Kawakatsu HP(dti), Kawakatsu HP(KABA), 過去の蓄積, 瞬間

瞬間・・ほんの一瞬だったが・・


 二大都市が隣接するこの地域は、当然のごとくに、鉄道各社が、それのあいだの移動人員の確保をもくろんで、旅客獲得競争に凌ぎを削っていたのだが、そんな鉄道の一つ、最も北寄りに位置する鉄道である、Y電鉄に、彼は乗車していた。二大都市の一つK市の繁華街に位置するS駅から、彼の自宅の位置する二大都市の反対側の衛星都市のA市の外れの最寄り駅までの運賃である二百五十円分の切符をポケットに忍ばせていた。まあ、忍ばせていると言っても、もちろん、「ナイフ」のように相手を傷つけるような、行動を支援するようなことはもちろんなく、かといって、暴かれては、たまらないと言う、「第二の恥部」的な、自分一人にしかその存在を知り得ないようにしたいと思うようなものでもない。まあ強いて言えば、その切符の発行番号の四桁の数字を利用して、その順番を崩さずに間に演算子(それも四則演算に限る)を挿入して計算し、その答えが、十になるように(別にその日の日付でもいいんだが)するという作業をするということを思い出したくないと言ったことがあるぐらいなものである。(つまり、その事についてある事件があって、それ以来コンプレックスとして、のしかかっているのである。)そんな彼が、家路についているでのである。そんな言い方をすると、どこからか、あのメロディーとあの歌声が、聞こえてきそうであるが、あえて、それには目を向けないでおこう。今敢えてその事について、考えなくても、どうせ中途半端になってしまうのなら、少しはましなように、別の機会に譲るべきだと考えられるからである。そういう事で、彼の、家路に・・。敢えて言い換えて、帰路とでもしておこうか、そう帰路について集中することにしよう。

 ひとつめの駅に到着し、短い停車時間の後、ドアは閉じて、再び電車は走り始めた。この列車は途中までは各停で、途中から急行になると言う、沿線の人口とその利用方向を考慮して生まれるよくあるパターンである。つまり、今は、その各駅停車の状態であった。「急行」とは名がついているが、途中までは、普通と何等変りない。しかし、彼がその列車に乗った理由というのがもちろんあって、彼は、足が疲れていたという事である。長時間の歩行によって、足の疲れが、限界に近いものがあったのである。彼の考えは、それに支配されていたのである。ほとんど亡霊の声で、「せき・・・席・・」と呟いていたほどの状態であったので、あまり乗り換えの必要がなく、かつすいている、という条件をもって、待っていた列車が出発し、その直後に入ってきた「急行」が、その条件に合致したわけである。そんな瞬間にも、高速な交通機関は、容赦なくその距離を進めていっているのは、誰も否定できないことである。もちろん、彼も、もうだいぶ日も落ちてしまって、かなり暗くなっている外の、そのせいで、流れているかどうかも、わかりにくくなっている景色を眺めながら、感じているのであった。ほとんどその事は、たまに襲ってくる、「くり返しCM効果」つまり、何度も聞かされている、言葉が、ひょんな事で、口に付くと、それが、頭から離れないそういった効果であるが、それにも似たものがあった。そうこうしている間に、ふたつめの駅に、電車が、滑り込んだ。客は、ほとんど降りない。何人かが乗ってくるだけであった。その電車は、ロングシートと呼ばれる、六・七人がけの椅子が、進行方向とは直角の方向に、、向かい合わせに配置してある、椅子で、彼は、ほとんど無意識的に、その長椅子のひじ置きを使用する立場になれる位置、すなわち、端に着席していたのであるが、もちろんそれは、最もドアに近い位置にいることにもなるのであるが、その事は、彼を微妙な立場に置くことになることは、実は必至であった。一言で言うと、「葛藤」である。「ひじ置き」があって、それにもたれ掛かるという、安楽と優越感に浸れるという事と、その時期は、暦では十分に春になったとはいえ、よくある、冬へ逆戻り現象に陥っていたので、鼻炎を引き起こす、杉花粉は、まき散っているくせに、雪まで、たまにではあっても降らしてしまうと言うほどであったので、停車毎に、その寒さを一番もろに受け取ってしまうと言うこととのである。本音では、もちろん、後者が勝っていて、今にも逃げ出したいところであったが、いかんせん、体の自由がきかない。特に、足が、である。とても、立っていられる状態ではなかった。もちろん、席を移動するというその足に相当負担がかかることは、思い付きもしなかったし、したくもなかった。そういうわけで、下手な言い訳で、自分に言い聞かせて、前者を勝利者にしておくのであった。もちろんこの葛藤は、停車駅毎に起こることであって、電車の走行中には起こらないことであった。

