01/12/29
来年は...

 21世紀最初の年も押し詰まってきました。

 新しい世紀は、夢のある楽しい世界になるかと思いきや、滑り出しは惨憺たるものといった感じでしたね。だけど、いちばん心配していたアフガン問題は、当初いわれていたように、アルカイダやタリバンのシンパが世界中で蜂起するような事態にならずによかったですね...もっとも、まだまだ安心はできませんが。

 アフガンに関しては、一時期の報道合戦がすっかり成りを潜めて、様子がほとんどわかりませんが、アメリカが想像を絶する規模の空爆を行い、一方的な殺戮を行ったことは間違いないようです。

 クラウゼウィッツの『戦争論』の中で、「後に、勝ったほうにとっても負けたほうにとっても遺恨を残さないためには、敵を徹底的に殲滅せよ」と言っていますが、まさに、最初の一撃で敵を殲滅する作戦に出たのでしょう。「パールハーバーを思い出せ!」という掛け声で始まった戦争は、徹底した大空襲で終わった太平洋戦争と同じ幕切れとなったわけです。

 半端な梃入れでは泥沼に引きずりこまれるというベトナム戦争の教訓が生かされていたといえば、そうなのかもしれません。アルカイダやタリバンの敗走は、あっけないものでしたが、それは、敗走するほどの生き残りも、生き残りたちの元気もないほど徹底的に叩かれていたからでしょう。

 それにしても、いったいどれほどの命が失われたかと思うと、恐ろしいものを感じます。やってはいけないもっとも卑劣なことのつけがどれほど恐ろしいものであるのか、アルカイダやタリバンだけでなく、みんなが教訓にすべきでしょう。

 先日は北朝鮮の工作船と海上保安庁の巡視船との間での交戦もありました。公海上でロケット弾やら機関砲やらで撃ち合ったわけだから、これはもう立派な戦争です。なのに、冷めた報道しかされないのは不思議です。

 アフガンで損なわれた人命に対しては、ヒューマンぶった報道をしている人たちも、どうして戦死した北朝鮮工作員15人の命については何も言わないのでしょう?

 少し前に、朝鮮総連が検察の手入れを受けましたが、あの事件と今回の交戦は、水面下で、何か重大なことが行われていることを物語っているように思えます。

 北朝鮮の南捕港を三隻の工作船が出航したときから、その動きを日米共同で監視し続け、狙いすましたように捕捉して撃沈。これも世界的なテロ撲滅作戦の一環なのかもしれません。

  それにしても、アフガンの様子を見せつけられ、テロ支援国家として様々な圧力が強くなっている北朝鮮は、そうとう追い詰められているはずです。北朝鮮当局は、今回の交戦で日本との戦端は開かれたと認識し、新しい局面に進んでしまうのではないか、そんな嫌な予感がします。 

――― uchida

 

01/12/27
「RE:」

 BADTRANS_Bですが、ようやく日に4,5通に減りましたが、一時は、毎日20通はsubjectが「RE:」だけのメールが届いていました。circumやNIMDAのときも、けっこうな数のメールが来ましたが、こいつは群を抜いて多かったですね。ときには、差出人が、ずっとご無沙汰していた人で、「ああ、あの人も、元気でやっているんだな」なんて、妙な感慨に浸ったりして...。

 今までは、少なくとも知り合いからこの手のメールが届いたときは、「お宅のPC、ウィルスにやられているよ」と、連絡していましたが、今回の騒動では、それをしませんでした。なぜかというと、そんな連絡をしてしまうと、検出から駆除までを面倒見るハメになり、しかも出張してまでそれをしなければならないことが目に見えているからです。

 今までのウィルス感染は、PCやメールシステムについてそれなりの知識のある人がやられていたので、関連のサイトと必要な定義ファイルを知らせるだけで、その人が駆除できるケースがほとんどでした。だけど、今回は、PCが家電並みに普及して、仕組みなんか知らずにメールをやり取りするユーザーが増え、そんな人たちのPCに感染してしまいました。

 PCを買って、自分では何もいじらず、すべてデフォルトのままで使っている。そして、もちろんコンピュータ用語も知らない。そんな人に、けっこう複雑な手順を踏まなければならないウイルス駆除のやり方を電話で説明するのは至難の業です。それをやっていたら、仕事にもなにもならない。それで、申し訳なく思いながら、触らぬ神になんとやらで、首をすくめていたというわけです。

 ところが、昨夜遅く、ついに見ず知らずの人から電話がかかってきて、その人のPCをケアするハメになってしまいました。ことの発端は、ある友人に泣きつかれて、彼のPCからBADTRANS_Bを駆除したことから始まります。

 10日ほど前、一回り歳が上の友人から電話がかかってきました。「内田くん、ぼくのPCがウイルスに汚染されてしまって、他の人たちにばらまいちゃったんだけど、それって、やっぱりぼくの責任だよね。こんなとき、どうすればいいのかな...」なんだか、妙に意気消沈した声だったので、久しぶりに彼の家へ遊びに行き、ついでにPCをケアしたわけです。

 彼が汚染に気がついたのは、友人からの電話だったそうです。

 その電話の主は、久しぶりのコールで、「あんたがちゃんと対策を講じないから、私のPCまで感染してしまったじゃないの。いったいどうしてくれるの」と、頭ごなしの激昂。

 さらに、仕事でPCを使わなければならないのに、あんたのせいで、まともに仕事もできなくなってしまったと言いつのり、加えて、「知り合いの不注意から、私のPCがウイルスに感染し、みなさんにも送ってしまったかもしれません。なんとか対策を講じてください」といった文面のはがきを共通の友人たちに送りつけました。

 元はといえば、PC自体が一般の家電などと比べて出来そこないの道具で、けしてユーザーフレンドリーではないところに原因があるわけですが、それにしても、ウイルスに感染してしまったのは、当人のリスクヘッジが拙かったことに他なりません。

 PCをネットにつないでデータをやりとりするということは、常に悪意のあるデータが侵入してくるリスクに晒されていることを自覚しておくべきですね。

 それはともかく、ぼくが友人のPCからなんとかBADTRANS_Bを追い出して、その対策プログラムを問題の人に送ればいいよと、手はずを整えてきました。

 そして、昨夜、今度は、問題の人から直接、ぼくのところへ電話がかかってきたわけです。曰く、対策プログラムを走らせたら、BADTRANS_Bは駆除できたのだが、その後、PCの挙動がおかしくなってしまったとのこと。

 詳しく話しを聞くと、どうも元々システムに問題を抱えていて、それが何かのきっかけで発現したようです。

 そもそもBADTRANSは感染したからすぐにPCの挙動がおかしくなるというものではありません。ぼくの友人からして、PCの調子が悪くなったことの濡れ衣を着せられ、今度は、そのとばっちりがぼくのところへ来たというわけです。

 夜中に何度も電話をよこし、「仕事ができなくて困っているので、なんとかしてください」。

 あんたのせいで仕事ができなくて困っているのは、こっちのほうなんですよ、まったく。それにしても、こういう人は、都合の悪いことは、なんでも人のせいにしてしまうんだろうなぁ...(>_<) 

――― uchida

 

01/12/25
リスク回避のセンス

 昨日、仕事で久しぶりに顔を合わせたカメラマンと話していると、彼がふと寂しげに言いました。「じつは、先週、友達がバイク事故で死んじゃったんですよ。それで、昨日、葬式だったんです」。

 亡くなった人は、ぼくが先週インプレッションしていたオートバイと同じ車種に乗っていたそうです。早朝、空いた都心を走っていて、六本木トンネルを抜けたところで、信号無視して交差点に入ってきたタクシーに正面衝突してしまったとのこと。瀕死の状態で病院に運ばれ、意識を回復せぬまま帰らぬ人となってしまったそうです。

 「ほんとうに運転の巧い人って、本能的に、車の死角に入らないようにしたり、走っていく先で危険が待ち受けているのを察知したりするじゃないですか。だけど、あいつは、そういう本能というか、勘が鈍かったんですよ。だから、大きなバイクに乗って楽しそうに走っている様子を見て、いつかそんなことになるんじゃないかって、心配していたんです...」

