Kawakatsu HP(dti), Kawakatsu HP(KABA), 過去の蓄積, 俳優

ある、俳優の一日


 「はおぉー。かあぁーー、かっさったたたった、かーーつっ。」

今日の彼は、いつになくきれている。その声といい、その声の大きさといい、その、立ち方といい、いずれをとって見ても、きれているのである。

 「はあー、ほっと、たったちいいーこまああーあかちい。」

 竹が、ずさっと、むしろをひいた床に倒れ落ちた。もちろんその竹の一方は、鋭く鮮やかな切れ味で、斜めの切り口である。彼は、息をゆっくりとはいて、そうしながら、両拳をゆっくりとしたにおろしていった。

 「今日も、申しぶんないな。」

 彼は、満足げな顔で、そう言ってのけた。まあ、さして、珍しい事ではないのであるが。その後、その気分を持続させながら、気分よくいようという素振りで、そこにいる付き人に、汗を拭いてもらうような、体勢をとった。とった、とったのではあるが、すかしを受けた形に、そのまま、なり、少し、不覚にも体のバランスを崩してしまった。

 「ふっ、俳優は、、何処かに、寂しいものがなくては、俳優たる、味が、味が。」

 どうきいても、みても、墓穴を掘って、深みにはまっているとしか言い様のない発言であるが、時には、俳優は自らの身を、崖から、叩き落とすと言う事も、必要だと言う、古い諺をあったではないか、と自分に言い聞かせて、まぶたを閉じ、少し顎を前に出しぎみにして無意識でやるかのようなうなずきを繰り返している彼であった。

 日本刀を握り締めた右手に、少しばかりの体温に比較して、冷たい汗を感じるのが少し気にかかったが、度量の大きい、人間は、細かい事は気にしない、汗は汗、ただの人間の自然な新陳代謝の証拠ではないか、という、理由付けで、自らを納得させ、刀を、粘つく汗を「気にせず」鞘に戻すのであった。そして、袴で、「何気なく」ぱっぱと、手をはたいて、何事もなかったかのような、顔を仕手見せるのであった。

 「ゴック。」

 喉仏が動いた。思わず、飲み込む唾も、驚いてしまうような空気である。

 それは、すべて、彼の自宅の二階にある、「居合の間」での出来事である。日本刀がまた、気になるものであろうが、これは、銃刀法による免許は取得済みで、もちろん、「お忍びで辻斬り」のために所持しているのではない。彼の、高尚な趣味のために、それだけのためだけにあるのである。決して、家の前の道路が、いつも渋滞で、クラクションがうるさいと言う事でその憂さ晴らしに、たたっ切ってやる、という意志を実行に移すと言う事はしない。そんなことを想像していたと言う事が彼にもれれば、「そんなことを思ってたのかぁ、ま、いったたなぁ。OK!Big Boy!!こら、そんなものといっしょにするな。」といったお叱りの声を聞く事のなろう。

 それはさておき、別に彼は、それで終わった訳ではないから、そのままに彼を放っておくと言う訳にも、この話の意図する所ではないから、彼に迫ってみる事にすると、

 「いやあ、今日の、居合の術は、いやあ、よかった。」

 解ってもらえただろうか?といったものを我々に強要するかのような顔を、鏡に向けながら、彼は、そう呟くのである。

 「そうおもうだろう、なあ」

 更に、続けて、いった言葉には、この家にもうひ取り入ると言う事を確信している響きがあったが、その分析に反した状況が、そこにはあった。

 「な・・ぁ」

 その一文字目を言い終った瞬間に、彼は、すべてを悟った。「スズメの涙」を口ずさみたくなるような気分が、彼を襲った。「おばよ」、そう言って、彼は「お前は、柳○新語か」と言う突っ込みも入れられずに、去ってしまった、そう言った事が、つい半年前にあった、そういった事を、現実として、我に帰って思い出さざるをえない状況になった訳である。だれ一人としていない、家の中には、静寂と言った、生易しいものでは言い切れないほどの重いものがそのには感じられるのである。

