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児玉 清


今ごろになっての報告で少々気が引けてしまうが 、2件ほど児玉清の情報が筆者のほうに寄せられた。 ひとつは、児玉清の立ち寄ることのある田園調布のイタ飯屋の話と 意外な一面をうかがわせるという対談集の載った本の紹介であった。

(2000/7/8)

最近児玉清と言えば、救心とアタック25であると言う感じがするのだが、 考えたら下の文を書いたときからそれほど変化はないと言うことになる。 もちろん、救心のCM自体は少しずつ変わっている。 つまり取り直しがちゃんと行われているのだ。しかし、それは大正漢方胃腸薬 のCMが毎年変わることより気がつかれることは少ないであろう。 あまり意識されていないのである。 アタック25にしてもそうだ。実は4月に前のアシスタントから今度の 沢木さんに変わっているのだが損なことは誰も意識していないだろう。 特に前の相馬さんのイメージがほとんど残っていないと言うのは アタック25の立場が実に軽いことを意味しているかもしれない。 しかし、それは単に日曜で見る機会が少ないだけで、実際に見たときの その熱のいりようとはあまり関係がない。 やはり、その時間に見れば見るほど決して空回りではない 「アタッッックチャンス!」の握りこぶしがCM前に飛ぶ姿に 思わずこぶしの中のあせも熱いものになるに違いない。 ということで、あらためてアタック25を見ることをお勧めする。

できればまた2時間ドラマや、昼の連続ドラマでその俳優としての 名演技を見せてほしいところである。 よさげなお父さんが、苦悩に巻き込まれる、しかも、深刻な・・ そういう緊迫感を見事に演じきるのはやはり彼ならではであろう・・。

昨日激励のメールをいただいた。児玉清の魅力は確実に 見えないところに広がっているようである。しるひとぞしる人に終わるのは 悲しいがそれでもわかる人にはしっかりわかってほしい渋い人間であるには 違いない。 (1999/7/19)

児玉清とはしらが混じりの頭の渋い俳優である。 僕はその人間が好きである。 といっても私生活までみたわけではないので テレビという媒体で知らさせるそれの部分がすきである、といったほうが 正確であろう。 それがこのページを作る動機であるが、 いかんせん動機だけで情報がない。 書けることといえば単に自分が気に入っていることと 少しばかりの事実しかないのだ。(1998/8/23記す)