 プシューッ、という音とともにドアは締まり、ゆっくりと動き始めた。彼は、ドアがしまる瞬間は、いつも決まって、細かく震えるのであった。「冬の朝一番の小便現象」とは反対の効果のせいだとも思えるが、彼に言わせると、そうではなく、どうも、あの音が、ポイントらしい。ある文字をぬくと、どうも彼の微動が、ひきおこされるというのである。つまり、彼は、その作業まで含めて、あの音を聞くたびにやってのけて、微振動を起こしているのであった。どうも、彼は、ある意味で変態という言葉が似合いそうな側面を持っていそうである。しかし、もちろんそのレッテルというのは、ほとんど普通の視界では見えないもので、それこそ、股間から、首だけだして、上を見るようなことをしてはじめて、それを発見できるような程度のものではあるが。

 電車は、次の停車駅を目指して、もうすっかり日がくれてしまった住宅街の中を走り続けていた。彼は、時々、一時は疲労の限界に達していた足を揉んで、その回復を図っていたりしていたが、ほとんど、それは、演技に近いものがあって、彼は、手持ち無沙汰として、そうしているだけであった、といってもいいだろう。何か、小説でも、持って来ていれば、と思ったが、あいにく、彼の鞄には、時代劇スタートして今でも、ある集団からは根強い人気のある、Sの歌うカセットテープが、それこそ、「忍ばせて」あっただけであったので、そういう事を望むべくもなかった。それで、彼の手の、ほんのゴマカシのような気持ちで、そうしただけの事であった。彼が、そうやって時間をもてあましている間にも、電車は、次の、特急待避駅である、三つめの駅をめざし、疾走しているのであった。

 夜の帳(とばり)もすっかり降りてまいりました・・。そういった言葉があったかな、そんなほとんど今の状況とは関係のないことを考えながら、どうも、自分の今の境遇が周りのそれと比べて、どうもいいものではないのではないかという事をまるで思い出すかのように、ふっと思う瞬間を持ったりもしていた。それにしても、周りが静かである。電車の走行音をのぞいては、人の話し声が、聞こえてこないのである。春休みに入っていることとが最も大きな原因だろうか、まあ、今でなかったとしても、下校時間とは随分かけ離れた時間帯であったので、どちらにしても、彼らがいないことが、その主たる原因であろう。それにしても、静かであった。そもそも、電車の中が騒がしいという事はかえって異常という事なのである。彼は、一瞬そういう事に気付かないでいたのであるが、それが枯れの習慣的に経験してきたことなので、仕方のないことであろう。電車は、高架を走っていたのが、すでに地上に降りてきており、もうそろそろ、駅に停車しようと言う頃になっていた。その頃になると、暗かった景色も、だいぶ、街灯などの明かりが増えてきて、だいぶその景色がわかるようになってきていた。彼は、足を揉んでいた両手を、足から離して、モミ手をするような仕草をした。駅に停車してからの状況を予測しているかのようである。そうしている間に、窓からは言ってくる明かりが、最大限に達し、駅に到着したことに気がつくことになる。ここは、三つめに駅で、先程もいったように、ここで、特急を待避するために、少しの間、停車するのである。

 プシュー、あの音をまた立てて、ドアが、開いた。じわじわと、例の寒さが、入り口から入ってくる。しかし、彼は先程の時よりほどは、厳しいものとは思わなかった。さっきの予想が功を奏したのであろうか?それもあったかもしれないが、別のこともその原因となっていた。

 その駅では、乗り降りともあるようだった。駅の規模としても、先の二つを含めて最も大きいため、そうなのであるが、学校等が、多くあること、住宅街が近いことももちろんその理由となっていた。そういう事もあって、彼の座っているところに一番近いドアからもなってくる人が何人かあった。男が友達同士だろうか、二人、あと女性が三人二人は、いわゆるおばあさんで、これ又、友達同志のようで、大人げなく、まるでそこら辺の子供のように(といっても、最近の子供は、もっと、たちが悪いかもしれないが。)談笑しながらのご入場であった。見ているだけで、化粧のにおいを感じてきそうな、(実際にはにおわないかもしれないが)そんな風貌を二人は呈していた。そのショックで、その二人から視線をはずせないでいた、彼に、本当に偶然であるが、彼の方向に向いていたほうの一人の視線があってしまったのである。その瞬間には彼は、その事実をすぐには受け止められなかった。あまりにも唐突なことだからであったからである。しかしそのせいで状況を悪化させてしまうとは、その時の彼には気がつく余裕などあろうはずがなかった。ほぼ放心状態だったのである。

