りには、きまって診療所のあるバス停に接した雑貨屋さんで甘食を買って食べてから、傍らの手漕ぎ井戸を祖母が漕いで、汲み上げた冷たい水で喉を潤したものでした。

 甘食は、ボソボソで喉が渇いて仕方がないんだけれど、あの自然な甘さは、気持ちを暖かくしてくれました。そして、あの井戸水は冷たくて、透明で、体の芯に残った最後の苦しさを洗い流してくれるようでした。

 思い返すと、祖母とともにあった時代は、自然と人との距離が近くて、長閑な時代でした。道はまだ舗装されておらず、車もほとんど通りませんでした。テレビがようやく一家に一台になり、でもまだ電話は、近所で呼び出し電話でした。表で夕暮れ時まで遊んでいると、「神隠しに遭うゾ」と脅されて、ベソをかきながらあわてて家に逃げ帰ったものでした。

 ぼくが長じて、生意気を言うようになると、祖母は、「平凡がいいんだよ」とぼくをたしなめました。

 でも本人は、明治の女性ながら、10代で単身上京し、当時は珍しかった看護婦の道を目指した人でした。26歳で結婚し、その後夫はほとんど戦地にいて、終戦後、復員してほどなくしてその夫も亡くなり、小さな体で、四人の子供たちを育て上げました。祖母自身は、けして「平凡」な人生ではなかったはずです。

 自分が苦労したから、ぼくには、「平凡がいいんだよ」と言ったのでしょうか? だけど、そんな言葉とは裏腹に、ぼくが山に登ったりバイクで旅をするようになると、とても喜んで、地図を見て、ぼくが辿った道をなぞってみたり、後には、ぼくが著した本を天眼鏡を使って、穴のあくほど読み、「まったく狐を馬に乗せたようなことばかり、言ったり、やったりして……」と、言って喜んでいました。

 小さな肩を丸めて、力なく甘食を食べ、井戸水に口をつけていたぼくが、一人で大自然や社会の中に出て行くようになったのが、さぞかし嬉しかったのでしょう。

 幼い頃の思い出というのは、やっぱり、ほのぼのとして、それに浸れば、自然に幸せな気持ちに包まれるようなものがいいですよね。

 今のぼくのふるさとは、砂利道をのんびり走るボンネットバスもなければ、甘食を売っている雑貨屋さんもなく、手漕ぎの井戸もありません。でも、目をつぶって思い出しさえすれば、バスを待つ間に手漕ぎのポンプを漕いでくれる祖母がいます。

 子供に、ほのぼのとした思い出を残してやれるような社会が、ほんとうに豊かな社会なんじゃないかなと、ふと思いました。モノなんてほとんどなかったけれど、あの頃は、とても満たされていたんですよね。

――― uchida

 

 

01/01/20
『遊歩大全』のスピリット

 この春にサイトをリニューアルすべく、今、どんな形にしようか考えています。

 そこで、参考に「遊歩大全」を開いたりしているのですが、自分がどうしてアウトドアライフに魅入られてきたのかとか、アウトドア体験の意味などをあらためて考えたりしています。

 たとえば、『遊歩大全』の中のこんな一節、「……そのようなウィルダネスへの旅も、けして困難なことではない。適切な装備、それを正しく使いこなす能力、健康な肉体、自分自身の限界を認識している冷静さ、それらがあれば、十分可能なことなのだ。それ以上のことといえばただひとつ、未知に対する怖れを克服する強さを身につけることだけだ」。まさに、ぼくがOBTの中で表現したいことを端的に語ってくれています。

 コリン・フレッチャーは、自著の位置付けを、“know‐how”ではなく“feel‐how”だと言っています。アウトドア体験は、まさに「感じること」です。

 ぼくもOBTの中で用具やテクニックについて解説していますが、それは、アウトドア体験をよりよいものにするため=自然をもっと深く感じるための手助けの一つにすぎません。

 21世紀に入り、人の意識が大きく変わろうとしているような気がします。20世紀資本主義の中で、「商品」を「消費」することに慣らされてきたぼくたちは、そろそろ「商品」の「価値」をしっかり見極めて、自分に本当に必要なものを選び、それを十分使いこなして、本来の目的である「感じる」ことを最大限に味わう方向へ転換すべきなんだろうなと思います。

 今や絶版となってしまった『遊歩大全』のスピリットをOBTで受け継いでいきたいと思います。

――― uchida

 

 

01/01/18
地球時計 

 体の調子が直り、コンピュータもなんとか元通りになったと思ったら、昨日は、また体調が崩れてしまいました。

 先日ののた打ち回るようなだるさはないものの、ひどい下痢に見舞われてしまいました。でも、一晩寝たら、すっきり。いったいなんだったのでしょう? 