 「ほ、ほ、ほ。」

 そんな、恐ろしいほど、強力なものを相手にするには、ただならぬものがいると言う事ぐらいは、彼にはわかっていたが、いったそれでは、どういった対処をする事が有効な事としてあげられるのか、全く想像できなかったのである。しかし、そこでなぜ、「ほほほ」なのか?その答えは、簡単である。やる事はわからなかったが、とりあえず指を咥えて見ている事だけは嫌いな性格である自分を満足させるには、「脊髄で判断して行える行動」でなくてはならなかった。それが、彼のその時の結果が、「ほほほ」だったと言う訳なのである。「深くは追求しないでくれ」と言う顔をしきりに、鏡に向かってしている彼であった。

 洗面所を後にした彼は、「あんな子供用の自転車なんか、あるわけないのになあ、はは。」と、独り言をぶつぶつとこぼし、東京のテレビ局の「あさはかな考えの持ち主の制作陣批判」を間接的に繰り返すのである。これは、どう言った事なのかと言う事ぐらいは、説明が必要であろう。これは、いまから半年ぐらい前のある、東京制作の番組において、若かりし頃、当時の若手俳優たちが、こぞってやっていた、いわゆるヒーロー者の、非情の代表的なもののシリーズの原点として自分がやっていた番組の、イメージをそのまま、主たる視聴者である低年齢層の人間を魅了してしまおうと、映しだした自転車が、未だに残っているかどうかと言う事で、わざわざ、自分の所に、その東京の番組スタッフがやってきて、「持っていないか?」と言って、取材にきたのである。常識的に考えて、これは、明らかに無駄な、タクシーで、わざと、遠回りするような、或は、興信所なら、鐘を倍ぐらい帰さなくてはならないような状況に陥るような、三十分番組を無理矢理、一時間に引き伸ばした事のしわ寄せならぬ、「しわ伸ばし」が表れているのである。ほとんど、笑いの対照として、来た事はほとんど明らかであった(そう思っているのが大部分だと言う保証は実はないのだが)。最後の事はともかくとして、何か知らない、ほとんど意味のあるとは思えない事でかりだされ、そういう名目で、画面に現れる事になった訳である。彼はそのことを、「間接的に」嘆いた訳である。しかし、底まで明らかな事でも、決して、直接的には言わない、彼に言わせると、「これも、俳優たる、虚の世界に生きる人間の顔を持つものの性なのさ。」と言う事らしい。

 「ううっ。」

 何か辛い事に、絶えきれなくなった時の、堰をきったように溢れ出る涙を無理だとわかっているのに、それでも、抑えようとするかのような時に見せる行動を起こした。「そんなに辛かったら、止めたらいいのに。」と思わず、彼の後ろから、肩を叩きたくなってしまうが、やはり、そこは、さすがに、「俳優たる意気」で、それを喪は寝付けてまい、自立していけるほどの強い精神力は持ち合わせていた。

 「ううっぷ」

 そう、それこそ3秒も立たない内に、その泣き顔を、「笑い泣き」に変えてしまうのであった。ただ、それが、一体の何に対しての笑いかが確定できない所に、弱い所を持っていたのであるが、それでも、その「復活」具合は、なかなかなものである。

 「朝食の時間だ。」

 そう、言葉を吐きながら、改まった顔をして、キッチンに向かうのであった。

 「今日はご褒美だ。」

 一体、何を言い出すんだ、と、これには突っ込みを入れずにはいられない発言を、彼は叩きつけてきたが、この後の、

 「あはっ、はは、これは、いけない、俺とした事が、昨日のVをこんな所で思い出してしまうなんて。」

 という言葉を聞いてみると、「ふーん、なるほどな。」と、わかる人はわかるが、しかし、大部分の人間は、その言葉で、「わかった」と言う状況を予約しておき、その後しばらく考えてから、本当にわかろうと言う状況にはなるのではないかとは思う(ほとんどわからないというのは、限りなく等号に等しい気もするが)。それでも、とりあえず、「V」と言う言葉が、「ビデオ」を意味すると言う事を言っておけば、その、前者の解釈ができる人数が比率として大きいものにはなると言う事は、確信できる事項ではある。