 カメラマンの彼は、モータースポーツも取材する人で、自分も大型バイクに乗っています。それで、経験的に、亡くなったその人の危険性を感じていたのでしょう。言葉を詰まらせたその裏に、友人なのにおまえにはバイクは向いていないと言ってやれなかったことへの後悔があるようでした。

 オートバイにしろ山にしろ、そこにはリスクがつきまとっています。どちらも、その爽快さや楽しさばかりがクローズアップされますが、いっぽうで、悲劇は現実に起こっています。カメラマンの彼が「運転の巧い人」と表現したような人でも、何人も路上で命を落としています。レースフィールドで亡くなった人も大勢います。山でも、友人を何人も失ってきました。

 僕自身、今まで、何度も危険な目に遭ってきました。中には命に関わるほどシリアスなこともありました。振り返ってみると、そんなアクシデントに見舞われたときは、肉体的な疲れや心労が重なっていたり、ふとした気の緩みがあったときばかりです。元気で、気力も充実しているときは、カメラマンの彼が言ったように、危険を察知する本能が鋭敏に働いていて、事前にリスクを避ける行動を取っている。

 でも、誰しも人間ですから、常にベストコンディションを続けられるわけではない。コンディションが悪いときに、どうリスクを回避するか? それは、ひとえに、自分の性格を良く把握していて、どこかで常に自分を客観視するもう一人の自分を置き、自分を監視していることでしょうね...でも、それは、経験の積み重ねでしか獲得できないものなんですよね。

 ひとつだけ言えることは、アウトドアスポーツでもモータースポーツでも、思う存分楽しみながら、一方で、自分は危険なことをしているという自覚を常に持っておく必要があるということです。 

――― uchida

 

01/12/23
冬の夕暮れ

 今ごろの時期の夕暮れが好きです。太陽が地平線の彼方に没し、一瞬、空全体が暗くなる。それで夕暮れはお仕舞いと思っている人がほとんどだと思いますが、そのままじっと日の落ちた西の空を見ていると、いったん沈んだ太陽がまた昇ってくるのかと思えるように、空に再び光が広がっていきます。

 ステージがいったん引けて、全ての照明が落ちる。だけど暗闇の中で、観客たちのアンコールの拍手が鳴り止まず、再びステージに照明が灯る。荘厳な冬の夕暮れがあっけなく終わってしまうのを寂しく思い、地平線に向けてアンコールの拍手を静かに送ると、太陽が答えてくれるのです。

 昨日、オートバイのインプレッションを兼ねて、ぼくの気に入りのツーリングコースを辿りました。いつもは裏方で取材の後のデザインをお願いしているデザイナーのO氏を誘って、巡り歩いた最後に、じっくりと冬の夕暮れに見入りました。何度見ても、透明で、そのまま宇宙に吸い込まれていきそうになる光景に、言葉を失って、ただ見とれてしまいます。

 話は変わりますが、糸井重里さんが主催している「ほぼ日刊イトイ新聞」でガンジーコラムを書かれていた「ガンジーさん」が20日に亡くなられたそうです。

 余命2ヶ月を宣告された「ガンジーさん」が、それを契機にノートパソコンを買い、親戚に向けて発行をはじめた親戚新聞。齢60いくつのなんでもない市井の人が、自分の生きてきた証というと大げさだけど、一つの人生としての自分を振り返ったり、今生きていることの喜びを愛する人たちに伝えようと毎日書き綴った日記のようなメールマガジン。それに関心を寄せた糸井氏が、「ほぼ日」で掲載を始めたのです。

 余命2ヶ月といいながら、ずっと元気に1年半も続いた連載でした。はじめは、なんだかできすぎたような話で、しかも、「癌爺さん=ガンジーさん」なんて、いかにも糸井氏なら思いつきそうな(でも、よく考えれば、糸井氏のセンスとはズレていますけど)タイトルに、ネットを使ってあたかもドキュメンタリーに見せかけた創作の試みなのかとも思いました。

 でも、その連載を読んでいるうちに、これが創作などではないことはすぐにわかりました。小説や映画になるようなドラマチックな人生でなくても、人はその人なりに健気に生きて、そして死んでいくということを、「ガンジーさん」は、まさに自分の身を持って、ネットを通じてたくさんの人に語りました。自分も一つのありきたりの人生を歩む人間として、「ガンジーさん」のコラムには勇気づけられたものでした。

 「ガンジーさん」は、若い頃にオートバイに乗っていて、元気になったら箱根に走りに行きたいと、コラムで何度も書かれていました。ぼくは、ガンジーさんに花を手向けることもできないけれど、今度、箱根へ走りに行ったら、ガンジーさんのことを思い、その風景を手向けたいと思います。

いちど降りた夜の帳が、一瞬持ち上げられて、昼の最後の光が地平線に広がる...心洗われる風景です。

 

――― uchida

 

01/12/18
神話の時代

 このところ、日に何度も、サイトからダウンロードした800×600pixサイズの『指輪物語』の予告編を眺めて、うっとりしています。

 30MBという重さながら、仕事場のADSL環境ならあっという間にダウンロードでき、HDも40GBもあるから十分余裕があります。もちろんストリーミング再生も問題なくできますが、ダウンロードしたファイルをCDに焼いて、自宅で観なおしたり、友人に配ったりしているのです。

 こうして、音飛びも映像のもたつきもなく、ドルビーステレオサウンドの迫力ある予告編が手軽に観られるのですから、ほんとに技術の進歩は恐ろしいほどです。ほんの数年前は、9600bpsなんて通信速度に、「これで長いメールも楽にダウンロードできる」と感激していたのに、今では、その1000倍が当たり前になりつつあり、さらにその10倍、100倍のインフラも登場しているのですから...。自宅にいながらにしてワイドTVで映画がオンデマンドで楽しめるようになるのも、あっという間でしょう。

 それはともかく、『指輪物語』に期待しつつ、最近のヒット作品を見ると、『ハリーポッター』や『千と千尋の神隠し』など、『指輪物語』と同様の魔術的・神話的世界を描いたものが続いています。そういえば、『陰陽師』もけっこう話題になりましたね。神話的世界は、人間の欲望や個人性を超越した「常ならぬもの」であり、物質ではなく精神=イメージに本質を見る世界です。

 ネットワーク社会が急速に発展して、今、ぼくたちは通信回線を通してデータの海を漂い、想像力を駆使して、その中から特定のデータを引き出し、それを現実の物質に還元したり、サイバー空間の中に漂うデータを再加工したり、自分なりのイメージ化を行なって、日々新しい世界を構築しています。

 今までの社会心理学からいえば、神話的世界への傾斜は、現実世界の住み難さからの逃避とされますが、それは、若者たちがオウムのようなカルトに走ってしまった20世紀最後の状況には当てはまりますが、21世紀の今は、「逃避」ではなく、あたらな社会システムへの「適応」だと思います。

 拝金主義に明け暮れた物質文明から脱皮して、神話的世界に向かおうとしているぼくたちは、まずエンタテイメントからそれを学んでいくのでしょう。そして、パラダイムシフトにいちばん敏感なのは、いつでもそんなエンタテイメントを生み出すクリエイターたちなのでしょう。 

――― uchida

 

01/12/16
貴種流離譚

 『ハリーポッターと賢者の石』(J.K.ローリング著 松岡佑子訳 静山社)を読みました。刊行当初から気になっていた本でしたが、どうも好意的な前評判ばかりを聞いてしまって、天邪鬼のぼくとしては、かえって手が出なくなっていたものです。それが、ひょんなことで手元に本が届いてしまったので、これは是可否でも読めという何かのお達しかと、読み始めたわけです。

 主人公のハリーが生まれたときから特殊な力を持っていて、それは彼の血に秘められた秘密に繋がっている。でも、本人はそれを知らず、肩身の狭い境遇に貶められているけれど、ある日を境にそれが一変する...。