 「なによ、しつれいね!」そんな事をいったしか思えない殺気を彼は、読唇術を使わないまでにも感じ取ったのであった。その殺気の衝撃で、反射的に目をそらしてしまったが、しかし、それにしても、「しつれいね」とは何だぁ。彼は思った。ほとんど、彼女がそういったかという事は明らかでないのにである。しかし、それは、彼には確信を持って迎えられている「事実」となっていたのである。実際それは、事実だった。彼女は、声にも出さないまでにも、そういう雰囲気を出していたのである。本心から、そういう事をいったのだろうか。それは、ほとんど謎のようではあるが、恐らく、反射的に、彼女の年の人々に共通する性質が露呈した、というべきであろう。しかし、彼は、とんだ災難である。ほとんど、「痴漢」に扱われたのであるからたまらないのである。本心からではなくても、その行動は、ほとんど同じであって、相手に与える影響は、寸分違わないものである。それにもかかわらず、その事を知ってか知らずか(恐らく、わかっていない方にほとんど傾いているだろうが)それを遠慮も躊躇もなくやってのけるのが、そのエネルギー異常の恐ろしさである。

 これはしまった、彼は、公開しても仕方がないとは知りながらも悔やんでしまうのが、どうしようもないやり切れないという彼の気持ちをも表しているのであった。彼は、その悔しさにもめげず・・・・・・・、に、気を取り直してそれを自分に言い聞かせる意味も含めて、座り直したりもしながら、落ち着き、はからおうという事を企てたのである。もちろんこの行動は、かえって不自然さをかうこととなった。しかしそれ以上によい方法を知る由もなかったので、彼にはそれしか方法がなかったのである。何重にも渡るその攻撃は、その恐ろしさをまざまざと感じさせるには十分すぎるほどのものであったのである。恐ろしかった。

しかし、彼が、そう苦悩している時には、その等の彼女は、隣にいる友達との談笑に復帰してしまっていて、先程の事などはほとんど頭の片隅にも残っていなく、そんなことはどこ吹く風、といった態度になっていて、もう彼の事などは記憶にすらなかったのである。ほとんど自分に影響なく相手に甚大な影響を及ぼすという、木造家屋密集地域に焼夷弾を食らわすが如くの恐ろしさを見方によっては持っているのである。もちろん、ある条件は必要ではあるが、丁度、この関係では、それが絶妙なところで合致してしまったのが、彼には不幸であった。

 そうやって彼が苦悩しているときにも、もちろんほかの人物たちが、消えてしまったというわけではない、あたりを見渡すと、その時間相応の人間は車内に存在しているのである。彼には、そういう事すらわかる余裕がなかっただけであった。もちろん、それに、もう独りは言ってきていた女性というのも消えてなくなっていたわけではなかった。

 彼女は、彼が苦悩し始めて暫くしてから、ドアのそばの取っ手にもたれ掛かるようにしてそこに立っていたのである。彼は、しばらくの間は、その事に気付かないでいたが、その気持ちが落ち着きにつれ、気がつき始めていた。彼は、彼女を丁度、視界の端の方で確認できるような位置にいたのであるが、顔は動かさないで、そのままの視界で、その視界の端にある、彼女に彼は集中した。そこまでは、ある意味でそういう事に飢えている彼にとっては、よくある、日常茶飯事であったのだが、どうも違うように感じることがあった。どうも、「気」を感じるのである。どう言葉で表したら良いかわからないが、とにかく気を感じるのである。何かぴんと来るものがあった。それゆえに彼のそれへの集中の度合が時間につれ増大していくのを彼自身が感じるぐらいにそうなってきていた。

