Kawakatsu HP(dti), Kawakatsu HP(KABA), 過去の蓄積, 今日は何日

今日は何日だ?


 それは、1993年3月6日に決まっているであろう。そう答える男Kがいた。今は、ほぼ朝の10時である。ほとんど起きたての彼は、まったく行動が鈍っていそうであるが、その予想に反して、非常に、何かに取り付かれたように、機敏であった。どういったことが彼に起こっているのか?

 実はたいしたことはない、約束の時間に遅れそうであったのである。全くそれの一言に尽きるのであった。

 彼は、当然のごとく、こういう時のために買い込んでいた、菓子パン類を牛乳で流し込み、それを口腔内でもみくちゃにして、それを消化しやすくし、胃に流し込み、朝飯の代わりのしたのであった。

彼は、走行して、朝飯を澄ませ、ブレザーを羽織って、彼の愛車「ブラックママチャリ」にまたがり、留め金をおもむろに左足ではずして、その足をそのまま地面にたたきつけ、その勢いで、自転車の初速をつけ発進させた。当然彼の鞄の中には、昨日3時間で仕上げた、「爆笑間違いなし短編小説」を忍ばせてあり、これを見せれば、「へへへーへへへ。」状態になること間違いなしの、保証つき小説である。それゆえ、ほとんど勝利を確信した心で彼は、快調に自転車を飛ばすことができたのである。既に時刻は、10時8分をまわっていたが、彼は、時間に間に合うとか苦心していたのである。そうもちろん、待ち合わせ時刻は、午前10時ジャストである・・・・・・。

 待ち合わせ場所よりも、かなり手前で、彼は、右手を顎にあて、それを撫でまわしている、変態的男に遭遇することになる。もちろん、Kもそれに、更に、そのストロークに粘りを持たせたものでそれに答え、互いの存在を主張するのである。

 彼こそ、Zなる、待ち合わせの相手の親友であった。親しいもの同士の挨拶は、ほとんど、他人の同士のものとは大抵かけ離れているものである。

 彼らは、そのまま合流することになるが、とりあえず合流地点で、停車して、これからの指針を打ち合わせることになる。

 そのときに、Kは当然のごとくに、必殺技の「スペシャル短編小説」と取り出すのである。

 Kは、「とりあえず、これを見る必要がある。」と思わせぶりに、慎重なまなざしで、そのことを遠回しに申し出だのであった。

 zは、ただならぬことの襲来ということを直感して、一瞬ひるんだが、すぐに平静を取り戻すことができた。「小説だな。」見事に、Kの予想に反して一種にして、見破ってしまったのである。

 そのZの余裕の表情を見逃すKであるはずはなく、もちろん、それを鋭く見抜いて、そのフォローの方法を頭で考えることをはじめながら、鞄を、その例のものを取り出すために、まさぐっていたのである。

 Kが、それを掴みそれを提示しようとその鞄から取り出そうとした瞬間に、Zは、「勝った」と、心の中で大声で叫んだのであった。自分の予想は、寸分違わず狂ってなかったからである。

 その時既に、Kは、「負け」を心に感じていたのかもしれない。Zのその余裕の表情から、「ラーメンの歴史」のことを彷彿とさせられていたからである。Zは、小説では、それに右に出るものがないと密かに自負していたのは事実である。そのことは、Kの巧みな読心術的才能によってほとんど筒抜け状態と言っていいほどの状態であったので、ほとんど明らかなことではあった。その迫に、Kは、既に怖じ気づきかけていたのである。

 その時、Kははっとした。「こういうことではいけない」と。はじめから、負けを認めてしまっては、それこそ負けが勝負以前から確定してしまう。「かつと思うな、思えば負ける。」とは言うが、思わなければならないときに、それを信じることを忘れていては、それこそ、勝つ事ができない。ある女性歌手も、「どうぞ、心の、痛みを信じて!」と歌って、苦しみを糧にして、次のジャンプを得よ!と言っているではないか。少しでも、負けを確信した、それも、勝負以前の時に、ということを考えた、自分を恥じた。そして、心を切り替えることを決意したのである。ほとんど一瞬に近いそのあいだに、それだけの思考が行われたことすら驚きではあるが、Kにとっては、結果だけが命で、それ以前御ことなどはどうでもよかった。ほとんど揺らぎ程の意味しかなかったのである。