 この15日で40歳になりましたが、いよいよ前厄の始まりかな? そういや、隣に机を並べている相棒は昨日41歳の誕生日を迎え、本厄に入ったわけで、マイナスとマイナスを掛ければプラスというわけで、今年は、きっとうちの事務所は、いいことばかりあるはずと、一人納得しております。それにしても、東京は寒いです。

 ところで、話題は変わりますが、山に登ったり、バイクに乗って旅をするということは、ぼくは、地球を体験することだと思っています。

 雨や風に打たれ、土地土地で変わる空気に包まれ、そして、いろんな人の生きざまと交錯して...。体で心で体験したことは、すべて「自分は地球と一体なんだ。自分は地球生命体の一部なんだ」という実感をもたらしてくれるものです。

 ルーティンワークに追われる都会生活をしていると、ついついエゴが出てきて、「自分だけが得をしたい」なんて思いに囚われそうになってしまいますが、アウトドアで風に吹かれれば、ザック一つにおさまるだけのものがあれば、楽に生きていけると気づきます。

 そして、自分が幸せになりたければ、みんなが、そして地球が幸せでなければいけないという当然のことに、すぐに思いいたります。地球とともにあることをいつも感じていたいですね。

 で、一つご紹介したいものがあります。

 常に、自分が「地球生命体=ガイア」の一員であることを実感できる、腕時計です。それは、「wn-1」。腕時計といっても、そんじょそこらにあるものとはまるで違います。なにしろ、この時計は、リアルな地球がガラス球の中に収まっていて、その自転速度と同じ24時間で一回転する仕掛けなのです。

 「地球交響曲=ガイアシンフォニー」というドキュメンタリー映画がありますが、その第三番で助監督をつとめたぼくの友人が、「Think The Earth」というプロジェクトを始めて、その第一弾として発表したものです。「地球を身近に感じること。そこから何かが変わり始める……」=まさに、「Think the Earth」、「Feel the Earth」というコンセプトそのものの腕時計です。

 普段、ぼくたちが使っている腕時計は、一日を便宜的に24時間に区切り、それをさらに分、秒と切り分けています。秒針のせっかちな動きを、ぼくたちはあたりまえの時間の流れのように錯覚していますが、じつはこの三次元の時空間の中で、そんなふうに、時間がリニアに均一に流れているというのは、幻想のようなものなのです。

 現に、何かに夢中になっているときは、時間はあっという間に流れ去ってしまうし、退屈なときには、なかなか時間が経過しないですよね。同じ一分でも、過ごし方や気持ちの持ち方で長くもなれば短くもなります。「時間」というものが、いかに主観的なものか、そんなことでも実感できます。

 wn-1は、いわば24時間計なのですが、便宜的に置き換えられた針の動きではなくて、実際の地球の動きをそのまま腕に乗った地球の動きにしているわけで、自分が地球のどの場所にいて、そこが今、昼と夜の間のどこに位置しているのか、「時間」という概念ではなく、今、自分が宇宙の中でどこにいるかを教えてくれるナビゲーターになっているのです。

 少し前に、「自分時間で過ごしていると心地良い」と書きましたが、時計の針の動きに急かされて生きるのではなく、宇宙の中での自分の居場所を確認しながら生きていたら、とても落ち着いて、物事に対処できると思いませんか?

 ちなみに、このwn-1は、この春発売予定です。詳しいことが知りたい人は「Think The Earth」(http://www.thinktheEarth.net/jp/menu.html)のサイトを覗いてみてください!