 彼女は、この列車の行き先である、二大都市の大きいほうである都市に行こうと考えていた。それで、この駅から、この電車に乗ったわけである。彼女は帰途がごみごみしているところは嫌いで、それゆえ、大体、立って乗るときには、今のようにドアのそばに立って乗るのが普通であった。朝の満員の時はどうしているかは、謎ではあるが、(本人もその時は乗るのが精一杯であったりする。)ほかの時間帯の時にはほとんどそういったことになっていた。その日も、ご多分にもれずその位置に立ったというわけである。その時は、一見すると、その駅付近の高校か中学の制服にみえないこともない色でその胸のあたりには、それらしいポイントがあり、その上から、コートのようなものを羽織っていたのである。その時には、どうも気になる気を感じたのか、普通であれば、ドアの方を向いてもたれ掛かるのではあるが、その状態とは丁度反対向きになってたっていた。彼に言わせれば、この事自体が、彼に「気」を感じさせることだろうが、彼女自身としては、単に、「乗り物は、進行方向に乗るもんだ」主義に従って、奇妙ではあるが、そういう体勢で立ってみただけの事であった。まあ、確かにそれだけではなかったと言えばそうなのだが、少なくとも、彼に「気」を送るためであったという事だけは否定できそうであった。

 彼にしては、そんなことはほとんど頭の中にあろうはずもないことであった。こちらを向いているという事だけで、「気」を感じるほどであったので、そんな事とはまったく感じていなかった。それで、その視界の最右端に感じていたそれにより多い集中を持つようにしていったのである。それに従いその、「端視界」状態では我慢できなくなったというのは十分考えられることであり、実際彼はそういう心境になってきており、後は、いかにそれをどのような具体的な行動に表すかということを決定するだけであった。その様な考えの進行であったので、容易に予想が付くところであろうが、小出し小出しにその行動に出るという事でそれを実現に至らしめたのであった。

 ちら、ちら、まるで、見てはいけないものに対する扱いが如くに、その視線の移動は、行われていくのである。彼は、その行動を冷静な立場ではもちろん即止めるべき行動だと思ってはいたが、その立場の意見の影響はほとんど影響力を既に持っていなかった。それ、いくんだそれいけ、とその行動を助長する考えがほぼ彼の頭の中を制圧してしまっていたのである。

 彼女は、その終点のある町にいって、そこで、友達と待ち合わせになっていた。「とりあえず、買い物でもして、それからは、適当にその時に考える。」といったような単にあいてとのコミュニケーションを楽しみに時間を割くといったような目的の事であって、特に、その曲者の「適当な」ということにどうも引っ掛かるところをおぼえていた。いつも、その「適当に」という事で決まると、いざそれを、具体的にする段になってから、なかなかそれが決まらずに、結局、対したことができないからである。まあ、今日は、少なくとも「買い物」という強力な助っ人があるので、何とかなるような気にはなってはいたが、もしこれが、始めから「適当に」という事であれば、いったいどうなっているかと言うことは、彼女の経験から、あの夏の日の悲惨な経験から、火を見るより明らかといったところもあったので、その強い印象から、それが引っ掛かって仕方がなかったのである。そう、よく考えたら、今の時間からいくとすると、その重要な助っ人の、「買い物」というものもどうもあてにならなくて、短命に終わってしまうという事も十分に考えられる。これは、困った。これは、ちゃんとしたフォローを考えとかなければいけない。

 彼女は、どうも、一つの事が気になりだすととことんまで考えてしまう、そういった性質の持ち主のようである。これから合うという友達というのは、それほどのものは持っていないようではあったが。どうしても、友達に注意されようともそれだけは直せないでいる彼女であった。事実今この瞬間にもそれを実践しているのである。ほぼそれで頭が飽和状態になっていたというのは本当のところであった。それで、自然にからだの思うままに、向きを進行方向に向けただけであったのである。もちろん目の焦点はどこにあわすでもなく、空中のある一点について持ってこられていた。頭は、上にあげるはずもなく、心持ち下向き加減にもってきており、彼からちょっと見ただけでは、その方向を見ているように感じても、ちらちら程度では、見まちがえてもしかたがないような状態にあったのである。彼女からすればただそれだけであった。