 Kは、取り出した「大爆笑小説」をZに手渡した。Zは先程、自ら形成した、並々ならぬ自信にあふれた顔で、その小説を手にし、ひと呼吸置いた上で、読みはじめた。

 「・・・。」

 その、尋常ならぬ静寂は、彼らの心の戦いを象徴しているかのごとくであった。

 Zはそれでも、黙って、黙々とその文章を読み続けた。Kはその様子を張り詰めた緊張のまなざしでじっとにらみつけている。双方の緊張は、その時間に比例してましていった。ほとんどその緊張が我慢できる最高の量に達するその瞬間、何かが、その静寂を破るが如く走った。いや、それは、静寂を破ったのである。

  「ハハハ、」Kには、その声が、畳バリで、右耳を突き刺されたごとくに感じた。その驚きといったらそれぐらいのものでなければ、表現不可能であろうと、Kは思ったのである。確かに笑った。これは、打ち消さざる、厳然とした事実である。この事で、彼は、勝利を確信した。この「ハハハ」と言う、普通に聞けば、小声での一寸した笑いである、その他愛ない笑いが、その音声の何百万倍のエネルギーをKに及ぼすこと彼は、体で感じていたのである。

 Zは、暫く後、それを読み終え、最後に一言ぽつりとKに言い残した。「なんや、ようわからへんかったわ・・・・。」

 その言葉を、Kが文字どおりに捉えたか否かは、K以外の人物のだれも知る由もないことであった・・・・。

 Kにとっては、怒涛の如くに過ぎ去った時間であったが、Kの予想に反して、Zのその時の心境はいたって穏やかなものであった。Kが執拗に感じていた心配ごとは、Zにはまったく関係のないことであったのである。まったくその存在すら知らなかったというのが本当のところであった。Kの小説に対しては、それなりの評価をもって受け入れていたのである。しかし、それではなぜ大爆笑にいたらなかったのか?と言うことが疑問として残るが、それは、あまりにもご都合主義的な発想であるというのがその答えたるものであろう。「大爆笑は、作品のおもしろさというたった一つの要因では引き出されない。」という事実をKはその時は少なくとも、気がついていなかったというところに、さっきの時点での、Kの悲しいほどの心の中での自己破滅に近い減少の原因が隠されていたということは、有力な信頼できる意見として、比較的素直に受け入れられると思われる。ZとK物事の理解する形が違ってしまったのは、ここでは、ほぼKにその原因が保持されていたということになろうか。

 全く何事もなかったように、彼らは、結論として出た(その時には既に、話し合いが行われてしまった後で、既にその、まづどこに場所を移動するかということの、結論が出ていた。)移動先である、Tショッピングセンターに自転車を進めはじめるのであった。

 待ち合わせ場所、正確に言うと、それよりK宅側に四百メートルよったところであるが、それから、Tショッピングセンターまでは、それこそ、目と鼻の先の三倍程度の距離であったので、自転車を利用しての移動では、ほとんど時間も要さないはずではあるが、そんなこともないのが、世の中の事柄の不思議さである。非常に時間を要したといって過言はないであろう。その原因と言うのであるが、詰り所、歩行するスピードの1.5倍程度のスローペースで粗の運行を行っているということなのである。たまには、人のスピードよりも遅くなく事さえあることもある。それほどのスローペースで、自転車と言うものを運転して、何がうれしいのであろうか?自転車と言うものはそもそも、少ないエネルギーでそれも手軽に軽快な移動手段と仕手の意味があってこそのもので、とても軽快とはいえないその運行状況では、その性質がまったく無意味化されてしまうのではないか?と言う考えも起こってこようガ、彼は、少し落ち着いて考えれば納得できる理由がわかってくるであろう。自転車の、軽快高速運転は、すべて乗車時間に於いて実現されなくとも、その魅力、特に精神的な安堵感を生むという魅力、その魅力そのものがいかされていれば、ほとんどそれで十分なのである。極論を言えば、高速運転をしなくとも、自転車の乗車価値は十分にいかされるのである。いや、それは極論ではないかもしれない。そして、かつ、忘れてならないのは、そのスピードの柔軟性である。これは、結構忘れられがちではあるが、それは、その魅力を二倍増、三倍増しているという事実は認めなくてはならない。高速性と、徒歩の低速性による魅力を吸収しているというこの守備範囲の広さは、まったく驚くべきもので、自転車が、近隣陸上交通の雄であるというのはそんなところから来るものだと言って、納得してしまうだけの力がある理由にもなっていよう。だから、その魅力、現在自転車が持っている魅力をどれだけ吸収できるかによって、その優位性をほかの機関が得られるかが決まるのである。この点で、原付、軽自動車、バイク等は、まだまだ、と言ったところがあるのである。