 「いや、そそ、そのまえに、そそ、しょんべんをかますとするか。」

 細かい語法の誤りを指摘し、「日本語が崩壊してゆく、あああーー」を、頭を抱え、天井を向きながら、地獄の底に陥ってゆくさまを想像してしまうような事もなく、もちろん、そんなことは、気になるようなものではないと言うふうに、彼は、やり過ごしているのであるが、実は、それ以上に、彼流の「ギャグ」が、万人に受け入れられるだろうか、という事の方が気になって、そこまで頭が回らないというのが、実情のようである。

 「日々精進する。」という、俳優の俳優たる由縁を保持するためには、「権利は、積極的に使用し、積極的に守らなければ、その効力を失ってしまう危険性があなたを襲うッ。」という、よくいわれる、慣習的な状況をそのまま、彼の「俳優観」にあてはめ、運用しようとしている心が、嫌でも目に入ってこよう。

 しかし、彼は、そんな心配はよそに(?)、キッチンに入る前に、最も近いトイレ(彼の家に端数箇所のトイレが設置されているのだ)にはいり、トイレットペーパーの紙が三角に折っているのをちらっと見ながら、洋式の便器のふたを開け、水たまりに「手法」を向けて、放水を始めた。

 「今日は嫌に、。泡が立つな。どうしたんだろうか。」

 別に、尿から、糖が降りていると言う訳ではない事は、かれ自身が、一番よく知っていた。単に、昨日便所用洗剤をかけたままにしそのままにしていたのである。

 「ふう」

 そう一息ついて、再びちらっと、トイレットペーパーに目をやった。もちろん、彼の家のすべてのトイレの、ペーパーの芯が、一般的な、芯の大きいものではなく、細い鉄の棒しか入らなく、厚紙の芯がない「ノンコアロール」であったという事を今更驚いていると言う事ではもちろんない。先程に述べたが、関心はその、芯ではなく、一番外側の紙にあるのである。「魅惑の三角折りティッシュ」何と悩ましい、タイトルなんだ。思わず、彼自身も、とある、結構歳もいった俳優と共演したいわゆる「Vシネマ」のタイトルに匹敵するほどに、魅力的だ、と叫んでしまうそうなものではああるが、そんな事はともかく、その、手にとる部分に関心があったのである。しかし、決して、「誰がやったんだろうか。」という問いは発しなかった。そんなことをすれば、むなしいのもが、募るだけなのである。そこまで言えば、もう、想像は、難くないだろう。

 「はあ。」

 半年間の寂しさを、思いながら、振り、「YKK」を引っ張りあげて、コックをひねると、勢いよく、水が渦巻をなして流れ去っていった。

 「っしまった。大が流れてしまった。」

 目のさめるよな驚きの声をあげたと思うと、その様な内容であった。確かに、塵も積もれば山となる、とは言うが、また、こんな気分の時に、細かい事を、気にするもんだと、又もや突っ込みを入れたくなるのだが、他人からは計り知れない、「こだわりの目」と言うものは、そういう部分を秘めていると言う事だけは、わかる必要があろう。もっと簡単に言えば、「ほっといたれよ」の世界ではあるが、とにかく、彼は、「小は、小なりの水量でなければならない」と言う、信条が、光っていると言う事である。何というか、思わず、手をあわせてしまいたくなるような一面を見せてしまう彼ではあるが、そんな気兼ねもよそに、既に、簡易手洗場で手を洗浄し、タオルに手がかかって所までいっているのであった。その中途にも、ちらちらと、そのトイレットペーパーの、特徴的な部分に視線を移しているのである。それほどまでに、自らの意志を、貫徹し、その成就する姿を見届けたいと言う気持ちが強いのであろうか?「もう妻はいない。」いないいない、「迷惑をかける、夫としてのことをしてやれない。」とかっこいい事を言いながら、その後に、ほいほいと・・、言うものを期待していた、それも無意識にであるが、ああ俺はなんて、罪深いんだ、何とかしてくれ俺のこの、傷ついた心を、とでも叫びたい気分を高揚させているというのだろうか。しかし、それは、半分はあたっていない。つまり半分はあたっている。その間違っている半分とは、彼が単に、他人に突っ込んで欲しいと言う気が働いていると言う事と置き換えれなければならない部分である。その書き換えられる元の内容自体は定まってなくて、各事項の程度が抑えられていて、そのあまりの部分に、「突っ込んで欲しい(もちろん言葉でだが)」という願望が、入り込んでいる形に、彼の心は構成されているのである。