 典型的なシンデレラ流の貴種流離譚で、そのあたりには、あまり好きになれない選民思想を感じます。でも、物語の展開は、とても楽しいファンタジーで、しかもネガティヴなものが欠片もなく、そこに物足りなさも感じないことはありませんが、爽やかな読後感をもたらしてくれます。

 でも、これを読んでつくづく思ったのは、『指輪物語』の完成度の高さです。ただ単に善悪二元論ではなくて、善の中に潜む悪や悪の中に微かに息づく善や、利害関係の錯綜といった、とてもリアルな状況を背景にして、物語が綴られていくのは、まさに大人のファンタジーです。なにより、この物語がすごいのは貴種流離譚という安易な技に頼らないことです。どちらかという頼りなくて、欲望に負けそうになる主人公が、困難な旅を通して成長していく。誰でも、まっすぐな心で努力すれば希望が開けることを語っています。

 貴種流離譚は、誰でも心地よく感じる幻想です。ハリーポッターの物語を軽いエンタテイメントとして楽しんでいられればそれでいいのですが、閉塞感に覆われた今の時代の逃げ道として、そんな幻想に浸ってしまうとしたら、かえって先が暗いような気がします。「自分は選ばれた者だ」という幻想は、まさにカルトにつながるものですからね。

 ますます『The Lord of the Rings(指輪物語)』の公開が待ち遠しくなりました。ちなみに、オフィシャルサイトはこちらです。
http://www.lordoftherings.net/
 

――― uchida

 

01/12/14
宙ぶらりん

 焦点がうまく絞りきれないというか、考えがうまくまとまらないというか、どこか気持ちが宙ぶらりんでふわふわ漂っているような...そんなときがときどきあります。

 今がちょうどそんなときで、このコラムに何か気の利いたことを書こうと思うのですが、うまくまとまりません。今までは、そんなときはすっぱりと書くことを諦めていたのですが、今日はあえてそんな気分のまま、何かを書いてみようと思います。

 以前は、こんな宙ぶらりんな状態というのが自分で許せなくて焦ったものでした。だけど、最近、「そんなときがあったっていいだろう人間なんだから」なんて、思えるようになりました。

 仕事が思うようにいかない。人に自分のことをわかってもらいたいのに、どうも誤解されてしまう。自分で何をしたいのかわからず、仲間といても楽しくない。...なんだか、この世に自分の居場所がなくなってしまったような気がするときって、誰にでもありますよね(もしかしたらぼくだけか?)。

 そんなとき、その状態を打開しようとしてあくせくしても、あまりいい結果を生み出すことはないような気がします。自分でどうにもできないときは、どうしようともせず、ただ宙ぶらりんでいて、物事を受け入れればいい。

 でも、何でもかんでも受け入れてしまうと、こんなときに限ってあまりいい結果に結びついていかないことが飛び込んでくるので、しっかりディフェンスだけはしておきます。

 「あー、今、わたしは、おバカになっているので、気の利いたことは何もできません。御用のある方は、また後日、勢力に満ち溢れて、どんな難問にも立ち向かってやるという気力があるときにお越しください」...ちょうど、軒下で寒風に煽られながら揺れている蓑虫のような感じです。

 フリーランサーの身としては、そんなことをしていたらたちまち路頭に迷うことになってしまう...なんて考え始めると、焦って間違った判断をしてしまう。今まで、それで、どれだけバカな目にあってきたか。それはそれで、過ぎてしまえば、いい勉強ではあるのですが。

 蓑虫も、そのうち宙ぶらりんでいることに飽きて、表に出るでしょう。 

――― uchida

 

01/12/13
指輪物語

 一昨年からWEBサイトは早々とオープンしながら、映画のほうはなかなかクランクアップしなかった『ロード・オブ・リング(指輪物語)』が、ついに完成したそうです。

 魔法を題材にした映画といえば、「ハリポッター」が人気のようですが、やっぱりトールキンの壮大で緻密な世界が、早く観てみたいですね。「ハリーポッター」は、原作が世界で1億冊以上の売上を記録したとか、すでに続編の制作に入っていて、三作目はスピルバーグがプロデュースするといった内容とは関係のない宣伝トークが賑やかですが、魔法ものファンタジーの本命といえば、やっぱり『指輪物語』でしょう。WEBの構成もとても凝っているし、なんといってもトールキンの世界観がすごいリアリティで表現されています。待ちに待っていただけに、ほんとうに楽しみです。

 魔法ものといえば、こちらはとても奥深さを感じさせる小説があります。『ホーニッヒベルガー博士の秘密』は、大作『世界宗教史』で名高いミルチャ・エリアーデが著したフィクション。

 フィクションとはいえ、古代のシャーマニズムから現代のファンダメンタリズムに至るまで、あらゆる宗教と人間の心性について知り尽くし、考え抜いた大宗教学者が著しただけあって、単なるエンタテイメントとはまったく違うリアリティを持っています。

 ぼくは、この作品をモチーフにゲームができないかと、SEGAで仕事をしていたときから思っていて、プロットまで作ったのですが、それを持ってプレゼンしていた頃は、魔術や魔術的思考に対してあまり理解がなくて、お蔵入りしてしまいました。今なら、これは、別種のリアリティとして受け入れてもらえるような気がするのですが...。そのプロットについて興味のある方は、直接mailしてください(~_~;) 

――― uchida

 

01/11/26
第一行

 宗教学者の鎌田東二氏が、「聖なる場所の記憶 ―日本という身体―」(講談社学術文庫)という本の中で、存在の原初にあるもの、人がその存在の気配を感じながら言葉では表現できないもののことを「第一行」と呼んでいます。

 ある宗教では「神」といい、ある宗教では「霊」と呼ぶ。神秘主義では「エーテル」や「アーカシックレコード」と呼び、ある人たちは「エネルギー」と呼ぶもの...。それは目に見えるわけではなく、耳に聞こえるわけでもなく、ただ直感として、心の芯に染み込んでくるもの。

 「第一行」は、存在の第一行目であると同時に、存在の核心でもある。「神」や「霊」と言うと、たしかに「第一行」の輪郭がはっきりしてはくるけれど、それで理解できるわけではない。「第一行」は、理解するような性質のものではなく、ただそのままを受け取るしかないものだと思います。

 宗教や立場が違っても、ほんとうは同じ「第一行」を感じているはずなのに、それに一つの神の名を与えてしまうところから間違いが起こってしまう。

 同じ「第一行」を崇め、祀りながら、他の宗教が名づけた「第一行」は違うものとして嫌悪する。そして、互いに自分の神が最上のものといがみ合ううちに近親憎悪が深まっていく...。

 先週、伊勢から明日香、天川を巡る旅をしました。ゆったりした時間と風景の中で過ごしていると、心が自ずと開かれて、普段の生活では遠いものとなってしまっている「第一行」が身近に感じられました。

 一神教と異なり、神道には八百万の神がいます。しかも同じ神が和御霊と荒御霊の性質に分かれたり、同じ神を別の名で呼んだり、さらには神話に登場する神のさらに上にあって、善も悪もなく、特別な性質もなく、宇宙にあまねく存在している神がいます。

 どうしてそんなにたくさんの神がいるのか...。それは、神話の里を巡り歩けば、すぐにわかります。

 神道は、というかそれ以前からあった日本のプリミティヴな精神体系は、「第一行」を一つの名のもとに収斂させる代わりに、様々な形で、幾度もたち現れる「第一行」にその都度それに見合った名前を付けていったのでしょう。

 八百万の神は、「第一行」が持つ様々な性質の一つ一つに付けられた名前。そしてその一つ一つも確かに存在し、だけどそれはすべてを覆い尽くす名づけられない大きな存在...。

 旅の初日、浜名湖の辺でしし座流星群を見ました。

 天文学は、それを彗星が残した塵の中に地球が入っていくために起こる現象と説明します。たしかに、科学は流星群が出現する原理を説明してくれます。でも、その信じられない美しさを語ることはできません。

 虚空に儚い光の筋を残す流星雨を見つめているうちに、知らず知らず涙が零れ落ちてくる...第一行とは、説明できるものではなく、その場に自分の身を置き、まさに肌で感じるしかないものでしょう。