 そういう、自転車の一つの魅力となっている性質を発揮しながら、彼らは、それは、ゆっくりと、その一キロとない道のりを進んでいるであった。

 「流石やなあ。」と、Kは言うと、

 Zは、「何が流石やねん。」と続けた。

 まあ、もっともな、返しではあるが、それっきりであることも事実ではあった。

 「困ったのう。これは、しかし、何だなあ。」と、再び、kはもらしたが、Zは、沈黙を守った。その発言の板が読み取れていたのである。kは、その事実すら、実は知っていた。ほとんど、BGM的に粗の発言をしていたのである。しかし、人間とは、まったく論胃的には説明のつかない生き物で、それがわかっていても、その返しを期待してしまうものであるという事も、事実であった。

 「しかし、これは、非常ーに厳しい事実が、眼前にあらわれてきたと思われるなあ。」

 ほとんど意味不明のkの言動に対して、今度は、Zの返しが戻ってきた。

 「困ったことは、やはり、この服やな。」Zは、自分のエスキモーもびっくりといった感じの上着の覆いを頭にかぶせて、「さぶー」といいながら、Kに言い放ったのである。ワンテンポ遅れて返してくる、いわゆるフェイント攻撃である。花粉症の涙目ながらに<Kは、「してやられた。」と思ってしまった。とりあえず、Kはその内部でのひるみを取り繕う意味で、「やるのう。」と返しておいた。しかし、Zは余裕しゃくしゃくである。ほとんど、自分のギャグがたに起こることは断じてないということを他人に納得させることができるほどの、自信に満ちていたようであった。

 実際、Zは、「これは、馬鹿うけやなぁ。」といいながら、手を二三回打っていたのであった。もちろん、その意図はKにも明らかであった。経験から来る非常に簡単な推理である。しかし、それに屈してばかりいるKでもなかった。下落の後は、復活、これがKの心の合言葉であったのだ。

 「よしっ!・・・。」

 その瞬間、ブレーキ音が高らかに響いた。「キーッ」その後のZの一言で、Kは愕然とせざるを得ない事実を知るのであった。

 「着いたなあ。」Zがそういうと、彼は、自転車を、自転車置き場の自転車のあいている隙間に滑り込ませ、そこに自転車を止めるのであった。Kは、その瞬間放心状態に陥っていたが、そのままの状態で、既に、自転車を止めて、Tショッピングセンターに向かうべき歩きだしているのは、なれと言うものの恐ろしさをまざまざと知ることのできる好例の一つにあげられよう。

 Kは、しかし負けなかった。負けていても、その状態を受け入れる状態がなかったからであるというのが本当のところではあったが、とにかく、そこで、屈することはなかった。

 一方、Zは、今日のギャグが非常に今日の天気にジャストフィットしているなあといウ、何を意味するのかが、非常に難解なことをつぶやきながら、実は、深刻さは、以上であったのである。やはり先程の、受け具合が、よろしくなかったという印象を持っていたようであって、「ハングマン」のことを、まじな顔つきで、「ヤングマン」と言っていた、以前の天然ボケ的必殺ギャグに及ぼうとは思わないにしても、「はっ」のひと笑いでも、引き出せようかともくろんでいただけに、そのショックは、実は大きかったのである。Kとの違いは、それが、表にあらわれるか否か、それだけだったのである。