――― uchida

 

 

01/01/14
コンピュータの奴隷

 先日の、悪寒・吐き気・下痢の波状攻撃は、新年会のホッピー消毒で、なんとかおさまりました。

 しかし、新年早々、どうなることかと思いました。明日から前厄に突入だし、気をつけねば...。そういえば、体の調子は良くなったものの、今度は、コンピュータのほうがえらいことになりまして、この三日ほどは、毎日、朝まで、復旧に付き合わされてしまいました。

 最初、コンピュータを立ち上げると、「Windowsが正常に終了されませんでした。ファイルに異常がある可能性がありますので、スキャンディスクを実行します」というメッセージが流れ、スキャンディスクに行ってしまうのです。これ、今までにも、幾多の経験がありますが、かなりヤバイ兆候なんですよね。

 そのうち、たいしたことしてないのに、エクスプローラーが強制終了されたり、フリーズしたりするようになりました。で、クラスタレベルにまでスキャンをかけることにしたわけです。

 始めは、快調にスキャンしていたのに、もうすぐ終わりというところで、突然ストップ。ハードディスクがうんともすんとも言いません。30分放置してもそのままなので、もうどうしようもないと、システムリセット。そしたら、今度は、なんと「Operation System can not found」という、身の毛もよだつメッセージが...。

 FDから起動ディスクで起動しようとしても、DOSプロンプトが出て、なんと、一生懸命、スレーブのはずのEドライブにアクセスしようとするではありませんか! 「もう、このバカたれめが!!」。もう、いっそのこと、このメインマシンをLinuxマシンにしたろうかと思いましたよ、まったく。で、システムを無理やり終了させたりして、なんとかCドライブにアクセス成功! OSもなんとか立ち上がったので、後は、目を離すと、すぐにサボろうとするマシンをなんとかなだめすかしながら、スキャンを終え、デフラグをかけて、なんとかまともに使えるように、復旧させたというわけです。

 その間、トータル30時間あまりを、ぼくはコンピュータ様というか、Windows様のご機嫌取りに使わされたというわけです。

 もう、だいぶ前から、コンピュータのスレーブと化している自分に気がついていましたが、21世紀は、本当にオーウェルの世界になってしまうかもしれませんね...いや、もう立派にオーウェル的世界ですね、こりゃ。

 MacOSもXになったら、ついにUNIXベースのプログラムになったというし、今年は、ほんとに、全システムをWindowsからLinuxに移行しようかと思っています。

 Linuxも新しいカーネルを発表しましたしね。OSはLinux、ブラウザはOpera、オフィススウィートはDo Office、画像処理はGimp、これだけあれば、仕事は全部片づいちゃいますもんね。しかも、サクサク動いて、フリーズもほとんどなし、なんたって、これだけすべてのシステムをディストリビューションで組んでも、3万円もあればお釣りがくる! しかも、Do Officeは、MSofficeのファイルがそのまま使えるらしいので、今までの資産が全部生かせるし...なんか、こっちのほうの世界も、今年は大きく変わりそうですね。

――― uchida

 

 

01/01/10
悪寒

 昨夜は、「気の向くままに生活していたら、体調良好!」なんて書いた後、急に悪寒がしてきて、久しぶりに自宅に帰りました。

 寒気を止めようと、風呂に入ったのはいいけれど、今度は吐き気と下痢に加えて、のたうちまわるような関節のだるさに襲われ、七転八倒してしまいました。

 急に寒くなって、風邪でもひいたのでしょうか? それとも、食当たりかな? いずれにせよ、今日の昼くらいまで、まいりきってしまいました。今は、鎮痛剤とビタミン剤で、なんとかごまかしているような状態です。

 でも、これからミーティングで、その後は、どうみても新年会になだれ込みそうな感じで...大丈夫かなぁ?

――― uchida

 

 

01/01/09
自分のリズム

 今、都心では冷たい雨が降っています。

 一昨日の夜に降り出した雪は、都心ではさほど積もりませんでしたが、その名残りの寒さは残っていて、深々と冷え込んでいます。

 このごろ、生活時間が滅茶苦茶で、朝まで起きていて昼間寝たりなんて状態になっています。以前は、「お日様のサイクルに合わせないと、体調が乱れてしまう」なんて教条的に思っていましたが、お日様に合わせた「規則正しい生活」という思い込みを捨てて、気分が乗ったら仕事したり本を読んだりして、運動したくなったらして、眠くなったら昼間でも横になってしっかり眠るというように、居直ってしまったら、けっこう楽なことに気づきました。

