有田潤
1995年4月にこの研究会が発足したとき、私はコンサルタントといった立場で加わることになった。言語という共通の関心で集まったとはいえ、必ずしも専攻を同じうしない、また研究歴や立場を異にする院生諸君がどのように会を運営するのか、多少の危惧がないでもなかったが、しかし1年以上経った今、それが杞憂だったようにもおもえるし、今後もそうであってほしいと願う。
研究者・教師を志す人は、自分の見解をなるべく多くの機会に発表して、それを他者の批判にさらす必要がある。発表する以上はまず自説を検討・整理することになるし、批判を受けて予想外の発見をすることも少なくない。こんな当たり前のことをあえていうのは、まさにこの点で―研究内容はともかく、その発表の方法に関連して―不適切とおもわれる発言がたびたび聞かれたからである。学内の例会ならともかく、全国学会などの他流試合はかなり厳しいものだ、と覚悟すべきであろう。
本研究会が竜頭蛇尾に終わるとしたら、それはだれの責任でもない、会員各個人の責任である。Aller
Anfang ist schwer.
というが、私はそうはおもわない。むずかしいのは、はじめることではなく、続けることである。
1996年7月
(ありた じゅん:早稲田大学名誉教授)
藤井明彦
早稲田文学研究科院生有志の集まり「ポリグロット友の会」を母体にして1995年に発足した「早稲田言語研究会」が、今回いよいよ会報の発行に踏み切るという。所属専攻の異なる院生どうしが、言語研究という共通の場にお互いの関心を持ち寄って交流している様子は折にふれて見聞きしていたが、その活動を、会報の発行という段階にまで育て上げてきた努力の継続性に、まず敬意を表したい。
活動報告に目を通すと、古典語・ゲルマン諸語・ロマンス諸語に造詣の深い有田潤先生の講義を中心に、会員による研究発表(ゲルマン諸語・ロマンス諸語・スラヴ諸語関連)、そして一般言語学関係の論文の読書会という3本立てで活動が行われて来たことがわかる。こういった
Multilinguismus
がまさしく本研究会の特色であり、このことは、研究対象とする個別言語をたとえばドイツ語とした場合、それを研究する発想・方法もいきおいドイツ的になってしまう(対象が方法を限定する)というこれまでのあり方と比べると、格段の視界の広がりといえるだろう。
しかし言語的「知識」をいくら量的に積み重ねても、それが言語「学」へと質的に変化することがないのと同様に、ポリグロットはあくまでポリグロットで言語研究者ではない。さまざまな言語に触れる楽しみがおそらくその活動の原動力になっていた「ポリグロット友の会」を卒業した「早稲田言語研究会」の会員諸氏には、その
Multilinguismus
を生かしながら、「言語とは・言語学とは何か」という根本的な問いを常に自らに問うていってほしいと思う。
(ふじい あきひこ:早稲田大学教授)