 「俺は、ホモではない。」

 と、言葉面だけ拾っていっても、単に、支離滅裂な事を言っているおじさん程度にしかとられない事を知ってか知らずか、彼の、最も強い関心を寄せている事を求めるかのように発言するのである。

 「よし、これでやっと、朝食に、ありつけるぞ。あれから、十分も経たないのに、二時間も過ごした気がする。ちっ、いやー、まいるなぁー。こまった、まいった。五マイル・・」

 そう言いながら、トースター(あの、タイマーがきれるとパンが飛び出るあれである。)をセットし、牛乳をコップに注ぎながら、卵を手にとり、片手で割ってのける、彼であったが、やはり、その「まいる」事を、ほとんど自らが引き起こしていると言う事を気付いてか気付かずか、みものではあるが、彼の「俳優道」から家は、やはり、気付いた振りして、ババンバーン、と言ったところであろうか。(まだ、一日は、始まったばかりである、これでも。)

 すっかり、朝食もとって、落ち着いた格好で、ソファーにもたれかけながら、食事後の、くつろぎを楽しむ彼に、胃からの便りが届いた。

 「ぐぇっぷ。」

 先程の生玉子が、得体の知れぬほどの香りを、返してきたのである。いや、香りと言うか、味と言うべきだろうか。生の粘性のある、例の黄身の味に、胃酸が混合した、きつい味である。彼は、思わず、食ったものまで戻しそうになるぐらい気持ち悪くは一度はなったのだが、さすが、元、スーパーヒーロー、大学生役は、少し当時でもきついのではなかったかと、周りの声もあったが、「たかが」子供向けの番組だと言う事で、周りの人間も黙認してきたと言う経緯があるとはいえ、そんなことでは、動じるはずもない、俳優は、メディアを通じて、万民にその姿を見せると言う事をしなければ、それであるすべもないと言う事をふと思うと、それだけは、と反射的に、身を伏せてしまう事か、彼としては、暴露されたくない最近の心境なのであるが、とにかく、みんなに愛されるべき存在、ということを二十年前から自負している彼としては、その様な醜態をさらすのは、たとえ、一人でいる時とはいえ、彼のプライドにかけても、許されざるものである事は確実であるので、ぐっと我慢する事で、それを満足するように、彼ながらに努力し、その、気持ち悪さからくる、込みあげて来るものを抑えていくのであった。

 「込みあげて、来ると言っても、感動して、溢れ出て来る涙を、抑えているのではない、ないぞう。」

 そこまで断る必要が、あるのかという疑問も伴わざるをえないことがを、げっぷ混じりにゆっくり喋ると、彼の目尻に、目尻の皺にしみいる様に涙が、しみ出てきているのが自分でもわかった。

 もちろんその言葉にも、彼流のセンスが光るものがあるようなのであるが、本当に、そこまでやって、本当に、「俳優」たるものが、保たれる原動力になるのか、どうか、疑問の意を表すべき部分がかなりを占めてしまっていると言うのが実情ではなかろうか。

 「しかし、ぐえっぷ。」

 彼は、自らにも、言い訳するかのように、言葉を続けようとしたが、胃酸が喉に絡み、言葉がうまく発声できない。

 「ぐえおっぷ、ごほっぷ、ごほ。」

 何をいおうとしているか、ほとんどその音声から解析する事ができないのであるが、それでも、なんとなくわからないでもないのが、「もうわかった」とこちら側がもらしたくなるほど、繰り返して、ほとんど同じ様な事を述べてきたのだということがわかってしまうと言うものであろう。