 電車は、そうしている間に四つ目の駅を出発したところで、少し住宅街もまばらなところに入ってきて、外の景色には、街灯があまり目立たなくなってきていた。彼は、先程から始めていた、ちらちら作戦に、不自然さを感じてきていたので、それを何とか、良い方向にもっていこうと画策し始めていた。しかし、一端それを止めてしまうと、どうも、自分のやっていることに愚かさを感じてきてしまう。「こんなことをやって何になるんだ?」しかし、こう思うことは、彼の日常茶飯事の事であった。取り敢えずこの埒のあかない、この行動には終止符を打つ事にした。五つめの駅に着くまで、彼は、その唐突にできた「暇」をごまかすように、実は疲れていた両端を交互に揉み始めていた。それついでに、彼の癖でもあるのだが、周りをなめるようにではあるが、さらっと、眺めてゆくのであった。おっちゃんやら、子供を連れた奥さん、男子学生や、サラリーマン、おばちゃんなどなど、しかし、前に昼間に見た、昼間から、ベロンベロン状態で、丁度短縮時間割りになっていて丁度下校時間にあたっており、そこに居合わせた、女子高生集団に「(口じゃいえません)しとんか?もうばんばんやっとるやろう?」と問い詰める光景があるわけはなかったが、この時間にも乗っている客は乗っている、ほとんど、「うまいもんはうまい。」というような標語的な意味しか表さない言葉で形容してしまうほど、ありふれた光景が続くばかりである。ただ、それがいつもと違ったのは、その眺めの最後の振り切る状態に近づくにつれて、その首の回転速度が落ちてくるところであった。何かを感じているのである、ある障害をである。それの感知によって、速度の抑制がかかってきているのであった。もちろん、彼は、それがなんであるかは、十分承知していた。しかし、それを忘れたいという気持ちもあった。それはもちろん、さっさとそれを振り切りたいという気持ちからである。しかし、考えた通りに物事は簡単に運ぶというものでもない。

 ぷしゅうー。その音がなって、ドアが開いた。その駅では、ドア付近の人間が主に降りていった。しかし、彼に一番近いところに立っていた彼女は、そのままの位置に居続けた。それは、そのどさくさに紛れて、ドアの方向を向いて彼は知った。その時初めて、彼は、彼女が、学校帰りの高校生でないことに気付いたのである。意識が過剰にいくあまりに、それすら知っていなかったのであった。再び、ドアが元の位置に戻って、電車は再び先程のスピードを回復して、夜の住宅街を走り始めた。駅の明かりで独特の照り返しを受けて、客たちのかおの色が変わっていたのがまた元のような蛍光燈だけの顔色に戻っていくのが確かめられた。彼は、それをほとんど確認していなかったが、変わりに窓を見つめていたので、自分の鼻の頭の変色によって容易に想像できることであった。

 「そうやったんか。」ほとんど人には聞き取れないような声でそう呟いた。よほど、嬉しかったとみえるが、実は、それは自分に対する照れ隠しのようなところであったというのが本当のところであった。「単に情報が知りたかって、それが達成できたという事に喜んでいるのだ。」という建前でそれをごまかしているに過ぎないのであった。それでも「喜ぶ」という点では共通しているのである。そういう意味で、それ程ひねくれた表現方法ではないとはいえるかもしれない。

 なんとなくその体勢をとっていた彼女はフッとしたことで、彼の妙な頭といい眼球というものの動きに気がつくのである。「ようきょろきょろすんなぁ。なれとらんのとちゃうけ。」言葉遣いはともかくとして、それ的な考えを彼に対して持ったことは確かである。彼女は、早朝番組のそれもラジオのそれでやっているような、モーニングコールに応募したのも忘れていて、無理矢理起こされ、ほとんど意識のない声を全国の聴取者たちに披露する事になったある一聴取者のようではなく、丁度起きる体勢になっていたときに丁度目覚まし時計がなって、楽に目がさめられたという状態に近いものを感じていたのであった。その次いでに、なんとなくその仕草がユニークに感じられたので、意識がそこへ徐々にではあったが集中していくようになった。

 彼は、一度彼女の方を向いたと言うことで、どうも、何か自信にあふれたような心地がしていた。「これで恐くはない。」いった何が恐くて、恐くなくなったのであろうか?それがわからなくても何かで、鬼の首をとったかのように集中攻撃のできることの優位性に対応していったのかもしれないが、それでは、ほとんどお門違いといったものである。しかし、どうにもその様な気持ちの収拾を図り得なかったので、口に出してそれを発散させたのであろう。しかし、実際には、その実際表すところの事は実現されていたわけではない。やりにくい物はやりにくい、なかなかうまく処理できるものでもなかった。