伊勢内宮=神社は、自然がもたらす第一行を、より力強いものに変換する装置なのかもしれません

横山から望む英虞湾=ときとして、自然が垣間見せる光景の中に、はっきりと第一行を感じ取ることができます

天川の境内からついてきた猫
 

――― uchida

 

01/11/16
solitude

 solitudeという言葉は、一般的には「孤独」とか「寂しさ」と訳されますが、そのsolitudeを愛したコリン・フレッチャーの『遊歩大全』を読むと、日本語の「孤独」という言葉が持っているどことなく暗いイメージとはだいぶニュアンスが異なるような気がします。

 コリン・フレッチャーは、一人、バックパックを背負って、何週間も誰にも会わない荒野を旅していきます。それで、その旅の情景が悲壮感に満ちたものかというと、ぜんぜんそんなことはなくて、とても賑やかで楽しさに溢れているのです。

 人と対話できないから孤独というのは、あまりにも社会に依存したものの見方でしょう。自然の中に身を置き、自然と対話する意思を持っていれば、動物も風も雲も川も山も饒舌に語りかけてくるのがわかります。もちろん、それはディズニーの映画のように動物や植物が人間の言葉で話しかけてくるのではなくて、人間の側が感覚として受け取るということです。

 人間社会の中にあって、たくさんの人たちと言葉に囲まれていても、恐ろしいほどの「孤独」を感じることがあります。とくに、バブルのころからこちらの日本では、内に深い孤独と不信を抱えた人間がその孤独を紛らし、ひたすら人に癒しを求めて、社会全体がいいようのない「孤独感」に包まれている気がします。それは、ぼくが身を置く東京の環境が、とくにそう感じさせるのかもしれません。

 コリン・フレッチャーが「solitude」という言葉を使うとき、そこには何かウキウキしたものが感じられます。空しい言葉と馴れ合い、そして他者依存に囲まれた人間社会から遠く離れて、本物の体験と対話が待っている自然の中へ向かう、そんな響きがあります。

 トレールで出くわしたカモシカと一瞬目が合い、その一瞬だけで、いつもの生活の中で触れあう人間との間よりもずっと互いの心が深く触れあったように感じたとき。空を見上げたら、雲の動きが、まるで自分一人のために演じられている造形ショーのように思えて、つい見入ってしまったとき。野宿の世が明けて、周りを見渡すと、自分が獣道を塞ぐように寝ていたことに気づき、いつもはその真中を悠然と歩いていたであろう獣たちの足跡が、遠慮がちに自分の寝床を避けて通っていたのを発見したとき。

 自然と接して、そんなたくさんの喜びを感じている自分を発見して、それがまた心を高揚させるとき...。それは、けして「孤独」などではありません。それは、「孤高」というほうがぴったり合っている気がします。 

――― uchida

 

01/11/07
立冬

 今日は立冬。異常気象で節季もおかしくなってきたと思っていたら、律儀に寒くなりました。

 土曜の晩から月曜日まで茨城の実家に行っていたのですが、月曜の深夜、向こうを出るときは生暖かい風が吹いていて、東京に戻ると寒冷前線が通過して、一気に冷え込みました。あの夜がちょうど季節の変わり目だったのでしょう。昨日の夜、晴れわたった空に浮かぶ月は、蒼々とした冬の月でした。

 今日は、オートバイに乗るのに、オーバーパンツを引っ張り出して履きました。仕事場の暖房もスイッチを入れて、「立冬」を実感しました。昔の人たちは、暦にしたがって生活していて、「もうすぐ立冬だから、冬支度を始めよう」といった具合に、準備していたから、寒くなってもすぐに風邪をひいたりしなかったのでしょうが、現代人は寒くなって初めて「そうか、立冬か...」なんてやっているから、風邪をひいてしまうのでしょう。そんなところでも、現代人が自然から疎外されていることを感じます。

 じつは、ぼくも先週のはじめから風邪を引いて、ちょっと参っています。自己管理のためにも、暦を注意していたほうがいいですね。

 冬支度といえば、ぼくは、庭にあった流しを思い出します。

 実家の庭の隅にあった流しには、井戸水を汲み上げた鉛の水道管が、剥き出しのまま地面からにょっきり突き出していました。

 夏には石の流しの真中に木の盥を置いて、井戸水を流しっぱなしにしてスイカやトマトを冷やします。春から秋にかけてはそのままで問題ないのですが、冬にそのままにしておくと中にたまった水が凍り、管が破裂してしまいます。それを防ぐために鉛管に筵を巻いて冷たい空気に触れないようにするのです。

 近くの農家からわけてもらった藁で鉛管が包まれるように筵を巻き、最後に藁を縒って作った縄でしっかり止めます。その作業をしていると、藁束から乾いた日光の匂いが立ち上ります。まだ断熱の仕組みを知らなかったぼくは、藁の中に閉じ込められた太陽の暖かさが冬の間に少しずつ染み出して、鉛管が凍りつくのを防いでくれるのだと信じて疑いませんでした。

 そういえば、テレビを見ていたら、埼玉県の朝霞にある小学校では、ずっと前から校庭にある立ち木に筵を巻いて虫よけにしてきたそうです。

 他の学校では殺虫剤を散布していて、それで子供たちがアトピーのようなアレルギーになっているのに、この小学校では殺虫剤も農薬も一切使わないので、子供たちのアレルギーが少ないとか。今の時期、虫除けに巻いていた筵をはがすと、その下は地面から木の枝に這い登ろうとして筵に阻まれた虫の死骸がびっしりでした。

 便利さを求めて手抜きをしてきた結果が病気を招いてしまう。自然が語る言葉としての「暦」と先人の知恵を取り戻したほうが良さそうですね。

 そろそろ、仕事場の近くの神宮外苑のイチョウも色づいてきました。

 銀杏の実が落ちて、それが踏み割られると独特の匂いを放ちます。ぼくはその匂いを嗅ぐと高校生活をほのぼのと思い出します。ぼくの高校にも立派な銀杏並木があって、今の季節は登下校のときに黄色いトンネルの中で銀杏の実の匂いを嗅いだものでした。 

――― uchida

 

01/10/31
儚い景色

 春から夏へと向かう季節は、歯がゆいほど時の流れがゆっくりしているのに、秋から冬へと向かう季節は、どうして急ぎ足で過ぎていってしまうのでしょう。

 夏も終わってしまったと、その後姿を見送っているうちに、振り向けば冬が目の前にありました。

 先週、多摩川の河原で繁茂していたセイタカアワダチソウは、泡のような黄色い花をあらかた落として、尾花と変わらない痩せた姿になっていました。

 冬になってしまえば、それなりの覚悟ができて、キンとした寒さに身も心も引き締まるのですが、今は、どこかまだ夏の余韻を引きずっていて、ふと、過ぎた時間を思い返して、寂しい気持ちになったりします。

 今の時期、身近な何でもない風景が、一瞬、息を呑むような美しさを見せることがあります。河原を散歩していて、日が向こう岸の先に見える山入端に沈もうとする瞬間、まるで金絹のベールに覆われたように、あたりが繊細な黄金に染まりました。その景色は、まさに刹那でしたが、心にしっかりと刻み込まれました。

 瞬間を薄く薄く、無限に薄く刻み込み、その中の他のどれとも違うたった一枚の薄片。それが刹那。見過ごしてしまえば、刹那は二度と戻ってこないけれど、その瞬間をしっかり手にすれば、それは永遠になる...。

 いつも走り続けているのではなく、目の前を一瞬で過ぎ去る儚い景色を心に刻み、その余韻をかみ締めて、じっくりと、寂しさ...というかソリチュードを味わってみるのも、必要なことですね。

日が傾き、黄昏へと落ちる刹那の光に、ぼくは、いちばん「秋」を感じます。この光には、やはりセイタカアワダチソウではなく、尾花が似合いますね
 

――― uchida

 

01/10/26
とほほ...

