2009年10月4日
本日は、武蔵国府跡から、けやき並木を通り、府中街道を北上し、府中刑務所の北を通って、武蔵国分寺参道口跡、武蔵国分尼寺・僧寺を見、真姿の池から東山道武蔵路を通り、JR西国分寺駅にて終了。
国史跡 武蔵国府跡の大国魂神社境内から出発
大国魂神社拝殿(北から)
この日は、七五三のお参りで、たくさんのお子さん連れの参拝者がいました。
なお、大国魂(おおくにたま)神社と言う名称は、明治以降の呼称で、それ以前は武蔵総社あるいは六所宮(六所明神)と呼ばれていました。
大国魂神社での結婚式
お先払いの杖の音と、笙・笛の音が聞こえ振り返ると、神社で行われる結婚式に新郎新婦が向かうところでした。
宮乃め(めの漢字は口偏に羊)神社(西から)
大国魂神社境内にあり、下野国庁の正殿上に建つ神社や、上野国庁推定地にある神社と読みを同じくする神社です。
宮乃め神社のすぐ東側の階段から、大国魂神社境内を出ると、道をはさんで東側に
武蔵国府跡史跡整備地 武蔵国衙跡地区(南西から)
があります。史跡整備地には赤い柱が立っていますが、大国魂神社との間の道路にも、柱位置に赤丸表示がなされています。
史跡整備地に入ります。
展示室の壁面ミラーに写る赤い柱(南西から)
建物跡が敷地内に収まらないことから、ミラーを真ん中において、手前側を写し返すことで、建物の奥行き(南北)を示しています。
ミラーに写った柱までが、北側建物の南北規模。
展示室内(東から)
展示室内には、スタンプが置かれています。
展示室内の様子(西から)
柱跡が見つかったときの様子、柱が立っていた様子、柱が埋まられた様子、最終段階に礎石に柱が据えられた様子が分かるようになっています。
全ての柱は、柱跡が見つかった跡の上に、柱跡を壊さないよう保護層を挟み立っています。展示室も同様、当時の遺構を壊さないよう建てられています。
北に向かい、旧甲州街道際に
イタリアンレストラン モナムール(北西から)
があります。武蔵国衙の北側の門が、この建物と東隣の建物にまたがるかたちで見つかっています。
その西隣、大国魂神社境内の旧甲州街道際には、
府中市観光情報センターと交番(北西から)
が建っています(手前が観光情報センター。観光情報センター裏には、公衆トイレがあり、このあたりの散策の際助かります。)
旧甲州街道を北に渡り、大国魂神社参道のけやき並木から
大鳥居を望む(北から)
巨大な欅が目をひきます。
旧甲州街道北東側、
まちかど博物館(西から)
フォーリスというビルの南西角のシューウインドに、遺物が展示されています。
まちかど博物館の展示の様子(西から)
フォーリス前の広い歩道(南から)
この広いスペースを使い、いろいろな催しが行われています。
天然記念物 馬場大門けやき並木の石柱(南東から)
馬場大門けやき並木(北から)
私は、新緑が芽吹くときも好きですが、真夏、この並木の木陰に入るのが好きです。
けやき並木を少しそれ、京王線府中駅南口へ
大野屋履物店(北から)
府中駅近くで数少なくなった木造の店舗兼住宅。30年ほど前は、駅前もほとんどこのような木造の建物が建ちならんでいましたが、現在はほとんど見れなくなりました。
昔の風情を、非常に良く残しています。
けやき並木北端(北から)
大国魂神社の参道である、馬場大門けやき並木はここから始まります。昔は鳥居があったそうです。
東京農工大学農学部本館(西から)
すぐ右上の「西から」をクリックしてもらって、がいどまっぷ府中の地図に示された点付近に、国衙から北へ向かう古代の道が到達することが確認されています。