 彼らは、Tショッピングセンターの中核を成す、関東系の某百貨店の建物に入り、途中の階に用もないのに、エレッベータを使わず、エスカレータで、ゆっくりと登っていくのである。どうも、値に足が着かない系統の乗り物は、彼ら二人とも弱いのかもしれないが、実は、弱いのは、Zの方だったのである。あるいは、Kの静寂感への弱さからそうなったのかもしれないが、どちらにしろ、エレベータより、エスカレータ、エレヴェーションではなくて、やはり、「エスカレーション」が好みであったのである。

 目的の階は7階であった。そのあいだ、6つのエスカレータの乗り継いでいったが、その乗り継ぎのあいだに見る各階の様子は、土曜の昼間てのは、こういったもんか?と思わず、疑問符を床に書きたくなる心境にさせられるものであった。Kが、その心境から、「入ってないなあ。」と本音をこぼした瞬間、鋭い視線が瞬間的に自らにつき刺さったのを感じたが、気がついていないふりをしようとした。そんな葛藤をZは知る由もないと思われたが、ところがどうして、Zはそれ以上に深刻に悩んでいた。

 そういう、一見平和りに過ごしている、上昇途上の彼らではあったが、実はこれほどの、心の戦いに臨んでいたわけである。

 Tショッピングセンターの7階、ここには、電化製品や、CD、それに本屋などがある。エスカレータの降り口を出ると正面に大型テレビが陳列してあった。その隣の少し小さいテレビには、そのテレビの上に置かれている、ビデオカメラのダイレクトの信号を映しだしていた。ほとんど無意識的に、Kはそのビデオカメラに対して、「ピース」のポーズを決めてしまい、思わずそんな自分に対して、赤面状態に陥ってしまった。自らの気持ちを整理する意味で、Kは、「あっ、あ、あああーいいてんきだぁ。」と、ベタボケによってその扱い難い雰囲気を吹き飛ばすべく言い放ったのであるが、ほとんど、その実情を悟られずにすんだようで、ほっとできるのであった。

 とりあえずは、CDのエリアへはって、曲の情報でも仕入れてみるか、といった具合に考えて、彼らは、CDのところへ入った。ほとんどその曲名を流し見するだけであったのは、やはり、そんなに頻繁に購入する金銭的余裕がなかったからであろうか。Zはそうでもないようではあったが、少なくともKの心はそうであった。それほどの、「金欠病」でなくとも、思わず出し渋ってしまう性質を持ってしまっている悲しいKではあった。

 外見から見れば、それは、本当に何事もなかったかのように、彼らはそのコーナーを終わって、ほとんど、無意識に足が、その隣の隣にある、Lと言う名の本屋へと運ばれていったのである。

 「本屋かア。」

 これ又、ほとんど無意識的に、Kが先制攻撃を仕掛けた。それに対して、Zはそれほどの事とはとらなかったらしく、「ココは、もう八年振りやなあ。」と、返してきた。

 Kは、しばらくの沈黙の後、とりあえずの応対、「おれは2年振りやなあ。」と、事実を述べるに留めておいた。KにはZのその言葉はほとんど無意味に近いものを受け取っていたようであるが、実はそうでもなかったのであった。

 実は、このTショッピングセンターは、今年で七年目であった。つまり八年前には、この空間的位置には、空気しか存在しなかったのである。ここができる前には、ある、下着メーカーの製造工場があったのであるが、もちろんその時には、本屋などはなかった。つまり、彼は、現実にはあり得ないことを堂々と言っていたのである。それだけでも、「ボケ」として通用するのあるが、それだけではなかったのだ。もう少し、視点を前に戻してみてみるとそのヒントが隠されていることに気付くかもしれないが、つまり、「ここ」が、「ココ」になっているところである。かといって、宝石貴金属類が好きであったのだ、といいたいわけではなく、その視点は、いわゆる業界に向けられるべきである。そこでの、好まざる存在としてのその存在を実は、Zは意識していたのであった。それを表現したということを思考してみるのである。そうすれば、江戸弁で言う、「おとといきやがれ」的な、効果をねらったものではないかという結論にたどり着くのである。つまり、かけ言葉、しゃれの極意である。近隣の大都市O市の、1中心駅O駅の「駅ぞば」の「かけ、いっぱーい」のかけとは違う、「懸け」である。もちろん、Kが以前そこで、それを頼むときに、「スそば」と表現したときに、一秒くらい考えて、「かけいっぱーい」といわれたときの「かけ」とも違うものであった。

