それはね、私が解説しておげよう。要するに、あの不可思議な「歌」が、尤も問題になるものなのである。あの、何ともいえない、透き通っていながら、容赦なく、粘ついてくるようなしつこさも実は内在している、特に、あのCMでの(うわさの)渡瀬氏が、今にも、「ずれて」しまいそうなぐらいに、手の甲で、力強く、額の汗を拭うその仕草を、ただならぬものにさえ思うように、我々を引きずり込んでしまう、歌なのである。すべて、答えの鍵になるものは、そこから得られると行っても過言ではないであろう。それでは、これが始まる前、つまり、この「歌」が、存在しなかったときには、六甲の・・はおいしくなかったのか?・?そう・・、おいしくなかったのである。南アルプス天然水、等の有力、「ミネラルウォーター」に負けていたのである。それは、例えば、一時期にあった、「実は、天然水からじゃなく、水道水からつくっとんとちゃうけー。」等のうわさは、ともかく、一般的なイメージも、それらに勝てるものは持ち合わせていなかったこともある。やはりそういう前提を加味して考えると、いよいよ、その「歌」の影響力の絶大さが、史実さを増してくるように感じてこよう。そう、結局は、議論はいやでも、その歌の秘密を暴いてくれ、という雄叫びをあげるが如く、欲求を満たすべく方向に仕向けざるを得ないわけである。そう、決して、あの、額の汗を、土のついた手の甲で拭き取る、「ずら」渡瀬氏の、あの「メイ」演技、だけでは説明のつかない、その影の総統とでも呼ぶべき、その、「歌」がその答えとでもいってしまいたいほどのものなのである。
ここまでくると、その歌の隠された真相というものを知りたくなるというのが、人の人情というものであろう。しかし、しかしである。それは、今までのようには、簡単にはいかないのである。(まあだいたい、今まで、すべて、この「歌」に押し付けてきたとう事実は、否定したくても、それを許さない事実を作ってしまったから、ほとんどあたりまえのことなのではあるが。)辛い、それだけは・・。どうしようもないこおとである。これは、私などが老いそれと扱い得るようなものではないのである。あの、微妙な、「超音波」が、いったいどういう影響力を行使しているのか?_全くなぞである。しかし、その謎めいた性質が、その力を倍加しているという事実にも、我々は、直視すべきである。■