 そんなわけで、今日も午後に仕事場で寝袋に包まって熟睡して、夕方からゴソゴソと仕事の続きをしたりしています。

 日本ではまだまだきちんと会社に出勤して、タイムカードを押して9時から5時まで、さらにはサービス残業をしてといった「平均的なサラリーマン」が、いちばん「まっとうな人」といった観念がありますが、北欧のほうでは、フルタイム労働者とパートタイム労働者との差別がないというより、むしろ、自分の意志で自分の時間を有効につかうパートタイム労働者のほうがソフィスティケイトされた人たちと評価されているようです。

 たとえば、夫婦と赤ちゃん一人といった世帯では、夫婦それぞれが週に三日ずつ働き、その労働日をずらすことで、交代で子育てをするといったことが一般的なようです。

 日本では、介護保険の問題などがクローズアップされていますが、子育てにしろ、老人介護にしろ、人まかせにしないで、「家族」が責任を持ち、力を合わせていくことが必要だと思います。今、日本が殺伐としてしまったのは、やはり、教育を家庭から切り離して、社会システムに委ねてしまったことが大きいですからね。

 21世紀は、社会システムに組み込まれた「歯車人間」ではなく、「家族」という基本単位にしっかりと根を下ろして、社会=他者のために貢献する人間が溢れた世界になるといいですね。

――― uchida

 

 

01/01/07
ハードディスク増設

 今年は、年明けしたかと思ったら、すぐに三連休があったので、9日まで連続正月休みという企業も多いようですね。

 仕事場の近くの明治神宮には、今日もたくさんの参拝客が詰めかけて、賑わっているようです。原宿駅なんか、車道にまで人があふれ出てしまって、危ない危ない...。でも、一方で、一日から働いている人もいます。知り合いの3D映像製作会社の社長さんは、週末納品の作品を仕上げるために、元旦早々、全開で働いていました。

 アメリカで、好景気に陰りが見えるような事態が起こり、日本にもじわじわと波及しそうですね。今年の経済予測で、株価1万円割れは必至なんて言われていますが、いったいどうなるのやら...。

 発展的、拡大的な経済感覚が横行してきた中で、本質的な価値に重きをおく傾向に向いてきたのはいいのですが、経済が完全に萎んでしまっては、元も子もないですからね。

 昨日は、届いたハードディスクを増設してました。元々あった6.4GBが一年あまりで一杯になってしまい、今回は、ドーンと40GB! こいつを二つのパーテーションに区切り、データを振り分けることにしました。

 しかし、数Gもあると、データを移転するだけで、けっこうな作業です。昨年末から、メモリ、ハードディスクと次々増強してくると、今度はいよいよCPUに手をつけたくなりますね(^^ゞ。景気低迷でも、コンピュータ産業はまだまだ安泰でしょうね、きっと...。

――― uchida

 

 

2001/01/05
21世紀に突入!

 あけましておめでとうございます!

 ついに21世紀に突入しましたね。

 まだ戦後臭がプンプンのオンボロ校舎の小学校で、観音開きの白黒テレビの前で膝を抱えた洟垂れ小僧たちが、あんぐりとだらしなく口を開けてアポロ11号の月着陸を眺めていた1960年代の終わり。あの頃、キューブリックの『2001年宇宙の旅』が公開されて、「21世紀なんて遠い未来には、ほんとにこうなっちゃうかもしれない」なんて単純に感動したものでした。

 それが、いつの間にやら、オーウェルの『1984』も過去になり、チェルノブイリなんて、誰も想像しなかった惨事に見舞われ、左翼帝国主義からの解放とそれに続く血で血を洗うナショナリズムの地獄の1990年代。

 そして、これまた誰も想像しなかった「臨界事故」なんてものにまで見舞われ、そのうち、知識情報社会があまねく世界をその網で包み込んで、ついに21世紀...。ぼくが生きてきた40年間を振り返っても、まったくめまぐるしいものでした。

 思えば、青っ洟を垂らしながら月着陸を見ていたあの頃までは、世界は、それなりに磐石なもののように思えていた気がします。

 モノ=ハードウェアの時代であった20世紀は、価値観そのものが目に見えるものだったから、とてもわかりやすかったんですよね。だけど、知識情報社会が進むにつれて、コト=ソフトウェアのほうに価値がシフトしてきてしまうと、それが目に見えるものではなくて、理解しなければならないものだけに、わかる人とわからない人の間で格差が出てきてしまうし、「コト」というのはとらえようでどうにでも解釈できるわけだから、誰の目にも明らかな「磐石」はなくなってしまったわけですね。