 既に、気がつかないあいだに、Kは大きな失敗を背負い込んでいることになっていたのである。

 しかし、その時自分の言動の優位さをZは気がついていたのであろうか?果たして・・・?である。疑問符の使用が必要となってくる状態であった。本屋の敷地と思われるところ、そこで、T空、ごく近隣にあるI高校の制服をまとった女子学生が二・三人ファッション雑誌を読みふけったいた姿を横目で確認できたのではあるが、その時点では、かえって、Zは、脂汗をその額に這わせんとした状態であったのだ。「これは、弱すぎたか。」敗北宣言に事実上取れる言葉を、心に共鳴させていたのである。しかし、それは、もちろんKに走る由もないことであった。Kは、その敗北すら知り得ていないのである。

 彼らの歩みが本棚の列を二・三過ぎて、レジに近づいたとき、まず、Kが、そのことに気がついて、ふっと、頭の中を真っ白にした。しかし、Zは相変わらず、その事すら忘れて次の思考に入っていて、そんなことには無縁の状態にいた。その時には、Kは、もちろんZのその状態に気付いていたわけではなかったのであるが、その思考が落ち着いてきた頃、その状況はがらりと変わった。Zの様子が、読み取れたのである。「これは、気がついてないな。」そんなことを口ずさんで見せるほどの余裕を見せるまでになっていた。

 彼らは、その頃、突き当たりまでいたったので、そこで、左折し、直進して娯楽芸能関係のコーナーへ向かう方向で進んでいたが、その途中の経済政治関係のハードカバーの書名にちらちらと目を移したりもしていた。角にあるそのコーナーのところまで進んで、とりあえず、一冊の本を取って、Kが目を通しはじめた。Zは、Kの余裕を知るべくもなく、別の本に興味があるらしくほとんどKを意識していなかった。本は開いていたけれども、ほとんど、神経は、いかに自分の優位さを知らしめるべきが、とその時期をうかがっていたのである。

 Zはその時、なんとかいう年鑑のようなものに興味を寄せていた。年号は今年になっているので、つまりは、去年の最後の月の時点でのものであろう。「気になるな。」Zは、ほとんど心にたまった言葉をそのまま声帯に送り出したのである。そういいながら、その本を手にとって見はじめた。何やら、モノクロながら、「顔写真」がはじめのページでは大きいのであるが、徐々に小さくなっていくのである。それに対応して、その人物についてのデータがかかれているのである。最後の方、(これは、千一人乗っているらしいのであるが、まるで、「ス・・千一夜」ののりである。)では、写真が消えてしまい、説明文が一行程度になってしまっていた。その中で、Zは懸命に、検索していたのである。もちろん、Kの優位性を保証する言葉の人物ではないことは確かであるが、ほとんどそれは明らかなことであった人物がKにはあった。「KJ」である。今は、いわゆる全国ネットからは撤退してしまったようであるが、一時期にその活躍ぶりはすごいものがあったのである。その期間は、少々短かったのではあるが、やはり、その業界のシビヤさというのは、本人の努力、思い入れに比例して、よい待遇を与えるわけではなく、コネや、天性を重んじてしまうのであろうか。そんなことをZは考えていたのであおうか?Zはともかく、Kはそんなことを考える質(たち)であった。横目でその内容を確認しながら、考えていたのである。「他人のものは欲しくなる。」を地でいく人間でもあったのである、Kは。Zは、まだ目的の人物を見つけないでいた。ビデオ屋の同姓同名、唯一始めの文字が漢字として違う人物は、二十秒以南で見つけられるのにである。Kは、いてもたってもいられなくなり、優位さを表明する機会をうかがっているという自分の状況をも忘れて、その検索作業に参加するのであった。