 今日、仕事場に向かう途中で、ネズミ捕りにかかってしまいました。

 このところ、持病は出るは、風邪はひくは、仕事も今ひとつ前進しないは、とネガティヴなことが続き、かなり気分が萎んでいたところで、とどめのアッパーカットといった感じです。

 首都高4号線の高井戸ICから甲州街道へ繋がる道で、みんなオーバースピードになりやすいところ。ガラガラの広い二車線の道が制限速度50km/hというのは、まったく理不尽です。そこでぼくは74km/hの24kmオーバー。減点2、罰金12000円。じつをいうと、二ヶ月前にも長野県内の20号線で御用になっていて、こちらは29kmオーバーの減点3、罰金15000円。だいぶ国庫に収めさせていただきました...。合わせ技で免停。いやはや、この一撃で完全にマットに沈みました。

 だけど、見方を変えてみれば、体調が悪かったのは、今まで溜まった毒を出し尽くすことだし、そのタイミングで仕事が動かなかったのは、人に迷惑をかけずにちょうど良く休みをもらったようなものでした。免停も、「少し自重してバイクに乗れよ」という天からのお達しでしょう。ジャンプするためには、一度屈んで力を溜めなければならないように、大きな変化がある前には、テンションが下がってしまうようなことが立て続けにあったりするものです。

 今日の取り締まりの現場では、ぼくのすぐ後に、ピザの配達のおにいさんまで捕まっていました。違反切符をもらって、自分のバイクに戻りながら、ピザ配達バイクの側にいた白バイ警官に、「何、ピザ屋さんまでつかまえっちゃったの」とあきれて言うと、「そうなんだよ、可愛そうだとは思うんだけど...」と、ほんとに申しわけなさそうに苦笑しました。白バイで追走だったら、ピザ配達が少しぐらい急いでいたって停止なんかさせないでしょうけど、レーダーでは、情け容赦ないですからね。

 その後、そこにいた二人の白バイ警官と、少し雑談しました。「大型バイクは、ちょっとアクセルひねれば100km/hくらい、簡単に出ちゃうもんね。あんたも、そんなに目が飛び出すほどスピード出していたわけじゃないのに、災難だったね」なんて、なぐさめられました。同じバイク乗りとしては、彼らもこっちの気持ちが良くわかっているんですよね。それから、これからの季節の防寒対策など話して、その場を後にしました。ほんと、災難は、これで打ち止めにして、ジャンプするゾ!

 と、「とほほ」な話題だけで終わっても寂しいので、気分を変えて。

 今、大好きな作家、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を読んでいます。

 その最初のほうで、ベネディクト会の見習修道士が機械職人について触れた一節が印象に残りました。主人公であるベネディクト会の見習修道士が、自分の師であるフランチェスコ会修道士ウィリアムズを、静かに思索にふける修道士一般からかけ離れて、まるで機械職人のようだと語る部分です。

 「...当時の私の目に師はときおり機械職人そのもののように映った(そして私がそれまでに受けてきた教育では、機械職人とは<不倫ナ者=モエクス>であり、本来は貞節な結婚で知的生活と結ばれるべきなのに、いわば不倫を犯している者なのであった)...」

 前回のこの欄でも触れたように、自分がけっこう機械いじりが好きで、車でもバイクでもPCでも、それから電化製品でも、片っ端から分解して修理したりカスタムするような質なので、ウィリアムの性格にとても共感を覚えたのです。

 そして、「機械職人」という今の感覚ですると「不倫」などという言葉から、およそかけ離れた存在が結び付けられていることが面白く感じたのと同時に、ベネディクト会というある意味でファンダメンタルなキリスト教会の意識が端的に現れている気がしたのです。

 日々、静かで安定した生活の中で、ひたすら神を意識し、思索を繰り返す修道士にとって、神の存在すら忘れて「モノ」に対峙してしまう機械職人は、魂を悪魔に売ってしまったものに等しく思えたのでしょう。

 ぼくは、自分が機械に向かっているときを思い浮かべて、なんとなく納得します。

 何か面白いものを見つけて、手を動かし始めたら最後、人の声など耳に入らないし、食べることも寝ることも、果ては大風邪をひいていたってそんなことを忘れて没頭してしまいます。

 機械に限らず、「なんだろう?」と感性というか、心のアンテナに何かが引っかかってしまうと、もう魂はここにはないのです。ぼくの体を流れる血の中に代々受け継がれてきた「時計職人」がいるのか、いつもはうるさくて落ち着きのない甥っ子が、いったんレゴに向かうと、もう、何も意識に入らなくなってしまいます。

 機械職人を科学者に置き換えてみると、そんな感性の動きが理解できるでしょう。

 原子力エネルギー、遺伝子操作、人工知能や人工生命...そういったパンドラの箱を開けてしまったのは、悪意を持った為政者ではなく、純粋な科学者たちです。科学者にとっての規範は、ただひとつ、自分の好奇心だけです。好奇心に突き動かされた科学者には、正邪の感覚も、神の意志も、預言者の言葉も無意味なものになってしまいます。

 ほんとうは、神を意識し思索を繰り返す修道士と時計職人が一つの精神の中にうまく同居しているのが理想なのでしょうね。

 もう一つ、言葉を引用します。それは修道士ウィリアムの言葉です。

 「...宇宙の素晴らしさは多様性のうちの統一性にあるはがりではなく、統一性のうちの多様性にもあるのだ...」

 『薔薇の名前』は、ぼくにとっての修道士ウィリアムともいえるような師が残した蔵書の一つです。これから、じっくり味わいながら読んでみます。 

――― uchida

 

01/10/22
道具と付き合う

 毎週木曜日に「TOURING WAVE」で連載しているコラムがあるのですが、そこで、身近な道具にまつわる話を書きました。

 藤枝静雄に『田紳遊楽』という小説があります。

 年期を出すために池に沈められた古道具たちに、付喪神が憑いて、話し出すという内容ですが、自分の身近にある道具たちのこと考えて、道具が魂を持って話をしたりしていることをリアルに感じたのです。

 「トイストーリー」のように、人が寝静まった頃に、道具たちが一人で動き出して遊んだり、気の合う道具どうしで話しあったりしているんだろうなぁなんて想像すると同時に、長く使い込んで愛着のある道具というのは、道具のほうから話し掛けてくるような気がするものです。

 そのコラムでも触れたましたが、しばらくエンジンをかけていなかった愛車のMGFは、セルモーターからエンジンへの伝達系が不調になり、それを直したら、今度は助手席側のウインドウストッパーが破損して、ルーフとウインドウの間に隙間ができしまいました。

 じつは、これはこの車の定番ともいえるトラブルなんですが、タイミングが良すぎます。

 内張りを剥がして中を見ると、案の定、オレンジ色の安っぽいストッパーの爪が折れて落ちていました。車もバイクも動かさずに置いておくと、可動部品や樹脂製部品の劣化が進んでしまうものですが、そういった理屈ではなく、ぼくには、「たまには、遠くへドライブに連れ出してくれよ!」というMGFからの呼びかけに感じられました。新しいストッパーを付けたら、久しぶりにロングドライブに連れ出してやるつもりです。

 それから、先日、コッヘルのことで、問い合わせをいただいたのですが、そのイギリス製のブランド物クッカーについて、ぼくはまったく知りませんでした。

 ぼくがメインで使っているのは山を始めたばかりの頃(...ということは二昔以上前のこと)から使っていて、ボコボコになったHOPEのアルミクッカーです。それで不自由なくずっと通してきてしまったので、ことコッヘル(クッカー)については、無頓着でした。

 他にも、米軍放出の角型クッカーやテスト用にもらったトランギアのクッカーなどもあるのですが、ソロで山登りやツーリングに出かけるときは、自然に、HOPEのボコボココッヘルをザックに突っ込んでしまうのです。

 10年くらい前から、ザックからボコボココッヘルを引っ張り出す度に、「そろそろこいつも引退させて、軽くてアルツハイマーの恐れもないチタンクッカーにしようかな」なんて思うのですが、でも、自分の体の一部のように馴染んでしまっているので、気がつくと、こいつをまたザックに入れているんですね。

