そういう、巡査を、4月に見掛けるというのは、新入生シーズンであるからというわけではないが、特にその風貌にも格好よさがより映えるというものである。それが、コンビニエンスストアから、軽い軽食を買って出てきた瞬間であってでもである。その特に背の高く、顔が、さわやか系の顔であれば、その警官自らそれを感じてそれに満足しているような心境にもなるであろう。コンビニエンスストアから出てきた瞬間というのは、その「格好のいい」風貌を世間にさらすときである。その心境は、極大点を迎えるのである。
「こんなに格好のいい自分は・・・」
心の中の、その発言の語尾も、自分でも何をいっているか解らないぐらい、多くのことで、胸がいっぱいになっていたのである。もちろんそれは、心の中に留まらず、その枯野顔面にもそれが、当然のように表れていた。もちろん、それが、不思議なことであるということは、ほとんど無いであろう。自分自信が彼の立場でも、多分そうしたと言い切れることである。
そうはいっても、少し、彼は、そういうことに、「浮かれていた・・」ということは、嘘ではなかったであろう。少し、視線も浮ついていたのである。店に入る前には、その入り口を通って入っているのであるから、その、鉄板でできた「傾斜」は、彼は、重々承知であったはずである、が、その浮ついた気持ちが、冷静な彼を一時的に消し去ってしまったのであろうか?
浮ついていた視線、浮ついていた気持ち、消えてしまった、冷静な判断。特に、最後の項のものが、それを決定的にするのであった。
つまりは、その、坂になった、鉄板を、直角に降りなかった、斜めに降りたのである。確かに、店の前の道は、出口とは直角の方向に、続いていたから、その様に進むのは、自然な成り行きではあったが、それが、下り坂の鉄板の上であった、ということだけは、それを許すことはなかった。たとえ、その店で買った特にやわらかそうなパンを、そのことによって、著しくその形状を変形させ、食事の楽しみをそれに比例して低下させることになろうともである。
自動ドアの前で、一旦立ち止まり、そのドアが開くのを確認して、一歩踏み出し、その二歩目に彼の足が、その鉄板の坂に差し掛かったとき、彼は、その異常に、気付くすべを持たなかったのは、仕方の無いことであった。しかし、2歩目が、地に付いたときには、それに気付くには遅すぎたのである。すでに、彼の体重の重心は、あまりにも、彼の立っている方向とは、角度が深すぎた。更に、その折れ込む方向に、買ったぱかりの、パン類を入れた、袋を持っていた手があったのである(利き手であったのだ。)。
一瞬の出来事であったが、ある意味では、それは、彼にとって今まで生きてきたぐらいの時間に感じたかもしれない。そう、あまりにも長すぎる時間に感じたのである。その状態からの立ち直りは、その「長い時間」待たされた彼にとっては、何よりもましての願いであったのである。
こうして、彼は、傍目からみれば、瞬時に立ち直り、「何食わぬ顔」をして、「何もなかったかのように」「自然と」横道に逸れていってしまったのである。
彼がその後、「どのような軽食」をとったか知れないが、近くの、工事現場の交差点で、「何食わぬ顔」をして、仲間の新米らしき同僚とともに、交通整理業務に勤しんでいたのを目撃されたということがいわれているが、定かなことではない。