 「俳優たる、ものは・・。」

 その、かすれた声には、それでも、彼の意地が、・・・・・、垣間見れる・・・か。

 彼は、洗面所で、五回ほどうがいをくり返し、居間に戻ってきた。

 「ふん、ふん、ふん。」

 ハミングとも、息ともつかぬその、鼻音は、どうも、ぎこちないものがあった。なんとなく、暇をもてあました気分をしているかのような仕草をし、その暇をごまかすような、ものを、探す手振りを見せて、つかんだ手の中にあったのは、リモコン装置であった。そのまま、彼は、そのリモコンの受け付けるべき装置に向かって、信号を送った。それに従い、その装置の電源が入り、音が流れてきた。コンボのラジオにチャンネルが合わされていた。妙に西洋かぶれした、FM曲は嫌いであったが、朝から、短波放送を聞く理由もないので、その局選択はAM局にあわせられていた。その選局も、ほとんど彼の関心時とは無関係である。特に、最近の曲がどうであるとか、やっぱり演歌がええなあ、とかいうような、ものがある訳ではないのだが、かといって他のメディア、例えば、LD、ビデオ等というような、記録されたものを毎日見ると言うつもりはないし、かといって、放送されている電波発信局のテレビジョンを視聴して見ても、自分が決してでていることがない、ない、ない、からと言う訳では決して、なく、再放送で、何処かのU局でしかやってくれないドラマでしか、その映像を見る機会がない、という、理由では、全くもって、違うと言う事は、注意して欲しいと、彼が忠告を入れたい、ということなのであり、つまり、簡単に言ってしまえばテレビは、嫌い、という事であったりするのであるから、消去法で、それが選択されたと言う、今までの、彼の言動(ほとんど心の叫びと言ったところであるが)とは、相矛盾するような所がないわけでもないが、しかし、それでも、彼に言わせれば、それは違う、と言う所である。積極的ではないか、というのである。「積極的に、世間の情報を聞き入れる窓として、ラジオと言う媒体を通じて、情報と状況を取り入れ、見てきているではないか。」と、言い放ちたいらしい所が、まぶたを閉じて平静ぶっている顔の裏にある気がしてならないのは、彼が、「ポーカーフェイス」が下手だと言う事もあるだろうが、自分自身にしても、そうではないと言う事は、認めたくないし、しかし、昔の日本軍のように、嘘の事実まで作ってまで話を景気よく美化して、そうすること自体は、許せないと考えているので、そういう状態に近づいてきたら、ちゃんとした処置をすると言う事は、彼の信念とプライドにかけても、その素振りだけでも見せなければならないと言う事があるであろうから、ほとんど浮き上がって来ると言うものである。

 「どんなことがあるのかな?」

 何か、ありきたりの、今までの思い入れを考えれば、きたい外れの、まるで肩透かしを受けたようない気分に陥る言動には、彼の、同様もあるだろうが、期待し過ぎるほどの、こちら側の強すぎる思い入れもあるかもしれない。

 しばらく後、まるで水を得た魚の様に、ラジオの音が響き始めた。わんわんわんわ、と、消音構造になっていない彼の家の居間は、妙な響きを作りながら、AMの世界に、彼ごと引きずり込む世界をかもし出すのであった。

 「朝は、確か、大抵の局は、トークの番組だったな。」

 改めて、冷静な判断をもってラジオに対しての発言をした。それにしたがって、彼は、チャンネルを変えていったが、それを、裏切ってくれる番組は、某国営放送の教育番組及び総合チャンネル程度であったのである。彼は、意気消沈となって、リモコンで、電源をきった。

 「なんて、世知辛い世の中だ。」

 どうも、言葉の選択か、或は根本の考え方を、間違っているように見受けられるが、言葉自体の意味だけを考えると、間違っている訳ではない所が、彼をにくめない所である。

 「う、うん。」

 ほとんど、泣き出しそうにも見える顔は、実は、彼の一番心地好い時の顔であるというのは、何か、彼の寂しい私生活を垣間見れたようで、もちろん、その一部を見てきた訳であるが、それでさえも、氷山の一角であるとしか考えられなくなって、その、海中に沈んでいる部分を想像す事によって、思わず貰い涙をしてしまいそうになるのである。

 「あ、あああ、仕事が。」

 今までに口にした事のない言葉を思わず、彼は、口にしてしまった。「俳優」は仕事ではない、人生なのだ、という事を信念にしてきた、彼が、ついに、その様な事を、一人でいる時とはいえ、口にしてしまったのである。

 「これで、俺も、汚れしもの、に成り下がったか。」

 また、彼流の、「きれた」言葉が走ったようだが、その意味ははっきり言って、理解しがたいものであることは、改めていう必要のないことであろう。そう言って、少し、まぶたを閉じて二度眠りについてしまう彼に、その後起こる事など知る由もなかったのである。