 最近、気に入りの道具に加わったのは、取材などで使う一眼レフカメラ、CANONのEOS7です。

 カメラも、20年近く、手に馴染んだ道具としてモータードライブ付きのF-1を使いつづけてきました。

 でも、これに対応したレンズはとうの昔に生産中止になり、メンテナンスなどで不都合が出てきたので買い換えることにしたのです。ほんとうは、F-1も温存しておいて新しい機材を追加したかったのですが、さすがに経済的につらいので、F-1を下取りに出して、新機材に入れ替えることに...。

 それで、新宿のマップカメラに、F-1を持って出かけて行きました。すると、これが、最近、マニアの間でプレミアがつくほどの人気ということで、思いのほか高い下取り価格がついたのです。そして、運のいいことに、EOS7とTAMRONの28-200mmという目星をつけていたレンズも、その場にほとんど新古品といってもいいくらいの程度のいいものがあって、なんと下取り価格とほとんど同じ値段で、このセットが買えてしまったというわけです。F-1は山やら砂漠やら、かなり過酷な条件で良く働いてくれた上に、次の道具が買えるようにしてくれて、まったく親孝行...主人孝行な道具でした。ちなみに、EOS7も前任者同様、すこぶる機嫌よく、この夏のツーリングマップルの取材から働いてくれています。

 話はちょっと逸れますが、この数日、たて続けにアンディ・マクナブの『リモートコントロール』と『クライシス・フォア』を読みました。

 元SAS隊員のマクナブは、文壇デビュー作が内容のリアルさのあまり、危うく発禁処分になりかけ、イギリス国防省との取引でなんとか発行できるようになったという曰くつきの作家。そのフィクション第一作と第二作です。

 1999年に発表された『クライシス・フォア』は、今渦中のウサマ・ビンラディンとその活動について克明に語られていて、それも非常に興味深いものでしたが、主人公がプロとして、道具を選び、手入れし、そして使う、一連の道具との関わり方が、妙に共感できて、ついのめりこんでしまったのです。

 特殊工作の話なので、とくに、銃が道具として重要な役割を果たしています。銃は、ある意味究極の道具の一つです。使用目的は別にして、徹底的に機能的に作られている軍用銃は、全体のフォルムから細部まで、独特の「美」を持っています。

 IRAのスナイパーが日本の豊和工業製の89式という.223口径のアサルトライフルを好んで使うという話がありますが、スイスのSIG製アサルトライフルを参考にして開発された89式は、スイス製品のコピーから、ついに世界を席巻した日本製の腕時計を連想させます。

 ちなみに、自衛隊の最新式アサルトライフルでもある89式は、狩猟用という名目で東南アジアに輸出され、それが闇ルートに流れて、IRAの手に渡ったそうです。

 もっともポピュラーなアサルトライフルであるAK47が中国製のライセンス生産品で5000円あまり、アメリカ製のM16が3万円あまり(もちろん、日本では買えません。武器取引の末端価格)、そして89式はなんと30万円超(自衛隊への納入価格)。生産数が極端に少ないということを差し引いても、89式の性能の高さが伺いしれます。

 軍用銃となると話は別ですが、海外でアウトドアアクティビティを楽しもうとするとき、とくにそこが猛獣の住むウィルダネスだったりすると、防衛のための道具としてライフルやハンドガンを持つ必要が生じることもあります。

 また、自分ではやりませんが、ぼくは、ハンティングも健全なアウトドアスポーツ(人によっては生活の手段)の一つだと思っています。そんなわけで、ぼくは、銃も必要に応じて使う道具の一つだと思っています。

20年来使いつづけているHOPEのアルミコッヘル。樹脂製のストッパーは欠けているし、底も側面もボコボコですが、まだまだ使えるし、何より、いろんな思い出が染み込んでいて、気がつけば、いつも一緒にいるんですよね...
今年から新しい相棒になったEOS7。一眼レフはAE-1、F1ときて、こいつが三代目。マグネシウム合金ボディのF1は、20年、そうとう過酷な条件下で使ってもマイナートラブルするないほど堅牢でしたが、プラスチックを多様したこいつはどうでしょう? ボディは一体整形なので、F-1より、砂や水が内部に侵入することは少なそうです。また、非常にコンパクトで軽いのがいいですね
いろいろオチャメを見せてくれるMGF。これは、ドアの内張りを剥がしたところ。修理や調整のために、何度も剥がされた防水フィルムは、ガムテープで継ぎ接ぎだらけ。いっそのこと剥き出しのままにしておいたほうがメンテナンスしやすいかな...。下は、爪の折れたウインドウストッパー。出来そこないの部分が多い道具ですけど、それを気にさせない魅力があるんですよね...
先月、取材用車両として借りたトライアンフの「タイガー」。車体の下に見える染みはガソリン! 誰かが、タバコをポイッなんてやったら...こういうトラブルは、さすがに「イギリス車はオチャメ」なんて悠長なことは言ってられませんね。だけど、メーカーのほうが対策を施したマシンを用意してくれるというので、仕切りなおしで、次の旅の相棒にしてみるつもりです

 

――― uchida

 

01/10/19
子供たちの現金収入

 今朝、多摩川の川原をジョギングしていると、叢からたくさんのイナゴが飛び出してきました。おもわず、足を止めて、「これをみんな捕まえて、和知川魚店に持っていったら、いくらで売れるだろう」と想像してしまいました。

 和知川魚店とは、ぼくの生まれ故郷の町の中心部を貫流する七瀬川という川の岸にあった川魚を加工して売る店ですが、ここでは、秋になると、子供たちからイナゴを買い上げてそれを佃煮にして売っていました。

 まだ小学校の低学年の頃、学校が引けると、近所の幼馴染、デメちゃんとジロチョーと家に飛んで帰り、ランドセルを放り投げると、大きなビニール袋と虫網を持って、そのまま野原へ行きます。

 そして、三人が横に並行になって、叢を絨毯爆撃よろしく行進していきます。驚いて飛び立ったイナゴを虫網でさらい、すばやくビニール袋に入れる。小一時間もすると、けっこうな大きさのビニール袋が一杯になる。それを和知川魚店に持っていって、買ってもらうわけです。

 たしか、キロ10円くらいの相場だったと思います。三人で50円くらいの成果を上げて、それで、駄菓子屋で豪遊するわけです。

 イナゴの他に、ゼンソクに効くセンブリを採って友達の父親に買い上げてもらったり、春には、田んぼの用水路でどじょうやザリガニを採って、やっぱり和知川魚店で買い上げてもらいました。...どじょうは食べられるけど、ザリガニはどうしていたんだろう? 今考えると、謎です。

 それから、ぼくはやらなかったけれど、ちょっと目先の効いた子は、霞網を仕掛けて、とれた野鳥を焼き鳥屋に持ち込んだりしていました(当時もこれは違法でした...けど、金物屋や農機具を扱う店では、けっこう堂々と霞網を売っていたんですよね)。

 思い返すと、ぼくたちの子供の頃は、とてもたくましかったような気がします。今でも、第三世界へ行くと、子供たちが物売りをしたり、山や川でいろんなものを採って現金化したりしていますけど、「昔はああだったんだよなぁ」なんて、思わず微笑んでしまったりします。

 野山を駆け回っていると、現金にできる獲物はそこらじゅうにあったし(といっても、それで生活費の足しにするというようなものではなくて、キナコ飴とかベーゴマ、メンコ=ぼくたちはパースと呼んでいました=になってお仕舞いでしたが)、木苺やアケビがそこらじゅうにあって、おやつも現地調達で賄っていました。考えたら、もう、まるっきりアウトドアだったわけです。

 当時の子供たちは、みんな優秀なハンターでしたが、一つだけ、あこがれの獲物がありました。それは、ウシガエル=ぼくたちはガマガエルと呼んでいました=でした。山の中の池で、「ヴンモゥ〜〜!」と、独特の低いくぐもった鳴き声をあげる大きな食用カエルです。これは、子供たちにとっては信じられない値段で売れたんですね。