 そういった二人それぞれの思惑が駆け巡る中で、その駅での降車客の作った、彼の隣の座るスペースが、一.五人分ほどできていた。それを知った彼女は、始めはそれに無関心にしていたが徐々に、本音を表し、そろそろと、その席に近づいていき、近づきながら、後ろ向きの体勢になって、最後に、「気にしー」の彼女らしくまわりに席を座りたそうにしている人物の有無を確かめてから、スっと、彼のとなりに座ったが、一.五人分のスペースの〇.五人分は、彼との隔離に使用したのであった。彼女の座った反対の隣は、三十過ぎの女性であったことが、彼女をそういう行動に走らせたことの大きい原因であろう。少しは、しかし彼を意識していたこともあるにはあったというのは事実である。少し離れてみていないと、「視界の端っこ」作戦もままならないという隠れた理由もあるにはあった。そういう思惑もあってか、着席してから彼女は、前を向いたまま反対側の窓から夜の帳(とばり)の降りようとしている景色を眺めているのであった。ほとんど視線は変えることがなかったというのは、彼女が再び、先程考えていたことを考え始めたからである。視線を変えることに労力を割くことは、そうなってしまえば、しない。「適当」をいかに具体化することに神経が集中していくのであった。

 彼は、今まで培ってきた考えを捨てなければならない状況になっていた。今までの考えを作る上での想定条件たる、自分のひじ置き側にいるということを大幅に修正する必要に迫られているのである。隣に座ってきた。冷静に考えれば、条件かよくなって喜ぶべきものなのだろうが、単純にはそうもいかないものである。かえってそういう条件を与えられると、やりにくくなる場合も有り得る。まさに今がその状態でなのである。近けりゃそれにこした事はないが、あまり近過ぎるとかえって逆効果であるという、分子間に働く力のような状況がまさに体感していることであった。ほぼ視線は、彼女のいる方向とは反対側の半分にだけ向けられるようなありさまである。暫くして、彼は、そういった状況はまずいという事に思い、とりあえず、落ち着く事にした。まあ単に視線の移動を止めただけのことではあったが。

 そうしている間に、六つ目の駅にあたる駅に、列車は到着した。彼には、今度は、その電車の減速する段から、わかっていたのであった。それまではなかなかそれをわかり得る余裕がなかったのであったが、今はそんなに余裕がないことはないことはないのである。彼は、電車が、その駅に停車して、ドアが開く少し前から、自分の背中にある窓の隣の窓から、その迫り来る駅の光景を見始めていた。その方向は、丁度彼女の座っている方向と非常に近い方向であった。しかし、一致はしていなかった。微妙に避けていたのではあるが、それでも、今までの状況とは一転して、随分違う状況になっていることには確かなことである。いったい何が起こったのか。実は彼には別にこれと言って何が起こっていたと言うことはなかったのである。強いて言えば、偶然が重なったというべきであろうか。つまり、丁度駅に入る前に彼は落ち着きを取り戻した。そしてその今までの心境とのギャップから、反動で今まで考えていたことをふっととりあえず思考から遠ざけて、頭を真っ白にしたのである。そこへ駅が彼の目に飛び込んできたから、そのまま彼にいつもの習慣に従って、自分の背の方向にある窓から駅の様子を眺めただけの事であった。しかし、状況としては、偶然にせよ、とにかく進展したのである。彼も、その方向を向いたときにそれに気がついていた。その視線の縁からもやはり彼は、「気」を感じたと言うのである。ここで、再び、少し前の感覚が戻って来たように思える。彼としては、ほとんどその気になっていた。考えは、元の木阿弥と化したのである。

 彼女は、やっと落ち着けたと素直に思っていた。やはり、立っているよりは座っているほうが楽なのである。特に先程の思考での精神的疲労が、肉体的な方へも影響を与えなかったわけはなく、一人でやっていたのではあったが、疲れたのはやはりしんどいものである。自分でもこの正確はどうにかならないものかと思うのであるが、すんでしまったことはしかたがない。ふー。そういいながら、彼女は全身の力をぬいた。しかしそれは、一瞬の事で、すぐにもとの緊張を回復した。現実が、再び頭の中に復活してきたのである。彼女はどうも、落ち着いていられるという気質ではないようである。しかし、外見では、そういった素振りはなかなか見せてはいなかった。再び、考え出した先程の「適当」も、今回ではどうも張りがないというか、気がぬけてしまうというか、どうも、本格的には考えられそうもなかった。どうも、一度楽を迎え入れてしまうと、糸のきれたタコのように、際限なくそれを求めてしまうものかもしれない。それが今まさしく、彼女を襲っているのであった。その時から考えれば、苦痛と思える、その事を再びすることは、かなりの決断力を要することであった。その時のやるせなさを、少しでもごまかそうと、何をするべきか模索する過程で、ふっと、見ていなかった方向に顔を向けることがあったのである。そこには、彼女も知っていたように、彼の姿が確認できるはずの方向であった。まあ、彼に対する、彼女の印象というのは、ほとんど、「おもしろいものを見た」というだけの感覚でしかなかったので、少なくとも彼の感じている「気」というものを伴うような感情は持っていなかった。

