2000/01/08
3rdミレニアムのキーワード
あけましておめでとうございます。
今年は、新年早々に法事があったりして、ようやく今ごろになって、新年を実感しています。それにしても、ついに2000年になりましたね。
キューブリックのあの名作が描いたのは来年のことですが、あの叡智の源であるモノリスが、再び人類に光臨するのは、間近のような気がします。やっぱり、新しい千年紀に入ったという意識が強烈にありますものね。2ndミレニアムは物質と戦いの1000年でしたが、3rdミレニアムは精神と調和の1000年になりそうな予感がしています。
バラバラだった人の心が一つになる。その軸となるのは、やはり『自然』ですね。このサイトもメーリングリストをスタートして、よりインタラクティヴに盛り上がってきました。これから、どんどん上り調子でいきたいと思いますので、よろしくお願いします!
正月の間、実家に帰省していて、寒々しい話を聞きました。
ぼくの実家は、茨城県の海岸沿いのほうで、例の東海村からもさほど遠くないところにあります。原子力施設に勤めている知り合いもかなりいます。その関係の人間から聞いたのですが、例のJCOの臨界の事故があったとき、他の原子力施設で働いている人たちは、「JCOで事故」と聞いて、「あそこの事故なら臨界に違いない」とすぐに判断して、自分の家族たちを警報が出る前にいちはやく疎開させたそうです。
どうも、JCOに対して発注をかけていた側では、無理な操業を強いていて、それがどんな結果に結びつくか予想していたようなんです。これは、ほとんど未必の故意による殺人といえないでしょうか?
一方で、原子力産業と関係ない人たちは、見捨てられたも同然で、公式発表などより二桁も三桁も多い人たちが深刻な被爆をしたようです。ぼくの母親は、「あんたが前に言っていたようなことがほんとに起こってしまったね。もう、ほんとならこのあたりは人の住めるところじゃなくなってしまったんだね」と、いつもながらの長閑な風景を見渡しながら、寂しそうにつぶやいていました。
今回、あの事故以来初めての帰省だったのですが、いつもなら騒がしいほど鳥の声がするのに、まったく聞こえないのが、心底不気味でした。母親は、あの日、たまたま用事があって、水戸のほうへ向かったのですが、途中、国道51号線が封鎖されていて、目的地に行き着けなかったそうです。「戦争中だって、あんな戒厳令みたいなことはなかったよ。みんな息を潜めて家に篭って、何を信用したらいいのか、何をどうすればいいのかもわからなくて、こんな不安なことはなかった……」。
たまたま特攻隊が施した処置が効を奏して、臨界は収まりましたが、あのまま続いていたら、まさに周辺の住民は、自宅軟禁されたまま死を待つようなものでした。新しい千年紀に人類が健康に生き残るためには、まずは、原子力という十字架をなんとかしなければいけないのかもしれません。あの事故で亡くなった大内さんのDNAはズタズタだったそうです。何も知らずに痛ましい犠牲者となった大内さんのご冥福を謹んでお祈りしたいと思います。もう、同じような犠牲者をけして出してはいけません。
オランダでは、新時代に人類が自然と共生していくために、太陽光や風力といったクリーンエネルギーを普及させるための専門の省を作ったそうです。
ぼくたちも、何が本当に必要なことなのか? 人間らしい生活とは何か? といったことを徹底的に考え、それを実現するためにどうすればいいのかを真剣に問なおさなければいけないですね。
――― uchida
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