 だけど、こいつは、そう簡単には捕まらない。小川で捕まえたザリガニの身を凧糸に括りつけて捕まえようとするけど、滅多なことではかかりませんでした。

 ところが、このウシガエルを専門に捕まえる業者があって、長い竿に先端にゴツイ鉤針をつけた道具で、いとも簡単に釣り上げてしまうんです。そんなウシガエル採りのおじさんに出会うと、ぼくたちは、その手並みをうっとりと眺めていたものでした。 

――― uchida

 

01/10/14
虫の声

 昨夜、自宅で何をするでもなくぼんやりしていたら、ふいに表から虫の鳴き声が響いてきました。

 アパートの目の前がゴルフの打ちっぱなし練習場で、ベランダの窓を開けると、クラブでボールを叩く乾いた音ばかりが響いているのですが、いつのまにか、終業の時間になり、乾いた音が止んで、その背景にあった虫の声が際立って聞こえてきたのでしょう。

 ぼくは思わずベランダに出て、ただぼんやりとその虫の競演に聴きほれていました。

 今、この歳になって聴く虫の声は、心を癒してくれたり、様々な記憶や感覚を蘇らせるクオリアのように働きます。だけど、子供の頃には、虫の声がどう聴こえていたのかと考えると、その意味作用は、まったく別のものでした。

 陽のある時間のすべてを表で走り回り、ありあまる体力を使い果たし、家に戻ってすぐに夕飯の席につくと、すでに半分眠りの世界に足を突っ込んでいる...そんな夏を過ごしていたと思ったら、いつのまにか季節は秋。

 秋になっても、子供のありあまる体力や遊び続けたい気持ちに変わりはありません。だけど、短くなった陽は容赦なく沈んでしまう。通りかかった大人たちが、「陽が暮れたら、子供はうちに帰らなきゃダメだよ」なんて注意していくのだけれど、そんな注意もどこふく風と、子供たちは、夕闇の中、手探りしながらでも、夢中になって遊んでいる。

 だけど、かくれんぼで叢に身を潜めていたりするうちに、虫の声が、ふいに耳に飛び込んでくる。すると突然の夕立に遭ったように、夜の怖さや寂しさに襲われる。蒼い月明かりに照らされて怪しく揺れる尾花に、祖母が言っていた言葉を思い出す。「陽が暮れるまで遊んでいる子供は、神隠しに遭うんだよ」。そして、尾花を揺らす風の寒さに鳥肌がたって、もう、叢に隠れていることができなくなり、かくれんぼのことなんか忘れて、家へ向かって駆け出す。...すると、そんな気分はたちまち他の子供たちにも伝染して、気がつくと、みんな無言で走り出している。

 虫の声に追われ、冷たい光を放つ月と並んで走りながら、「どうして、こんな怖い山の中で陽が暮れるまで遊んでいたんだろう」と、半べそをかきながら後悔している。子供たちの心の中には、闇の世界への素朴な畏れがあって、虫の声は、太陽の元の明るい世界から月光の支配する闇の世界に切り替わったことを告げるシンボルだったのでしょう。

 祖母は、秋になるとどこからか鈴虫を貰ってきて、それを虫かごに入れて、鳴き声を楽しんでいました。ぼくは、その声を聴くと、廊下の外れにある厠へ行くのが怖くてたまりませんでした。

 今、虫の声は、子供の頃のようには耳に響きません。それは、大人になって、いろんな理屈で頭でっかちになったせいなのか、それとも、自分自身が闇の世界近づくにしたがって、それに対する畏れが少なくなっていくためなのでしょうか?

 WEB上で虫の声を聴けるサイトがあります。「虫の音world」(http://mushinone.cool.ne.jp/)。あなたは、虫の声がどんなふうに聴こえますか?

*果たして、アフガニスタンの山野では、秋の虫は鳴くのでしょうか? アフガニスタンで秋の虫が鳴いているとしたら、岩陰に潜んで息をこらしている特殊部隊の兵士や、空爆に怯えて空を仰ぐタリバン、攻撃準備に余念がない北部同盟の兵士、そして、何もないキャンプで飢えに追い詰められている難民たちの耳には、それぞれ、どのように聴こえているのでしょうか...。

もう、山はすっかり秋の装いです。虫の声をBGMに星を眺めるのもいいですね。来月は再びしし座流星群。今年は、とっておきの場所で眺めるつもりです
 

――― uchida

 

01/10/09
荒ぶる力

 一昨日から昨日へと日付が変わろうとする頃、東京へ戻ってきました。今年二度目の「ツーリングマップル」の実走取材でした。

 病み上がりで、まだ足に関節痛が残っていたので、オートバイの乗り始めは辛いものがありましたが、走り出してしまえば、秋風を切り裂いて走る爽快さに、どんどん体調も良くなっていきます。やっぱり、ストレスが病気のもとなんでしょうね。こんなことなら、これからは調子が悪くなりかけたら、オートバイに跨ってどこかへ出かければいい...なんて、そういった了見から、今回は病状を悪化させてしまったんだっけ。

 今回は、担当にしている中部北陸のちょっと地味なところを回ろうということで、まずは、長野県の茅野から、国道152号線に沿って、奥三河の足助まで行きました。

 長野から愛知にかけてのルートは木曾谷と伊那谷が有名ですが、今回は伊那谷よりもう一つ尾根筋の東側の谷を辿りました。ここは、地質的に日本を東西に分ける中央構造線が走っているところで、谷底を流れる河岸には、黒と茶色の明確に異なる二つの地層が、まるで陰陽が混じるかのように相互に入り組んでいます。

 それは、地球の中心から湧き上がってくる北と南のプレートが、たがいに押し合っていることを実感させるものです。地震のメカニズムを説明するときに、異なるプレートが押し合うモデルをよく使いますが、それを大地そのもので見せられると、やっぱり迫力が違います。

 この中央構造線と、さらに静岡から新潟にかけて日本を東西に分けるプレート境界「フォッサマグナ」が交わるあたりに分杭峠があります。

 ここは、巨大な断層が交わるためにそれぞれの磁場が干渉して「ゼロ磁場」となる場所として有名なところだそうです。

 「ゼロ磁場では、ものが腐りにくくなったり、生命エネルギーが活性化される」なんて言う人たちもいますが、そういった根拠のない盲信は論外として、分杭峠は妙に静かな雰囲気の場所でした。

 ただし、その静けさというのが、ぼくにとっては、気分を落ち着かせるものではなくて、異様なものでした。これから大きな天変地異が起こることを察知した生き物たちがみんな逃げ去った後に死んだような静けさだけがあるといった感じです。

 峠にいると、何故か落ち着かず、ぞわぞわと背筋が寒くなってくるのは、この前の旅で訪れた皆神山と同じ感覚でした。

 この谷筋にはほとんど集落がありませんが、それは、もちろん山が深くて不便だということもありますが、それ以上に、目に見えない自然の力が強すぎ、生々しいために、人が居続けることができないためという気がします。

 そういうことを人間は、自分で意識しなくても感じられるものです。こういう場所は、都会生活のストレスで+側に行き過ぎてしまった「気」を−側に引き戻す力を秘めているのかもしれません。でも、そこに居過ぎると、今度は−側に振れすぎてしまうでしょう。

 中央構造線の北にはそれと並行して伊那谷が、さらにその北には木曾谷が走っています。それは、船が海上を進むときに、両側に波紋を残して行くように、地面を伝わる力が、山脈という大きな波を残したように見えます。フォッサマグナに沿った波は、南アルプス、そして北アルプス...そんなふうに山を見ると、とてもダイナミックな地球の息吹を実感できます。

 足助からは、美濃を抜けて、根尾谷へ行きました。1891(明治24)年10月28日、ここを震源としたマグニチュード8の濃尾地震によって、垂直方向に6m、水平方向に8mもの巨大な断層ができました。それが、今でもそのまま残されています。これもまた、地球が生きていることの明確な証です。