 彼は、電車が出発するときまでは、視線をできるだけ、縁に彼女を置く状態に置くように心掛けて、何か「その方向」の遥か先の人物でも「何気なく」観察しているかのように、自分に対して言い聞かせながら、それを心掛けていた。あわよくば、それの少しのずれを利用して、更に実は、その状態の向上を目指す事を目論んでいたりもした。そういう間に、少し長めの停車時間も終わりを告げ、電車が走り始めた。その時、彼は、その加速度のせいで、ふっと、体のバランスを少しではあったが、崩してしまい、それに伴い、視線の微調整はその機能を一瞬にして失ってしまうことになった。その方向が、丁度窓の方向、つまり、彼女を視線に引っ掛けてしまう方向であった。

 「えっ。」「あっ。」言葉の表現は違うとはいえ、その心境の変化はまったく同質のものと言っても良いだろう。目と目が、通じ合う、である。なかなかこれだけは、日常茶飯事として扱うというのはどうもあたらないことであろう。これにおける、心に与えるショックというというのは、相当なものであった。しかし、それが行われた時間というのは、世間で言う「一瞬」、もちろん彼らそれぞれにとってもそうなのではあるが、とにかく非常に短い時間であったことには代わりはない。現実においてはそれが既に終わってしまっていたにもかかわらず、未だにその余韻によって、まだ続いているような錯覚をおぼえるほどのものがあったのである。

 彼女は、大変な驚きを見せたに見えたが、意外に早くその興奮もさめ、再び先程の、まっすぐ前を見て反対の窓から、夜の流れる景色を見始めるのであった。

 彼は、いまだ、その興奮は、さめやまず、異様なほどの思考の進展を見せているようで、妙な動きをしているようにみえるのである。彼女に対する、ほとんど無意味にまで広がる想像は、まったく冷静な判断を失いかけるほどの勢いを呈していた。そのまま電車が走り続けて、注意を向ける対象に乏しければ、どうなっていたかわからないぐらいになりかけていた、彼のもう一人の自分が思っていたほどであったのではあるが、幸か不孝か、次の比較的中間駅としては大きい特急停車駅に滑り込んだために、その「危険」も避けられた形となった。その駅では、両側の扉が開く。それだけに、人の動きも激しくなるため、彼は、我を取り戻す必要を感じたのであったからであった。しかし、彼女に対する、妙に好意的な感情は消えてはいなかった。「よーし」何に対していったのかわからないような言い方で彼は、呟きながら、拳(こぶし)に力が入るのであった。拳と言ってももちろん・・・。彼は、拳から何か連想する言葉が思い付いたようであった。「必殺拳」の「拳(けん)」も「拳(こぶし)」の「拳」と同じだったな。そういう事を頭に思い浮かべていた。もちろん、その時には、気合に入ったときに鳴らすあの喉を息だけで鳴らす音を作り出していたというのは、紛れもない事実であったが、彼は、急に優勢に立ってしまうとどうも浮ついてしまうきらいがあり、わけのわからない行動に走ってしまうのである。どうもその症状があらわれたようであった。

 かなりの乗り換えがある同駅では、随分の人が降り、それ相応の人数が乗り込んできた。別に、ラッシュアワーであるというわけではなかったので、苦しいくらいに、ということでは、まったくなかったが、今までに比べれば、随分な人の移動があった。しかし、彼周辺に座っている人々は、この列車の行き先である、駅までの乗車を希望しているらしく、動く気配はなかった。彼が、目をあわせた、おばさん二人連れは、ここの一つか、二つ前で、降りてしまったらしく、その姿は確認できなかった。電車は、既に片側のドアを閉め、残る停車時間を消化するのを待つばかりとなっていた。

