1998年度の活動報告


1998年

4月27日(月)総会:今年度の予定について。
5月18日(月)エーコ『記号論』読書会。第3章第5節第6項から第6節まで。担当:小倉博行

研究発表会「『バルソフ音論考』にむけて」

 発表者小林潔氏。1998年6月1日、16号館2階中会議室にて。出席者は他に大羽、小倉、尾立、甲斐崎、久保、長野、宮城、新井優子。

音韻論部会

 尾立、久保、小林、長野(各50音順)、それに植田という5人(1999年3月現在)からなる早稲田言語研究会(以下、言語研)・音韻論部会の今年度の活動は、昨年度の活動が前期までという、いわば中倒れのような結果になってしまったことを十分に反省し、「今年度こそは最後までやり遂げよう」との目標の下、音韻論に関する著作の読書会を行った。幸いなことに、今年度はゲルマン語、日本語、そしてスラヴ語の音韻論に関心を持つ部会員が多かったこともあって、3月初めまで読書会を継続し、熱のこもった議論を交わすことが出来た。
 音韻論部会の今年度の活動は1998年5月18日に始まった。昨年度は音韻論に詳しい内田将也氏が当部会に参加していたため、同氏に先導役をお願いしていたが、今年度は音韻論に関心のあるメンバーが集結したということもあって、まずは教科書的な著作を読んで音声学・音韻論に関する基礎的知識を付けようということに決め、柴谷方良、影山太郎、田守育啓著『言語の構造 ―理論と分析― 音声・音韻篇』(くろしお出版、1981年、なお以下『言語の構造』)を読み、同書所収の練習問題を解くことで音声学・音韻論に対する理解を深めた。
 7月までは当部会は月1回のペースで読書会を行ったが、7月に入ると大学が夏期休業になるため、隔週のペースで行うことにし、『言語の構造』は8月5日の読書会で読了することが出来た。なお同日には、昨年秋からモスクワ大学に留学中である小林会員の壮行会を、言語研事務局の甲斐崎会員の肝煎りにより、高田馬場の「もめん屋」にて開催した。
 後期からは、残念なことに昨年度中途半端になってしまったN. S. トゥルベツコイ、長嶋善郎訳『音韻論の原理』(岩波書店、1980年、なお以下『原理』)をもう1度最初から読むことにして、9月30日から隔週のペースで読書会を行うことにした。しかしながら実際には部会のメンバーがそれぞれに忙しく、また中心となって読書会を進めて来た久保、植田の両会員が修士論文執筆の追い込み時期にあったこともあって、プラン通り隔週というペースで読書会を行うことはいささか困難であった。けれども年が改まってからは当初の目的の通りほぼ隔週のペースで読書会を行うことが出来、何分トゥルベツコイの『原理』が質的には音韻論の古典であり、また量的にも非常に膨大な著作であるため、読了するにはまだまだであったが、それなりに読み進めることが出来たように思われる。そしてその都度われわれは熱のこもった議論を繰り返したが、そうした中でトゥルベツコイが述べていることはさすがに現在の言語学の見地からすれば古びてしまったことに気付くとともに、その一方で音韻論の開拓者としての彼の功績と、先駆的著作である『原理』の持つ意義を改めて認識したのであった。
 と、ここまではいわば杓子定規的に音韻論部会の今年度の活動について述べて来たが、音韻論部会とてもわれらが愛すべき言語研の1部会であるため、もちろん難しい議論の後には場所を変えて美酒佳肴(?)を交えて楽しいひと時を過ごしたことは会員諸賢の想像に難くないところである。『言語の構造』や『原理』といった著作の読書会を通じて音韻論を学び、また早稲田界隈や高田馬場の飲み屋でのゆったりとした会話を通して更に理解を深め合った1年であったと思う。
 この1年にはメンバーの出入りが何度かあったが、夏からは長野会員が参加し、また時折参加した甲斐崎会員のおかげもあって、今年度の音韻論部会の活動は、昨年度とは比較にならないほど、盛んであったということが出来よう。(文責在植田)

記号論部会

 1998年度の記号論部会の主な活動としてまず挙げるべきことは、「参加者の激減」であろう。この御時世にさっさと専任が決まって愛知県に移住した人見、一時行方不明も噂された半年のアジア放浪を経てデュッセルドルフ大学に落ち着いた宮下、よりによって銀行が機能しなくなった日からモスクワ留学生活の始まった小林、いずれも各人にとってはより一層快適な研究環境を手に入れたわけであり、残された部会員も喜んで送り出したわけであるが、現在記号論部会の新たな展開に頭を悩ませている残された大羽、小倉、尾立、甲斐崎としては、3人もの各々卓越した言語観を持った部会員に次々と去られた空白部分の大きさを感じざるを得ないのである。
 さて、本部会発足から長らく読んできたU. エーコ(著)、池上嘉彦(訳)、『記号論T・U』(同時代ライブラリー270)、1996年、東京・岩波書店は、小林の渡露前に無事読了した。当初はこの総頁数800頁強という分量の多さに不安を抱かされたが、毎回異なる担当者を中心に話を進めていくやり方が功を奏したのか、多少のむらはあったにせよ同書を隈無く精読することができたと思う。もっとも、大部な文献を読み通せるということは、その文献のすばらしさによるところが大きいことは言うまでもない。同書も、原著は20年以上前に執筆されたとはいえ、その網羅的かつ革新的な記号理論構築の試みは、実に多くの論点を提供してくれた。本来、詳しく見ればお互いそんなに研究分野に共通点があるとは言えない部会員の全員が、毎回必ず活発な議論に参加できたことも同書の内容の高さを示しているのであろう。今後は、部会員各々が、同書と同書を中心に繰り広げられた議論を自らの研究活動に生かしていくことを期待したい。
 このように期せずして非常に実りある結果となった記号論部会であるが、題材としても大変優れた『記号論』読了後、既に述べた通り、アイデアを捻り出すべき部会員も激減したため、次の題材探しに非常に苦労した。結局、今後は「記号論」という分野には特にこだわらず、全員が関心を持てそうで、そしてそんなに枝葉末節の細かい議論は含まない、短めの文献を交代で探してきて輪読しようということになり、まず柴谷方良、「主語プロトタイプ論」、『日本語学』第4巻第10号所収、4〜16頁、1985年を取り上げた。これは日本語を分析対象とし、主格名詞句とは限らない主語というものを、典型と特殊というプロトタイプ的発想で定義づけることを試みたものだが、他の種類の文肢に対する主語の統語特性の優位性が具体的な構文構造に現れているか、という問題も扱っており、様々な記号を包括的に定義づけようとした『記号論』を思わせるところもあって、次の題材として満足のいくものであったと思う。また、分析資料が日本語ということで、部会員全員がネイティブとして深く検討を加えることもできた。
 ところが今年度後期は、この論文を囲んでの会合の後は、記号論部会の活動は題材探しという名目のもと、事実上休止状態になってしまった。少ない部会員の予定がなかなか合いにくくなってしまったことが理由のひとつであるが、毎回題材が変わる、つまり一話完結方式がここでは悪い方に転んでしまったようである。
 来年度春からは、また気分を新たに活発な活動を期待したいところであるが、なかなか部会員全員が興味を持てる題材の選定というのが難しいところである。たまには部会員全員にとって未知の分野のものを扱うという試みも必要かも知れない。また心機一転を目指して「記号論」部会という名称の変更も考えられよう。(甲斐崎記)




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