 そして、今回、もっとも期待していた場所、京都の鞍馬山まで足を伸ばしました。

 鞍馬といえば、義経が幼少の頃から少年期を過ごした場所、そして、様々な伝説に彩られたところです。ぼくは、「チキサニ」の中でも義経の足取りについて触れたように、彼が鞍馬を出て藤原京へ入り、そして再び歴史の表舞台に登場するまでの足取りを追ってみたいと思っています。

 鞍馬山のご本尊は「魔王」です。

 他に「魔王」を本尊にした場所などは聞いたことがありません。鞍馬の語源は宇宙から降臨したその魔王サナートクマラの「クマラ」が訛ったものだという説があったり、ヒマラヤの麓に古くから伝わる「ウエサクサイ」という祭りと同じ祭りが平安時代から行われたりと、不思議に満ちた場所です。

 京都に都が置かれた平安の時代から、鞍馬は一種の魔界として人々から畏れられつつ、深い信仰の対象となってきました。

 ここも、地球の内部からある種の力が湧き上がるパワースポットといえるでしょう。中央構造線から湧き上がってくる力、根尾谷に大きな断層を生み出した力、そして「魔王」というメタファで語られる鞍馬に秘められた力、そういったものは、非力な人間にはとうてい制御できない「荒ぶる力」です。

 鞍馬山の本殿を礼拝し、さらに奥の院へと進む道は、物見遊山の観光客を拒むように、登山道そのものでした。

 そして、人づてに聞いてその途中から向かった鞍馬の秘域ともいえる龍神の池には、供えられた新鮮な卵が、何ものかにむさぼり食われ、その殻が散乱していました。

 奥の院から貴船神社へと至る道には、ハイキングを楽しむ人たちがちらほらと見られたものの、一種壮絶な雰囲気の龍神の池の周辺には人影もなく、暗く、波紋一つたたない龍神の池の底にはまさに魔王が息づいている...。

 闇でありながらそれを受け入れれば暖かみすらもたらす力が鞍馬には感じられました。一歩毎に電気が走るような痛みをこらえつつ鞍馬の山を歩いてみると、ここで暮らしていた義経の思いがよくわかったような気がしました。

木曽の山並みの向こうに沈む夕陽。地にダイナミックな地球の脈動があるように、空にも「荒ぶる力」が満ちています。こんな夕景を見れば、誰だって敬虔な気持ちになるはずです 今回の旅の相棒は、タフでどこにでも入って行けるBMWF650GS-Dakar。オートバイの良さは、移り変わる土地の空気をダイレクトに感じられること。そして、ライディングという行為が感覚を研ぎ澄ましてくれることです

 

――― uchida

 

01/10/02
大病とpalm

 いやはや、思わぬ大病になってしまいました。

 先々週のはじめから、先週の土曜日まで、丸々二週間も寝込んでしまいました。ここまで酷く患ってしまったのは初めてでした。

 最初は、不摂生と無理がたたって、持病の痛風が出てしまったものの、本格的に悪化する前に、軽い運動と水分の大量補給でなんとかやりすごせるだろうと考えたのが浅はかでした。

 右足付け根に怪しい兆候が現れたときに、ジムでランニングは控えて自転車をいつもの倍こなすと、以前、同じような状況に陥ったときはそれで症状は緩和したのに、痛さが倍増して、歩くのも辛いほどに。そして、水分を意識してとったのはいいけれど、今度は、それが排出されず、浮腫みが出て余計に辛くなる...。

 そのまま寝込むことになってしまい、一週間でなんとか右足はおさまったと思ったのもつかのま、今度はなんと左足に症状がスイッチして、同じことを繰り返してしまいました。その間、鎮痛剤を飲み間違えて症状がさらに悪化し、尿毒症まで行ったり、痛みで三日間まったく眠れなかったり...何の因果か罰か、ほんと散々な目に遭いました。昨年は大怪我、今年は大病、どこかで厄払いしないといけないですね。

 ところで、そんな中、不思議なことがありました。

 寝込んでいる間にインプレッションを兼ねたツーリングの取材に使う予定だったオートバイが、燃料系統の不調で、ガソリンが噴出すというトラブル。ちょうど、最初の症状が改善しかかって、なんとか予定通り取材に行けそうだという矢先に、このトラブルが起こりました。

 タンクの付け根から漏れたガソリンが、燃料ホースを伝って、エンジン周辺に滝のように流れ落ちてきます。そしてマシンの下には、ガソリンが溜まりになるほど...。もし、そのまま症状が回復していたら、このトラブルに走っている最中に巻き込まれたかもしれません。

 これは、病気が悪化してかえって命拾いしたといえるかもしれません。結局、そのオートバイは、メーカーが引き取りにきて、そのまま修理に回されました。

 寝込んでいる間、痛みであまり集中できなかったのですが、本を読みました。

 スティーブン・キング『骨の袋』、ヨースタイン・ゴルデル『カードミステリー』、そしてスティーブンソンの『宝島』です。

 『骨の袋』は、キングらしいなんでもない日常から微妙なボタンの掛け違いのようなズレが生じ、それがどんどん大きくなって予想もしない事態に陥るというホラー。これは症状が悪化する前から読み始めていたもので、ストーリーが気になって、痛さを堪えながら読みました。

 『カードミステリー』は、以前、人から勧められてもらったものの、なんとなく童話仕立てのような表現が馴染めずにずっと放ってあったもの。今回、回復するまで、時間がかかりそうなので、溜まっていた哲学書でも読もうかと手を出したのですが、さすがに痛みを感じながら頭を使うというのは無理で、何気なく手にとったこの本のトーンが、ちょうどぴったりでした。

 トランプの53枚のカードに秘められた謎が、少しずつ、嵌絵のように見えてくる構成には感心しました。そして、トランプそのものが古代の知恵を反映した一種の暦ではないかといった推論まで交えてあって、とても読み応えがありました。

 トールキンやミヒャエル・エンデに代表されるように、ヨーロッパの童話というのは、そこに秘められた哲学的な意味がとても深いんですよね。文体が子供向けだからと、バカにしていたら、せっかくの佳作を読みそこなってしまいますね。

 そして、『宝島』は、今、続きを読んでいるところです。

 PDAの一種であるpalmOSで動くDOCファイルというのがあるのですが、それで編集された電子ブックです。片手に収まるVISORに入れてあって、寝転がったり、電車の中で、画面に呼び出して読んでいます。

 今まで、簡単な論文のようなものはCEマシンの画面で読んだりはしましたが、小説を丸ごと読むのは、これが初めてです。

 VISORは画面の精細度があまり高くないので、画数の多い文字などは線が飛んだり、つぶれたりしてしまいますが、さほど不自由に感じずに読み進めることができます。

 じつは、VISORを手に入れようと思ったのは、これで小説を読むのがひとつの目的だったのです。50年以上が経過して、著作権の切れた作品が、どんどんDOCファイル化されて、フリーでダウンロードできるようになっているのですが、DOCファイルはとても軽いので、メモリーが8MBあるVISORなら、一台に何十、何百冊と小説を詰め込むことができるのです。

 長旅に出るときなどは、たくさん本を持っていきたいけれど、どうしても重くなってしまう。その点、電子ブックなら何冊でも重さは変わりません。片手でスクロールさせて読めるので、電車の中で立っていても、つり革から手を離さず読みつづけることができます。今度、ツーリングの取材に出るときには、文庫本を何冊も持たずに、文庫本より軽いVISORを一台持っていこうという寸法です。

 こいつは、モジュールを差し替えるだけで、MP3プレイヤーになったり、20万分の1の地図を内蔵したGPSになったりします。昭文社の取材には、まさにこのGPSが打ってつけなのですが、いかんせん値段が高いのが玉に傷。GPSは、今まで通り、別に持参することにします。

縦書き表示のできるフリーウェアをインストールすれば、まさに文庫本感覚で文章を読むことが出来ます。OBTの中身もDOC化して配布しようかな...。 これは、CitySynicというソフト。地図をスタイラスでグリグリと動かして、地図上にプロットされた必要な情報を呼び出すことができます。世界の主要都市を網羅しているので、海外旅行にとても便利!

 

――― uchida

 


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