 Kは、そういう事には、妙に冴えているところがあったので、すぐに見つけだしてしまった。二百数十番、まるで、商品番号のような響きの感じられるその番号は、その年鑑の言うところの、「ランク」を表すらしかった。「B」という、刑事番組に出ていた、主人公の家庭の長女役(中学生)の中国か、台湾出身らしい「GM」(「TT」ではない。)が、6数十版に位置していたのは、Kだけの極秘事項にしておきたかったが、いっしょに覗き込んでいる立場のZにもそれは必然的に明らかになったことであった。それに気付いた時に、Kは、はっとして、自分の今やるべきことを思い出すことになったのである。

 しかし、時は、無情にもそれをも破壊してしまうほどの力を持ち合わしていたようで、優位性のかけらもなくなってしまっていたのである。こういう事は、相手の記憶が一つのポイントとなってくるのである。それを、「説明」によって復活させても、悲しいものが残るのみである。その途中で、照れてくることさえも有り得るほどにである。Kは愕然とした。これは、高いところから、低いところへ一気に落ちてゆくときの、大きな衝撃が与えられた状態であったのだ。それは、かつて、十六の約数の放送局である「K」放送局で午後5時頃にやっていた、「BのN一気」が、半年で終わってしまったことよりも、かなりの衝撃であった。Zは、しかし、今頃になって、自分のあの発言について、ほとんど偶然に復活したのである。

 突然、Zは笑いだした。「ハハ、(パチパチ)(手を叩いている)これはまいった・・・!」Kは恐れていたことが、一気にその度合が増して、背中に電気が走るが如くに、悪寒を感じた。

 「これは・・・これは・・・」ほとんど、声にならないうめき声をKは発していることすら、自分で気がつけないでいたのである。それに、追い撃ちをかけるように、Zの「思い出し笑い」の表明が始まった。笑いというのは、通常は、細かいところをいちいち説明すれば、その活力を失ってしまうものであるが、この「思い出し笑い」では、その合理性は適用できない。そもそも、その時点での主眼は、笑わすことよりも、人に、自分が受けたということの事実を伝えることにあるのである。笑いの共有欲が、その「笑い」によって、いっきに利性を突き破ってしまうのである。Zはまさに、その状況にあった。この、自然の摂理といってもよい現象は、やはり、Kには酷すぎるところであったことには違いない。だしきった嘔吐の後にも吐き気が催してくる状態にKは、いるようなものであった。見えない相手に、挑戦状は出せないのである。

 Kは心の中では、仮死状態であった。Zの涙目を見ながらも、しらけていた。どうも、今日は、噛み合わない。ほとんどまったくの強制力なしに、そんな言葉がKに浮かんできた。Zもいdずれは、それに気付くかもしれないが、少なくとも、その時にはKだけがそれを考えていたようだ。

 Kは、唐突に、その本をたたんで、元の位置において、思わず腕を組んで「ウーン」とうなってしまった。Kはほとんどお手上げ状態であることを、その言葉とは裏腹に、腕を組んで表してみたまでの事であったが、Zには、「ボケに対抗する、ボケ突っ込み」の神髄である、「きかんふり」とKの行為が取れたらしく、その防御策として、繰り替え思索せんに出てていたということを、Kはその時点で知っていたか、そうでないかは、はっきりしないものがあったが、どちらかと言えば、気付いていなかったほうになろうか。

 Zは、その事を、作戦を実行しながら、気付き始めたらしく、その行動の勢いを自然に弱めていったが、その変化によって、初めて、kは、自分のした行為と、そのZの対抗策に気がついたのである。Kは、そのかなりの痛手にもかかわらず、それを忘れたかのように、「今日はええ天気やあ、なあ。」とお決まりのか消しをくわえるのであった。「今日何日やったかなあ?」

 Zは、お約束の、返しをしてくるであろう、Kはそう確信していたし、Zもそのつもりであった。