 アームストロング船長が月に記した一歩の意味は、誰にでも、それこそ暗い床板がギシギシいう講堂に集められた洟垂れ小僧にもはっきりと意味がわかることでしたが、恐ろしい処理スピードとデータ蓄積能力を持ったコンピュータと超広帯域の通信インフラが生み出す一歩の意味がわかる人は、そんなに多くはないと思います。

 21世紀は、『2001年宇宙の旅』の世界にまではまだ行き着いていませんでしたが、でも、ネットワークと超高性能コンピュータという面では、それを凌駕していました。宇宙ステーションとか、月面基地といった具体的な「モノ」なら、進歩の度合いがつかみやすいですけど、「インターネットなんて、ほんの一握りのコンピュータオタクの道楽だろ」なんて、いまだに言ってのける人がたくさんいる「IT」社会というのは、ほんとうに不透明です...というより、「モノ」でなくて「データ」なんですから不透明どころか、実体はないわけですね。

 40GBの増設ハードディスクが到着するのを待ちながら、21世紀の幕開けの意味なぞ考えていると、無性に、自然の中に飛び出して、日の光や風や鳥の声を感じたくなってしまいます。

 今年は、デジタル技術を使って、いろいろな表現を試みると同時に、オフロードレースに出てドロまみれになったり、痛い思いをしたり、あえぎながら山に登ったりして、バランスをとっていこうと思っています。

 そういえば、年明け早々、荒俣宏の著作をひっくり返していたら、ぼくの田舎に程近い鹿島神宮にまつわる面白い話を見つけました。

 これは、昭文社のTOURINGMAPPLEサイトに掲載したものですが、こっちにも、そのまま引用してみます。

「ところで、新年といえば、初詣は、みんなどこへ行かれただろうか? ぼくは、まだ初詣に行っていないけれど、今週末あたり、田舎に近い「鹿島神宮」(関東56C4)へお参りに行ってみようかと思っている。
 それで、何が「レイライン」かといえば、とある本を読んでいて、この鹿島神宮を基点にしたレイラインがあることを知ったのだ。
 茨城県の古名は「常陸国」というが、これは、「日立つ方角」つまり東の外れと同時に「常世」の国を意味している。その常陸国の象徴的な存在が鹿島神宮だ。鹿島神宮は、一説には、出雲大社や伊勢神宮より古い起源を持つといわれている。
 様々な聖地や特徴的なランドマークを結ぶ線が「レイライン」だと、前に紹介したけれど、この鹿島神宮から夏至の日の出の方向に線を伸ばしてみると、明石の浜の神門に行き当たる。そして、同じ夏至の日の入日は、筑波山に沈み、その線上には、かつての常陸国府がある。また、春分と秋分の日の日の出の方向、つまり東西を結ぶ線上には、諏訪神社がある。『古事記』では、建御雷神(たけみかづちのかみ)と天鳥船神(あめのとりふねのかみ)が天下り、建御雷神が日本国の支配権をかけて建御名方神(たけみなかたのかみ)と相撲をとり、これに勝った建御雷神が日本国の支配権を握り、建御名方神は諏訪に引きこもったとされている。
 『日本書紀』には、天照大神が武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)を地上に遣わしたとある。そのペアのもう一つの神、経津主神を祭っているのが、千葉県の佐原にある「香取神宮」(関東56A6)。さらに古事記にあった天鳥船神を祭る(関東47D1)息栖神社。この三つの社を結ぶときれいな直角二等辺三角形が描ける。
 また、鹿島神宮から、すべての生命が再生に向かう日を象徴する冬至の入日の方角に線を伸ばしていくと、富士山に行き当たる。
 鹿島神宮といえば、奈良の春日大社と深い縁がある。この二社を結ぶ線にも、何か面白いものが隠されているかもしれないし、他にも、鹿島神宮を基点に、聖地と結ぶと、いろいろ意味のありそうな線が引けるかもしれない。
 いったい、誰が、何を意図して、そういう配置にしたのか? そこには、現代人が忘れてしまった太古の叡智が隠されているのかもしれない。...やっぱり、「レイライン」は、面白い!」

 そんな、太古の叡智を見出す旅もたくさんしたいと思う21世紀の元旦でした。

――― uchida

 

 

 


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