一方、武蔵国分寺参道口南側から、南東へ向かう道は、府中刑務所構内まで確認されており、延長は先の点付近で、先の国衙からの道と交差することが推定されています。
ただ、以前行った小規模な調査では、交差点を確認するには至りませんでした。
なお、以前テレビでやっていたマンガ「もやしもん」の、オープニングの一部は、少なくともこの大学の構内で撮影されました(よく見た景色がありました)。
府中刑務所北側(東から)
府中刑務所の壁は、最近作り直されました。壁と車道との間にあるタイル張りの出っ張りが、古い刑務所の壁の痕跡です。
この壁の建て替えの時、刑務所内で発掘調査が行われ、武蔵国分寺参道口南側から、南東へ向かう古代の道が確認されました。
なお、三億円事件の現場は、ここよりかなり西側です。
武蔵国分寺参道口(南から)
国府方向から来た斜めの道から、国分僧寺へ向かう道が分かれたすぐのところで、巨大な柱痕が、道をはさんで見つかりました。
巨大な柱跡は、冠木門の可能性が高いと考えられています。
武蔵国分寺参道口のある公園のすぐ東にある道を北に向かうと、大きな道にぶつかり、信号まで迂回を余儀なくされます。
薬師道(南から)
武蔵国分僧寺金堂までまっすぐ延びる道です。
武蔵国分僧寺金堂・中門・南門からさらに南へ延びる古代の道に平行しています。
府中街道・JR武蔵野線をアンダーパスでくぐった車が、駆け上がってきた地点に当たり、信号は付けにくかったのかも知れません。
この地点での横断は、危険です。少し遠回りですが、信号まで迂回してください。
私は、右側の信号へ迂回して薬師道に入らず、左側に進み府中街道側から、武蔵国分尼寺に向かってみました。
武蔵国分尼寺金堂(南東から)
武蔵国分尼寺の石柱(北から)
復元された尼坊跡(西から)
少し北側に進み、
鎌倉街道上道の切り通し(南から)
再び武蔵国分尼寺へもどり、国分僧寺へ向かう途中
国分寺市文化財資料室(北から)
住田コレクションの瓦なども置かれています
住田コレクションの瓦
その他の展示品
国分僧寺金堂(南から)
七重の塔跡(西から)
この塔跡の約30メートル西に、新たな塔跡が最近見つかっています。
現武蔵国分寺の楼門(南から)
現武蔵国分寺(南から)
現武蔵国分寺境内にある
国分寺市文化財保存館(西から)
国分寺市文化財保存館内
1/200の武蔵国分寺の模型が展示されています。
国分寺市文化財保存館内
国分寺から出土した、いろいろな文様の軒平瓦
国分寺市文化財保存館内
いろいろな文様の軒丸瓦が展示されています。
現国分寺を出て、すぐを東に向かいます。
お鷹の道(南西から)
途中で北へ折れ真姿の池方面に(南から)
真姿の池湧水群の湧水点の一つ(南から)
真姿の池湧水群の湧水点の一つ(南から)
すごい量の水が湧いています。
真姿の池湧水群の湧水点の一つの横の道を、崖上に上がります。
国分寺北側の区画溝の造形保存(西から)
掘り下げた部分に断面表示が、カラー舗装で平面表示がなされています。
すごい格好で、写真を撮っている影が写っています。お恥ずかしい。
そこから北西に進み、
東山道武蔵路(東から)
非常に広い歩道部分に、黄色い舗装で、古代の東山道武蔵路の側溝が平面表示されています。
東山道武蔵路の側溝間の幅は12mを計ります。
中央部に解説板が設置されています。
東山道武蔵路整備部分の北端近く、すぐ北側にJR中央線が走っています。
東山道武蔵路(南から)
この部分は、日があたっていて、黄色の舗装がよく見えたので、撮影しました。
奥の屋根がかかった部分に、造形保存があります。
東山道武蔵路 造形保存(東から)
さらに北西に進み、西国分寺駅駅につきましたので、本日のぶらり歩きはここまで。