 彼女は、頭の中は、今日の事などを考えていたりして、あまり緊張のある状態にはなっていなかったが、この駅を出ると、電車は、いよいよ「急行」としての速さを発揮することになるという事はここの往復を何度も重ねている彼女にとっては、十十に承知していることであったので、流石に、例の「適当」のことを考えなければならないような気になってきていた。それゆえに、徐々に、思考の中で、それの占める割合が増えてきていた。やがて、電車のドアが閉まり、電車をゆっくりとホームを離れる頃になると、ほとんど、その考えで、頭がほとんどを占めるようになっていた。彼の事は、・・・。ほとんど、思考の表面には現れてはいなかったが、なくはない、という状態であった。悪いイメージを持っていたわけではないが、特に、・・・という考えであった。

 彼は、その時、すっかり真っ暗になった外の景色を見ながら、なんとなく引っ掛かる自分の気持ちの分析を試みていた。その時には、駅に入るまでの、興奮と、それに続く、「余震」の浮ついた気持ちはすっかりさめてしまっていて、他の考えをできる心の余裕を得るほどになっていたのである。「なんで、こんなに喜ぶ必要があるんだろうか?考えていることが大体非現実的ではないのか?」こういった考えが駆け巡っていたのである。冷静に考えると、大体やはり、現実的という、保守的な考え方になってしまうことが多い、それが、彼の頭の中で行われていることであった。そうなってしまうと、急速に気の高揚はなえてしまい、悲観的な考えでほとんどその考えを占めてしまい、本音とは異なる方向へ、自らで自らを引っ張っていてしまうのであった。それでも、おさまりが着かない部分が実はあったので、ふっと、視線をそっちに向けては見たものの、以前の何等変りない光景がそこにはあるだけであった。彼女は、前を向いて、夜の景色を向いたまま、こちらの向く気配もない。「これは、本格的に、あきらめるしかない。」彼は、まだ、あきらめていなかったのであった。

 電車はやがて、次の停車駅に迎え入れられることとなった。彼の降りる駅は、丁度ここにあたる。彼は、彼女が、実は、途中で降りてしまうとばかり考えていたのであったから、まさか、ここまで乗り続けてくるとは・・・、ほとんど、乗車時間の残りがなくなってしまってから、その気持ちの高揚がぶり返してくるのであった。切羽詰まってから、はじめて、その重要さに気がつく例のあれである。しかし、これが起こってからは、大抵手遅れ、悔いの残るあきらめをしなければならない。二転三転した、彼の気持ちは、さらに一転しなければならないことになった。

 やがて、電車が到着して、プシュー、と、ドアが開き、その駅の名前が車内放送で告げられた。彼は、短い後ろ髪をひかれるような思いで、その席をゆっくり立つと、ふっと、彼女の方に視線を向けてみたが、彼女は下向き加減になっていただけで、決してこちらを向いている気配はなかった。ドアから、ホームに降りて、五歩ぐらい歩いただろうか、彼は、ふと立ち止まり、振り返って、自分の座っていた窓を見た。しかし、彼女は、前を向いたまま、である。彼は、それを確認して、前に向き直して、歩き始めた。やがて、電車は動きだして、駅からその姿を消していった。

 「ウーン、きまってるなあ。」駅長室の方を向いてそう呟きながら、そこの中にいた、職員と目をふっとあわせてしまい、慌てて、目をそらす仕草には、何かさびしいものがあった。どうも、彼は悲しき「主人公(ヒーロー)」を演じきっていた、つもりであった。しかし、彼は、単なる、一小市民、考えたってしょうがない。新しい清涼飲料水の味は、飲んでみなければわからないが、しかし、それが、うまいといった試しはないように思えるが、実は実際にやってみないとわからない。そういったことがあるのである。次の駅へ向かう電車の中で、妙に引証に残る人物の事が頭にある、一人の女性がいるかいないか、そんなことはもう既にわからないことである。見てないことは、確認使用がない。それが、世の中の法則の根底にあるものである。

 まあ、何であろうと、彼自身は、言い様のない幸福感と絶望感の入り交じった心境で、改札口前にさしかかって、切符を取り出さねばならない現実を思い出さねばならない状況になってしまい、先程までの事が、一夜の夢のように消え去ってしまう事に非常に悔しい思いをおぼえて、「結局、悔しい思いをして幕を閉じるんやな。」と、自分の夫が、医者だの、バブル時代にはやたらに、その財力をつかっての株投機などを自慢げにしていた、ある女優が、テレビでしゃべるたびにもれる、いらだちを与えるものに匹敵するものに、それが思えたりして、言い様のない気だるさを帯ながら、歩いていく彼であった。